後から考えたら――
東はいっつも好き勝手やってるだけのように見えて、実はいろいろ周りやぼくのことを理解してくれてるんだから、ぼくは安心してればよかったんだけど。
その日の午後と、次の日いっぱい、ぼくはどよーんと落ち込み続けた。
「どうしたの、元気なくない?」
岡谷先輩が聞いてくれるけど。
さすがに、あなたのせいです、とは言えない。
「まさか東と離れ離れだと寂しい、とか?」
冗談めかした口調だけど、先輩の目が笑ってなかった。
「……そんな子どもじゃないです……」
すねたように言い返したら、今度は本当に先輩は声を立てて笑った。
「子どもじゃないって言うのが子どもの証拠だよ」って。
笑われたのがおもしろくなくて黙り込んでいたら、先輩はぼくの顔を覗き込んできた。
「どうしたんだ、子どもって言われて怒ったの?」
「……別に」
ぼそりと答えたら、
「高橋、かわいいなあ」
と言われてしまった。ぽんって、頭まで叩かれて。
勝手だとは思うんだけど、東にならどれほど『かわいい』と言われて頭をぐりぐりされても平気っていうか、嬉しいんだけど、先輩にそういう『もうおまえは〜』みたいなことされると。
不愉快だった。だから、
「ぼくはもう18で男ですから。かわいいって言われても嬉しくないです」
毅然と言い返した。
先輩は「わかった、ごめん」ってやっぱりくつくつ笑いながら謝って来て。なんだかもう、ぼくは口をきくのもイヤになった。
先輩、悪い人じゃないと思うんだけど……先輩といるとすぐに疲れる自分にぼくは気づいた。
そんなこんなの、合宿最終夜。
ぼくが夕飯を終わりかけてる時だった。
ぼくと岡谷先輩と、ほかにも2年の先輩も一緒の席に、食事を終えたらしい東がふらりとやって来た。
「ども〜。ここ、いいっすか?」
東はにっこり笑ってひとつ余っている椅子を引いた。
「どうぞ」
岡谷先輩もにっこり応じる。
東はにっこり、虫も殺さぬ笑顔のままで、
「きのう、高橋から、先輩から友人関係のこととかアドバイスもらったって聞いて」
ぼくの喉を通りかけてるご飯が詰まってしまうようなことをさらりと切り出した。
ぼくは必死で平気そうな顔を装って、ご飯を飲み下す。
「ああ、アドバイスってほどのことじゃないんだけどね」
先輩もさらりと受けて。
「いつまでも高校時代の友人にべったりじゃあ、せっかく大学に入った意味が半減してしまうよって、当たり前のことなんだけどね、ちょっと高橋に話したんだ」
「っすよねえ、やっぱ」
東が深くうなずく。
「俺も最近、そんなこと思ってたとこでー。いろんな人と付き合って、俺もいろいろ成長したいなあ、なんて。特に俺ら、今、一年じゃないですか。周り、年上の人がたくさんで。そういう年上の人と付き合って教えてもらえることって、やっぱ、多いと思うんですよねえ」
……? 東の話の持って行き先が見えない。ぼくは平静を装いながらも、次に東がなにを言い出すのか、ドキドキしだした。
「そうだね、ぼく自身、やっぱり先輩に教えられたことっていうのは大きかったよ」
岡谷先輩が、しみじみって感じで言うのに、東はうんうんとうなずいてから、
「でも、実際問題、むっつかしいなあって思う部分あって」
困ったように首をひねって見せた。
「むずかしいって?」
岡谷先輩が優しく尋ね返す。
「だって、」
『だって』。今、だってっと言ったか? 東?
「たとえば、四年の先輩って俺らから見たらもうオトナなんですよね。教えてもらいたいなあと思うことがあっても、どう持ちかけたらいいのかなあとか、こんなこと言って笑われないかなあとか、いろいろ考えちゃうんですよお」
おやって感じに岡谷先輩の眉が上がった。
「そういう遠慮はいらないよ。と言うより、むしろ、してほしくないって言うほうが正解かな」
……あーやっぱダメだ、とぼくは思った。先輩のこういう言い回し、ざわっと鳥肌が立つ。
東はなにも感じないんだろうか? ちらりと横を盗み見たけど、東はにっこり笑顔のままだった。
「なにか、困ってるの? 話してみたら? ぼくでよければ相談に乗るよ?」
先輩がまた、いかにも後輩に理解あるふうに東をうながした。
「えーじゃあちょっと、俺のホント個人的なことなんですけどぉ?」
……あれ? なんか、今、東の目が光った……?
