My shinny day 2 - 調教 -

 



 朝、起きて行くと、加地さんはもうワイシャツにスラックス姿で携帯片手に話していた。ノートに何事か書きつけながら、売り上げがどうの、今日のシフトがどうの話しているところを見るとどうやら仕事の話らしい。邪魔にならないようにと、足音を忍ばせかけて……、
「わっ!」
 俺は大声を上げていた。キッチンに見慣れない人が立っていた。
 俺の大声にキッチンにいた人も加地さんも振り返った。加地さんは電話口を手で押さえ、
「朝飯を食って来い」
 と俺にあごをしゃくってくる。
 ……そう言われても、俺、意外と人見知りなタチなんですけど……。
 でも、キッチンに立ってる人をよく見れば、Tシャツにジーンズ姿で、頭こそ真っ白に脱色してて異様な感じだけど、年の頃は俺とそんなに変わらない感じで。でもってそいつは、俺が恐る恐るテーブルに歩み寄ると、にかっと大きな笑顔を見せた。前歯が何本かかけていて、ちょっとマヌケな感じが親近感を持たせる。
「ども。俺、ヒデって言います。加地さんは兄貴分で、かわいがってもらってるっす」
「あ、ども」
 頭を下げ返して、さて、俺は自分のことはなんと自己紹介すればいいのかと迷う。
「俺は……」
 言いよどんでいると、
「遼雅さん、コーヒーと紅茶とどっちっすか?」
 あっさり名前を呼ばれた。……そっか、そだよな、こいつらは俺のウチまで知ってたんだもんな……。
「朝食は俺が用意するっす。兄貴みたいに料理上手じゃないけど、朝昼兼用のブランチっつーカンジで。ほかにも俺、パシリなんで、いるもんとかあったら言っといて下さい」
 すごくニコニコと憎めない笑顔で言われて、つい、よろしくなんて頭を下げ返しちゃったんだけど。なに? 俺は必要なものも自分で買いに出られないわけ? ためしに、
「えーでも頼むなんて悪いから。この近くのコンビニってどこ? 自分で買いに行くよ」
 って言ってみたら。ヒデは困ったみたいに首をひねった。
「兄貴に聞いてないっすか? 遼雅さん……しばらくこっから出られないと思うんだけど……」
 やっぱり、と思いつつムッと来た。
「へえ! しばらくって、どれくらい? いつになったら俺は好きに外に行けるのかな!」
 噛み付くみたいに俺は問い返していた。そしたら、後ろから、
「ヒデを困らせるな。俺がいいと言うまでだ」
 渋い低音の声が響いた。
 俺は携帯を畳んでいる加地さんを振り返る。
「……じゃあ、加地さんはいつになったらいいって言ってくれるんですか」
 視界の隅で、ヒデのほうが困った顔でTシャツを引っ張っていた。――その意味を俺が知るのはそれから10日以上もたってからで……その時の俺にはその意味は知りようもなかったんだけど……。
 加地さんはポーカーフェースのままだった。
「『しつけ』が済むまでといったろう。おまえが素直で協力的なら俺も楽だし、そうでなければ、おまえ自身がつらい目に合う時間が長くなるというだけのことだ」
 だからなんだよ、その『しつけ』って! ……と、思ったんだけど。
 朝食が済んですぐ、俺は身をもってそれを知ることになった――





