流花無残 五話

   
「おまえは俺の犬だから」第三部<輝良>









――ヤクザだ、本物の!
 十中八九、そうだろうとは思っていたが、明らかな証に血の気が引く思いだった。が、ショックを受けている間もなかった。屈強な男たち二人の手に、シャツは無残に裂かれ、剥ぎ取られていく。
「ま、待って! 待ってくださいっ!」
 ズボンを死守しようと腰をかばいながら、龍の背中に向かって輝良は必死に尋ねた。
「お、大江のおじさんもヤクザなんですか! なんで、なんでおれ、こんなところに連れて来られてんですかっ! …離せっ! やめろよっ!」
 ベルトを引き抜いて行こうとする手からなんとか逃げようと身をよじったが、男たちの力のほうがはるかにまさっている。
「待ってよ! どうしておれがここに……!」
 友人から恋人に変わったばかりの少年の腕の中で目覚めたのは、ほんの数時間前だ。お互いへの想いを確かめ合って肌を重ねたのは、つい昨夜。それがどうして今は、大阪のおそらくはヤクザの私宅になどいるのか。裸にされて、おそらくは陵辱されようとしているのか。理不尽過ぎて涙がにじんだ。
「いやだあっ!」
 輝良があまりに暴れるせいだろう。一人の男の腕に上半身を横抱きに抱え込まれ、浮いた足からもう一人にズボンも下着も引き抜かれた。
「なかなかええ図や。……降ろせ」
 龍の刺青を背負った男が命じ、真っ裸の輝良は床に降ろされた。床にぺたりと座り、手もついた格好で、あまりの己の無防備さに身震いしながら輝良は周りを見回した。
 すぐ傍らには輝良を脱がせた男が二人、戸口にも別の男が二人、立っている。目の前には上半身裸になった男が腕を組んで傲然と立つ。
 逃げられない……絶望的に悟る。
「そうや。おまえはもう逃げられん。観念しぃ」
「……お、おじさんは誰」
「ああ、まだ名乗ってなかったか」
 男はスラックスの脚を折ると輝良の前に片膝をついた。
「俺は二葉武則。広域指定暴力団仁和組の金バッジや。金バッジてわかるか? 幹部や。二葉組の組長でもある」
 関西で勢力をふるっているという仁和組の名は、まったくそういう世界に無縁である輝良でさえ新聞やテレビで目にしたことがある。
 輝良は改めて男を見た。
 年の頃は四十を超えたあたりだろうか。肌は褐色でなめし皮のように張りがあり、肩幅も広く胸板も厚い。相当鍛えてある印象だ。渋い男前と言えるほど顔の造作は悪くないが、頬に斜めに大きな傷跡が走っているのと目つきの鋭さと表情のふてぶてしさが見る者に威圧感を与える。躯にもいくつも傷跡や引き攣れたような痕があり、百戦錬磨というにふさわしいたたずまいだった。
 己の組を率い、仁和組の幹部を務める男。とんでもないところに連れて来られたのだと輝良は思い知った。
「……大江のおじさんも……ヤクザなんですか」
「いや。あれは素人や。あこぎなんはヤクザ並みやけどな」
「じゃあ、おじさんがおれをここへ……」
「質問タイムは終わりや。今度はおまえが答える番や」
 穏やかだった男の顔に、情欲の色が浮かぶ。
「おまえ。今までにケツ使て男に抱かれたことあるか?」
「…………」
 答えなかったのは反抗心からではなかった。あまりの質問に絶句してしまったせいだった。
「綺麗な躯や。周りの男がほっとかんやろ。正直に言うてみ。何人にケツ使わせた?」
 ねぶるように全身を眺め回され、卑猥なことを尋ねられる。
「い、いません! 一人も……! そんな、お尻使ってなんて……!」
 反射的に腕で躯をかばうようにしながら輝良は後ずさった。
「ほお? ほなら処女か。ええ拾いもんやな」
 舌なめずりせんばかりに二葉は言い、「カメラの用意や!」、男たちに向かって声を張った。


 たった数時間前には好きな人の腕の中で目覚めたのに――。


















――なんで……。
 わからない、わからない、わからない。
 なぜこんな目に合わなきゃならないのか。誰にこの理不尽さを訴えたらいいのか。
 視界が一気に滲んだ。胸が裂かれるように痛い。
――なんで、なんで、こんな、ひどい……。
 涙が次から次へとあふれてくる。
 拳を握って必死で目を押さえたが、あふれる涙は止まらなかった。
「……あーあー、そないに泣きなや」
 声も出さずに泣く輝良に、男が気が殺がれたような声を出す。
「素直になってくれたら、それでええねん」
 なにが素直だ。胸の中で輝良は毒づいたが、涙はいっそうひどくなった。
「……泣きなや。な?」
 非道を詫びるような猫撫で声だった。
「わかったやろ。おまえはもう俺のもんや。そいだけ、わかっとったらええねん」
 男が目を抑える拳を、優しく包んで外させる。ぺろりと涙を舐められた。
 生暖かく濡れたその感触は、嫌悪感と同時に、つい昨夜の熊沢の愛撫を輝良に思い出させた。舐めんな、と思う。おまえになんか、舐められたくない。
 だが、内心はどうあれ、濡れた睫毛を伏せ、目尻から涙を零す輝良は男の目にはしおらしいものに映ったらしい。
「ええ子にしとれ。これからも可愛がったるさかい」
 言い聞かせるように囁き、男は輝良の唇に唇を寄せてきた。


