おまえは俺の犬だから <4>

   

 

 





  『犬』を飼った最初の数週間、政宗は犬を犬らしくさせるのに、夢中だった。
 決して自分の手で首輪に触れてはならないというきまりも、食事は自分の許可を得るまで待たねばならないというきまりも、自分の命ずることには絶対服従だというきまりも……「飼い始めのしつけが肝心」と「初めての犬の飼い方」という本で読み、一生懸命、考えたのだ。
 ここ何年か、政宗にはおもしろいことはなにもなかった。
 学校ではヤクザの組長の息子と特別視され、級友たちにはいつも一定の距離をあけられている。どれほど政宗のほうから溶け込もうとしても、無駄だった。
 ゲームやお小遣いは欲しがる以上のものがいつも与えられた。そういったものを見せびらかせばついてきたがる級友はいたが、それはなんだか『ずっこ』な気がして、友情をモノで釣ることが政宗にはできなかった。
 放課後、誰と遊ぶこともなく、家で一人、本を読んだりゲームをしたりして過ごす。
 そんな政宗の、静かだが寂しい生活に、『犬』が来たのだ。
 政宗はいい飼い主になりたかった。
 ――が。
 同じ学校に通い出してしばらくして……。
 政宗は初めて『犬』の笑顔を見た。
 運動場で、休み時間に『犬』は同級生たちとサッカーに興じていた。よく日に焼けて褐色の肌をした『犬』は、見た目通り、なかなか運動神経がいいらしく、細かく素早く動いては味方のボールをつなぎ、敵からボールを奪っていた。
 その時のイキイキした表情に、最初、政宗は『犬』を『犬』と認識できなかった。
 教室の窓から政宗が見ていると、誰かが蹴ったボールがぼうっと突っ立った一人の頭に当たって跳ね返った。それだけでなにがおかしいのか、『犬』はほかの仲間たちと一緒におなかを抱えて地面に転がって笑っている。
 大きく開けた口は赤い。髪は黒い。ばたつかせている足は砂に汚れて白茶けている。
 色のない政宗の視界の中で、『犬』が着ているTシャツのブルーさえ、鮮やかだった。
――あんな楽しそうに笑うんか……。
 笑う悠太郎の顔から、政宗は眼を離すことができなかった。




 だが、一歩家に入った途端、悠太郎の顔は暗く翳る。
 政宗に首輪を付けられている悠太郎の顔には笑顔の片鱗もない。
「……笑えや」
「え」
「笑え」
 政宗の命令に、悠太郎はふいっと顔を背けた。三和土(たたき)に立ったままの悠太郎を、上り框に立って見下ろしながら、政宗はさらに命じた。
「学校ではわろてたやろ。笑えや」
「……なにもおかしくないのに、笑えない……笑えません」
 悠太郎は低い声で、しかし、はっきりと政宗に反抗してくる。政宗はしばし、自分を見返す黒い瞳を見つめた。
「……庭に出え」
「?」
「庭に出え。おまえ、ボール遊びが好きなんやろ。遊んだるわ」
 まだランドセルをしょったままの悠太郎の胸倉を政宗は掴んだ。そのまま再び玄関を出て中庭へと回る。
 奥にある犬舎の脇には犬用の倉庫がある。そこにしまわれているテニスボールを政宗は取り出した。
 怪訝そうに見つめる悠太郎にボールを突きつける。
「ええか。取って来い」
 言うやいなや、ボールを遠くへと放る。目で追う悠太郎の肩を叩いた。
「取って来い言うてるやろ!」
 悠太郎はのろのろとボールに向かって歩き出す。
「走れ! 走って取って来いや!」
 悠太郎の足が嫌々ながら速度を上げた。
「もっと速く走れ!」
 政宗の声に打たれたように、悠太郎の足がさらに速くなる。
 植え込みの陰から悠太郎が拾ってきたボールを、政宗は再度、中庭の奥目掛けて投げた。
「ほら、行け!」
 騒ぎに、屋敷の中から何事かと男たちが出て来る。その中には竜田勇道の懐刀、島崎の姿もあった。
 背中のランドセルを派手に揺らしながら、悠太郎が何度も走る。その背に、
「おらあ、しっかり走れや!」
 男たちの野次が飛ぶ。
 ボールを受け取るたび、悠太郎の息が荒いでいくのがわかる。
 笑顔なんか、あるわけがない。
 怒ったような、そんな顔だ。
――笑えや!
 政宗は力一杯、ボールを投げる。
 母と一緒に過ごした、もうずいぶん遠くなってしまった昔。政宗の周りにはいつも笑顔があった。母の優しい笑顔。政宗自身の、幼い高い声での笑い声。もう顔は覚えていないが同じ年頃の友達と遊んだ記憶も、楽しいものばかりだ。
 あんなふうに……友達と遊べたら……。
 政宗が手に入れたかったものを、悠太郎は転校してすぐに手に入れてしまった。それならせめて、悠太郎の笑顔だけでも見せてくれてもいいのに……。
 ゼエゼエと息を切らしながらボールを差し出す悠太郎の瞳は、まっすぐに政宗を睨んでくる。
――そんな目が見たいんとちがう!!
 政宗は思い切り、ボールを植え込みの向こうを目掛けて投げた。
 それまですぐにボールを見つけて駆け戻ってきた悠太郎が、植え込みの中を歩き回るばかりで、なかなか戻ってこない。
「ボールが見つかるまで、戻ってくんなや!」
 最後に命じて、政宗は家の中へと入った。




