大人の証明<5> −その後の後の東くんと高橋くん−

 





 ぼくは今でも鮮やかに、その時の東の姿を思い出せる。
 腰より高い高さの窓を軽々と乗り越えて部屋に飛び込んできた姿も、先輩の顔から視線をそらさないまま、ひらりと舞わせた脚で先輩を倒れさせた姿も。
 目に焼き付くって言うけれど。
 先輩の胸の上に膝をついて乗り上げ、襟元をつかんで締め上げていた姿も。
 その日、東は無造作に髪を後ろでひとつに束ねて、黒のタンクトップを着ていた。プラチナブロンドに近い色合いの前髪が横顔に垂れかかっていた。その間から、異様にぎらつく瞳と、底光りのするその目とは対照的な、妙に静かな表情が見えていた。日に焼けた剥き出しの肩と腕には力がみなぎって、筋肉がきれいな弧線を描いていた。ダメージ系のリーバイスに包まれた長い脚は、片足が折り曲げられて、先輩の胸部をしっかりと圧迫していた。
 ――ぼくは今でも鮮やかに、その時の東の姿を思い出せる……





 はっきり言って、その時のぼくは東に見蕩れていた。
「さっさと答えてくれないと、両方、いっちゃうよ?」
 怒気をはらんだ低い声も、怖いぐらい魅力的で。
 ぼくは魅入られたみたいに東を見つめてるばかりだった。
 その呪縛がようやく解けたのは、
「ふ、ふざけてただけなんだ……お、おまえがそんなに怒ることじゃない……。ふ、ふざけてただけ……」
 笑おうとしながら震える声でそう言った先輩に、東が容赦なく拳を見舞ってからだった。
 ごずっ!
 鈍い音がした。
「ひいっ…!」
 先輩の情けない声が響いた。ぼくはようやくそこでハッとしたんだ。
「ざけてんじゃねえぞ、てめえっ! ああっ!」
 東が怒鳴った。
「手帳がまぎれこんでたって、こいつ、言ったんだよ。なんでまぎれこむんだよ。おまえがわざとこいつのカバンの中に入れたんじゃねえのかっ! 計画的だろ、この野郎っ……!」
 再び東の手が拳に握られる。
 呪縛の解けていたぼくは慌ててその手に飛びついた。
「だめだよっ東っ! これ以上……!」
 止めるぼくの声にかぶって、
「ひーっ……ひーっ……!」
 奇妙に高い声がかぶった。鼻を押さえて、先輩が泣き出したんだった。
「血、血が出たっ…! 血…っ!」
 血のついた指をこれみよがしに広げられて、東の顔がいっそう険悪になった。
「その程度の鼻血でガタガタぬかすなら、次には歯ぁ折るぞ!」
 凄まれて、先輩が悲鳴を上げる。
「な、殴らないでくれ……ぼ、ぼくが悪かったから……だからもう、殴らないでぇ……」
「東」
 ぼくはそれでも力の抜けない東の拳を両手で包んだ。
「ケガさせちゃいけない。それはだめだ。ぼくはなにもされてないから」
「…………」
 東がぼくを見る。
「大丈夫だから」
 ぼくは東にうなずいて見せて、震えてる先輩に声をかけた。
「先輩も。変な言い訳とかやめて、きちんとぼくに謝ってください。そしたら、東だってこれ以上怒りません」
「あ、謝る……謝るよ! ごめんなさい、ごめんなさいぃ……!」
 先輩は顔の前で両手を合わせた。
 それでも東は憤懣やるかたないって面持ちで先輩を睨みつけていたけど、ぎりっと奥歯を噛み締めて、突き放すようにその手を放した。
「……謝るなら、きっちり頭下げて行け」
 立ち上がりながら、いまいましげに東が言う。
「あ…は、はい……」
 先輩はあたふたと立ち上がると、ぼくに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい」
「あ…いえ」
 頭を下げあうと、先輩は背中を向けてる東をちらちらとうかがいながら、
「じゃ、じゃあ、ぼ、ぼくはこれで……」
 慌てて部屋を出て行こうとした。
「あ! 先輩!」
 ぼくはテーブルの上に置いてあった手帳と本を手に取り、
「もうなくさないで下さいね。それから、この部屋の鍵、置いてってください。ぼくたち、総務課に返しておきますから」
 先輩に向かって差し出した。