――おまえになんか。


 気持ちがそのまま行動に出た。
 輝良は口の中に伸ばされてきた男の舌に、思い切り歯を立てた。




「こんボケがああっ!」
 怒った男にめちゃくちゃに蹴られた。
 必死に躯を丸め、腕で頭を庇ったが、何発かは腹部に決まり輝良は胃の中のものを吐き出さねばならなかった。
 蹴られた痛みと、嘔吐の苦しみ。身を折って喘ぐ輝良の上で冷たい声が響く。
「おまえらも勃っとるやろ。ぶっかけたれ。多少は懲りるやろ」
 どすどすと怒りを床にぶつけるような足音が遠ざかり、代わりに何人かの男に周りを取り巻かれる気配があった。
「兄貴。ホンマにええんですか」
 嬉しそうな声が言い、脚を持ち上げられそうになった。
「アホ。ぶっかけたれ言われただけやろ。誰が突っ込んでええ言うた」
 力のある声がぴしりと制する。
「ええーぶっかけだけですかあ」
 最初の声は不満げだったが、輝良の脚を下ろす仕草は丁寧だった。
 それでも自分の周囲に撒き散らされた男たちの欲望の匂いと自分の嘔吐の匂いが噎せ返るようで、輝良は空っぽになった胃から、今度は苦いばかりの胃液を吐いた。
――もう、やだ……。
 男に犯されたところも、蹴られたおなかも、ずきずきと痛い。気分もどうしようもなく悪い。
――もう、いやだ、やだ……。
 輝良は意識を手放した。




