流花無残 二十三話

   
「おまえは俺の犬だから」第三部<輝良>







 
 マサルとサトルから、確かに熊沢に金とDVDを渡したと報告があってから一週間。熊沢からはなんの連絡もなかった。
『もう見たのか、まだなのか』
 一日二日はじりじりしたが、三日たった頃にはそんなあせりもなくなった。連絡がないのが逆に、見た証拠だった。
『引いたんだろ。幻滅したんだろ。いくら忘れられなかったとか今でも好きだとか言っても、しょせん、初恋の思い出にこだわってただけ。現実を突きつけられたら、そんなもの消えてなくなるに決まってる』
 二葉が撮らせた映像のうち、輝良が「被害者」と呼べるのは最初の一枚目の後半までだ。性の快感を覚えても抱かれることに抵抗しているあいだはまだ初々しいが、二葉の養子になると決めたあたりから、様相が変わる。カメラの前でも平気で二葉に行為をねだり、細い腰を男の躯にこすりつけて誘う様子は娼婦のそれと変わらない。おもしろがる男にクスリや道具を持ち出されても喜々として応じ、背を反らせて何度も達している姿を見たら、いくら熊沢でも自分がこだわっていたのが過去の幻影に過ぎないのだと悟るだろう。つきあいたいだの、助けたいだの、なにも知らずに馬鹿なことを言ったと、今は後悔しているにちがいない。
 熊沢の初恋の相手は消えたのだ。穢れなく、初心だった少年は消え、男の情欲に応えて淫らに腰を振り、甘いよがり声を恥じらいもなくあげる娼婦がそこにいるだけ。
『わかっただろう、クマ。自分がどれだけ馬鹿だったか』
 出来れば――見せたくない映像だった。ヤクザの組長の愛人となって性の玩具になっていたことを、そして自身もそれを愉しんでいたことを、誰に知られても、熊沢にだけは知られたくなかったのに。
『おまえが、現れるから。馬鹿なことを言い出すから』
 すべてを突きつけることになってしまった。
 いっそ、再会した熊沢が最初から輝良を蔑んでいてくれればよかったのだ。「ヤクザの愛人だったんだってな」と軽蔑した眼差しで見てくれればよかった。そうしたら、あんな映像を引っ張り出す必要もなかったのだ。――自分で暴いて見せる必要はなかったのだ。
『クマ……』
 今度こそ嫌われた。軽蔑された。そう思うと性懲りもなく、胸が痛んだ。けれど、仕方ない。
『おまえが好きになった相手はもういない。おまえとは、もう、世界がちがうんだ』
 それを悟らせるために渡したDVDだった。DVDが熊沢の手に届いて一週間。なんの連絡もないままに過ぎたその時間が、熊沢がようやく悟った証だった。
 熊沢にとっても自分にとっても、長い初恋がようやく終わったのだと、輝良は思っていた。




 その日、輝良は馴染みのホステスの部屋に泊まって、二葉のマンションには朝帰りになった。朝といってももう昼近くにマンションに戻ると、部屋の玄関に入るか入らないかのところで、
「輝良さん!」
 とマサルとサトルが飛んできた。
「今、お迎えに上がろかと思てたとこでした!」
 などと言う。ただならぬ様相だ。
「なに、安西組となにか動きが?」
 今、二葉組は安西組と縄張りで揉めている。同じ仁和組系列だからまだ派手なドンパチにはなっていないが、下部のチンピラあたりでは何度か衝突があったと聞く。
 もともとは小さく家族的な安西組のシマ内に環状線道路が通ったのが事の発端だった。太い道路が通れば周囲の地価は上がり、街は賑やかになる。それを狙って、安西組と縄張りを接している仁和組とは別の広域指定暴力団高雅会の下部組織が、最近、不穏な動きを見せている。同じく安西組と境を接する二葉組にしてみれば、安西組がおとなしく傘下に入ってくれればその街に別の暴力団組織が入ってくるのを防ぐこともできるし、睨みをきかせることもできるが、もともと弱小の安西組が高雅会に吸収されてしまったら、喉元に嫌な火種を抱えることになってしまう。
