閑静な山の手の住宅街。
緑の蔦が彩るレンガ造りの塀、季節の寄せ植えの花があふれる庭、数ある豪邸が軒を競う中でも決して引けはとらない、趣味のよい三階建て。クリーム色の壁に、落ち着いた小豆色の洋風瓦がよく映える、可愛い家。それが俺の住む家だった。
言っておくが、その家はおふくろの趣味だ。小薔薇で飾られたポーチを嬉しがる健全な高校三年男子なんて、いないよな?
おふくろの趣味に造られた、かわいくて豪奢な家。でも、おふくろの自慢は家だけじゃない。カーポートに停めてあるオヤジのボルボ、おふくろのアルファロメオ、毎年家族で行く海外旅行、週末ごとのホームパーティ、そして、一流企業で常務の役職にあるダンナ様に有名私大に通う全身ブランドで固めた美人な娘に、やっぱり有名私立高に通う息子の俺。それはみんなおふくろの自慢。
そんなおふくろの口癖は、「やめてよ、そんなみっともないこと」だ。「ヨソ様に恥ずかしいじゃない」がそれに続く。部長一家がハワイに行けば常務であるダンナはヨーロッパに行かねば「みっともない」で、三階建ての家にはエレベーターがついていなければ「恥ずかしい」のだそうだ。
わっけわかんね。
そんなおふくろの、俺にはわけのわからない見栄や世間体のために、実は俺のウチはちょこっとずつ、無理をしていたんだった。
そして、俺がその無理を知ったのはその無理が形になって現れてからだった。
高校三年、夏の終わり。
ウチの前に真っ黒なクラウンが、門をふさぐように停まっていた。学校から帰ったばかりの俺は、フロントウィンドウをのぞく全ての窓にスモーク処置がされたぴかぴかのその車を、何か不吉な思いで見つめた。
もし俺に予知能力があったら。
俺はまっすぐ家に背を向けてその場を歩み去るか、その車の窓を全て叩き割って警察を呼ぶかするべきだとわかったんだろうけど。
悲しいかな、俺にはそういう勘のよさというものがまったく欠落していた。
俺はバカ正直に、車の脇をすり抜けて、門の中へと入って行き。これまたバカ正直に、ぴかぴかに磨き上げられた黒の革靴が並ぶ玄関に、「ただいま!」と大声上げて踏み入っていったんだった。
まっすぐに。
暗黒に塗り込められた己の運命へと――
客間でもあるリビングに、一歩踏み込んで俺は固まった。
テラスに面した窓の前に、上座にあたるソファを囲むようにずらっと黒ずくめの男たちが並んでいる。部屋が暗く見えるほどの威圧感。そして、その威圧感の中心では、一人の男がソファを一人で占領して、高く脚を組んでいた。
仕立てのよい黒のスーツをピシリと着こなしたその男。俺の目はその男に吸い寄せられた。ワックスで固めた頭髪、長い手足、怜悧に整った容貌。そんなものよりなにより俺の目を引いたのは、その男の左目を覆う眼帯だった。やっぱり黒いその眼帯はシルクででもできているのか、上品な光沢を放ちながら、男の左目部分を覆っていた。
男のひとつしかない目が、部屋に入っていった俺を鋭く見据えた。
……なんだ、コイツ。
底冷えのする据わった目線におびえながらも、俺は反発を込めてその瞳を見返した。
ローテーブルを挟んで、その男の前でおふくろとおやじと姉貴の背中が小さくなって震えている。
男は俺の家に災厄を運んできた張本人のように俺には感じられた。
「ああ。遼雅(りょうが)くん、お帰りなさい」
男が視線の鋭さに似合わない猫撫で声でそう言うと、おふくろもおやじも姉貴もいっせいに振り返って俺を見た。
「これで話がスムーズに済みますね」
男がさらに意味不明なことをにこやかにぬかす。
はあ?
