流花無残 七話

   
「おまえは俺の犬だから」第三部<輝良>









 二葉の家から学校に通いながら輝良は高校生になった。ヤクザの組長の家に引き取られて半年。輝良は二葉に対して一線引いた態度を崩さなかった。服を着ている間も脱いでいる間も、目だけは決して合わさず、笑顔も見せずに過ごす。それは輝良の意地だった。
 躯をいいように弄られるのは変わらない。性の快感に目覚めた躯は手練手管に長けた中年ヤクザの愛撫に必ず悶え狂うようになっていたが、それもいつもぎりぎりまで輝良はこらえた。感じている様子など見せたくない、声を上げたり、どうしようもない熱さと気持ちよさに腰を揺らめかせたりなんか、絶対にしたくない。その思いで、いつも唇を噛み、頭の中で九九を唱えたり、気持ちをほかにそらそうと、毎回輝良は自分の躯と必死の思いで戦う。が、一度性の愉悦を覚えた躯はいつも最後には輝良の気持ちを裏切り、輝良の理性を振り切って燃え上がった。
 そんな、ぎりぎりまでクールに己を保とうとしながら、いったん崩れだすととめどなく、最後には男の腕の中で崩れて果てる勝気な少年というものが、どれほど男の欲情を煽るものなのか、その頃の輝良はまだ知らなかった。そんな自分の態度がますます二葉の執着を呼んでいるのだなどとは……。
 借金の棒引きと自身の就学を含む生活の保証と引き換えに、男の玩具になる。それだけでも耐え難いのに、その行為に快感を覚える自分が輝良にはどうしても許せなかったのだった。




「も少しなんとかならへんか」
 そう言い出したのは沢だった。二葉組の若頭として常に二葉に付き従っている彼は、自宅はほかにあるらしいが、二葉の送迎やなにやら相談事などでよく二葉の家に顔を出す。
 沢は年の頃は三十代の半ばだろうか、一見ほっそりした優男風に見えるが、組員たちを叱る時のオーラには威圧的なものがあり、ちらちらと聞こえる話ではかなり血の気が多く、喧嘩も強いらしかった。
 組長・二葉を親父と慕い、二葉を絶対の存在と忠誠を誓っている彼には、輝良の二葉への態度がどうにも眼に余るらしかった。
「おまえもなあ。さすがオヤジが見込んだだけのことはある、いきなりこんなヤクザの家に連れて来られて、よう平気で暮らしとる、やっぱり肝がすわっとるて、俺は感心しとるんや。けど、おまえにしたら、いきなり男メカケにされて、エロっちいことばっかされて、たまらんやろ。な? それはわかんねん。わかんねんけど、もちっと組長に対して、なんや、こう、柔らこうに相手しちゃるわけにはいかんのか」
「…………」
 輝良は黙り込む。
 沢は輝良が不自由なく暮らせるようになにくれとなく気を配ってくれていて、それこそ二葉がリビングなど若い組員もいる前で輝良とコトに及ぼうとすると、さりげなく場を外させたりもしてくれる。
 ヤクザではあっても、沢の優しさとか真面目さというものは輝良にも伝わっていた。
 かといって、沢の言うように二葉に対する態度を改めろと言われても、それは無理な相談だった。輝良が黙り込んでいると、沢は溜息をついて思わぬことを言い出した。
「……まあなぁ、俺がゆうてええことやないかもしれんけど……オヤジはなにもおまえをエッチの相手させるためだけに連れて来たわけやないんやで?」
「はぁ?」
 ソファに座っていた輝良は思わず沢を見上げた。
「エッチの相手だけじゃないって……どういうことだよ?」
「いや、まあ……それはあれや。いずれオヤジから話があるやろ」
「だからどういう話があんだよ。なんだよ。そこまで話したんなら最後まで話せよ」
 輝良が食い下がると沢は困ったように頭をかいた。
「それはあかんねん。俺からは言えへん。けど、ま、とにかくな、オヤジはなにもおまえを愛人にするためだけに引き取ったわけやないて、そんだけ、わかっとってほしいんや」
 歯切れの悪い沢の言葉。その後、いくら輝良が食い下がってみても沢は口を割らなかった。
 が、それから間もなくのある日、帰宅してすぐ、二葉は、
「輝良。今日は大事な話があんねん」
 と、輝良を食卓に呼んだ。
 向かい合って座る。それでも輝良は頑として正面の二葉を見ず、テーブルに組んだ手に視線を落としたままでいた。
「どうや。高校にはもう慣れたか」
「……中学と校舎が変わるだけだから。教師陣も同じだし」
 ぼそぼそと輝良が答えると、そうか、と二葉はうなずいた。
「――あんな……今すぐどうこうゆう話やないけどな……おまえ、俺の息子にならへんか」
 さすがに驚いた。え、と輝良が顔を上げると、正面から自分を見つめる少し照れたような男と目が合う。
「前から考えとってん。俺は……女あかんしな。おまえみたいな息子がおってくれたら、ええやろなあ思うんや」
「それでよく、おれにあんなマネ……」
 つい輝良が言うと、二葉は複雑に眉を上げ下げし、最後にむずかしい顔を作った。
「それは……おまえ、あれや。それとこれは別っちゅうやつや」
 輝良が不服そうな顔をしていると、二葉はさらに眉を寄せた。
「おまえ……おまえはものを知らんな! ホモは普通あれや! 結婚届け出せへんかわりに養子縁組すんやで! 息子やなんやゆうても血がつながっとるわけやあらへんし……」
 二葉がなにを慌てているのか、そんなことは輝良の知ったことではなかった。輝良もむっと眉を寄せた。
「結婚届けの代わりの養子縁組なんかイヤだ」
「いや、そういうわけやないんや……」
 じゃあどういうわけだとますます顔が険しくなる輝良に、二葉はごほっと咳払いした。
「つまりな。子供の成長ゆうかな、そうゆうもんを見守るんもええかな、思てんのや。考えとけや」
 なにを考えろというのか。さんざん人の躯を弄んでおいて、いまさら成長がどうのと言われてもおかしいだけだ。本音はヤクザの息子になって一生慰み者になっていろということだとしか思えない。『養子になんかなるか』、そう言おうと口を開きかけたところで、二葉の斜め後ろに立っていた沢の視線に気づく。沢の目が『何も言うな』ときつくなっている。
「……はい」
 輝良はしぶしぶ口だけはそう答えておいた。




