流花無残 三十話

   
「おまえは俺の犬だから」第三部<輝良>








 沢が熊沢寛之を府警近くの喫茶店に呼び出し、ちょっとつきあってほしいと言うと、案の定、熊沢は断ってきた。当たり前だろう。府警に出向してきている警察庁のキャリアがおいそれとヤクザについてこれるわけがない。
 そこで沢は、
「おまえが来ぃひんなら、そのほうがええ。そしたら輝良もそこまで痛い目見ずにすむかもしれんしなあ」
 と、城戸に言われたとおりのセリフを口にした。熊沢が「なに」と顔色を変えたところで、
「モルディブは楽しかったか。いや、楽しかったならええなあ思てな。なんもええ思いしとらんのに、落とし前やつけさせられなあかんかったら、いくらなんでも輝良がかわいそうやろ」
 やはり城戸に入れ知恵されたとおりに伝えた。
「そんでもおまえが『俺は輝良とは関係ない、モルディブなんか知らん』ゆうなら、話はかんたんや。カタギに岡惚れしてオヤジの言いつけにそむいた輝良がちいと責められるだけですむやろしな。おまえがヤクザもんとやってく覚悟がないなら、そのほうが輝良にとってもおまえにとってもええねん。邪魔したな」
 「邪魔したな」と言って早々に立ち去ろうとしたのは、城戸の指示ではなかった。城戸はそれだけ言って熊沢の反応を見ろと言ったのだ。沢はそんなもの見たくはなかった。熊沢を本当に城戸邸に連れて行きたくなどなかったからだ。城戸の言葉のとおりだ。ここで熊沢が来なければ、話はかんたんなのだ。輝良は失恋し、恋人より己の保身を優先した男に見捨てられた輝良に、平も二葉もそこまでひどいことはしないだろう。
 ――が。
「待て!」
 熊沢は席を立った沢を呼び止めてきた――。
『わしは輝良がかわいい。ゆうても変な意味やない』
 城戸翁は沢にそう言った。
『わしには血を分けた子供も孫もおらんが、子分も孫分もようさんおる。そいつら全員、わしはかわいいてしゃあないけどな。そん中でも輝良はかわいい。……わしの膝で泣きながら寝てしもたんが、あいつだけやったせいかもしれんけどなあ』
 昔を懐かしむ目になって、城戸翁は彫り物におおわれた、細い腕を撫でた。
『せやさけ……輝良が躯を張るゆうなら、わしはしっかりと結果を残さしてやりたいねん。総長も武則も、まだまだ輝良に色気があるやろ。詫び入れてスジ通せゆうたら、どっちに話が転ぶかわからん。……そん時にな。わしは輝良がちゃんと報われるようにしてやりたいんや』
 その城戸の思いは沢も同じだった。仕掛けたのは沢だったが、背中と上腕、胸にまで刺青を入れる覚悟を決めた輝良が苦しめられ続けるのは見たくない。
 輝良への思いは同じでも、熊沢寛之を連れて来いと言う城戸の意図は沢にはわからなかった。
『なにを考えてはんのか』
 城戸がなにをもくろんでいるのか、わからぬままに沢は熊沢を連れて来たのだった。




 これはやはり「そっち」に話が転ぶのかと沢が奥歯を噛み締めたのは、輝良がもろ肌ぬいで、そのしなやかに引き締まった躯に彫った墨を平と二葉に披露した瞬間だった。
『ああ、アカン』
 沢はやはり『アカン』と思った。
 輝良の肌理の細かな白い肌に舞う、青と金の鳳凰と、そのまわりを埋める蓮の白い花びら。肩や胸の張りに比べてほっそりした腰を締める白い絹の帯。それは妖しいまでに美しく、勇猛さより艶美さを見る者に印象づけた。輝良の肌の白さが、彫り物の色彩によってかえって引き立てられ、彫り物の図柄の華やかさが、輝良の躯の線の細さをかえって強調している。白装束を肩からすべらせて脱いだ、その色っぽさと凄艶さ。
 アカン、と思った沢の読みは正しかった。輝良に注がれる平と二葉の目の色がその瞬間に変わったのだ。
 城戸が何度か流れを変えようとしてくれたが、平は強硬だった。覚悟を決めた輝良も潔く、ふたりに抱かれることを了承してしまった。
 そこへ、城戸は熊沢を連れて来いという。
『どないなんねん』
 そう思いながら、沢は熊沢を全裸の輝良が平と二葉のあいだで待つ座敷へと案内した。
「輝良ッ!?」
 刺青のことは聞かされていなかったらしい、輝良が始めに平伏していた続きの間に入ったとたん、熊沢は奥の座敷にいる輝良を見て目を剥いた。