おふくろが、
「ああっ! 遼雅あ……!」
よよと泣き崩れた。
「借金……?」
俺は無理矢理座らされたソファの端で目を丸くした。
「なにそれ」
聞けばおふくろは『ちょっとずつ足りなかった』ときにマチ金を利用し、その借金が溜まりに溜まってついに800万を越えたのだという。
「一社あたりは数百万ずつですがね、全部、ウチの系列会社なんですよ。もうね、しのごのいわず、一本化しちゃったほうが、ほらね、お互い、後の処理が簡単でしょう?」
シルクの眼帯男がにこやかに説明する。
「800万て……」
俺はうろたえておふくろとおやじを交互に見つめる。
「ち、ちがうんだ。おかあさんはね、ほんとに、5万とか10万とか、無理のない金額を借りただけなんだ! それがね、ほら、遼雅にはむずかしいかもしれないけれど、利息というのがついたり、借り直しが入ったりして、すごい金額になっちゃっただけなんだよ」
おふくろに頭が上がらないだけじゃない、しっかりあまいおやじが説明してくれるけど……800万?
「こちらとしても、それだけの金額を棒に振るようなマネはできませんのでね」
男がねっとりといやな口調で割って入ってきた。
「いったんここできれいにご清算願いたいと、こうしてお願いに上がっているわけです」
おやじが憤然と顔を上げた。
「いっ、一度支払いが遅れただけじゃないですかっ! いっ、今まではきちんと……!」
「ええ。確かに今までの返済はきちんとしていらした。次々と新しいところから借り入れてね」
雪だるま式という言葉が頭に浮かんだ。
「た、多重債務……?」
思わず呟いた俺に、眼帯男はトカゲのような目になって笑いかけてきた。
「そうです、遼雅くん。君の家は今、大変なことになっているんですよ」
そのようだった。
「どうです? おとうさん、おかあさんを助けたいとは思いませんか?」
へ? まさか借金の返済に俺の貯金を? 足りるわけないけど。
「うちの店で働いてみませんか? なに、君ならすぐに借金分など返済できる」
「そっ、その話は……!」
おふくろが慌てて腰を浮かせる。
なに? 俺が働く? ……800万が『すぐに返済できる』ような店って、いったいなんだ? なんかすごくイヤな予感がした。
「じゃあ奥さん、今すぐ800万、耳をそろえてご返済願えますかね」
「そ、それは……」
「現金をそろえていただけないんなら、仕方ないでしょう。こちらとしても遼雅くんに働いてもらうというのは、そちらに対する最大限の譲歩のつもりなんですよ?」
男の恩着せがましい言いように、おふくろがきりっと眉を吊り上げた。
「そ、そうおっしゃいますけど! しゃ、借金には法定金利というものがありますわ! わたくしどもはもう、元金と法定分の利息はそちらに返済しているはずですっ! 裁判にかければ、これ以上、無法な返済を迫られることはないはずですわっ! じ、自己破産という手段もありますっ!」
毅然と言い放ったおふくろを、しかし眼帯男は憐れむように見つめた。
「よく勉強なさったようですね。いいでしょう、裁判でも自己破産でも、お手続きを進められたらいい。こちらがこうして穏便に済ませようとしている気持ちをお汲み取りいただけないのは残念ですが」
男の片方だけの目が暗く光った。
「しかし、奥さん。それらの手続きが済むまでは、こちらもこちらの方法で取り立てを続けさせていただくことになりますが、それはご了解いただけますね?」
「え……」
「取り立てですよ。ご主人の勤め先にうかがうことにもなるし、朝晩ちょっと大きな声でドアの外から呼びかけさせてもらうことにもなります。そうそう。ご不在の時にはメッセージカードを残すこともありますね、お宅のドアや壁に」
すーっとおふくろの顔が蒼ざめた。