 その頃から輝良は二葉が家に客を呼ぶ折りには同席させられるようになった。客が来れば当然、酒席になる。輝良はホステスのように酌をして回らねばならない。
 初め、輝良は客に対しても二葉に対するのと同じような態度をとった。とたん、
「このガキャぁ、しつけがなっとらんなあ、二葉」
 と、ドスのきいた声が輝良ではなく、二葉へと飛んだ。客は二葉の兄貴分にあたる仁和組の幹部の一人だと聞かされていたが、それがどういう意味なのか、当時の輝良が知るよしもない。
「すんません。まだこの家に来て日ぃが浅いもんで。輝良!」
 二葉にも低音で呼びつけられた。
 ふだんの二葉は輝良に対して温厚な態度を取り続けていたから、それは珍しい怒声だった。
「こっちこんかい!」
 リビングに革張りの座椅子を並べ、そのひとつにあぐらをかいている二葉へと歩み寄ると、いきなり足払いをかけられた。どっと倒れこんだところに平手打ちを二発、三発と立て続けにくらう。口の中が切れ、ぽたりと床に血が垂れた。それでもさらに胸倉を掴み上げられたところで、
「ああ、もうええわ」
 二葉の兄貴分が鷹揚な声を上げた。
「それ以上は酒がまずぅなる」
「すんません、兄貴。おまえも謝らんかい!」
 場の空気から、さすがにここで自分が謝らなければさらに酷い目に合わされるだろうことは察しがついた。
 輝良はその場に正座すると床に頭をつけた。
「生意気な態度をとって、申し訳ありませんでした」
 二葉の兄貴分は無言でうなずく。どうすればいいのかわからずにいると、二葉が傍らの沢へと顎をしゃくった。
「沢、連れてってようゆうて聞かせぇ」
「はい」
 沢に乱暴に腕をつかまれて引っ張られた。自分の部屋へと連れ戻される。
「おまえ、ええ加減にしとけ」
 きつい口調で叱られた。
「ええか。オヤジの兄貴分ゆうたらオヤジの兄貴分や。粗相があったらオヤジが恥をかくて、わからんか?」
 わかるか、そんなヤクザの理屈。そう思ったが黙っておいた。今、迂闊なことを言ったら沢にも殴られかねないとはわかっていたからだ。
「おまえ、もうちょっと賢いかと思てたわ。ええ学校行っておぼっちゃんやゆうて、頭ん中、からっぽか」
 さすがにカチンときた。
「ヤクザのスジの通し方なんか、学校で習わない」
「ほなら、ここでしっかり学べや」
 びしりと言い返される。
「おまえはヤクザの家で、ヤクザの金でメシ食うてんねやで? あれも知らん、これも知らんで通るわけないやろ。だいたいな。おまえ、オヤジにどんだけ甘やかされてる思てんねん。最初、ここの家に連れて来られた時、おまえ、オヤジに殴られたり蹴られたりしたやろ。あれは最初にガツンとやっとかんと、おまえみたいなクソ生意気なガキ、後が大変てわかっとるからや。ほんでも、その後、おまえ、オヤジになんぞ無理難題ふっかけられたか。気分で殴られたあ、蹴られたあって、ないやろ? オヤジは『カタギの子ぉや、心開くのは時間かかるやろ』て、待ってくれてはんねやで?」
 それがどうした、としか輝良には思えない。
「今日、おまえを殴らなあかんかったオヤジの気持ち、少しは考えてみぃ」
 沢は最後にきつくそう言ったが、輝良にしてみれば『知ったことか』だ。
 ただ、すぐに人に暴力を振るうヤクザのやり方だけは身に沁みたから、次の客人からは一応の礼儀を持って接するようにだけはしたのだった。