「もう、日が暮れていますよ」
 島崎が後ろからそっと声をかけてくる。だが、政宗は庭に面した窓から外を睨んだまま、答えなかった。もうすっかり暗くなった庭に、時折、悠太郎の白いソックスが見え隠れする。
「……なかなか我慢強い『犬』ではないですか」
「……でも、ぼくになつかん」
 自分になついてくれないと、一言ぼそりとこぼすと、島崎が低く笑った。
「それは、なつくようにこちらが仕向けないと」
「……なつくように?」
 ようやく振り向いた政宗に、島崎はうなずいてみせる。
「犬は命令したり、しつけたりするばっかりでは主人になついてくれません。こまめに世話をしたり、遊んでやったりせえへんと。そうそう。ご褒美を上げるのも忘れてはいけません」
「ご褒美?」
「そうです。たとえば……そう、犬が喜ぶものを上げたり、好きな遊びを一緒に楽しんでやったりね。見てると、どうも悠太郎はこのボール遊びは好きやないみたいですよ」
 政宗は暗くなった庭に目を戻した。
 悠太郎が自分には笑顔を見せないのが悔しかった。腹立たしかった。しかし、これではなつかないという島崎の指摘には納得できるものがある。
 ガラリと掃き出し窓を開いた。夜風が冷たい。
「悠太郎! もうええ! 戻って来い!」
 大声で呼ぶと、手足を泥で汚し、服に葉っぱをつけた悠太郎が駆け戻ってきた。夜の寒さのせいか、その唇は青くなっている。
「はよう上がれ。……今日は先に風呂に入ってもええ。あったまれ」
 寒さに声もないのか、「はい」の形に悠太郎の唇だけが動く。
 次の言葉を出そうかどうしようか、政宗はしばし迷った。こんなものがご褒美になるとは思えない。しかしこのまま背を向けては、『犬』になついてもらえないような気がした。
「――ようがんばったな」
 悩んだ末に政宗がかけた言葉に、悠太郎は少しだけ驚いたようにこちらを見上げた。
「……はよう風呂に入れ」
 再度言いつけて、政宗は悠太郎に背を向けた。『いい飼い主』になれるだろうかと思いながら。