おふくろが一番気にしてる「世間体」と「見栄」が見事に傷つこうとしている……。
「……それでもいいんですか? 奥さん」
男はまるで心底心配してるような口調で畳み掛ける。
「もちろん、公的な手段に訴えれば800万を返済する義務はなくなるかもしれません。でも、その代わり、ご主人は会社に居づらくなるかもしれないし、この素敵な三階建てのお宅も、結局は手放さなければならなくなったりするんですよ?」
「……家も……」
「ご近所への顔向けということを考えればねえ……残念でしょう? せっかく素敵なお宅なのに」
おふくろはあらぬ彼方を見つめだす。
男はゆっくり俺たち家族全員を見回した。
「よおく、お考え下さい。なにも、わたしたちは非道なことを申し上げているわけではない。そこにいらっしゃるお嬢さんを借金のカタに働かせる、それは確かにご両親としてもご心痛なこととお察しいたしますが……お嬢さんじゃない、我々はおぼっちゃんに働いてもらえないかとご相談にあがっているわけです。それも、たった数ヶ月、今からなら……そうですね、遼雅君の働き次第では年内には完済できるでしょう。
どうですか。お互いにことを荒立てて無用な傷を負うより、ここは遼雅君にひとつ、男らしくがんばってもらうということでは、いけませんか」
ちょっと待てオラ。俺は一人で目を尖らせる。年内? 数ヶ月? だから、そんな短期間で「800万」って金額が返済できる仕事内容ってな、なんなんだよっ!
だけど……。
その場で目を尖らせてるのは俺一人で。
おやじと姉貴はうつむいて黙り込み、おふくろはなんか小さく……首を縦に振ってやがる……。
かあちゃん。頼む。同じ振るなら横に振ってくれ。
「いかがですか?」
男の声が悪魔のささやきにも似て、優しく低くなる。
「せっかく、素敵なおうちじゃないですか。三階建てで」
「……三階建てで……」
おふくろが小さく繰り返す。
「ええ。素敵な三階建てです」
男の言葉におふくろがうなずいた。
「……ええ……三階建てなんです……」
閑静な山の手の住宅街。緑の蔦が彩るレンガ造りの塀、季節の寄せ植えの花があふれる庭、数ある豪邸が軒を競う中でも決して引けはとらない、趣味のよい三階建て。クリーム色の壁に、落ち着いた小豆色の洋風瓦がよく映える、可愛い家。――おふくろ、自慢の家。
「病気休学ということにしておけば、遼雅君の未来にも、なんの傷もつきません。誰もなにも困ることはないんですよ」
男が最後の押しを口にする。
「誰も……なにも……」
おふくろの目が輝きだす。
俺はぎゅうっと目を閉じると奥歯を噛み締めた。
――バカなかあちゃんだなあと思ったことはあったけどさ、ここまでとは……。
宿題もやってないしさ。カバンから弁当も出してないんだけど。
もう誰もそんなことは気にしてないし、そんなことを気にしてる俺もバカみたいなんだけど。
「遼雅のこと、よろしくお願いします」
おやじが深々と眼帯男に向かって頭を下げる。
「いい? りょうちゃん、加地さんたちのおっしゃることをよく聞いてね、いい子でね」
おふくろが俺に言い含める。
俺は制服姿のまま、慌てて着替えを詰め込まれてパンパンになったスポーツバッグを手に、半ばボウゼンと、なんかズレてる気がしてしょうがない両親の言葉を聞いていた。
「では息子さんはお預かりします。後のことはまた、改めて」
眼帯男がクラウンの後部ドアを開く。
「さあ、遼雅君。乗ってください」
禍々しい黒塗りのクラウン。
爬虫類めいた目で俺を見つめる男を、俺は見上げた。
「なあ、これって人身ばいば……」
言いかけたところで、俺は開いたドアの中に突き飛ばされるように押しやられていた。
「さあ! ご家族にバイバイだね! 遼雅君!」
いや、それは無理がありすぎ……。