今の今まで先輩の前でかわいい後輩ぶっていた東の瞳が、キラ、と光ったんだ。
「いいよ、なにかな?」
うながされて、東の目がまた光った、と思ったところで、
「嫌いな女に付きまとわれてるのって、どうしたらいいですか?」
口調だけはあくまで柔らかく、東は切り出した。
「その気はないって言ってんのに、バカなのかな、通じないんですよ」
なぜかは知らない。だけど、その瞬間、その場の空気がぴしっと凍りついたのがぼくにもわかった。
「そういう時ってどうすりゃいいんでしょうね? 先輩、教えて下さいよ」
空気は凍ったと思ったんだけど、先輩は微塵も揺らぎのない笑顔のままだった。
「だから、ぼくが言ってるのはそういうことだよ、東」
なんだろ……見た目は変わらないんだけど、先輩の微笑みも、なんだかすさまじいものに変わって来てる気がする……気のせいかなと思って、もう一人の二年の先輩の顔をちらりと見たら、その先輩も強張った顔で東と岡谷先輩を見比べてて……ああ、やっぱり、これは大変な場面なんだとぼくは悟った。
「狭い世界で限られた人間としか付き合っていないと、どんどん、人としてのキャパシティは狭くなるばかりだよ。君はその彼女と結局、付き合ってはいないんだろう? なのに、嫌いだとか、バカだとか、決め付けるのはどうかな」
「嫌いなタイプってのは、付き合ってみなくてもわかると思うんですけど?」
東の反論に先輩は肩をすくめる仕草で答えた。
「別に年齢が上だというだけで、大人だ子どもだと言うつもりはないけれどね、あえて『先輩』としての立場で言わせてもらうと、未熟で経験もハンパな段階で自分の好みを決め付ける態度は、成長を拒否しているといわれても仕方のないものだよ」
「そうかあ」
東はいかにも反省したふうにうつむいた。
「喰わず嫌いは、よくないってことですよね?」
素直な後輩に、先輩が鷹揚にうなずく。と。
「じゃあ、食べてみてクソまずかったら、その時は吐き出してもいいですか? 腐ってるものとか、俺、全然ダメなタチなんで」
東と岡谷先輩の視線が、ばちぃって音がするほど派手にぶつかった。
「だから、」
あれ? 気のせいか、岡谷先輩の声が震えてるみたいに聞こえた。
「腐ってるとかなんとか、決め付ける、その狭量さが……」
「狭量なのかなあ。まあ、自分でも自分はまだ未熟だとは思いますけど」
『かわいい後輩』の素直な笑顔を捨てて、東はにやっと口元を歪めるイヤな笑いを岡谷先輩に向けた。
「でも俺、人も食べ物もグルメなんで。ヤレればなんでもOKなんていう、ゲテモノ喰いのマネはできないかも、です」
「東!」
怒鳴ったのは、今までぼくと同じようにハラハラした顔で成り行きを見守っていた二年の先輩だった。
「おまえ、それは言い過ぎだぞ!」
「あ、どうもすいませ〜ん」
東はふざけたように頭を下げて、立ち上がった。
「岡谷先輩、やっぱオトナですよね〜、すんごい参考になりました。先輩の器量の大きさに甘えさせてもらって、ありがとうございました〜」
最後はたっぷりイヤミったらしくお辞儀をして東が立ち去る。その背中を見るともなしに見ていたら、ダン! すごい音がした。びっくりして振り返ると、岡谷先輩がテーブルに拳を打ち付けていた。
「あいつ……!」
怒った目で前をにらむ先輩が怖い。
東。なにを先輩に言ったんだろう?
ぼくは急いで「ごちそうさま」を言うと、東の後を追うことにした。先輩はなんだかひどく怒ってるみたいで、二年の先輩に、
「おまえがしゃべったのか!」
とかなんとか問い詰めていて、ぼくが席を立ったのも気づいてないみたいだった。
「東!」
ロビーでぼくは東に追いついた。
「さっきの、いったい……」
なんだったんだ? と続けてるところに、
「東くうん!」
キーンと突き刺さる高さの声が飛んできた。
……振り返るまでもない。前橋先輩だ。
「ねえねえ、この後、部長の部屋に集まって打ち上げなのお!」
合宿最終夜に打ち上げと称して飲み会があるのは前から決まっていた。
前橋先輩はぼくを押しのける勢いで東の前に立つと、奇妙なふうに身体をくねらせた。……まあ。「奇妙」って言うのは、ぼくがそれに魅力を感じられないからで、普通の男性にはそれは「悩ましく」見えるのかもしれないけれど。
「王様ゲームがあるってぇ、東くん、聞いた?」
「……まあ、飲み会には付き物なんじゃないですか」
うんざりしてるのを隠そうともせず、東が返す。
「ええー! 東くん、平気ぃ? 保奈美、ヘンな命令されたら困っちゃう〜。ねえ、保奈美が困ってたら、東くん、助けてくれるぅ?」
「助けません」
東、即答。悪いと思ったけれど、ぼくは吹き出した。
しまったと思ったら、前橋先輩にぎろって睨まれた。でも、その目のすごさは一瞬で。すぐに前橋先輩は甘えた上目遣いで東を見上げた。
「……ねえ、今さっき、東くん、誰と話してた〜?」
東の胸元を指でつんつんしながら、前橋先輩がわざとらしくひそめた声で聞いてくる。
今さっきって……岡谷先輩?
