「おまえ、またグダグダ考えてるだろ」
東からはその日のうちに電話があった。
グダグダ。
実際そうにちがいないんだけど、ぼくはぼくなりに真剣に悩んだり考えたりしてるのを、そんなふうに一言で切って捨てられてムッと来る。
……そういうところ、自分でも進歩ないなあって思うんだけど。でも、ぼくが怒るとわかっていて、やっぱりそういうムカつく言い方する東も、やっぱり進歩してるとは言えないんじゃないかとも思う。
「そうだよね、グダグダだよね」
つっけんどんにぼくは言い返した。
「東にはぼくよりもっとふさわしい相手がいるんじゃないかなんて、ほんっと、グダグダだよね」
東が何か言いかけるところにさらにぼくはおっかぶせる。
「男しか好きになれないぼくとちがって、東はバイだもんね、その気になれば東は女のコとも付き合えるんだろ? ふさわしいのふさわしくないのって、同性で付き合ってるぼくが言えることじゃないよね。悪かったよ、わかりきったことをグダグダ考えてて」
ため息の気配があった。
「つまんねーこと言ってんじゃねーよ」
「そうだよね、つまんないよね、」
なんだかもう止まらなかった。
「男と女で付き合うのが一番いい、そんなのわかりきったことだもん。考えること自体、つまんないよね」
電話の向こうで東が黙り込む。
ぼくはぼくで、自分の言葉に含まれてる毒に自分であたって、その気持ちの悪さに黙り込む。
ややあって。
「……おまえが言ってんのさ……別に本気の別れ話ってわけじゃないよな? だったらさ、それ……スネとヒガミとヤキモチじゃん」
東のため息まじりの声に、ぐっと携帯をつかむ手に力がこもった。
「そ、そうだよね……スネとヒガミとヤキモチだよね……」
頭がカッカした。手がぷるぷる震えだした。
「じゃあこれは図星指された八つ当たりだよね! 当分、おまえには会わない! 電話もしてくんな! バカッ!」
携帯だったから、受話器をがちゃんと置くってわけには行かなかったけれど。ぼくは精一杯荒い手つきでストップボタンを押した。
ベッドに突っ伏してても気分が悪くてしようがなかった。
今日は……久しぶりにサークル仲間にも会って、その後、バイトもして、夏の暑さの中、動き回ってたせいで、身体は疲れているはずなのに。
――なんであんなこと言ったんだろ。
自分のセリフにいまさらながら嫌気がさして、ぼくは眠りに落ちることができないでいた。
つまらないことを言ったと思う。
東にはもっと東にふさわしい相手が……
いるのかもしれない。いや、きっと、いる。同性ってことだけでも、ぼくは『いい相手』とは言えない。
じゃあ、だけど、だからと言って。
東の言うとおり、『本気の別れ話』をするつもりなんか、ぼくには全然ないのも本当で。
東と別れる?
いやだ、そんなの、絶対できない。
そのくせぐずぐず言わずにいられなかった自分は、やっぱり東の言うとおり、スネてヒガんでヤキモチやいてたんだ。
バカみたいだ。
どうしても眠れなくて、またため息つきながら、寝返りを打った。
と。
コンコン。
ありえないところからノックの音がした。
は?と思う。
と、また、コンコン。
間違いない、ドアじゃなくて、二階にあるこの部屋の窓をノックしてるヤツがいる。
ぼくは大慌てで起き上がると、ベッドの上のカーテンを引いた。
「よー」
窓の向こうで東が手を振っていた。
「電話したらまた切られるかと思って」
靴を片手に、東は身軽くベッドの上に飛び降りてきた。
「だ、だからって……」
ぼくは窓の外を見る。
その窓の下は一階の屋根になっている。家の裏手に当たるその屋根の部分は、見れば隣家との塀の間際まで伸びていて、
「意外と簡単に飛び移れた」
と、東は涼しい顔で言ってのける。
「人に見つかってたら、通報とかされちゃうとこだろ!」
ひそめた声で怒ったけど、東は軽く肩をすくめただけだった。
「そんなことよりさ、」
不法侵入で捕まるかもしれないのに、『そんなこと』? だけど東はいつになくマジメな表情でベッドの端に腰を下ろすと、ぼくに隣に座るように促した。
「……なんだよ?」
同じようにベッドの端に掛けながら、ぼくはスタンドの明かりに浮かぶ東のいつになく真剣そうな横顔を見やった。
「おまえ、すぐさ……俺に女と付き合えばいいって言うけど、」
ドキリと来る。ぼくのスネとヒガミとヤキモチ……。
「じゃあさ、同じこと俺が言ったら、おまえ、どう思うよ? 今の男、俺よりイケてるぜ? 声かけてみろよ、とかさ、俺が言ったら、おまえ、どーよ?」
言葉に詰まったぼくに東が重ねる。
「こういうのは? おまえ、健康ランドとか行けねーよな、男に発情すんだもんな、あっち見てもこっち見ても、大変だよなって」
「東!」
たまりかねてぼくは声を上げる。
「ぼ、ぼくは確かに男にしか興味ないけど……で、でもだからって、男なら誰でもいいみたいな、そういう言い方……」
「おまえ、同じこと、俺にしょっちゅう言ってんじゃん」
鋭く切り返されて、ぼくはまた言葉に詰まる。