抗議の声を上げる間もあればこそ。
眼帯男が素早く俺の後に続いて車に乗り込み、車は急発進した。
俺の、素敵な、三階建てのウチを後にして――
23区の地理に詳しくない俺にはわからないけれど、車は都心に向かったようだった。せめて何区かだけでもわからないかと俺がきょろきょろするうちに、住宅街にあるマンションの地下駐車場に車は滑り込んだ。
車を降りた俺は、眼帯男ともう一人、ガタイのいい黒服にがっちり両腕を掴まれて、計四人の男に囲まれるような形でマンションの一室へと連行された。
そこは飾り気はないけれど、そこそこ品のよい調度が置かれた、誰かの住まいらしい一室だった。とりあえずそこにはふつうの生活の匂いがあり、俺は心底ほっとした。いきなり訳もわからない恐ろしい場所に連れて来られたわけじゃないらしいと、その時は思ったんだ。
だけど。
玄関、廊下、リビングと通り、奥の部屋のドアが開かれ、そこに、その一室を埋めるほどに巨大なキングサイズのベッドが置かれているのを見て、一気に血の気が引いた。精一杯の力を込めて、俺は両脚を突っ張る。
「い、いやだ! 俺、まだ眠くない!」
が、抵抗もむなしく。
両側の男たちはひょいと俺の足を浮かせると、そのまま部屋に入り、ベッドの上に俺を放り出した。
「な、なにすんだよっ!」
振り返った俺は、後ろの3人の男たちに軽くうなずき、眼帯男がドアを閉めるのを見た。
カチリ。
眼帯男は落ち着いた仕草で鍵をかう。
「な、なんだよ……」
声が上ずる。
仕方がない。密室にベッドと男と俺だけなんて。
ハッキリ、怖すぎるシチュエーションだった。
「お、俺、まだ眠たくないって言ったろ……」
男のひとつだけの瞳が、冷たく俺を見た。
「――こういうことは初めてか」
家でおふくろたち相手に話していたのとはちがう。低く、底冷えのするような声で男が聞いてくる。
「こ、こういうことって……」
「男に抱かれることだ」
あっさり……本当にあっさりそう言われて、瞬間、頭がまっしろになった。
「だ……」
「ないのか」
バカ正直に俺は首を横に振っていた。
「そうか。ではちょっと痛い目を見てもらうことになるが。まあいい」
よくない!
男はさっさと上着を脱ぎ、自分のネクタイに手をかけた。
「おとなしくすればそれなりに優しくしてやる。脱げ」
混乱しきっていたけれど。俺は無性に腹が立ってもきた。
「なんなんだ、なんなんだよ、これは! 話もわからないのに、いきなり脱げるか!」
俺は叫んだ。
と。
男の目がすっと細くなった。
え、と思う間もなかった。
男が一歩踏み込んできたと思ったら、俺は首を男の右手に鷲掴まれていた。
「……いいか」
低く、恐ろしい声。
「おまえがなにかを理解する必要はない。今日からおまえは、ただの穴だ。それだけわかっていればいい」
そのまま後ろざまに突き飛ばされ、俺はベッドに倒れこんだ。
……二時間前には、俺、今日の夕飯はなんだろうって考えてたはずなのになあ……。
そのまま男はネクタイを抜き取りながら、ベッドに乗り上げて来る。
瞬時に頭の中のハンバーグやクリームグラタンの残影を消し去り、俺は覚悟を決めた。平和な夕食よさようなら。俺は戦う。
あっさり「穴」扱いされてたまるか!
十分に男が近づくのを待ち……俺は一撃必殺の蹴りをその顎めがけて放った。
杉山 遼雅17歳、未熟ながら男です。
俺の渾身の一撃は男にあっさりかわされた。くそっ! 俺は勢いのまま身体を反転させると、ベッドの反対側へと飛び降りた。男に向かって構える。
「……空手かなにか、習っていたのか」
顔色ひとつ変わっていない男を、俺はにらみつけた。
「極真に通ってた」
「何年」
「小学校3年のころからずっとだ」
「の、わりにはたいしたことないな」
ほっとけ!