 そそくさと後片付けを終えたヒデが、
「じゃあ、また夕方んなったら顔出します」
 そう言って帰っていき、かちゃんとドアが閉まると同時に。
「来い」
 吸い差しの煙草を灰皿に押し付けて、加地さんが立ち上がった。
 なんでそんなふうにエラそうに命令されなきゃいけないんだよっ!とか、なんの用か先にきちんと言えよ!とか、言い返したいセリフはいっぱいあったけど。
 俺はそのどれもぐっと飲み込んで黙っていた。
 ――ボスは加地さん。
 それさえわきまえていれば手荒なマネはしないと、加地さんは言った。
 いずれ俺は、800万の負債のために店に出て男相手に躯を売ることになる。ボスは加地さん。きのう一日で、どうやら物覚えが悪いらしい俺も、それだけはわきまえるようになっていた。
 素直に立ち上がった俺を、寝室へのドアを開いて加地さんが呼ぶ。俺は歯医者の門をくぐるときと同じぐらいの悲壮さでもって、開いたドアの中へと踏み込んだ。
 加地さんはベッドの上でワイシャツにスラックス姿のまま、あぐらをかいて座っていて、俺が入っていくと、よし、とうなずき、
「脱げ」
 と来た。
 ……もうなにを言ってもムダなんだろうなあ。タメ息をつきながら俺は思い、のろのろとスウェットに手をかけた。
「いやいや脱ぐな」
 すかさず加地さんの声が飛んでくる。
「おまえは商品だ。もったいぶって見せるのも大事だが、おまえを欲しがっている客をいやがっているような素振りは見せるな」
 んなこと言われても。
「相手は大枚はたいておまえを抱きたいと思っているんだ。おまえの裸のために金を払っているんだぞ? たとえば見せるだけで3万もらえるとしたらどうだ。そんな脱ぎ方ができるか」
「ちょっと待った。誰が男の裸見るのに3万も払うんだよ。俺だったらたとえ千円もらっても同性の裸なんて見たくないけど」
 加地さんの口元がわかるかわからない程度にほころんだ。
「世の中にはいろんな人種がいるんだ。……さあ、さっさと脱げ。おまえの裸に3万の価値があるのか、10万取れるのか、俺が見てやる」
 3万とか10万とか。ありえなさすぎなんですけど。
 あーでも……3万あれば、時給800円としてだいたい40時間弱ぐらい? 日に4時間バイトするとして、10日分? え? 10日分が脱ぐだけでもらえるの? もしかしてそれってけっこう、オイシクない? あ! でも待てよ! 俺は借金のカタに働かされるんだよな? だったらたとえ3万もらえても、それはみんな俺の家のために消えるんだよな? ちぇ。なんだよ、3万ぽっちじゃ……玄関の敷石代ぐらいじゃん。
 そんなバカなことを考えている間に、俺は裸になっていた。パンツをぐしゃぐしゃになったスウェットの上にぽんと放る。
「色気はまだまだだが、まあよしとしておくか」
 加地さんは全裸になった俺のまえでも顔色ひとつ変えることなく淡々とそう言うと、
「手を広げろ、回って見せろ」
 矢継ぎ早に注文をつけてきた。
 言われたとおりにして、最後に注文どおりに眼鏡を外すと、加地さんはようやく満足そうにうなずいた。
「――思ったとおりだ。骨格も華奢で、肌も綺麗だ。なによりおまえは目がいいな。眼鏡をかけないほうがいいと、誰かに言われなかったか」
「言われたけど、コンタクトが嫌いなんだよ」
 正直に答えると、加地さんの口元がまたほころんだ。
「せっかくの強気そうなキャッツアイが眼鏡だと死んでるが、おまえの場合はそのギャップも売りのひとつになりそうだな」
 そんなふうに評して、加地さんは、来い、と自分の脚の間を指した。


「な、なに、これ……」
「だからしつけだと言ってるだろう」
「よ、よ、夜にしようよ、こ、こういうこと……」
「夜だけで間に合うと思うのか。俺も忙しい。時間があれば昼も夜もない」
「で、でも……だって……」
「うるさい。ほら……どうだ、これは?」


 加地さんの脚の間にすっぽりとおさまって、俺は加地さんの引き締まった体を背に、抱え込まれる形になっていた。脚は加地さんの脚に絡め取られて大きく左右に広げられ、脇から回って来た加地さんの手に、躯の前面をいいようにまさぐられる態勢。
 仕方ないから、せめて手で加地さんの手を握って制止しようとしたら、あっさり両手を取られて、ひとつに括られた。
 ……で。
「どうだ、これは?」
 って……。乳首の先端をすごく柔らかく、触れるか触れないかのタッチで、さわ、さわ、……指の腹でさすられて。
「……!」
 思わず息を飲んでこらえたけれど、続いて、今度は二本の指で挟まれながらシュッと擦られて。