 次の日、政宗は悠太郎を自室へと呼んだ。
 政宗の部屋は子供部屋とは言いながら十畳の広さがあり、ベッド、勉強机のほかにテレビやゲーム機も置いてある。
 用事を言いつけたり、自分の支度を手伝わせる時に悠太郎が部屋に入ることがあったが、今日の目的は別だった。
「……なにがええ?」
 ゲームのコントローラーを手にしながら、政宗は床に並べたゲームソフトに向かってあごをしゃくった。
 悠太郎の口がぽかんと開き、しかし、目は食い入るように床に置かれたゲームソフトの上を走る。
「一緒に……遊ぼうと思うんや。おまえは、なにがやりたい?」
 言葉が妙に喉に引っ掛かるような気がした。
 しょうがない。『犬』と遊ぶのはこれが初めてだ。
「あ、遊ばせて……」
 言葉が引っ掛かるのは悠太郎も同じのようだった。
「遊ばせてもらえるんですか?」
「一人でやってもつまらんし……」
 政宗が言い訳のように口にした言葉に、悠太郎は床に膝をついた。
「……これ……」
 悠太郎がおずおずと手にしたのは「ポケモン」だった。
「やらせてもらえますか?」
「ええよ。一緒にやろ」
 その時、初めて政宗は悠太郎の瞳がぱっと明るく輝くのを見たのだった。




「ああ! おまえ、ずるいっ!」
「ずるないわ、おまえがトロいんじゃ」




 しょせんは小学四年生。
 毎日、ゲームで遊ぶうち、悠太郎は学校で級友たちに対するのと同じ言葉を政宗に使うようになった。もちろんそれは政宗の部屋でゲーム機を手にした時だけだ。
 政宗もその時だけは悠太郎の言葉遣いを咎めたりしない。
 『はじめての犬の飼い方』という本に、「子犬は遊びに夢中になって興奮すると、飼い主にじゃれて噛み付くことがあります。そんな時は、しっかり目を見て短く叱るか、犬の嫌がる音を立てて、やってはいけないことを教えましょう』とあった。しかし、叱らねばならないほど、悠太郎は馬鹿な子犬ではなかった。
 ゲームに夢中になった悠太郎が初めて「ああー! やられたっ!」と叫んだ時、はっとしたのは悠太郎のほうだったのだ。
「あ……ご、ごめんなさい! うっかり……」
 うろたえた悠太郎に、
「ええよ」
 政宗は静かにうなずいて見せた。自分が悪いことをしたとわかっている犬を叩く必要はないと思ったからだ。
「ゲームしとんのに『政宗様』とか言われてもなんやしらけるやろ。ゲームしとるときだけな、ふつうでええわ」
 悠太郎は目を丸くした。
「……いいんですか?」
「ええて」
「じゃあ……まさむね」
「なんや。悠太郎」
 顔を見合わせれば、なぜだか照れくさかった。
 以来、ゲーム機を手にしている時だけ、悠太郎は政宗にタメ口になる。
 それは友人のいない政宗にとって、貴重な、楽しい時間だった。