「おまえ……!」
 駆け寄ろうとする熊沢の腕を沢はつかんだ。
「誰の前や思てんねん! 挨拶が先やろ!」
 すごむ。
 事前に城戸からどんな話があったのか。熊沢がぐっと顎を引いた。
 輝良を全裸で座らせている平をにらみ、そして、その右側に座る二葉をにらむ。二葉も熊沢をにらんでいた。互いに「食い殺してやりたい」とでも言うように、凶悪な瞳だった。
「座らんかい!」
 沢が再度怒鳴ると、熊沢は苦々しげに顔を歪めながら膝を折り、敷居の手前で正座した。
「……仁和組、総長……平、さん。二葉組組長……二葉、さん。お初に、お目にかかります……熊沢寛之です」
 平は「ほお」と目を細めた。
「おまえが輝良の間夫か。ええ男やないか」
 横に置いた膳から杯を取ると、平は整った顔をにんまりした笑いにゆるめた。
「これはこれでええ趣向や。……なあ、輝良?」
 熊沢が現れてから、輝良は顔を伏せて、肩をすぼめるようにしたままだ。その顔が青白い。
「おまえ、恋人の見とる前で、俺らにおまえの忠義を見せてくれるんやろ?」
「…………」
 血の気のない輝良の唇が震える。その時だ。
「こんな茶番、つきあっていられるか!」
 叫んで立ち上がったのは熊沢だ。
「輝良! 帰るぞ!」
 ずかずかと大股で座敷に入ってくる。その熊沢に、
「……うるせえッ!」
 喉も裂けるような大声で怒鳴ったのは、蒼白な顔の輝良だった。
「なにが茶番だ! つきあってられねえなら、おまえひとりでさっさと帰れ! 帰れっ!」
 ぴたりと足を止めた熊沢に向かって怒鳴る輝良の眼に涙がにじんでいるのを、沢は見た。
「わかってただろ! 言っただろ! 俺は極道やめる気なんてねえんだよ! 俺は極道なんだ! これが……これが俺の世界なんだ! つきあってられねえなら上等だ! さっさと帰れッ」
「おまえ……」
 熊沢が虚を突かれたように立ちすくむ。
「……おまえ……そんな刺青入れて……なんで真っ裸なんだ……おまえ、どういうつもりなんだ……」
「輝良はな。おまえを愛しとる、せやけど、おまえへの愛よりオヤジや総長のゆうことのほうを聞きますゆうて、今から証立てせなならんねん」
 静かに、噛んで含めるように言ったのは城戸だ。
「輝良が極道でやってくつもりでおる以上、仁和組総長にも、二葉組の組長にも、自分の心の内を明かして見せなならん。……おまえとゆう恋人がおっても、大事にするんは組のほうや、それを見せなならんねん。輝良がちゃあんとわしらにそのことを証明してくれたらな、わしらも輝良がどんな男とつきおうとってもこれからずっと安心して見守ってやれる。――総長。そういうことですわなあ?」
 城戸が頭を下げつつも横目で平を見ると、平はおもしろそうに肩を揺らした。
「叔父貴の狙いはそこかいな。……ええですよ。そういうことです。輝良が俺たちになによりも組を大事にすると誓うてみせてくれて、輝良の男もそれを承知してくれるなら、俺らは、いや、仁和組は輝良とその男がこれからどうつきおうていこうと何も口は挟まへん。そういうことで、二葉も、ええな?」
 平の念押しに、二葉がくやしそうにうなずく。城戸もひとつうなずいて視線を熊沢に戻した。
「そういうことや。熊沢はん。ここであんたも、極道の二葉輝良の覚悟をちゃあんと見届けてくれれば、わしらはあんたのことも信用する。あんたが仁和組のやり方を認めてくれとるてゆうことやからな。……ほうでないなら……」
 城戸の目が鋭く熊沢をにらんだ。
「二度と輝良と会わんといてや」
 熊沢はなにも言わなかった。ただ、その目じりが吊り上り、食い縛った歯が唇のあいだからのぞいていく。
『般若の顔やな』
 横から見る沢はこっそりとそう思う。
「……帰れ……」
 しばしの座敷の静寂を破ったのは輝良の震える声だった。
「俺は……極道だ。……俺の、生き方を……許さなくて、いい。帰れ……」
 熊沢の胸が大きく上下した。
「……言っただろう、輝良……俺は、おまえを、守る。おまえは好きな道を行けばいいと……」
 恋人の前で全裸でほかの男たちの視線にさらされている輝良も、そんな恋人を見守る熊沢も、心の中はどれほどに荒れているのか。その表情や震える声、狂おしい瞳を見れば、どれほどの葛藤がふたりの胸をさいなんでいるのか、沢にも容易に想像がつく。