「ストレートだからって、女全部に惚れるわけもなけりゃ、美人なら必ず好きになるわけでもないだろ。バイだからって女も男も誰だっていいわけじゃないだろ。そういうわかりきったこと、なんでおまえ、いちいちグズグズ言うんだよ」
「…………」
「バイとかゲイとか関係ねーよ。俺はおまえが好きで、だから付き合ってる。別れるつもりなんかこれっぽっちもねーよ。おまえがイヤがんなきゃ、俺の恋人、いいだろって誰にだって見せびらかしたいぐらいおまえが好きだし、おまえと付き合ってること、うれしがってるよ。
橋田里香も前橋保奈美も関係ない。俺が好きなのはおまえなんだ」
自分でも調子いいなあと思うんだけど。
『好きだ』って正面から東に言われると……
「……うん……ぼくも東が好き」
身体がほわっとあったかくなるような気がする。胸がちょっとキュンってして。うれしくて、うれしくて。
首を傾けあってキスをした。
優しくて、いやらしいキス。
ぼくの舌を絡め取って嬲っていく東の舌は、熱心で貪欲だ。
――イジケたくないなって、ぼくは思う。
こうして口付けている間だけじゃない、触れ合っている間だけじゃない。東が……嬉しい言葉を囁いてくれてる間だけじゃない。たとえ、女の子が東に戯れかかっている時でも。東に抱かれて、でも東を受け入れることができない時でも。
「俺が好きなのはおまえなんだ」
東の言葉を覚えていたい。この、触れ合ったときの熱さを覚えていたい。……スネてイジケているぼくのところに、こうして忍んで来てくれる、東の気持ちを、ちゃんと正面から受け止めたい。
イジケやすいのは本当だけれど。
それだけじゃない自分になりたい。
痛切に、ぼくはそう思った。
「……これ以上やると止まらねーな」
東が名残惜しそうに唇を離す。
「おふくろさんとか起こしちゃマズイよな」
うん…ぼくも名残惜しいのをこらえて俯いた。今すぐ裸になって全身に東を感じたかったけれど。
「ま、続きはまた明日ってことで」
そう言いながら東は立ち上がった。
「うん……来てくれてありがとう」
「いや……」
また窓枠に手を掛けて、そうだ、と東はぼくを振り返った。
「俺、オンナもイケルけど、本気で好きになったことないって言ったよな? その理由も話したっけ?」
え? ぼくは首をひねる。理由……聞いてない気がする。っていうか、理由があるのか?
「あのな……どんなキレイな子でも、可愛い子でもさ……ふっと浮かんじゃうんだよ、髪の毛逆立てて、唇真っ黒に塗ってシャドウも塗りたくってさ、『おらああっ!!』って叫んでるところ。俺は一生、オヤジにはかなわねえなって思うんだけど」
……ダメだった。
それはぼくの笑いのツボをクリティカルヒットして。
ぼくは呆れた東がぼくを残して窓の外に滑り出て行った後も、一人、ベッドに突っ伏して笑い続けた。
そんなこんなの後だったから。
合宿出発の当日を、ぼくたちは――表には決して出せないにしろ――照りつける夏の日差しにも負けないほど……いや、それはちょっと大袈裟か、とにかくかなりな仲良しモードで迎えたのだった。
合宿には大手の旅行会社の、『夏の高原で避暑気分・三泊四日格安バスツアー』っていうのに、サークルで申し込んであった。だから出発は早朝の上野駅。一般の人たちに交ざって、ぼくたち20余名はそれぞれ大きなカバンを手に、集合場所へと赴いた。その中には当然、前橋先輩もいて。
「東くぅん! おはよ〜!」
朝から耳に響く甘ったるく高い声でぼくたちのそばに寄ってきた。
「……ども」
東はぼそっと返しただけで、レイバンのサングラス越しにさえ、前橋先輩の顔を見ようともしなかった。さすがに前橋先輩も取り付く島がなかったのか、いつものようにしつこくまとわりついて来ない。
ちょっとホッとして、ぼくと東は前後して扉を開いたバスに乗り込んだ。
後ろのほうの席をサークルで固めて取ろうという話だったから、ぼくと東は後ろから3列目ぐらいに席を取った。ところが。
「あ。ダメじゃん、高橋、ここじゃないだろ」
って。
四年の岡谷 博之先輩が。
東の隣に座っていたぼくの腕をぐいっと引いた。
「え、え」
なんのことだかわからなくて、中腰になったぼくの腕を岡谷先輩が引っ張る。
「高橋は後ろだろ」
ぼくは強引に、最後列の岡谷先輩の隣へ座らされた。
文句を言うヒマもない。
「あー! あたし、ここいいでしょ!」
東の隣にはすかさず前橋先輩が滑り込んだ。
どうしよう……東の渋面が見える気がしたけれど、さすがに最高学年の先輩に逆らうこともできなくて、ぼくは落ち着かないままにシートに掛ける。
「えっと……ぼく、ここに座るって……決まってましたっけ……?」
ためらいながら、岡谷先輩に聞いてみる。
すると先輩は、意味ありげにぼくの顔を流し見た。
「決まってたことにしといたほうが、無難だろ?」
ひそひそと囁かれた。……無難? なにが? 怪訝な顔をしたぼくに、岡谷先輩は耳元で続ける。
「たまには東から解放されてのびのびしてみろよ。ほかの席に移りたかったら、いいぜ? 東には俺からうまく言ってやるから」
って……。はあ!?