 ひどい悪夢だった。ひどく恐ろしい獣に腹を食い破られる夢。
 意識がぼんやりと戻ってくる。
 夢? 現実?
 躯のあちこちが痛い。
 夢の記憶が霧のようにあやふやに立ち消え、代わりに明確な記憶が立ち上がってくる。
 それこそ現実とは思えないような、ひどい経験。
 まだ頭の中がはっきりせず、感覚がどこかぼんやりと頼りない。輝良は周囲を見回した。
まず、目に入ったのは落ち着いた木目の天井とスタイリッシュなライト。ベッドの横は窓なのか、ドレープの綺麗な藍色のカーテンが掛けられている。そして、ベッドの反対側には点滴。管の先は、カーテンと同系色の幾何学模様のシーツの上に伸びた自分の腕だった。少し首を持ち上げてみると、まだほとんど本の入っていない空の本箱と、その隣にある勉強机が見えた。机の脇にはミニステレオのオーディオセットまで積んである。
 中高校生ぐらいの男の子の部屋に見えた。
 と、ノックの音もなくドアが開いた。
「目ぇ覚めたんか」
 兄貴と呼ばれていた男の声だった。四角く浅黒い顔も見覚えがある。輝良を駅から拉致し、悪夢のような時間の間、輝良の両手を床に押さえつけていた男だ。
 反感と嫌悪感に、輝良は躯を起こそうとした。とたん、肋骨のあたりに鋭い痛みが走り、息を呑む。
「あばらにたぶん、ヒビがはいっとる。無理しなや」
 輝良は男を睨みつけた。いまさら親切ぶるなと言ってやりたかった。
「……鎮痛剤と抗生剤、それに鎮静剤もはいっとるはずなんやけどな。おまえ、まだそんな目ぇで人をにらむ元気があるんか」
 男は点滴の様子を確かめながら、少し呆れたように言う。
「……おまえら、訴えてやる。警察に行ったら、おまえら、傷害罪だ」
 押し潜めた声に精一杯の脅しを込めたが、男は鼻で笑った。
「どんなケガや。おまえ、胸張って言えるんか」
 口惜しそうに黙り込むしかない輝良のベッドに男は腰掛けた。
「俺は沢。二葉のオヤジの元で若頭を務めとる。そんでこの部屋は……おまえの部屋や」
 意外な言葉に目が丸くなった。
「……おれの……?」
 わけがわからない。
「そうや。おまえはこの家で暮らすんや。学校もな。おまえが行きたいとこ、行かせてもらえるはずやで」
 少しだけ、理解できた。輝良は再び男を睨む目に力を込める。
「……代わりに……あの変態オヤジのおもちゃになれってことか!」
「あれぐらいで変態って、おまえ、どんだけお子ちゃまやねん。……ああ、そうか。ついさっきまで処女やったな。しゃあないか」
「処女言うな!」
 男を殴ってやりたかったが、少し大声を出しただけで躯に痛みが走る。
「お子ちゃま扱いされたなかったら、今から俺の話をよう聞けや」
 沢の声が太くなる。その声の圧力に輝良はしぶしぶ口を閉ざした。
 さっき二葉に蹴られた時もそうだった。少しぐらい穏やかそうに見えても、相手の本質はヤクザだ。暴力モードに切り替わる速さと激しさを、輝良は身をもって学んでいた。
「おまえの親父は投資に失敗してぎょうさん借金こさえたやろ。その一部は大江……おまえの叔父さんに借りた分、いうことになっとんねん。共同出資や言うて、大江が口うまくおまえの親父さんを騙したわけや。ほんで大江はおまえの親父さんの借金を俺らに売った……つまり、今、おまえの親父はこの二葉組に借金があんねん。総額一千万や」
「一千万……」
 輝良にもそれが恐ろしいほどの大金であることは理解できる。
「おまえの親父さんはおまえの学費だけはなんとか守ろうとしたみたいやけどな。家屋も差し押さえ、すでに一回目の支払い日も過ぎとるいうのんに、手元にゼニ残しとけるわけがあらへん。おまえが学校に戻った日に、俺らが行って、そこんとこのスジ、おまえの親父さんにようわかってもろたわけや」
 つまり、父親が死守しようとした輝良の学費もヤクザに取り上げられたということか……。
「わかるか? おまえはほんまやったら、卒業したら親父助けて働かなあかん境遇やっちゅうことや」
「そんなの……」
「平気や言うつもりか?」
 沢がぐっと顔を近づけてきた。二葉もそうだったが、目の底に冷たい力がある。
「アホ。よう考えてみ。きのうまでおぼっちゃん学校でエリートコースで周囲にちやほやされてたおまえに、ほんまに中卒で働くことができるんか?」
 輝良は深呼吸ひとつ、覚悟を決める。
「だからって、ヤクザのおもちゃになりたくない」
 断固として言うと、沢は首を横に振った。
「最後まで聞けや。おまえの親父はほんまやったら、明日までに遅れた一回目の支払い分に利子つけて三百万、耳そろえて払わなあかんねん。おまえも知っとるやろ。おまえんちのどこにそんな大金があんねん」
「それは……」
「二葉のオヤジはな。その最初の三百万、ちゃらにしちゃろ、いうてくれてんねやで? その上、前途有望な少年である息子の進路もしっかり面倒みちゃろ、いうてくれてんねや。おまえ、自分の親父の立場になって考えてみぃ」
「とうさんはおれが男のおもちゃになってまで……!」
 思わず大声で叫びかけて、輝良は声を呑む。確かに父親は自分がこんな目に遭わされていると知ったら、なんとか金を作ろうとするだろう。だが、三百万という金額は半端じゃない。
「せやな。借金あってもおまえの学校だけはなんとかしようとしてくれた父ちゃんや。おまえがヤクザの慰みもんになると知ったら、なんとかしよとしてくれるやろな」
 沢が再び顔を近づけてくる。
「けどな。よう考えてみ。なんとかしよとして、ホンマになんとかなるんか? なあ、おまえの親父さんは、今日、おまえがどういう目に遭うたか、おまえが話さへんかったら、なんも知らんままでおれるんやで? おまえが、二葉のおじさんは親切なおじさんや、おとうちゃん心配せんといて、ぼくは高校もちゃんと行かしてもらえるんやでーって、嬉しそうに報告してみぃ。父ちゃん、なんも無理せずにすむやろ? みんながどうやったら一番楽チンになるんか、わからんか?」
「…………」
「おまえもな。この部屋用意してくれた二葉のオヤジさんの気持ち、わかるやろ」
 輝良はぎゅっと拳を握った。
「……変態エロおやじの気持ちなんか、わかるか! ボケ!」
 覚悟はしていたが、沢の平手打ちは痛かった。




 だが――。
 沢の言うとおりだった。
 輝良さえ、父親に向かって嘘をつけば……いや、事実の一部を伝えさえしなければ……父親は一千万の借金が七百万にまで減額されるのだ。
 今の輝良にとっては自分の進学などどうでもいいことのように思えたが、高校進学を断念しなければならないとなったら、父親がどれほど落胆するか、容易に想像がついた。
 借金の一部帳消しと、自身の進路。そしてその代償は……。
 つい昨日までは……少なくとも中学卒業までは同じ学校にいられると思っていた。大好きな熊沢のそばに。
 一日で激変した自身の境遇と人生に、輝良はただ虚空をにらむだけだった。






                                                  つづく






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