 そのあたりの事情を説明しようとしても安西組の組長は聞く耳を持たず、「開戦やむなし」と息巻いているという。ここで二葉組と安西組が大きくことを構えれば喜ぶのは高雅会だ。二葉組組長武則も若頭筆頭の沢もそれが一番避けたい事態だから、なんとか穏便に安西組に譲ってもらいたいところなのに、安西組は聞こうとしない。頭の痛い事態になっていた。
 マサルとサトルの顔色を見て、輝良が一番に心配したのはそれだった。ところが、
「いえ、安西組ちごて、熊沢です!」
 サトルが言う。その名前だけで心臓がひとつ、大きく跳ねた。
「熊沢、下で輝良さんを待ち伏せしとったんとちゃいますか!?」
「熊沢がここに来たのか!?」
 質問に質問で返すとふたりが同時にうなずく。
「三十分ほど前です、ピンポン鳴って、出てみたら、一階のエントランスに熊沢が来とって『輝良に会いに来た』言いよるんです。『輝良さんはおらん』ゆうたら、嘘や、ここにおるんは知っとるて言いよるから、『嘘ちゃうわ。おらんもんはおらん』て突っぱねたんですわ。したら静かになりよったから、あきらめて帰ったんか思たら、誰かと一緒に中に入ってきよったらしくて、いきなり、ドアがんがんやって、輝良出せーって」
 マサルの説明に血の気が引くような気がした。輝良の携帯電話にはなんの連絡もなかった。いきなり二葉組組長の私宅を訪ねてきたのもドアを叩くのも、熊沢らしくない性急さと乱暴さだ。
「しゃーないからインターフォンで、『確かにここに輝良さんは住んではるけど、今は外出中や』ゆうたんです。そしたらとにかくドア開けえ言いよるから、なあ?」
 マサルがサトルに助け舟を求める。サトルが頭を下げた。
「すんません。ドア開けさせてもらいました。相手、サツですし。なんや要求もようわからんで、とにかく顔見て話してみよ思たんです」
 今日は二葉も沢も輝良も外出していた。オヤジと兄貴のいないあいだに勝手をしてしまったのではないかと頭を下げるサトルに、輝良はかまわないとうなずいてみせた。
「それで?」
「ホンマに輝良はおらんのか。隠しとるんちゃうか。ゆうんです。上がって探してええかゆうから、上がって探したらええけど、それでおらんかったら、サツとしてどない落とし前つけんねん、ゆうたんです。しばーらく、それでにらみ合いやったんですけど、したらわかったゆうて、ついさっき、帰っていったとこですわ」
「……そうか」
 下の人間にあせったところは見せられない。輝良は平静を装ってうなずいた。
「ほんでマサルと、もしかしたらあいつ、輝良さんのこと、下で待ち伏せするつもりちゃうかて……」
「……ありがとう。大丈夫だ。誰にも会ってない」
 頭が混乱する。一週間音沙汰のなかった熊沢が、突然マンションまで押し掛けてくるとは思ってもみなかった。しかもマサルとサトルの話からの印象では、熊沢は相当に怒っているようだ。一週間もたって、なぜ? それともつい最近、ビデオを見たのか。だいたい、なにを怒るのか。あのビデオを見て、呆れて二度と会いたくないと思うのは理解できるが、いきなりこんなところまで自分に会いに押し掛けてくるのがわからない。
「輝良さん……」
 心配げな声に、輝良の物思いは破られた。サトルが眉を寄せている。
「どないしましょう? 輝良さんの警護に何人かつけたほうがええんちゃいますか」
「警護?」
「そうです。熊沢、普通やありませんでした。もし万一のことが輝良さんにあったら……」
「そうです!」
 マサルもうなずく。
「あいつ、合気道やっとるんですよね。腕っぷしだけは強いんやから、用心だけはせんと……」