 助けてやれるものなら助けてやりたい。だが――輝良が仁和組で生きていきたいなら、そして、ふたりがこれからも愛し合っていきたいなら、ここはスジを通してもらわねばならない。
「ええなあ、輝良」
 笑いを含んだ声だった。さすがというのか、もともと嗜虐性が強い性格のゆえなのか、仁和組総長には目の前の若いふたりの修羅さえ、おもしろい見ものでしかないらしい。
「えらい惚れられとるやないか」
 いいざま、平は輝良の腕を引いた。座っていた輝良がバランスを崩して平の膝に倒れ込む。
 その時沢は、熊沢の目がさらにカッと見開かれるのを見、二葉が大きく息を吸い込んだ音を聞いた。
「熊沢ゆうたか。座ったらどうや。見下ろされとるのは性に合わん」
「…………」
 熊沢はその場にどかりと腰を下ろし、あぐらをかいた。膝に置いたこぶしが早くも白く関節を浮かせている。
 平が目だけで笑った。
「……ええ面構えや。なあ、輝良?」
 輝良の後頭部をつかむと、平はぐっと自分の顔のほうへ引き寄せた。
 唇を合わせる。
 反射的に輝良の顔が歪もうが気にするふうもない。熊沢に見せつけるように音立てて輝良の唇を吸い、舌を使う。
「……舌、出し」
 命じて輝良に出させた舌をしゃぶり、己の口中に吸い込む。
「……ッ……」
 恋人がほかの男にされている濃密でいやらしいキスに、熊沢が奥歯を噛み締める音が沢に届いた。
『ここがこらえどきやで。ゆうても始まったばっかやけどなあ』
 同じ男として熊沢の口惜しさは容易に想像がつく。沢は心の内で熊沢に話しかける。
「……そういえば、輝良。そこの男とはいつから恋仲なんや」
 長々と輝良の唇をむさぼってから、平は薄ら笑いのまま片手でベルトを外しながら輝良に問いかけた。
「……再会……してから、です。半年……ほど前に」
「再会。ほなその前はずっと会うとらんのか。そもそもの出会いはいつやねん」
「……中学に入学して……同じ学校で……」
 平は開いたズボンの前から黒ずんだペニスを引っ張りだす。すでに漲る兆しを見せている雄根に向かって輝良の頭を下げさせる。
「ほお。したら中学の同級生か。そん時からつきおうとったんか。……咥えとったんではしゃべれんわなあ」
 輝良に己のモノを咥えさせ、平は上から嘲笑う。
「……気ぃ入れてしゃぶれや。二葉仕込みやろ」
 男の股間にかがまされ、口での奉仕を強要される輝良の姿。その姿は沢にはかつて見慣れたものだった。自分を強姦した男の性器を口いっぱいに押し込まれ、輝良は二葉に男の喜ばせ方を教え込まれていた。嫌悪と生理的な反応の両方でえずきながらも、輝良に逃げ場はなかった――。
 今また、恋人の目の前で、好きでもない男のペニスを咥えさせられ、フェラを強要されている輝良。
『もうそんなんは卒業させてもろとたはずやのになあ』
 こうなっているのは輝良の自業自得だと思いながらも、沢は輝良が痛ましかった。
 平の手がかがみ込む輝良の胸に伸び、指先が乳首を弄る。輝良はわずかに身じろいだが、平の手に好きにさせたまま、口での愛撫に集中しているようだった。
「……うまいもんやなあ。そこらの女より、よっぽど男のツボを知っとるわ……」
 わずかに息を乱し、その目をさらに強くなった欲情に光らせて平がつぶやく。
「あれか? 中学ん時から、こいつと毎晩シコシコやっとったんか?」
 平の股間で、小さく輝良の頭が横に振れた。平はその髪をつかむと、輝良に顔を上げさせた。
「口はもうええ。手ぇでやってもらおか」
 今度は輝良の両手に己の一物を握らせ、平は意地の悪い笑みを見せた。指は変わらず輝良の胸の肉芽をつまんだり弾いたりして遊んでいる。
「なんや。中学ん時からつきおうとったんやないんか」
「……はい」
「どっちが先に好きになったんや」
「…………」
 誰しも汚されたくない、大事にしたい思い出というものがあるだろう。せつなくはかなく散った初恋もそのひとつにちがいない。恋人の見る前で、ほかの男の自由にされつつ、その初恋を語れなどとむごい以外ない。輝良がどう答えるか、沢は息をひそめて様子をうかがった。