 そんな、輝良高校一年の春。
「今日来はるお人は特別やで」
 自室で勉強していた輝良に、沢がわざわざ告げに来た。それまでにも客があるたび、組長のアニキ分だから粗相のないように、だの、叔父貴分だから丁寧に、だの注文がつけられていたから、輝良は『ああ、いつものことか』と聞き流そうとした。
 が、沢は珍しく興奮気味に眼を輝かせて、部屋を出て行こうとしない。
「誰や思う? 城戸さんやで。城戸組の組長さんや。すごいやろ」
 輝良は溜息をつきながら、問題集を閉じた。
「……悪いけど。なにがすごいのか、さっぱりわからない」
「はあ? おまえ、城戸組の組長も知らんのか?」
 馬鹿にされたように言われても、知らないものは知らない。
「城戸さんゆうたら、仁和組の総長さんでも頭が上がらんゆう噂のお人やで。総長のおしめを替えたゆう伝説のあるお人や。それだけやない。とにかくな、仁和組がこの関西一円に勢力拡大できたんも、城戸さんおっての話なんや。豪気で男気があって、人望も厚い。その城戸さんが来はるんやで。な? すごいやろ。そんだけウチのオヤジもすごいゆうこっちゃ」
 で、それがどうした、と輝良は突っ込みたいのを必死にこらえた。ヤクザが敬愛する上のスジの人間を馬鹿にすると恐ろしいほどに怒らせてしまうと、すでに経験から学んでいたからだ。
「……わかった。そのすごい城戸さんが今日はいらっしゃるんだ?」
「おうよ」
 沢が胸を張るのを横目で眺め、輝良は視線をわざとらしく壁の時計に投げた。
「じゃあ支度も大変じゃないの? いいの、こんなとこで油売ってて」
「おう! そうや!」
 慌てて飛び出して行く沢を見送る。ヤクザは面倒で厄介だが、可愛げがなくもないと思う。特に若い衆は血の気が多くて短気で手が早いが、一面、単純で素直だ。
 輝良は再び問題集を広げた。
 客が来るなら、今日はまた酒席に同席させられるだろう。宿題だけでも終わらせてしまいたかった。