「…………」
 確かに熊沢は中学時代、合気道部だった。腕前もかなりのものだった。だが、なぜそれをマサルが知っているのか。
「すんません」
 輝良の顔色を読んでサトルが申し訳なさそうに肩をすくめた。
「あの、大江ゆう男が自殺したあと、俺ら、沢の兄貴の言われて、熊沢のこと、いろいろ調べたんですわ。したらあの男、高校からずっと、合気道で全国大会優勝しとって……」
 ため息が出た。
「……そういうことか」
 沢は熊沢が警察庁に入ったことも知っていた。その情報を集めるのに、マサルとサトルが一役買っていたのだと納得する。
「警護はいらない」
 こんな馬鹿なことで若いのに張り付かれるのは嫌だった。そして、これ以上、熊沢に馬鹿なマネをさせるわけにもいかない。警察の人間が組長の私宅に突撃するなんて、なにを考えているのか。
「あとは俺がなんとかするから、今日のことはオヤジと沢さんには……」
 黙っていてくれ。
 その口止めを邪魔するように輝良の携帯電話がけたたましく鳴り出した。嫌な予感を覚えながらフェーズを見れば、『沢さん』とある。
「もしも……」
『どないなっとんねん!』
 挨拶などない。いきなり沢に怒鳴られた。
『熊沢のドあほうが、事務所に押し込みかけてきやがったやないか!』
「は? 押し込み?」
 我ながらマヌケな声だと頭の片隅で思う。
『輝良に会わせえゆうて大暴れや! 出入りか思たら熊沢やないかい。俺が出て行って、今ようやっと静かにさせとるけど、どないなっとんねん!』
「どないて……」
『おまえ、こないだマサルとサトルになんか熊沢に届けさせたらしぃなあ? おまえ、なにを渡してん?』
「あ……」
 言いたくない。言いたくないが、ことここにいたってだんまりは通じないだろう。
「三百万……熊沢が俺の嘘を真に受けて用意した金を突っ返した。それと……」
『それと!』
 こういう時の沢は厳しい。輝良は観念した。
「……オヤジがずっと撮ってたビデオ」
『はあ?』
「だから! あんただってカメラ持たされたことがあったろう! 俺がここに来た日からお役御免になるまでの三年間に撮られた、エロビデオだよ!」
 マサルとサトルがぎょっとしたように息を呑む。同様に電話の向こうも黙り込んだ。
『……おまえはなに考えとんねん……』
 数秒たってから聞こえて来たのは心底呆れたような声だった。カッときた。自分だってさんざん悩んだのだ。
「あんたが言ったんだろう! さっさと終わらせろって! だから! さっさと! 全部! 終わらせてやろうと思ったんじゃないか!」
『おまえの言い分はわかった。とにかくすぐにこっち来ぃ。……終わらせるどころかこじらせとるわ……』
 最後に呆れたようなつぶやきを聞こえよがしに残して通話は切れた。
「……事務所まで、乗せてってくれ……」
 マサルとサトルに命じる。比喩ではなく、頭が痛かった。もうふたりに口止めの必要がなくなったことだけはありがたかった。




 繁華街にある事務所には車で五分ほどで着く。一階に、それぞれ幹部の身内が経営するマッサージ店や飲食店が入っている細長いビルが二葉組の事務所だ。五階建てのそのビルは最上階には二葉と沢、輝良をはじめとするほんの数人しか入れない。
 その二階部分に足を踏み入れて、輝良は顔をしかめた。
「……んだ、これ……」
 観葉植物は薙ぎ倒され、椅子やテーブルも倒れて散らばっている。
「あ、輝良さん!」
 片付けをしている組員が声を掛けてきた。その顔も青黒く腫れている。ほかにも壁際で何人かが座り込んで呻いていた。押し込みをかけられたという沢の言葉が誇張でもなんでもなかったと思い知る。
「沢さんが三階で待ったはります」
「わかった。……その前に、どういう状況だったか聞かせてもらえるか」
