大人の証明<1> −その後の後の東くんと高橋くん−

 





 「息が詰まらない? いっつも一緒で」





 耳元で囁かれた。
 突然のことに驚いて顔を上げたら、わかっているよとでも言いたげな、理解に満ちた眼差しがあった。
 ぼくは混乱する。
 同じサークルの、四年生の岡谷 博之先輩。先輩がなにを突然言い出したのか、なにをそんな、わかった顔でぼくに耳打ちするのか、わからない。
「相談に乗るよ。うっとうしくなったら、いつでもおいで」
 小声の早口。
 後ろでドアが開く気配に、先輩はひとつうなずいて見せるとそそくさとその場を立ち去る。
「待たせたな」
 声を掛けられて、去っていく先輩の後姿から目の前に立つ恋人へと、ぼくは視線を移す。
「ううん、全然」
 にっこり笑って答えるけれど、
「なに、岡谷先輩? なにか話してた?」
 勘のいい恋人は鋭くチェックを入れてくる。
「うん? うーん……なんかよくわかんなかった」
 ぼくは正直にそう答えた。





 季節は夏の盛りを迎えていた。
 ぼく高橋 秀(すぐる)と、恋人である東(あずま)洋平の二人は、もめにもめた末、二人して「テニス同好会」ってサークルに入っていた。高校から付き合いだして、この7月で交際丸一年になる同い年の東は、見た目、夜の街とかレーザーライトの飛び交うクラブとかが似合いそうなタイプで、青空の下で健全に汗を流す「テニス同好会」なんて正直、似合わない気がしたんだけれど。東は、『そんなナンパなサークルにおまえ一人置いておけない』って言い張ったんだ。
 東の気持ちもわからないではないけれど……――そう、大学進学後早々に、友人だった男にとんでもない目に遭わされて、ぼくはかなり東に心配と迷惑をかけちゃってた――でも、だからって、ぼくを一人にしておけないなんて、そういう動機でサークル選んじゃうのは、なんか間違いな気がしないでもなかった。
 そうは言っても。いざ、ラケットを握らせてみたら。勘も運動神経もいい東はすぐにメキメキと腕を上げて、ぼくとも互角に打ち合えるようになったし、そこでの新しい友達もできたし。これはこれでよかったのかあって、思えなくもない、んだけど、でも、なんていうか……ちょっと……実は引っかかってることがあったりもする、そんなサークル活動を、ぼくらは送っていた。
 夏休み中、ぼくたちのサークルは信州に3泊4日の合宿に行くことになっていた。
 今日はその合宿に先立っての打ち合わせで、ぼくたちは夏休み中の学校に来ていた。せっかく来たんだからとコートに出たのはいいけれど、照りつける夏の午後の熱気にやられて、ぼくたちは早々にシャワールームに逃げ込んだ。順番にみんなでシャワーを浴びて、ぼくは東より一足先に廊下に出ていたところで、岡谷先輩に不思議なことを囁かれたんだった。
 ――どういう意味だろう……『ずっと一緒で、息がつまらない』? それは……。
 つい、考えにふけっていたら、
「なあ、それでいい?」
 少し焦れたような東の声に、現実に引き戻された。
「あ…聞いてなかった、ごめん。なに?」
「だからさ、おまえ、今からバイトだろ? 俺も今日は夕方からだから、その後、おまえ、ウチに来ねえかって」
 ぼくは家の近所のコンビニで、東は知り合いの喫茶店で、それぞれバイトを始めていた。それはともかくとして。
「今日は無理だよ。ゆうべ泊まったばっかだもん。家に帰らないと」
 そうなんだった。東はなにかとぼくを東のうちに呼びたがって……この頃は三日とあけずにぼくは東の家に泊まっている。ちょっと節度なさすぎかなーって自分でも思うし、親にもそろそろいい加減にしろって言われるし、その上に連泊っていうのは……さすがにマズイ。
「ちぇー」
 東もそれはわかってくれてるのか、ちょっとすねた感じはあったけれど、仕方ないなあって顔をした時だった。
「東くん!」
 甘くて、高い、澄んだ声に呼び止められた。
 東が振り向くより早く、
「バスだよね、一緒に帰ろ!」
 どんって、後ろからぶつかるみたいにして、ぼくと東の間に女の子が割り込んでくる。
 出た。とぼくは思う。サークル活動におけるぼくの引っかかりの原因。
「…俺、秀と一緒なんだけど」
 憮然と言う東に、彼女はめげなかった。
「なによお。こんな美女が一緒に帰ってあげるって言ってるんだぞお?」
 ぷっとほっぺたふくらませて、彼女は東を見上げる。
「高橋くんもいいよねー? あたし、一緒でもぉ?」
 今度はイタズラっぽく、ぼくを見上げてくるけど……う……正直、ぼくにはキツイ。このノリ。