小さい時から小柄で体格の貧弱な俺を心配して、おふくろは俺を空手の道場に入門させた。極真っていうのは空手の一大流派で、テレビで有名なK1の母体でもある、寸止め無用、実戦重視の空手だった。そこで8歳から修練を重ねた割には、男が見破ったとおりに俺は弱くて、試合はいつも一回戦負けだった。
それでも、空手は俺の日常生活の中では今まで十分に役立ってくれてたと思う。高校生になってもやっぱり小柄で、しかも色白で、おまけに眼鏡なんかかけちゃってる俺は、一見、ひどく気弱そうに見えるらしくて、変なからかいを受けることも多かったけれど、その程度の災難なら自衛できていたのは、やっぱり身についた格闘技のおかげだったと思う。
でも……。今、ベッドの上から俺を見る男の眼光の鋭さに、俺は背中をいやな冷たい汗が落ちるのを覚えてた。――たぶん、全然、かなわない。
「かわいそうにな」
男は俺を嘲笑った。
「まるきりの素人というわけではないなら、手加減はしてやらん」
言下に。
男は俺に飛び掛って来た。
拳をかわし、蹴りを受けた。でも、そこまでが俺の限界で。
「ぐえっ!」
腹への一撃をまともにくらった。身体をふたつに折って呻いたところに足払いをかけられて、俺はみっともなく床に突っ伏した。
男は俺に馬乗りになって頭を床に押さえつける。
「は、放せーっ! 放せ、放せ、放せええええっ!!」
俺は手足を精一杯にバタつかせた。
「…………」
男は無言で、当然、俺の上からどいてもくれなかった。
かわりに。
ジャキッ! ジャキ、ジャキ……ハサミの音が響いてきて。俺は息を飲んだ。俺の制服……! だけどすぐに制服なんかどうでもよくなった。下半身にひやりと外気を感じて、全身に鳥肌が立つ。
「や、やだっ……! や、やめて……っ!」
「暴れるな。暴れると肉を切るぞ」
男の無情な声が上から降る。
「や、やめて下さいっ! おとなしくするっ! おとなしくするからっ!」
俺は必死に哀願した。男のメンツもプライドも、切り裂かれた服と剥きだしにされたお尻の前には投げ出すしかない。
「やめてよおっ!!」
ふっと背中が軽くなった。
ほっとしたのも束の間、むにっとお尻の肉を両側に押し広げられて、
「あああっ、な、なにっなにしてんだっ!!」
俺は泡を食った。
だって。尻だぜ? 尻の肉だぜ? いや、もともと割れてるところではあるけれどさ。掴んで広げられるところじゃないだろ、絶対。
しかも。
広げられて丸見えになったにちがいない俺の、その、肛門……に、男の指がなんか冷たいものを塗りつけて来て。
「ひっ! ……」
冷たいって俺は続けて叫ぼうとしたんだけど。
尻の肉を割り広げられ、なにか冷たいものをお尻の穴に塗り付けられ、今度は……。
なにか大きいものが俺のその穴に押し付けられてきて。
「……!!」
ありえなかった。ぐっと突きこまれたそれに、息が止まる。
逃げようにも、俺の腰は男の頑強な手にしっかりと掴まれている。
メリ……ッ。
俺の肉を裂いて、ソレはじりじりと、でもすごい力で俺の体内に侵入してきた。真っ赤に焼けた灼熱の棒を捻じ込まれてでもいるような激痛に、
「ぎゃあああああああっ!」
自分の声だとは思えないような、ものすごい絶叫が喉からほとばしった。痛かった。身体がふたつに裂けるかと思うほど。
「やっ! やだあっ! 痛い痛いイタイッ!! やめろおおおっ!!」
俺は声を限りに叫んだ。
でも男はやめてなんかくれなくて。
俺を貫いた。
ズキズキとソコが痛み続けて、腕一本動かすのもつらくて。
俺は男が部屋を出て行った後も、その場に伸びていた。
顔の下に水溜りが出来ていた。……俺の、涙と鼻水の。
自分になにが起こったのか、これからどういうことが起きるのか、それはまだわからなかったけれど。 「穴扱い」とはどういうことか、俺はいやというほど理解していた。
俺がどれほど激痛にのたうち、叫び、泣こうが、男はかまわず、ただひたすらに俺をめちゃくちゃに突きまくった。
――穴って、こういうことなんだ………。
そう思うと、みじめさと情けなさに胸がつまり、また涙があふれる。水溜りがまた大きくなる。
ずずっ。
俺は大きく洟をすすった。
その、俺の視界に。
ベッドの下に置いてあるバスケットが目に入った。
なんだ?