「はあ……突然やったんです。ドア、バーンと開けて、大男が入って来よったんです。二葉輝良に取り次げゆうて。はいそうですかゆうわけにはいきまへんやろ。はあ、おまえ何もんやゆうたら、四の五の言わんとさっさと輝良出せゆうから、なんやおまえ、ここが二葉組の事務所てわかっとってそないな口きくんか、どこの組のもんやって、もうこっちもカアッときますやん。おととい来いやゆうて、押し出そうとしたら、くるんと引っくり返されて、投げられてしもて……もうそっからはめちゃくちゃですわ。とにかく強い男で……。したら、上から沢さんが降りてきてくれはって、どうもその男、沢さんとは顔見知りやったみたいですわ。シロウトさんがこんなとこで暴れはったらあかんやろゆうて、上に連れてからはりました」
「……そうか」
 天井を見上げて、輝良は苦いものを飲み込む。熊沢が殴り込んで、沢が止め、自分を待っている――逃げたいと、心の底から思った。熊沢にも、沢にも、会いたくない。
「あのぉ」
 申し訳なさそうに若いのが言う。
「沢さんが上で待ったはります。輝良さん来たらすぐ来させえいわれてて……」
「……そうか」
 じりじりして待っている沢の顔が目に浮かぶ。だいたいここで逃げても、マンションからすぐにこちらの事務所に向かった熊沢の行動力を思うと、今度はマンションのロビーでテントを張って輝良の帰りを待つぐらいのことはやりかねない。――上がっていくしかなかった。
 振り返ると、準備のいいマサルがすでにエレベーターを停めて待っていた。「どうぞ」と手まねで呼ばれたが、
「階段で行く」
 と、ほんの数秒のちがいだが、脇にある階段に足を向けた。マサルとサトルが神妙な顔で後ろからついてくる。
 熊沢が、とにかく自分に会いたがっている。なら、会うしかない。一段ごとに階段を踏みしめながら、心を決める。
 三階は二階と同様、エレベーターホールと階段のある短い廊下に面して、刷りガラスのはいった観音開きのドアがついている。その扉のすぐ内側に人影があった。
「……輝良だ」
 ノックすると、ドアが開いた。
「…………」
 ドアのすぐそばに立っていたのは沢だった。嫌な目つきで輝良の表情をうかがってくる。
『俺だって困ってんだよ!』
 視線で返して、輝良は部屋の中に目を向けた。二階よりは若干、置いてある家具類が高価な、幹部用の事務所といった部屋だ。熊沢はそのほぼ中央で、沢と睨み合うように立っていた。数人の組員が、沢の命令があればいつでも飛び掛ってやるという面構えで周囲に控えている。緊迫した空気だった。
「熊沢……」
 大股で熊沢が歩み寄ってくる。いきなり手首をつかまれた。周囲の組員がざっと色めき立つ。
「来い」
 輝良の手をつかみ、そのまま部屋を出ようとする熊沢の前に、さっとマサルとサトルが立つ。
「待たんかい」
 沢もドスをきかせて、熊沢の肩を引いた。
「うちの大事なボン連れて、どこ行くんや」
「俺は輝良に話があると言っただろう。ここでは話せない。話ができるところに連れて行く」
「にいちゃん。仮にも極道の事務所に突然来て暴れといて、そんで幹部連れてハイ、サヨウナラて、通ると思とんかい。舐めんのもたいがいにせいや」
 さすがに沢が目を据わらせると怖い。だが、熊沢にひるむ様子はなかった。
「俺は輝良に会いに来ただけだ。殴りかかられたから自分の身を守った。それだけの話だ」
「そんで通ると思とんかいてゆうとるやろ」
「通る通らないは俺には関係ない。俺は輝良を連れて行く。それだけだ」
 ふたりの間の空気がピンと張り詰める。
『ちょっと待てよ。なんでいきなりそんな乱暴な話になるんだよ』