 沢の口ぶりからどんな偉丈夫が来るかと思っていたが、やってきた城戸泰造は大島紬をさらりと着こなす、細身で小柄な老人だった。
「初めまして。木下輝良です」
 名乗って輝良が頭を下げると、老人は目を細めて笑った。
「ほっほっ。二葉がえらい綺麗な子に入れあげとると噂やが、これは確かに別嬪さんや」
 綺麗だ、美人だとはさんざん聞き慣れている。輝良を値踏みするような、あからさまにいやらしい視線にも。
「……どうも」
 いつも通り、うつむいて小さく頭を下げる。この後、たいていの客人は『あっちはどうだ、二葉だけで足りんかったら俺が相手をしちゃろか』と、下ネタをふってくる。が、城戸は、
「高校生か。勉強はどうや」
 輝良にとっては珍しい質問をしてきた。
「……はい。まあ……ぼちぼち」
「それはあかん」
 城戸は真顔になって輝良に向かって手を振った。
「おまえは学生やろ。学生は勉強が本分や。商人みたいなことゆうてたらあかん。びしぃっと、頑張ってます! 一番です! 言わなあかん」
 つい輝良は返事を忘れてまじまじと眼の前の細い老人を見つめてしまった。ほとんど夜ごとのように二葉に抱かれる。そんな立場の自分に『勉強が大切だ』などと正論を説くつもりかと。
 見つめた老人の眼は本気だった。
「ええか」
 と問われて、輝良は思わず「はい」とうなずいた。とたんに城戸の顔に笑みが浮かぶ。
「ええ子やな。ほな、勉強してきぃ」
 客の相手をしていなくてもいいということか。それは失礼ではないのか。
 迷っていると、さらに顎をしゃくられた。
「ええ。わしのことはええねん。勉強してき。用があったら呼ぶさかい」
 城戸の言葉に、向かいに座る二葉もうなずいた。
「……はい。では、失礼します」
 なんとなく腑に落ちないものを感じながら自分の部屋へと戻った。
 言われたようにとりあえず教科書を広げて、『変わったじいさんだな』などと考える。
 だから、妙に強張った顔の沢に「風呂に入れ」と言われた時には裏切られたような気持ちになった。
「……城戸さんが、おまえに話があんねんて。今日は城戸さん、ここに泊まらはるて。おまえを部屋に寄越してほしいゆうて……」
 どういうことだと沢を見つめたら、沢は歪んだ顔で壁をこぶしで叩いた。
「城戸さんに言われたら、オヤジはいやや言えへん」
 ――ああ、そういうことか。
 笑いが漏れそうになった。客人ご所望のご馳走として、おれは差し出されるのか。
 言われたように風呂を済ませて出てくると、脱衣所に白い襦袢が用意されていた。なるほど、夜の支度も老人仕様かと皮肉な思いで袖を通す。
 沢に連れられて客室に使われている和室に行くと、もうそこには布団が一組だけ敷かれていた。行灯をかたどった床置きライトのみが照明だ。
「ここで待っとき。……正座してな。城戸さんが来るまで布団に入ったらあかんで。客人への礼儀や」
 つらそうな沢は輝良の顔を見ようとしない。少し、意地悪が言いたくなった。
「なあ。ヤクザは上にノーって絶対言えないもんなの? おれって、言ってみれば二葉さんのオンナなわけじゃん? オンナまで差し出さなきゃいけないもんなの?」
「……籍入れて夫婦になっとったら、そんな無理は言われへん。けど……おまえは男やし……上が望んだら、俺らはタマも差し出さんとならん。一晩、オンナ貸せ言われたら……」
 沢が言うタマが、命なのはわかる。命を預けていて、オンナごときでイヤはないということか。
「ほな、しゃあないな」
 関西弁をマネてみる。
 輝良の後ろで静かに襖が閉められた。
 静かに息を吐いて、白襦袢の裾が乱れないようにきちんと正座する。
――クマ。
 思い出すことを自分に禁じていた懐かしい顔を思い出す。
――二人目の男が、できちゃうんだって。おれ。
 二葉にはさんざん好きなように弄られた。いまさら、抱かれる相手が一人から二人になろうと関係ない。
 そう思うのに、心が震えた。
――また、おまえから遠くなる。
 別れてから十ヶ月近く。もう、おれのことなんか忘れたか。……忘れていてほしい。こんな、ヤクザの男メカケになってしまった自分のことを、そうとは知らぬまま覚えていてほしくない。
――クマ。
 心の中でもう一度呼んでしまってから、輝良は小さく首を振った。
 いまさら、だ。いまさら。どんな顔でかつての親友で一晩だけの恋人だった少年に会えるのか。あの時の輝きも清らかさも、すべて失くしてしまった自分に彼を呼ぶ資格があるものか。
 眼を閉じて深呼吸する。
 もう、遠く離れたところに来てしまった。客人の一夜の相手を務めるのが、どれほどのことだというのか。
 どうってことない。
 そう心を決めた瞬間、横手の襖がさらりと開いた。








 



                                                  つづく






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