 先輩が出て行ったあとのドアがしっかり閉まってるのを確認して、ぼくはかちゃりと鍵をかった。
 ゆっくりと振り返る。
 東はドアに背を向けたまま、俯いて、自分の中の怒りの波動がきれいに収まるのを待っているみたいに見えた。
 すらりと綺麗な立ち姿。
 本当に怒ったら、あんな乱暴もできるのに。
 ぼくはぼくの心拍がどんどん早くなるのを感じながら、じっと東を見つめてた。
 ……好きだと、思った。ぼくはこの男が好きだと。
 ひとつ、大きく息をついて、東は振り返った。
「……大丈夫だったか」
 心配気な声はいつもの通りで。
「うん」
 ぼくはうなずく。
 東に歩み寄る。
「ありがとう。助けに来てくれて」
 東はにっと笑って。よかったな、の言葉の代わりにぼくの頭を抱え込んで髪をくしゃくしゃにした。
 ぼくは間近で深々と東の香りを吸い込む。
 もう覚えた……東のコロンと、かすかな汗の匂い。
 この男が好きだと思う。
 でも。
 それだけじゃ足りなかった。
 好き同士なだけじゃ、足りない。
 どこまでもカッコよくて、どこまでも優しくて、どこまでも愛しい、この男を。
 自分のものにしたいと思った。
 誰にも渡したくない、自分だけのものにしたかった。
 どこまでも激しくて、どこまでも熱くて、どこまでも愛してくれる、この男に。
 征服されたいと思った。
 深く深くこの男に繋ぎ止められて、この男だけに所有されたかった。
 誰も。誰も入り込めない絆が、欲しかった。
 その欲望は焼けつくようで、じりじりと炙られるような熱が苦しいほどで。
「東、カッコよかった」
 ものすごく早くなってる鼓動を感じながら、ぼくは笑う。
「惚れ直した?」
 東が小首をかしげて笑う。
 うん。
 ぼくはうなずいて、東に抱きついた。





 東はぼくが好き。
 ぼくも東が好き。
 だけど。
 もう足りない。
 それだけじゃ。





「東」
 目を閉じて。
「本当のセックスしよう。ぼくを、東のものにして」
 はっきり言えたと思うんだけど。
 しばらく、東にアクションはなかった。





 たっぷり10秒はたってたと思うんだけど。
「え」
 って。東は慌てて抱きついてるぼくを押しやると、顔を覗き込んできた。
「は?」
 ぼくは思わず吹き出した。
「だから、」
 もう熱く固くなってるソコを、東の腰にこすりつけた。
「セックスしよう。ひとつになろう」
「こ、ここで?」
「ここで」
「い、今?」
「今」
 なんだかおかしくて、くすくす笑いが止まらなかった。ぼくはもう一度東に抱きついた。
「ぼくを東のものにして。そしたら、東もぼくのものになるんだ」
 東が息をのむ気配がして、またぼくは東から引き剥がされた。真剣な東の目が、ぼくの表情を探っていく。
「……本気か? だいじょうぶなのか、おまえ。その……」
 東の心配していることはわかった。今までにも何度か、東とぼくはソレを試していて……どれほど覚悟を決めたつもりでも、東の猛ったものがお尻の狭間を割って押し付けられてくると、ぼくの躯は反射的に逃げを打ち、ぼくの喉からは悲鳴が漏れた。
 ぼくは東の鳶色の瞳を見つめ返した。
「東に頼みがあるんだ」
 しっかり落ち着いて話す。
「もし、ぼくが逃げかけたら、押さえつけて。いやだって言っても、やめないで。やめろって言っても、やめないで。きちんと、ぼくが東とひとつになれるまで、絶対、絶対、やめないで」
 見つめ合う。
 ぼくは自分から東に口づけた。





 今までにも、東としたいと思ったことはあった。
 自分から誘ったこともある。……まあ、ほとんどの場合、ぼくが誘いかけるより早く、東のほうからせっついてくれるから、ぼくから水を向ける必要はほとんどなかったけれど。
 でも、今日ほど切羽詰った、焼け付くような気持ちで東を欲しいと思ったことはなかった。
 快感が欲しいんじゃない。
 東が、東自身が欲しくて。東との絆が欲しくて。
 セックスなんて、躯を繋ぐことなんて、本当はそんなに意味なんかないことなのかもしれない。
 岡谷先輩や前橋先輩が別れてもしてるセックスに、快楽を求める以外の意味があるとはぼくにも思えない。セックスなんて、その程度のことなのかもしれない。ぼくは過剰にセックスに意味を求めすぎてるのかもしれない。
 でも。
 それでも。
 東を全身で受け止めたかった。
 東に征服されて、東を自分のものだと感じたかった。
 渇望。
 ――しよう、東。
 ぼくはぼくの本気が伝わるように、一生懸命、キスをした。





 ふっと唇を離したら、唇と唇の間に銀の橋ができた。
 至近距離で東と目が合ったから、目を合わせたまま、その橋を東の唇ごと舐め取った。
 次の瞬間、ぼくの躯はふわりと浮いて。
 ぼくは東に床の上に押し倒されていた。