「アァッ……!」


 それは俺が生まれて初めて聞いた、俺自身の喘ぎ声だった。
「いい声が出るじゃないか」
 加地さんの低い声が耳朶にささやく。その、耳に当たる生暖かい息にぞわりと肌が粟立った。……気持ち悪い、と言い切るには、なんかビミョーな震えを帯びているような気もする、そんな鳥肌の立ち方で。
 加地さんの手はそんな俺の事情なんかお構いなしに乳首をいじり、俺の腹を撫でさする。茂みの中にも、その手はためらいもなく入って行って……。
「ちょー! ちょおっと! た、たたた、たんま!」
 俺は叫んでいた。
 したら。
 カジッ!
 耳をかじられた。
「やめて、と甘く言え。色気のない言い方をするな」
 怒られたけど。
 知るか! チンチンいじられてて、そんな余裕あるもんか!
 なのに加地さんは、その上さらに乳首をいじり、首筋をべろーっと舐めてくる。
「……ぅうっ……!」
 気持ち悪いんだか、恥かしいんだか、でも、もしかしたら気持ちいいのかもしれない、不思議で馴染みのない震えが何度も走った。
 でも……。
 ソコをツボを心得た握り方と力加減とスピードとでシコシコシコってされて……。
 ――ア……
 ソコに問答無用に血が集まっていく。……やっぱ、これは気持ちイイかも……。腰から広がってくる甘い疼きに全身の力が抜ける。……ジンジンして、でも、とっても気持ちよくて……。
 陶然と加地さんが与える快感に酔いかけて、でも、俺はハッとした。
 こ、このままじゃ……俺は加地さんの前で、加地さんの手で、出しちゃうことになる……! そんなみっともなくて恥かしいマネはできない!
 俺は縛られた両手で加地さんの手を掴もうとし、もう片方の加地さんの手に阻まれるのを何度か繰り返して……くそ! 最後の手段とばかりに、俺自身の根元をつかんだ。
 なにがなんでも、人の前では出さないぞ! 俺は決心していた。
 ……だけど……。
 快感は風呂に水がたまるみたいにどんどんせり上がって来る。あ、あ、あ、あふれるっ……!
 達しそうになる波を、俺は懸命にパンパンにふくれたそれの根元を握って耐えた。でも、波は次から次へと襲ってきて……!


「いつまで我慢するつもりだ?」


 加地さんに耳元で笑われ、すうっと脇腹を指先でこすられた瞬間――俺の指は決意あえなく、開いてしまった。
 加地さんの手に握られたその先端から、白いものが断続的に飛び出していく……その屈辱的でいやらしい光景が目に焼きついた……。





 悔しくて泣いている俺に、加地さんは、
「泣くほどのことか」
 というけれど。
 加地さんは服を着たまま、俺を手で嬲っただけで。終始ずっと冷静なままで。俺一人、加地さんの手でイカされた屈辱と羞恥は、説明できるものじゃなかった。
「……は、排泄行為は自分でするもんだろっ! ひ、人の手で、ひ、人に見られながら……っ!」
 なんとかそれだけ主張したら、
「……セックスが排泄行為だというのは、別に否定せんが。ならおまえは正常な男女の場合、女性は便器代わりだと思ってるわけか?」
 とんでもない理屈で言い返された。
「そんなこと思ってない! 思ってないけど!」
「でも、なんとなく許せない感じがするわけか」
 そう聞き返されて、なんかちがう感じはしながら、でも、うなずいたら……。
 夕方再びやってきたヒデからDVDを渡されて……俺は絶句した。