 彼女はぼくと東の両方と腕を組むようにして、真ん中をぐいぐい歩いた。
「あっついだろ、ひっつくなよ」
 東が言っても、
「じゃあ駅についたら、アイス食べない?」
 …………。
 メゲない彼女は、ひとつ年上の二年生。学部はちがったけど、サークルの先輩。自分で自分のことを『美女』って言っちゃっても許されるぐらい、確かに、カ・オ・は、可愛い、綺麗な人だった。あー……この言い方は険があるな……。でも、仕方ない。ぼくたちがサークルに入ってすぐから、ずっと彼女・前橋 保奈美は、東につきまとっていて、ぼくはお邪魔虫扱いされ続けてて。
 東は一回一回、いやだって意思表示してるんだけど。アイドル系の可愛らしさと、華奢なんだけど、出るところは出てるボディラインのおかげで、どうやら今まで男に邪険にされたことがないらしい前橋先輩には、通じきってない。こうして帰り道を強引に一緒にされてしまったり、学食で問答無用で相席にされちゃったり、なんて毎度のことだった。
 『なんだよ』って、ぼくは思っちゃうわけで。だって。ぼくに、『そんなナンパなサークルで、いちゃいちゃしたいのか』なんてキツイこと言って、お目付け役みたいにして一緒のサークルに入った当の東が、吹っ切れもせず女の子に付きまとわれてるなんて、いったいなんだよって感じで。
 ……東を疑うことはなかったけど……でも、それはぼくにとっては、かなり面白くないシチュエーションだった。
 誰の前でも、大胆に、当たり前のように、東にアタックしては腕を組んだり肩にしなだれかかったりできる「女の子」に、鬱屈に似たものを感じてしまう。――ぼくには絶対できないマネ。そう。どれほど東が好きでも。東と二人きり、どれほど満ち足りた時間を過ごしていても。それを匂わせるようなことは、ぼくたちには絶対にできない。
「暑いってんだろ」
 東が腕を前橋さんの腕の中から引き抜く。
「ホント、毎日暑いよね〜」
 前橋さんがメゲない発言を繰り返す。
「ね、冷たいものでも飲んでから帰ろう?」
「バイトあるから急いでんだよ」
 つっけんどんに東は返すんだけど。
「えー、お茶の時間ぐらいあるじゃーん。ね、高橋くんはどう? 20分ほどだよ、時間ない?」
 話をふられて、つい、
「あ、それぐらいなら」
 答えてぼくは、東にすごい目でにらまれた。





 もっと堂々としてろって、東は言う。
「俺が好きなのはおまえなんだから。バカ女がどんだけアプローチしてきたって関係ねっつの」
 そして東はぼくをにらむみたいに見て。
「おまえも堂々としてたらいいだろ」
 そう言うけれど。
 ……でもさ……でもね、東。
「……女の子って、いいよね……」
 ぼくはつい、呟いてしまう。
「だから! 俺が好きなのはおまえなんだから!」
 そう言って、ぎゅうって抱き締めてくれる東……。
 でもさ……ぼくは胸の中で問いを続ける。
 女の子だったら、人前で手をつないでいても不自然じゃないし。「俺ら、付き合ってんだ」って言っちゃえるし。そう。たとえ、キスの現場を見られても、「えへへ」で済む。隠し通さなきゃいけないぼくたちとは、ちがう。
 ねえ……そのほうがいいと思わない?
 高校の時ですら、なにかあると東は決まって、「なあ、俺らゲイだって、カミングアウトしちゃおうか」なんて言ってたぐらいだから……ぼくがぐしゃぐしゃ言えば、俺たち付き合ってるって宣言しよう!そう言い出すのは見えてた。
 でもね……でも……。
 自分でも、つまんないこと言ってるのはわかってた。
 堂々と東にアプローチを繰り返せる前橋先輩が羨ましいだけじゃない。ぼくは……。





「……ごめんね」
 ぼくはベッドの中で東に謝ってばかりで。
「そりゃまだ3ヶ月しかたってねーもん」
 東はそう言ってくれる。
「こういうのは、やっぱ、時間かかるだろ。一度犬に噛まれたら、犬嫌いになっても仕方ねーし」
 そう言ってから、東は慌てて、
「あ、でも、俺は犬じゃねーし! いや、ちがうか。絶対噛まねーから……いや、これもちがうか」
 頭をひねりだす。
 ぼくはおかしくて吹き出してしまうんだけど……。
 でも……。
 東と抱き合って、どれほど気持ちよくて、どれほどイヤラシイことができても。いざ、東の分身がお尻の双丘を割って押付けられてくると……ぼくの躯は、ぼくの意思に反して強張る。ぼくの喉は、ぼくの意思に反して叫びを上げる。
 フラッシュバックする恐怖。
 あれから3ヶ月。ぼくはいまだに東とひとつになれていなかった。
「挿れる挿れないって、それほど大事か?」
 東はそう言ってくれる……。
「こうしてさ……二人で抱き合って、気持ちよくなって……そういうのがセックスだろ」
 って。
 うん。そうだね。
 ぼくは東の胸に顔をうずめる。なめらかで張りのある、東の胸。
 こうしているぼくたちが恋人同士じゃないなんて、そんなイジケたことは、ぼくも言わない。
 だけどね、だけど……。
 可愛くて、明るくて、誰の目にもお似合いな、前橋先輩と東。
 ねえ、東はほんとにぼくでいい?
 東の気持ちは疑ってない。ぼくだって、東が、東だけが、好きだ。
 でも……。
 もしかしたら、もっと東には東にふさわしい相手が……。
 そう思ってしまう、情けない自分がいやだったけれど。
 ぼくはどうしても、前橋先輩を押しのけて、東の隣にいることはできないでいた。





 ――息が詰まらない? いっつも一緒で――
 メゲない前橋先輩に、ついに腕を取られて東が行く。
「ごめん」
 気が付いたら、声が出ていた。
「バイトの振り替え、頼まれてたんだった。悪い。ぼく、先に行くね」
 すらすらと嘘が出た。
「お……」
「残念! じゃあ、高橋くん、また今度一緒にね!」
 なにか言いかけた東のセリフを、高い前橋先輩の声がさえぎる。
「うん。じゃあ、お先に!」
 精一杯の笑みを作って、ぼくはバス停に向かって駆け出した。


                                                            つづく











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