「……俺が、先に好きになったんです」
 低いがしっかりした声が輝良の代わりに答えた。熊沢の声に、輝良の肩先がぴくりと震える。
「俺が先に好きになって、中三の夏、告白しました。それを輝良が受け入れてくれて、つきあうことになった矢先、輝良は親戚にだまされて大阪のヤクザに売られました」
「ほお」
 平はわざとらしく目を丸くして見せた。
「それはかわいそうやったなあ。引き裂かれた純愛ゆうやつか」
 微塵も本心から哀れとは思っていないとわかる口調だった。自分たちにとってはつらく苦しい思い出でしかないものを悪意をもって茶化されて、輝良も熊沢も頬が強張っている。
 その若いふたりの口惜しさを愉しむかのように、平はべろりと唇を舐めた。
「したら、その悪い大阪のヤクザに輝良がなにされたか、知っとるか」
「……はい。……録画を……見せられました」
「ナマでは見とらんのか」
「…………」
「ええ機会があってよかったなあ。二葉、輝良の男に、輝良とおまえのこと、よう見せてやり」




 二葉は黙って立ち上がった。
 輝良が平に弄られているあいだ、二葉は熊沢に負けぬ般若の様相でこぶしを震わせてその様子を見つめていた。
『オヤジ……』
 沢は二葉の輝良への想いも執着もずっと見てきている。正直、輝良と熊沢に対する同情より、二葉を痛ましく思う気持ちのほうが沢の中では大きい。輝良は完全に自業自得だし、熊沢も自分で選んでこの場に居続けているが、一度は輝良にもう触れないと覚悟を決めて輝良を手放した二葉が、どんな想いで平にもてあそばれる輝良を見ているのか、輝良に触れるのか、想像するのも沢にはつらかった。
「総長……失礼します」
 平に礼儀正しくひとこと断って、二葉は輝良の肩に手をかけた。自分も畳に膝をつき、振り向かせた輝良を二葉は己の胸にぎゅっと抱き締めた。
「……輝良ぁ」
 愛しげに、本当に愛しげに、二葉は輝良を抱き締めていた。もう自分より背が高くなった男の頭を自分の肩口に押しつけて、髪をまさぐる。
「……おまえは、アホやなあ」
 泣き笑いのような声だった。
 少しだけ躯を離して自分を見つめるかつての愛人を、輝良は驚いたように見返す。
「俺に操を立ててくれとったやないか。総長の誘いさえ、袖にしたんやないか。……そんままいっとってくれたらなあ……俺はええオヤジになれたんや。おまえがええ女見つけて、所帯持つゆうたらな、盛大、祝うてやるつもりやったんやで」
「…………」
 輝良はなにも言わなかったが、二葉が本心を語っていることはわかってくれているはずだった。沢は胸が痛むような思いで二葉の言葉を聞く。
「おまえは……情のこわいところがある。おまえは俺がお役御免にしてやったら、二度とほかの男にその躯をまかせることはないやろ……抱かれることはないやろ……そう思たから、俺はおまえを自由にしてやったんやで? それやのに……おまえはアホや。こんな騒ぎにしてしもて。……俺の心も知らんと……」
「……おとうさん……」
 呻くような輝良の声だった。
 十代の多感な時期を何年もその男に捧げさせられた。だからこそわかることもあるのだろう。輝良の目に、一瞬、怯えに似た緊張が走った。次の瞬間、ばしっと鋭い音がして、輝良の頬は二葉に叩かれていた。輝良の上体がかしぐ。
「……アホや! おまえは……」
 よろめいた輝良の躯を引き起こし再び胸に抱き締めると、二葉はさっきまで平がむさぼっていた唇にむしゃぶりついた。
 激しく濃いキスに、何夜もともに爛れた時間を過ごした者同士、肌と肌が呼応するかのようにふたりの間に淫靡な空気が生まれる。平にどれほど唇や口中をねぶられようと反応の薄かった輝良が二葉のキスには肩を揺らした。その顔が上気し、呼吸が乱れていく。
 二葉の手が輝良の全身を這い、背中から下へとすべる。その指先が秘所を捉えたのか、輝良がびくりと躯を震わせた。
「……っ」
 二葉の躯を押しやろうとする輝良の動きに反して、二葉の手はさらに深くへと輝良の尻の狭間に沈んでいく。
「…………」
 二葉が何事か輝良の耳にささやいた。沢にも聞こえないほどの小声だったが、昔の閨でのことを冷やかしでもしたのか、輝良は激しく首を横に振る。そんな輝良の意地を笑うように、二葉のほうは心得顔で頭を輝良の胸まで下げた。乳首を吸う。ちゅくちゅくと湿った音がたった。