 『女王様のおトイレ』


 ……もうやだ。





信じられなかった。
 夕飯ができるまで、それを見ていろと命じられて。……見てたんだけど。


 おえっぷ。


 マゾがM、サドがSぐらいまでは俺も知ってたけど、一緒に見ていたヒデが、男がMの場合、責める役の女は女王様と呼ばれ、そこにスカトロと言って排泄物や排泄行為を楽しむプレイが入ってくると、女王様のおしっこは『黄金水』、うんちは『黄金』となって、M男は喜んでそれを口にするのだとか、教えてくれて。
 ……話だけでも、「げえええっ!」って感じだけど。
 映像で。実際。見せられると。
「マジ? なあ、これ、ウソだろう?」
 俺は何度もヒデに尋ねずにはいられなかった。そのたび、ヒデは笑って、
「メシのタネにしょぼいパチモンなんか使いませんって〜。これはモノホンっす。ホラ、コピー前のオリジナルっすから、モザイクも入ってなくておもしろいっしょー」
 なんて言うけど。
 ……うわ、飲んだ。……うわ、食った。
 その映像のラストは、待ち針を何十本と刺されて針山状態になった男のナニのアップで……。
 ダメだ、きっと夕飯、食えねえ。
 そう思いながらよろよろと加地さんに呼ばれてテーブルに寄れば。


 こんもりと盛られた、カレーの皿――


「うげえええええっ!!!」
 俺はトイレに飛び込み、しこたま吐いた。
 慌てて飛んできたヒデが一生懸命に背中をさすってくれる。
「どうした? カレーは食わないのか?」
 便座に手をつき、涙目になってハアハア懸命に息をつく俺の背後から、加地さんの笑いをこらえたような声がした。
 う。わざとか? わざとなんだな!? あんなもの見せて、カレーなんか作って……。ひどい! やっぱりコイツはひどいヤツだ!
「まあ、今は好きなだけ吐けばいいが。万一、その手の好みの客に当たっても、いきなり吐くようなマネはするなよ」
 冷静に言われて目の前が暗くなる気がした。食うのか? 食わすのか? どっちも死んでもイヤだと思った。
「だいじょうぶっす!」
 ヒデの明るい声がする。
「そういう特殊な趣味の人間は少ないっすから!」
 多い少ないじゃない! 「いる」か「いない」かが問題なんだ! そう叫びたかったけれど……新たな吐き気がこみ上げてきて、俺はまた便器にかがみこまねばならなかった。





 ――俺は……特別マジメでも特別ワルでもない、平均的な男子高校生だったと思う。身体の華奢さが災いしてか、そうモテモテってわけにはいかなかったけれど、彼女がいたこともあれば、ラブレターをもらったこともある。でも、正直に言えば、最後までいった相手はいない、情けないけれどチェリーボーイで、Hの知識は友達と回しっこするエロビデオやエロ本からが大半で、俺の持ってる知識は深くもなければ広くもなかった。
 そんな俺が……借金のカタに躯を売るための店に出なきゃならなくて、そのための『しつけ』を受けなきゃならなくて……。
 それはもう、重々承知のつもりだったし仕方のないことだと諦めてもいるつもりだったけれど。こうして次々、『その世界』のことを突きつけられると……あまりに刺激が強すぎるっつーか、ついてけねーっつーか。
 だからって「ごめんなさい」って頭下げたところで、800万返せなきゃ、俺は解放してもらえないんだろうし、それならそれで、きっちり務め上げて胸を張って自由の身になりたい――そう思うんだけど。
「俺、ダメダメだな……」
 つい弱気なセリフが口をつく。
「あんなぐらいでゲエゲエ吐いて。みっともねえなあ」
「んなことねっすよ」
 加地さんは今夜は仕事があるとかで出て行って、ヒデがたぶん、俺の見張り役として、なんだろうけど、一緒にいてくれていた。俺が寝てるベッドの足元で雑誌を見ていたヒデは、俺が情けない声を出すと振り返ってそう言ってくれた。
「ここに連れて来られて三日も四日も泣き続けってヤツも多いっすから。遼雅さん、たくましいほうっすよ?」
「……でも、俺、絶対、あんなもの、口にできない……」
 情けない思いで呟くと、ヒデはなにか迷うような顔でうつむいていたが、やがて、意を決したようにベッドの傍らに正座して俺を見上げた。
「兄貴を信じてください」
 すごく真剣な顔で言われて、俺は思わず躯を起した。
「兄貴を信じてください。遼雅さん、これからもいろんなビデオ見せられると思うし、いろんなこともされちゃうと思うっすけど、絶対、絶対、遼雅さんに悪いようにはしないっすから! ……か、躯、売らされちゃうのになに言ってんだって思われるかもしれないっすけど、ほんっとになんにも知らされないまま、ひどい客の相手させたりとか、そういうことは、兄貴はしないっす! か、加地さんはきちんと遼雅さんたちのことも考えてくれる人っすから!」
 ブリーチのしすぎでか、ほとんど真っ白になった髪がツンツン立ってるヒデの、必死な顔。
「……ヒデ、加地さんのことが好きなんだ」
 なんとなくわかった気がして、俺はヒデに問いかけていた。ヒデは真っ赤になって首を横に振った。
「そ、そんな、とんでもないっす! お、俺なんか、そんな……お、俺はただ、お、弟分として兄貴を尊敬してるだけっすから! そんな好きなんて!」
「ふうん?」
 ちょっと意地悪く俺が笑うと、ヒデはまた真顔になって、いかに自分が真剣に加地さんに命を捧げているかを語りだした。目を怪我する前は、加地さんは組でも一番の武闘派で、生傷が絶えたことがなかったこととか、でも、片目に眼帯をするようになってからも、立派に風俗関係の店を仕切って今では組に多大な収益をもたらしていることとか。
「だから遼雅さんも安心していいっす!」
 うーんと。その多大な収益っていうのは、俺みたいなのが躯を売らされて上がっているものなんじゃ?とは思ったけれど、ヒデの必死な顔を見ていたら「そうだね」とうなずくしかない気がした。 