バスはぼくのおっきな疑問符ごと、那須高原へと走り出した。
合宿が始まっても、岡谷先輩のヘンなスタンスは変わらなかった。
「部屋割りはこっちで決めてあるから」って、東とぼくは部屋も別なら、コートに出ても、「今日はしっかりグループ別でやってみようか」って、東とぼくは別にされる。
別に、子どもじゃないから、『あの子と一緒じゃなきゃいやああっ』なんてことはないけどさ。
「おまえたち、高校からずっと一緒なんだってな」
同室になった岡谷先輩が言う。
「はあ……2年3年とクラスも同じでしたから」
「そうか。ずっと仲がいいんだ?」
「……はあ、まあ」
ずっと。うん、まあ、ケンカしてない時は仲がいいよな、うん。
「多いんだよ。気の合うヤツと同じ大学に進学してきて、大学でもべったりってヤツ」
ああ、そうなんですか、とぼくはうなずく。
「でも、フツーは学部が違ったり、専攻分野がちがってきたり、サークルもちがったりで、だんだん疎遠になるんだけどね」
それはそうなんだろうなあとは思うけれど、でも、なんと相槌を打てばいいのかわからなくて黙っていると、
「もったいないよ。高校時代の友人は友人だけど、大学に来れば面白いヤツがたくさんいるだろ。いろんなヤツと付き合って、いろんなことを吸収しなきゃ、わざわざ大学で四年間を過ごす意味がないじゃないか。そうだろ」
先輩は畳み掛けてきて、ぼくはちょっと考える。
「……人と知り合うチャンスは自分からつぶすなってことですか?」
岡谷先輩は大きくうなずいた。
「そうだよ。君はわかってると思った」
なんだかわからないけど、ムッとくるものがあった。
「それなら、東のほうがぼくよりよくわかってるかな。アイツ、すごく交友関係、広いんですよ。いろんな社会も知ってて……」
ぼくのそれとない反撃は、
「どうかな」
岡谷先輩の大袈裟に肩をすくめる仕草で中断された。
「限られた人間関係を維持しようと躍起になっている人間が、広い視野を持っているとはとても思えないな。確かに彼はとてもファッショナブルでオーセンティックだけどね、君には自分自身の世界を広げる権利があるし、せっかくこの大学に来れたんだから、そのチャンスは活かすべきだよ」
「…………」
サークルに入ってまだ数ヶ月。もう就職活動に忙しい四年の先輩と、今まであまり接触する機会がなかったから、ぼくは岡谷先輩が、しゃべりだすとこんなふうに持って回った嫌味な言い方をする人だとは知らなかった。
考えれば考えるほど、先輩の言ってることは東を馬鹿にしていた。
なんて言い返そう。考えている間に、先輩はぼくの肩をぽんぽんと叩いて行ってしまった。
――なんか、無性に腹が立った。
東はそんなんじゃない!
勝手なことを言う岡谷先輩に、ぼくはすごく腹が立った。
ところが。
岡谷先輩の目を盗むようにして、物陰に引っ張っていった東にその話をしたら。
「『ずっと一緒にいてうっとうしくないか』か……人の勝手だろほっとけよって言いたいところだけど……まあ、確かにイタイところ、ついてるよな」
東は岡谷先輩の言葉に怒るフリさえ見せなくて!
「なんで……そんなの、岡谷先輩がイヤミなだけだろ! 東そんなこと……」
ぼくは東に怒ってほしかった。
そんなの関係ねーだろって吐き捨ててほしかった。
だけど、東は。
「正論だよなあ……」
って……。
「……東?」
言い知れぬ不安が押し寄せて来て、思わず東の腕に手を伸ばしかけた時だった。
「おーい、これで全員かあ?」
遠くで部長の声がした。
「あ。そろそろ行くか」
ぼくの伸ばした手に気づかないまま、東はすっとぼくに背を向けた。
「あず……」
昼のきつい日差しの中に出て行く東の見慣れた背中が、ひどくよそよそしく見えた。
つづく
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