輝良の全身の肌が艶めき、首筋から頬がさらに上気して赤くなる。
「……ッ……ッ……」
 赤く尖らせた乳首に今度は二葉の舌がねっとりと絡みつく。その指はもう輝良の体内に沈んでいるのか、輝良の秘部から離れない。それでも唇を引き結び、必死に声を出さずにいるのは、恋人の前でほかの男に弄られている輝良の、最後の抵抗だろう。
「……おもろないなあ」
 本気でおもしろくなさそうな平の声が二葉と輝良、ふたりのあいだに割って入った。
「二葉、そいつは昔からそんなマグロやったんか? 声も出さん、身もくねらせん。どないかならんのか」
「……沢」
 平の言葉に直接は答えず、二葉は沢に目配せを寄越した。
 男に与えられる刺激に感じるまい、声を出すまいとする輝良の姿は、かつて沢もよく目にしたものだった。二葉に毎日のように抱かれるうちに躯は男の味を覚えて快感に熱くなっているのがハタからはわかるようになっても、輝良はギリギリまで崩れるまいと歯を食い縛っていた。
 その時に何度か、沢は二葉に命じられて強情を張る輝良の躯を拘束したことがある。
「……は」
 立ち上がった沢に、輝良が目を見張った。
「沢さん……」
『輝良、堪忍やで』
 あえて目を合わせずに心の中で詫び、沢は目にも止まらぬ早業で輝良の腕を背中にまわさせ、その顔が畳につく姿勢を取らせて輝良の動きを封じた。
「やめ……!」
 反射的に輝良の口から制止の声が上がった。――沢が知っているように、輝良もまた、なにをされるか知っているせいだ。
 同時に、熊沢も腰を上げて一歩を踏み出しかける。
 そんなふたりへ、
「やめるんか。やめてほしいんか、輝良」
 さっきと同じ、優しくやわらかい声で問いかけたのは二葉だった。
「極道、やめるか。……なあ、素人さん相手やったら、俺らも無体はできひんのやで?」
 輝良が沢に自由を奪われたまま、目だけを二葉のほうへと動かす。
「――やめない。俺は、極道を、やめない。……ここでやめたら……なんのためにあんたに三年も我慢して抱かれていたのか、わからなくなる」
『それをここで言うか』
 沢はポーカーフェイスを保とうと努力しながら、溜息を押し殺した。輝良の薄情さは知っていたが、オヤジの純情をここまで踏みにじらなくてもいいだろうと泣きつきたいような気持ちだった。
「……そうか。我慢、しとってくれたんか」
 案の定、二葉の声がおかしな感じにしゃがれている。
「ほな、また今日は盛大、我慢してもらおか。なにされても『いやや』はないんやなあ? 極道のメンツがかかっとんやでなあ?」
『あー……』
 輝良は優秀な頭脳を持っているはずなのに、経済市場の動向は読めても男心の動向は読めないのか、読みたくないのか。二葉が最後の最後に逃げ道を用意してくれているのがなぜわからないのか。なぜわざわざ自分からその退路を塞ぐのか。
「輝良ッ」
 さすがにたまりかねたらしい熊沢がぐっと躯を前に乗り出した。
 輝良はそちらへも鋭い眼差しを向けた。
「止めんなッ! 口も手も出すなッ! 黙って見てらんねーならさっさと帰れッ!」
『おまえなあ……』
 強情にもほどがある。二葉だけでなく、熊沢の心まで傷つける輝良に、沢は再度溜息を押し殺す。
『けどそれがおまえなんやろなあ……そんで、そんなおまえにオヤジもそこのクマも心奪われてまっとんやなあ』
 ギリギリと音がした。熊沢が奥歯を噛み締める音だった。
 熊沢がどれほどの想いをこらえているのか、どれほどの力で飛び出していきたのをこらえているのか。それは盛り上がった肩、ぎらつく瞳、岩のように固く握られて震えるこぶしから、かんたんに見てとれる。
「……ぐ……」
 声にならない音を喉の奥で立て、熊沢は腰を畳の上に戻した。
「ええなあ」
 ひとり、明るく手を叩いたのは平だ。
「覚悟はできとるんやなあ」



                                                  つづく






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