 ヒデの気持ちを知ったからだろうか。次の「しつけ」の時に、俺はまじまじと加地さんを見つめてしまった。
 浅黒い肌。左目を覆う黒絹の眼帯、高く細い鼻梁、面長で渋い容貌。年は30半ばぐらいだろうか。広い肩幅、高い背。ムダ口は決して叩かず、物言いはキツイこともあるけれど、時折、ふっと目がなごむ。……そうか、と思う。これが男に惚れられる男ってヤツか。
 ぼーっと広い背中を見ていたら、
「フェラチオは知っているか」
 突然、聞かれて。
 ……あ?
「フェラチオだ。知ってるか」
「あ、あ、あの、口でするやつ……?」
 しどろもどろで聞いたら、そうだと言われた。「今日はそれを覚えてもらおうか」と。
「も、もしかして……」
 聞きたくないと思いながら俺は聞いていた。
「も、もしかして、お、俺が男のチンポを……」
「そうだ」
 加地さんの返答は簡潔で容赦ない。そして 加地さんはさっさと服を脱ぐとベッドの端に腰掛けた。その時見えた背中には一面に鮮やかな刺青があって……。
 やっぱり……ホンモノなんだ……。
 きつい現実に改めて眩暈を覚えていたら、
「早くしろ」
 促された。


 ……かあちゃん。かあちゃん、助けて……。


 俺は心の中で泣きながら、男の両脚の間にひざまずいた。





 ………………。





 異様なものを見た瞬間、なぜ人は機能停止し、「ソレ」を凝視してしまうのだろう。不思議なものに目を奪われるのはわかるが、なぜ、まじまじと「ソレ」を見つめねばならないのか……。


 目をそむけたいと思いながらも、俺は目を逸らせなくなっていた。


 加地さんの……ソレは……。
 黒々と、ヘソから続く濃いヘアの中から、今はまだダラリと下に垂れていた。垂れた状態でもこんなにデカイのか――その大きさだけでも、俺が息を飲むには十分だったけれど……。
「な、なに、これ……」
 声が震えた。
「男の性器ぐらい、今までにも見たことがあるだろう」
 加地さんは平然と言うけれど。
 俺はまじまじと加地さんの股間を見つめてしまった。
 手で皮を引っ張っていなくても、自然に、少し黒ずみエラの張った頭が出ている。それはいい。それは。だけど……加地さんのソレは茎の部分のあちこちが、人体の一部としてはありえない具合にボコボコしていて……。


「真珠入りだ。聞いたこともないか?」


 真珠入り。


 真珠ってあれだろう? ネックレスとかイヤリングとかになる宝石の一種で、クレオパトラが酢に溶かして飲んだとか、牡蠣みたいに海で養殖されてる貝の中で育つとか。な? そうだよな? 俺の知識、間違ってないよな?