 それは子供の時間だった。
 まだ小学生だった悠太郎は内心に鬱屈を覚えながらも、毎日政宗の手によって付けられる首輪に慣れ、テーブルの置かれた食堂で、一人、冷たい床に正座して食事を取ることに慣れ、政宗の気まぐれな命令に従うことに慣れ、自分の境遇を受け入れていた。
 そして、政宗も。
 学校に行けば同級生にもなる少年を家では犬扱いする生活が、それだけで楽しかった。ゲームをさせてやる時、美味しいケーキを分け与えてやる時、悠太郎の目はぱっと輝く。
「ありがとうございます」
 礼の言葉にも、少年の嬉しそうな様子が見てとれる、それだけで政宗も嬉しくなった。『犬』が『犬』として忠実で、自分が施すものを嬉しそうに受け取る。孤独に馴らされていた少年には、それだけで十分だった。
 世界は政宗に次々と苛酷な面ばかりを見せてくる。
 指を落とされる男たちの姿など、もう何回も見た。声を殺して痛みをこらえ、作法にのっとって頭を下げる男には「できた奴」と賞賛が送られ、往生際悪く情を乞って勇道の足にすがる男には「情けない奴」と罵声が浴びせられる。
 そんな世界の価値観を、政宗は学びたくもないのに、学び続けねばならない。
 ヤキを入れられ、黒服たちの暴力にボロボロにされる男。
 悲鳴が枯れるまで、男たちに嬲られる女。
 ドスで鳩尾を刺され、声もなく崩折れる男。
 灰色の視界のなかで繰り広げられる、暴力的な光景。
 勇道は政宗が小学六年生になった頃から、時折、政宗にも手を出させるようになった。初めて人の小指をナタで落とした時の、重く堅く、湿った感触は、不快なものとして政宗の中に長く残った。
 だが……そんなものを見たくない、やりたくないと言えば、「それでも俺の息子か」と怒鳴られ殴られるだけだろう。
 どうってこともない。灰色の世界で自分には無関係に繰り広げられているだけのもの。
 ――そのはずなのに、父親に命じられて凄惨な「ケジメ」の場に立ち会わされた夜は、なぜだか食欲が湧かず、頭から布団をかぶっても寒気が収まらなかった。
 『犬』を飼うまでは……悠太郎が来るまでは、政宗は一人でその長い夜に耐えなければならなかった。が、今は夜中でも一人にならずにすむ。
「悠太郎、悠太郎」
 昔の納戸の前で声をひそめて呼べば、
「……はい……」
 目をこすりながら、パジャマ姿の悠太郎が出てきてくれる。
 パジャマの襟元からは赤い首輪がのぞき、彼が政宗の所有物であることを簡単に確認できる。
「ゲームしたいんや。つあきあえ」
「……今からですか」
「イヤなんか」
「……いいえ」
 眠たそうにしながらも、悠太郎は政宗の部屋へとついて来る。一人で布団の中で、おさまらない震えに悩まされることは、もうない。
 子供の時間。
 政宗は悠太郎との関係に満足していた。




 世界は灰色。
 陰惨で暴力的で、灰色なのがちょうどいいような、世界。
 それでも、その日まで、世界はまだ政宗を優しく受け入れてくれていたように思う。
 政宗が小学六年生になっていた、その日。朝からどんよりと曇って肌寒かった、その日。
 政宗の部屋に、いつもよりわずかに険しく見える顔で島崎が入ってきた。
「ぼっちゃん。心落ち着けて聞いてください」
 そう島崎は切り出し、政宗は登校の支度を手伝ってもらっていた悠太郎と顔を見合わせた。
「なんや、島崎。……あ、悠太郎、もうええ。おまえはおまえの支度、してきぃ」
 そう言った政宗のあとに、
「悠太郎。今日はぼっちゃんは学校をお休みになる。おまえ一人で学校行き」
 島崎は悠太郎にそう命じた。
 学校を休む? どういうことだ? 不審に思い島崎に視線を向けると、悠太郎がドアを閉めて出て行ったのを確認してから、島崎はゆっくりと政宗に向き直った。
「……ぼっちゃん」
「なんや。学校にも行かれへんて、なにが起こったんや」
 島崎はひとつ大きく息をついた。
「……ぼっちゃんのお母様が、お亡くなりになりました」
 瞬間、怪訝そうな顔になったのは、今日の朝の食卓にも「おかあさま」はいつもの厚塗り化粧で同席していたからだ。
 はっとしたのは、次の瞬間だった。
「まさか……まさか、かあちゃんが……?」
 沈鬱な表情で島崎はうなずいた。
「きのう……ご自分で命を断たれました」
「え……それて……それて……自殺……? なんで、なんで、かあちゃんが……!」
 島崎はそれはわからないと首を横に振る。
「首を吊られて……夜、発見されたときには、すでに冷たくなってはったそうです」
「…………」
「今日がお通夜、明日が葬儀です。組を挙げての盛大な葬儀というわけにはいきませんが、ぼっちゃんの生みの親です。組の主だった者たちで密葬という形で……」
 島崎の言葉が意味もなさず、政宗の横を流れていった。