好奇心に駆られて、俺は痛む身体を引き起こし、バスケットを引きずり寄せた。
中には、俺が今までいやらしい雑誌の写真でしか見たことのなかった、いわゆる大人のオモチャやらロープやら、手錠やら……なにかのボトルやらが無造作に放り込まれていた。
これか、と思った。
さっき、男が魔法のようにハサミや俺の尻に塗りつけたものを取り出したわけ。
ふと思いついて、俺はバスケットの底を探った。
……あった。
刃先にカバーの付けられた大振りなハサミを手に、俺は胸が高鳴るのを覚えていた。
不覚だぜ、眼帯野郎。
仕返ししてやる。
俺は手にした武器をぎゅっと握り締めた。
ハサミを右手に握り締め、俺はそっと部屋のドアを開いた。リビングへと滑り出る。とたんに。ふわんと香ばしい匂いが鼻をくすぐった。じゅわーっとおいしそうな音も聞こえてくる。
さほど広くないリビングはやっぱり狭いキッチンとつながっていて、そのキッチンに広い背中が立ち働いているのが見えた。手前のテーブルにはみずみずしいトマトもおいしそうなサラダが置いてある。
な、なんか調子狂う……。
だめだ! こんなところでペースを崩されてどうする! 俺は手にしたハサミを両手で握り締め直すと、テーブル近くまで歩み寄った。
「おい!」
声を張り上げる。
男が振り返る。
「……なんだ」
俺が手にしたハサミが見えているはずなのに、顔色も変えやがらない。
「いっ今すぐ、俺を家に帰せ!」
「……その格好のままでか」
男に静かに問い返されて、俺は慌てて下を見た。
……う。凍った。俺は上半身は制服のシャツとネクタイのまま、下半身はすっぽんぽんで立っていたんだった。
「う、うるさいっ! パ、パンツ出せっパンツ!」
俺はわめいた。
「おまえ俺になにしたんだよっ! チ、チンチン突っ込んだんだろっ! 許せねえっ! 謝れっ! 手ぇついて謝れっっっ!!!」
叫んでいる間に涙がにじんで来る。尻の穴にチンチン突っ込まれて、パンツもはいてなくて。なにやってんだ俺。
男は謝れと迫る俺にタメ息をついた。
「……ハンバーグが焦げる」
え。
思わぬ言葉にきょとんとした瞬間だった。男は信じられない素早さで動き、俺の手からハサミが飛んでいた。
「あれだけの目に合って、まだ誰がボスかわからないか」
気づけばハサミは男の手にあり、俺は呆然と自分に向けられるそれを見つめていた。
「覚えておけ」
パーン! 鋭い音がして、平手打ちを喰らった俺は横ざまに倒れこんだ。
「俺がボスだ。おまえは穴だ。わきまえろ」
冷酷な言葉に、俺の目からはもう、涙もこぼれなかった。
みじめだった。どうしようもなく。
俺はこのまま……この男に好きなようにされるだけの存在に成り下がるんだ……そう思うと、大袈裟ではなく、人生を呪いたくなった。もう、なにがどうでもかまわない。俺は「穴」なんだ……。
自分がみじめで。情けなくて。もう身体を起こすのもいやで。
だけど、倒れている俺に、
「焼けたぞ」
男が声をかけてきた。
「腹が減ってるだろう。ハンバーグとクリームグラタンだ。食わないか?」
食わない、と即答するには、あまりにいい匂いが漂い過ぎていた。