 チンポに入れるものじゃ、ないよな……?


 頭まっしろな俺に、加地さんは、女性の性感を高めるために男性の性器の表面に凹凸をつけるのは有効なのだとか、ヤクザ稼業の人間は見栄もあってホンモノの真珠を使うのだとか、皮を薄く切り、そこに真珠を埋め込む手術はいたってカンタンなのだとか、いろいろ、いろいろ教えてくれたけど。……けど。


「さあ。おまえはいつまで客を待たせる気だ?」


 俺がしなきゃいけないことを勘弁してくれる気はまるでないのだった。


 ごくりと唾を飲み込んでから、俺はおずおずと「ソレ」をつまんだ。親指と人差し指で、おそるおそる。
 そしたら。
 パシン!
 俺の手は加地さんにひっぱたかれた。
「客のモノを、汚い雑巾でも触るようにつまむ奴があるか!」
 ……汚い雑巾のほうがまだマシだと思う。
「指を全部使って、根元のほうから優しく丁寧に持ち上げろ」
 ハードル高いよ、加地さん……心の中で泣き言を言いながら、それでもなんとか言われたように持ち上げて……正面から、ごたーいめーん! 


 うう。マジで涙でそう…………。


 コレを口の中に入れるんですか。すいませんすいませんぼくは臆病者です軟弱者です、気持ち悪いです〜!!


 ちらりと加地さんを見上げる。往生際の悪い俺を見下ろしてくる冷たく厳しい目線に、俺はようやく覚悟を決めた。


 大きく深呼吸する。


 よし! 今だ!


 俺は大きく口を開け……。


「ちょおっと待て!」


 今まさに運命の一口目を口にしようとしていた俺は上からの大音声と、ぐいっとおでこを押し戻すストップに、「え?」と目を開けた。


「バ、バーガーにくらいつくんじゃないんだぞ!」
 あれ? なんか珍しく、つーか、初めてな気がする、加地さんが慌ててる?
「そ、そんな思い詰めた顔で、大口ひらいたら、噛み付かれるんじゃないかと、客が怖がるだろう!」
 あ。あー。なるほど。
 納得すると同時に、なんか笑いがこみあげてきた。
「いくらなんでも、噛み付いたりしないよー」
「いや。おまえならやりそうだ」
「ひどいなー」
 言い合ってるうちに、不思議な気がしてきた。……加地さんは借金のカタに俺を売ろうとしてるひどいヤクザで、俺はかわいそうな被害者なのに。
 なんだろう……? 俺は加地さんを嫌いじゃない。
 目が合った。
 視線が絡むって、もしかしてこういうことを言うんだろうか。加地さんの瞳から目が離せない……そして、加地さんの俺を見る目も……動いていかなかった。無言のまま、俺たちは視線を交わしていた。
 そうして視線を交わして、どれほどたったろう。
「……さあ」
 低い加地さんのうながしの声は、今まで聞いたどの声より……優しくもあれば、いやらしくも聞こえた。軽く頭に手を添えられる。その手はやっぱり、俺にイヤラシイ行為をうながすものではあったんだけど……なんだろう、じんわりと温かさが伝わってきて。
 俺は視線を前に戻した。
 ……不思議だった。さっきまでグロテスクで気持ち悪くて仕方なかったのに……俺はそれに自分から触れたいとさえ感じたんだ。
 目を閉じた。
 そっと唇を寄せる。
 触れた。
 ――それは……意外と、柔らかくて、乾いてて、滑らかで……全然気持ち悪くなんかなかった。
 少しずつ唇を開いて、ソレを口の中に入れていく。
「そうだ……いい子だ……」
 上から、加地さんが囁く。
 俺はもう無心で、ソレを口の中に収めきることだけを考えて……だけど……あれ? なんか……大きくなってる……?
 俺の口の中で、それはわずかに蠢きながら、大きくなっていくようだった。