 東の顔が歪んでいた。激情を、懸命にこらえてるみたいな。
「バカ」
 いきなりそれはないんじゃないかと思うんだけど。
「バカ。やめろって言ってもやめるなとか、逃げたら押さえつけろとか……おまえ、意味わかって言ってんのか。そんなこと言われたら……煽られるだろ、ほんとにやめてやれなくなるだろ。おまけにこんなキスしてきやがって……」
 ぼくは東の顔を見上げてその頬に手を添える。
「だいじょうぶだよ、ちゃんとわかって言ってるよ。ぼくだって、そこまでバカじゃないよ」
 きゅっと東の目が細くなった。奥歯を噛み締めたのか、頬もきゅっと強張った。
「……あの晩……」
 あの晩? 東がなにを言い出したのかわからなくて、ぼくは目を見張った。
「あの晩……おまえ、ずっとうなされて……」
 あ、と思った。
 大輔に無理矢理され日の夜。浴室で気を失ったぼくを、東は一晩、看病してくれていた……。
「やめろ、やめて、ごめんなさいって、何度も……」
 東はぼくの手を取って握り締めた。その手がかすかに震えている。東は握ったぼくの手に口付けるように顔を伏せた。
「……東、助けてって……」
 東の部屋で目覚めたあの朝、真っ赤に充血していた東の眼。……そうか、そうだったのか。
「だから……だから、俺は、絶対……絶対、俺は、秀を傷つけたりしない、おまえを泣かすようなことはしないって、決めて……」
 ああ……
 ぼくは空いた手で東の背を抱きながら、深く目を閉じた。
 初めて聞く、あの夜の話。――ああ、そうだったのか。東がいつだって、ぼくが嫌がるとすぐに引いてくれていた理由を知って、ぼくは深く目を閉じる。
 改めて、この男が欲しいと思った。
 ゆっくりと告げる。
「東……ありがとね。でも、もう、いいんだ、ほんとにいいんだ。ひとつになろう、今度こそ」
「……本気で?」
 うつむいたまま、くぐもった声で東が確かめてくる。
「本気だよ、もちろん」
 ぼくの返答に東が顔を上げた。その瞳に、今まで見たことないような荒々しい光が浮かんでいるのを見て、背中がぞくりとした。欲情に濡れて、獣欲に光った、瞳。怖くて、でも、背中がぞくぞくするほど魅力的な……
「……バカすぐる。……泣いても、本当にやめてやらないぞ? ひーごめんなさいー前言撤回ーとか言っても、遅いんだぞ?」
 その冗談口は、たぶん、本当に、東の最後の最後の踏ん張りなんだろうと、ぼくにはわかった。
 ぼくはひとつ深呼吸した。
「やめなくて、いい」
 静かに、はっきり、東の目を見つめて答えた。東の踏ん張りを、崩した。





 東に、むしゃぶりつかれた。





 ……今まで、何度も、東とはエッチしてきてて。最後こそなかったものの、あんなことやこんなことはたくさんたくさんしてきてて。未遂になってばかりだったけれど、最後を試したことも何度かあって。
 だからぼくは、東のエッチがどんなふうか、もう知り尽くしてると思ってた。
 けど。
「あっ……ひっ……!」
 ぼくが思わず悲鳴じみた声を上げてしまうほど、東の動きは性急で荒々しくて。
 東はキスも愛撫もすっ飛ばして、がむしゃらにぼくのコットンパンツを脱がせにかかっていた。
「あず…っ! ちょっ……タンッ……!」
 ぐいぐいとパンツを下着ごと引き下ろされる動きに、思わず上がった制止の声も途切れ途切れになる。
「東!」
 ようやく名を呼べば、ぐいっと顔が近づいて来てきゅうっと唇を吸われた。舌がぞろりと口の中を舐めまわして行く。
 そのキスに応えようと唇を吸い返そうとした時には、もう東の顔は下に降りていて。
 もう最初から猛っていたぼくのモノを東はその口にぱくりと咥え込んだ。
 しゃぶりまで激しかった。
「ああっ…! ア、ン、ア、はあ、あ、んっ…んっ!」
 立て続けに高い声が上がってしまう。東のフェラを受けて身をよじる、Tシャツは着たまま、下だけすっぽんぽんに剥かれた恥ずかしい格好のぼく。
「ああんっ…ん、んっうぅ……」
 夏休み中のクラブハウス。時刻はそろそろ5時というところ? もしかしたら、ぼくたちのように出てきている人がいるかもしれない。クラブハウスにはほかにもたくさんのサークルが入っている。誰かにこの声を聞かれたら……!
 ぼくは自分ではセーブできない恥ずかしい声を響かせまいと、自分の口を自分の手で覆った。
 その手はすぐに東の手に外されて。
「意味ないだろ」
 ぼくのペニスに唇をつけたまま、東は言ってのけた。下から、まるで射すくめるような鋭い瞳でぼくのことを見上げながら。
「もっと大きな声が出るようなこと、これからするんだろ?」
 トクン! 心臓がひときわ大きく跳ねた。
 征服されたいと思った。抱かれたいと思った。けど、それがこんなに……圧倒的な力に巻き込まれることだなんて、ぼくは知らなかった。
 東が再び喉の奥までぼくを呑み込んだ。じゅっ、じゅるっ…音がたつほど激しく唇と舌でしごかれて、ぼくは床の上で激しく背を反らせた。




                                                         つづく





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