「ね……誰かから、なにか、よけいなこととか聞いた? それで、怒ってる?」
東がさもうんざりって感じにタメ息をついた。
「嫌いな女が昔、誰と付き合ってたにしても、全然気になりませんけど?」
…あ? 話がイマイチ見えないのは、まあ、ぼくがたいがい「鈍い」せいだろうけど。それにしても、今、東、かなりキツイこと言ったような気がするんだけど……
「ほんとう? 気にならない?」
……前橋先輩、話の通じなさがなんかレベルアップしてない? 目で東に尋ねたら、だろ?ってやっぱり視線で返された。
「すいません、前橋先輩、俺ら一年、打ち上げの準備あるんで」
もう東は会話を続ける気がないらしく、そう言って、ぼくの腕を引っ張った。
うちのサークルで貸切になってるような状態のペンションで人目を避けられる場所なんて、そうはない。
ぼくと東は部屋に戻るまでの廊下と階段で、小声でやりとりするしかなかった。
「岡谷先輩と前橋先輩って?」
「俺たちがこのサークルに入る前は、付き合ってたんだよ、あの二人」
東も声をひそめてるんだけど。驚いた。
「え!」
「細かいことは俺もまだつかめてないんだけどさ、今回の合宿中、岡谷がおまえにべったりだろ? なんかうさんくせえんだよ、あいつら」
……どういうことだろ? ワケがわからない状態のぼくに東が早口で続ける。
「あのバカ女、ゆうべ俺のこと呼び出して」
コクってきやがった、と東は吐き出す口調で言った。
「カノジョがいるのかとか、好きな相手はいるのかとかうるさくてさ、よっぽどホントのこと言ってやろうかと思ったんだけど、」
「そ、それは…!」
「わかってるよ、おまえが困ることはしねーよ」
東はそう言いながら、ぼくに大丈夫だからって笑ってくれて……
「ゴマカしてたら、じゃああたしカノジョ第一候補ね、有力候補よね〜とか、一人で盛り上がっちゃって」
……そうか。前橋先輩が急にレベルアップしてた理由がこれで納得できた。
「今日の打ち上げ、きっとかなりうぜえだろうけど、おまえ、気にしなくていいからな」
でも! とぼくが言いかけたところで、通り過ぎかけたところのドアががちゃりと開いた。
「おー東! ビール足りねーみたいなんだ、買い足して来てくれよ。お、高橋、おまえ、食堂行ってコップとか借りて来てくれ」
三年の先輩に矢継ぎ早に用事を言いつけられてしまった。
「やっぱ一年はパシリかよ」
東のぼやきを背で聞いて、ぼくたちは右と左に別れて走った。
で――
結局、その後の打ち上げでは、ぼくは最初から岡谷先輩に捕まって、いかに友人関係を広げるのが大事かという話と、岡谷先輩自身は特定の個人を自分に縛り付けるような視野の狭いことはしたくないんだというような話を延々と聞かされて悪酔いし、東に介抱される羽目になった。東のほうこそ、王様ゲームで前橋先輩とのキスを命じられて、迷うことなく、罰ゲームの焼酎一気飲みを選択していたことを考えれば、それはかなり情けないことだったと思う。
なんかその晩はめちゃくちゃで。
前橋先輩は、「東くん、ひどいよ」って泣き出すし、ぼくはゲエゲエ吐きまくるし。東と岡谷先輩はとことん険悪だし。
なんでかなあって、背中を東にさすってもらいながらぼくは思った。
なんで……こんな、おかしな、わけのわからない、ややこしいことになってるんだろう……酔いでぐるぐる回る頭で、ぼくは一生懸命、考えていた。
「おかしいよ、これ」って……。
つづく
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