 ……あ。


 その時、俺の胸にきざした感情を、どう表現すればいいだろう?
 俺は本当に、自分の躯を、男に快感を感じさせるために使わせるんだという、ああ、ここまで堕ちちゃったんだという……あきらめ?
 それも確かにあったけれど。
 それより強く俺の中に広がったのは……。
 俺で、いいんだ。みたいな?
 これでいいんだ、俺でいいんだ。言葉にすればそれだけのことなんだけど。
 加地さんが俺の口で感じてくれてる。
 加地さんが大きくなってくれてる。
 俺の胸にじわりと広がったのは、すごい安心感と、そして、喜び、だったかもしれない。
 気持ちいい? これでいい? 俺の口の中でむくむくと大きくなっていく加地さん自身に励まされるように、俺は熱心に口を使い続けた。





「よし。ティッシュに吐き出していいぞ」
 加地さんにそう言ってもらっても、俺はしばらく、そのままぼうっとしていたように思う。
 少し潤んだような視界の中で加地さんが微笑んでいた。
 指で口元をぬぐわれた。
「時間がたつと、エグくなるぞ。さっさと吐き出せ」
 そう言われて、なんか反射的に慌てて吐き出しちゃったけど。
 ……飲みたかったかも。
 そう思う自分に寒気がした。
 どうした! どうした、俺!
 それともこれが「しつけ」なのか、これが「しつけ」の恐ろしさなのか!
 しっかりしろ、遼雅!
 俺は自分の頬をぺちりと叩いた。
 男に口の中に出されて、「飲みたかった」とか思ってんじゃねえよ! キモイよ、おまえ!
 しかし、そんな俺の心中の葛藤も……
「よくがんばったな」
 加地さんのあたたかい声と、頭をぽんぽん叩いてくれる優しい手に、ぐずぐずと崩れていってしまうようだった。
 かあちゃん、かあちゃん。
 次の機会があったら、俺、呑んじゃうかもしれない……。





 「そんなひどい人じゃないかもしれない」
 考えてみたら、これは魔法の呪文じゃないだろうか。
 ヤなヤツ〜と思っても、「そんなひどい人じゃないかもよ」と言われたら、心はぐらつくだろう。殴られたり蹴られたりしても、「そんなひどい人じゃないかも」と思ったら最後だ、「やり直してみよう」ってなっちゃうかもしれない。金をだましとられたって、「そんなひどい人じゃない」なら、なにか事情があるかもしれないと、かえって同情しちゃえるんじゃないだろうか。
 コワイ言葉だ。
 「そんなひどい人じゃないかもしれない」
 そして俺はその言葉の魔力に囚われてしまっていた。
 同い年で欠けてる前歯も愛嬌のあるヒデはもちろん、加地さんでさえ……俺は「ひどいヤツだ」とは思えなくなってしまってて……。
 お尻に妙な物体をぶっさして、そのまま生活するように命じられても。
 局所にローターをガムテープ貼りされて、エロビデオを見せられても。
「アナルをきちんと拡張しておかないと、いちいち傷ついてつらいぞ」とか。
「知識はもちろんのこと、感度を鋭くしておくのも大事なことだぞ」とか。
 そうかあ、ぜーんぶ俺のためなのかあ、とか、思えてきちゃうんだって!
 いや、バカバカしい。バカバカしいよ! それはよくわかってる。……けど。「ひどい人じゃないかもしれない」、そう思うと、反抗的な気持ちが足元から崩れていってしまうんだった。





 アナルプラグを入れられて。
 ひょこひょこペンギン歩きになりながら。
 「ひどい人じゃないかも〜」なんて思ってる俺は、きっと大馬鹿者なんだろう……。
 情けないけど、俺自身にも、どうしても加地さんを恨んだり嫌ったりできない気持ちを、どうしようもなかった。








つづく

My shinny day2 JUNK部屋連載10話〜20話
一部加筆修正して掲載


 


Next
Novels Top
Home