 当事者である自分を置いて話を進める沢と熊沢に、輝良は心の中で突っ込む。手首をつかむ熊沢の手には恐ろしいほどの力がこもっていて、痛いほどだ。なにがなんでも輝良を連れて行くという強い意志が伝わってくる。ここで馬鹿なことを言えば、熊沢をさらに怒らせるだけだろう。
「それだけてなあ……こんな勝手許したら俺らのメンツがたたんねん」
 来た来たと思う。極道が「メンツ」という言葉を口にしたら、もう容易なことでは引かない、引けない。極道の命綱は「面子」と「見栄」だ。
 出向でもなんでも今は府警の暴対にいるのなら、熊沢にもこれがまずい流れだとわかるだろう。
 だが、熊沢はどこまでも受けて立つつもりらしい。
「俺に文句があるなら、警察に苦情でも言いに来い。くさい飯を食わせてやる」
 言い放った。
「にいちゃん、ええ根性しとるなあ。極道脅すんか」
 沢の声が一段と低くなる。後ろに控えるマサルもサトルも、部屋にいるほかの組員も、沢の合図さえあれば、この無礼で傲慢な男に制裁を加えてやろうという意気込みで身構える。
 だが、熊沢はそんな空気をさらに煽るように短く笑った。
「脅しでもなんでもない。なんなら、おまえらの組……」
「俺が!」
 たまらず輝良は声を上げた。なんならおまえらの組長をムショにぶち込んでやろうか。熊沢の言おうとしたことが読めたからだ。組長に手を出すと言われたら、極道にはもう選択の余地はない。沢ならこの場で迷わず熊沢を殺すだろう。
「俺が呼んだんだ! ここに来いって!」
 正面やや少し上の熊沢の瞳をにらむ。
「話があるから事務所に来いって、こいつを、俺が、呼んだんだ!」」
 熊沢の目に浮かぶ表情が読み切れなかった。なにかにひどく怒っているのはわかるが、その底にあるものが読み切れない。だが熊沢の意図はわからなくても、この場はこのまま乗り切るしかなかった。
「マサル!」
 輝良は大声を出した。ついでに熊沢に握られていた手を振り払う。
「最初にこいつに手ぇ出したヤツ、連れて来い!」
「……え……」
 マサルが輝良と沢の顔を見比べる。
「俺の言うことが聞けねーのかっ!」
 ドスを聞かせた。
「はいッ!」
 マサルがすっ飛んでいく。ちらりと沢をうかがうと、苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、その態度ほど本気で怒っているのではないのが見て取れた。
 マサルが二階で輝良が話を聞いた組員を連れてくる。
「俺の客に手ぇ出したのか」
 返事は待たない。言下に、思い切りの平手打ちを喰らわせた。組員がよろけて壁にぶつかる。
「す、すんません!」
 上の人間に叱られたら、それが正しかろうと正しくなかろうと、舎弟の取る態度はひとつだ。平謝りに謝る。それしかない。
「……悪かったな」
 肩越しに熊沢に声を掛ける。
「待たせた上に組のもんが無礼をした」
「いや。それはこちらも悪かった」
 熊沢もとりあえずこの茶番に乗ってくれるつもりはあるらしい。頭を下げる。
「――じゃあ、行くか。くわしい話は、向こうで、する」
 輝良が熊沢を呼び出し、話があるからと連れて行く。この場を丸く収めるにはそれしかない。輝良は自分から熊沢を誘導するようにエレベーターへと向かった。
 さっとサトルがボタンを押してくれる。
「門限は七時やで!」
 沢が鋭い声を掛けてきた。
 笑って応えようとしたが、頬が引きつる。
「ああ、それまでには戻る」
 『たぶん』、心の中で付け足す。本当の答えは無言でエレベーターに乗り込んできた男次第だった。




                                                  つづく






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