俺はのろのろと身体を起こし、見るだけだぞ、自分に言い聞かせながらテーブルをのぞいた。
――焦げ目もおいしそうなデミグラスソースのかかったハンバーグ。焼けたチーズが香ばしそうな、クリームグラタン……。
ごくりと喉が鳴った。
「食え」
男がナイフとフォークを俺の目の前に置く。
「おまえの分だ」
俺の、分。俺の……。
「自分の境遇を嘆くのは、腹がふくれてからでもいいだろう」
……そ、それもそうかな……。
ひどい男だとは思うんだけど。料理の腕は確かだった。
食後、男は、
「シャワーを浴びたら、これを使え」
と、きれいに空になった皿の横に、なにかの箱を置いた。
なんだろう?
おいしい食事に警戒感がやたら低くなっていた俺は無造作にその箱を手にして……。
また泣きたくなった。
箱にはきれいに印刷が入っていた。
ボラギノール注入軟膏。
「使い方がわからなければ聞け」
男のやたらとまじめそうな顔の前で、俺はもう一度泣いた。
シャワーを終えてバスルームtから出てくると、パウダールームには新しいスウェットの上下とやっぱり新品のブリーフが用意されていた。
湯上りに、乾いて清潔な衣服をまとう心地よさ。
腹はふくれているし、風呂はさっぱりしたし、傷ついた部分も薬を使ったおかげかずいぶんと楽で、俺はすっかり毒気を抜かれた気分でリビングのソファに座り込んだ。
そんな俺の前に、眼帯男はあぐらをかいて座り、
「よく聞け」
と、話を切り出した。
眼帯男は加地と名乗った。見た目通りの広域指定暴力団員さんで、今は風俗関係の店をいくつか仕切っているのだと。そして俺は、加地さんが仕切る店のひとつで働かせられるため、800万で買われたのだと言う。
「おまえの親が特別悪いわけじゃない」
加地さんはそう言ったが、3階建ての家とバーターされたのだと思うと、親を恨みたいような気持ちがこみ上げてくる。
「……で? 俺はこれからどうなるの?」
投げやりにも似た気分で、だからこそ冷静に、俺は加地さんに尋ねた。
「おまえにはしばらく俺と一緒にここで暮らしてもらう。その間に、」
店に出るのに必要な『しつけ』を受けてもらうのだと加地さんは言った。
「いまさらだけど、」
泣きたいのと笑いたいのを同時にこらえながら、俺は最後の引導を自分に渡すために確かめた。
「その店に出て、俺はなにするの? なにか……売るの?」
加地さんのひとつだけの瞳に、ふっとなにか、俺には読みきれなかったけれど、なにか、感情の波みたいなものがよぎった。
そして、加地さんは答えた。
「――ああ。おまえの躯を売ってもらう」
と。
大事な商品だから無体に傷つけるようなマネはしないと加地さんは言い、その夜、広いキングベッドの端と端に寝ながら、加地さんは本当に俺には指一本触れなかった。
なんでこんなことになったんだろう……。
考えると眠れそうもなかったけれど、ベッドのスプリングはなかなかに心地よくて。
俺はいつしかとろとろと、その最低な一日の終わりに眠っていた。
つづく
My shinny day1 JUNK部屋連載1話〜9話
一部加筆修正して掲載
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