 数年ぶりに会う母は、もう死に化粧を施され、棺の中に横たえられていた。
 記憶にある母は若々しく、化粧っ気はなくても綺麗だった。今、上品に化粧されている顔は落ち着きがあり、美しくもあったが、どこかよそよそしく政宗には見えた。
「かあちゃん……」
 しかし、その顔はまぎれもなく政宗の「かあちゃん」の顔だった。目を閉じていても。生前はしていなかっただろう化粧をされていても。……四歳の時に引き裂かれて以来、一度も会ったことがなくても。政宗には母がわかった。
「かあちゃん」
 そっとそっと呼びかける。
 会いたい会いたいと、願い続けた母だった。
『ええ子にしてはったら、いつか会わしてもらえるかもしれません』
 島崎のその言葉が支えだった。父・勇道に気に入られ、褒められて、「いい子」にしてたら……。
 その言葉が支えで、がんばっていたのに……。
 懐かしい母の顔を、ずっとずっと見つめていたいのに、視界がじわじわと滲んでしまう。
何度も何度も目元をぬぐい、政宗は母の死に顔を見つめ続けた。
 そこへ、
「ぼっちゃん」
 控えめに声をかけてきたのは、やはり島崎だった。
「これを……お母様からぼっちゃんへ、最後の手紙です」
 差し出されたのは、いつも島崎がこっそり渡してくれる薄紅色の花模様の散る、美しい封筒だった。「政宗へ」、宛名書きの文字も同じだ。
 政宗は手紙に飛びついた。
 急いで中を開く。
 母の最期の言葉、自分に残された最後の愛を、確かめたかったのだと思う。
 が――。


 政宗。あなたが人様を傷つけるような子に育っているとは思いませんでした。


 一行目から、母の言葉は鋭い刃となって、政宗を切り裂いた。




 手紙を投げつけるように渡した島崎が追ってきたとき、政宗は斎場から表の通りへと出ようとしているところだった。
「ぼっちゃん!」
 慌てた島崎に肩を掴まれたが振り払った。
「すみません! 先に手紙の内容を見もせんと……!」
 そぼ降る雨の中へ出て行きながら、政宗は胸に食らいついた怪物の牙に、ただ痛みを覚えているしかなかった。
「……ぼくのせいか」
 声が自分のものとも思えぬほどかすれ、低かった。
「かあちゃんが死んだんは、ぼくのせいか」
「ぼっちゃん!」
 飛沫を上げて走りすぎる大型トラックのタイヤが、手を伸ばせば触れるほどのところを走り抜ける。
 島崎の手が本気の強さで政宗を後ろへと引き戻した。
「……放せ、島崎」
「放しません!」
 島崎も傘など差していなかった。政宗の髪からも、島崎の髪からも、雫が落ちる。
「お母様は……お母様は、ずっと組長が通うのを嫌がっていらっしゃった。ぼっちゃんのせいやなんかとちがいます! お母様は組長を……」
「じゃあ、おとうさんのせいか」
 はっと島崎が黙るのを、政宗は人事のような思いで見た。
「……ちゃうやろ? おとうさんだけのせいやないやろ? ぼくとおとうさんと両方……」
「ぼっちゃん!」
 母の遺体を前にしていたときには、あれほどスムーズに流れていた熱いものが、今はもう、政宗の瞳の奥で煮こごってしまったように、出て来ない。
「島崎……ええ子てなんや……。ぼくはおとうさんに褒められなあかんかったんちゃうんか。ぼくは……がんばっとったん、ちゃうんか」
 島崎が顎が黒ネクタイにつくほど深く、何度も何度もうなずいた。
「ぼっちゃんはええ子です。それは島崎が一番ようわかってます!」
「そしたら……そしたら、なんでかあちゃん、死んだん? ええ子になってください、それが母の最後の望みです……って、それ、なに? なあ、なんなん?!」
 痛いほどに島崎の指が、喪服越しに政宗の腕へと食い込む。
 その痛みすら、今の政宗にはどうでもよかった。
 胸が、痛い。胸だけが。
「なあ……かあちゃん、ぼくがイヤんなって、死んだんか」




 その日から三日間。政宗は高熱を出して寝込んだ。
 目覚めた時、灰色だった世界は、わずかに保っていた温度さえ失くして、政宗をひんやりと包んでいた。









                                               つづく




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