My shinny day 12 - 蜜月 -

 



 加地さんにぎゅっと抱き寄せられた。
 俺は加地さんの肩に頭を押し付けながら、両腕を加地さんの背に回す。力をこめて抱き返した。
 おかしいだろうか。ヤクザの囲われ者になったのが嬉しいなんて、おかしいだろうか。
 でも涙が止まらない。
 もうほかの男に抱かれることはない。もう加地さん以外の男の人に抱かれることはないんだと思ったら、涙が止まらなかった。
「……おい。スーツがぐしょぐしょだぞ」
 加地さんの胸が笑いに揺れている。
「おまえは俺のものになるのが、そんなにイヤか」
「ちげーよっ!」
 俺は鼻を垂らしながら叫んでいた。
「イヤなんて一言も言ってない!」
「そうか。ちがうか」
 加地さんの目が優しく笑って俺を見下ろす。
「じゃあ、なんで泣くのか、教えてくれ」
 ……このオヤジは。
「……う、うれしいからだよっ! 悪いかっ! 加地さんとこに戻って来れて、加地さんだけのものになれて、うれしいんだよっ!」
 たぶん、俺は真っ赤になっていたと思う。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、俺は怒鳴った。うれしいんだと。
「そうか」
 満足そうに加地さんが笑う。
 その手が優しく俺の涙をすくった。
「……でも泣かれるのは困るな。おまえは今まであまり泣かなかっただろう? どうしたら泣き止んでくれるのか、わからないのは困るな」
 ……このオヤジ、今度はなにを言い出す?
 見当がつかなくて、いぶかしげに見返すと、加地さんの笑みに、なんていうんだろう、エロっぽいものが混ざってきたように見えた。
「どうやったら泣き止むのか、教えてくれないか。キスすればいいのか、抱き締めればいいのか、子守唄でも歌えばいいのか」
 ああああ。もう。あくまでも俺に言わせたいのか。
 客との駆け引きなら加地さんに教えてもらった。けど、今まで誰も、俺に恋愛の駆け引きは教えてくれなかった。セックスを盛り上げるための駆け引きじゃなくて、想いを伝え合う駆け引き。恥じらいや熱さを、伝えて伝えられるやりとりに、俺は不慣れだった。顔が熱い。
「ん? どうすればいい?」
 意地悪なオヤジがやんわりと追い詰めてくる。
「キ……」
「ん?」
 “しつけ”の中にただひとつ入っていなかった性行為。客にも求められなかったし、ハーキムに求められたときも、俺はやんわりかわしていたから、男同士でまだ一度もしたことがない性行為。
「……キス……」
 『フェラなら得意だよ?』なんてセリフを平気で口にしていた俺なのに。キスひとつねだるのに、なんでこんなに緊張するんだろう? だけど加地さんはどこまでも意地悪だった。
「聞こえない」
「キス!」
 ヤケになって俺は大声で言っていた。
「キスしてキスしてキスして!」
 言葉が終わるより早く、後頭部をぐっと持ち上げるようにされた。俺の頭を手で固定しておいて、加地さんの顔が俺の顔に重なってきた――





 少しかさついた唇だった。
 それはいやらしく蠢いて俺の唇を吸い上げ、啄ばんだ。
 その唇が少し離れていく気配があって、俺が小休止にふっと息をつこうとしたその時、濡れた肉塊がぬるりと俺の口の中に入り込んできた。
 舌。
 加地さんの舌が俺の唇を割って、俺の口中に入ってきていた。
「ん……」
 煙草の匂いの苦味が舌を刺す。
 舌は縦横に俺の口の中を嘗め回し、俺の舌を見つけるとねっとりと絡んできた。
「……っん……」
 商売上ではなかったとは言え、俺にだってキスの経験はあったけれど、それは可愛い女の子との可愛いキスで。
 舌で舌をこするような、舌で舌を嘗めるような、そんないやらしいキスは初めてで。
 俺は息が上がりそうになった。
 唇いっぱいに吸い上げられ、舌は俺の口腔を蹂躙していく。
 その濃さと激しさに、俺は無意識に加地さんのスーツを握り締めていた。
「……ん、ふ……」
 鼻から抜ける息が甘い色を帯びている。
 俺の膝から力が抜け、あと少しでぐずぐずと座り込んでしまいそうになった時、ようやく加地さんの唇が離れた。
「……遼雅」
「加地さん……」
 互いの瞳を見つめ合う。
「すごくすごくすごく、好き」
 口から自然に言葉がこぼれていた。
「加地さん、大好き」
「……あまり煽ると、自分が困るぞ」
 俺は少し顎を引いて上目遣いになる。
「……困らせてよ」
「……その言葉、忘れるな」


 そのまま寝室になだれこんだ。
 “しつけ”じゃない。本気の加地さんに、俺は翻弄された。
 俺の性感帯を開発するためじゃない、客を悦ばせるテクを教えるためでもない。そして、誰とも知らぬ男に抱かれた俺を責めるためでもない。
 加地さんが音たてて俺の喉元を吸う。首筋に歯を立てる。
 ――もう、どんな跡がついてもいいんだ。
 それだけのことがどうしてこんなに嬉しいのか。
 この男一人のものになったと感じられるのが、どうしてこんなに嬉しいのか。
「か、ち……さん……」
 逞しい、筋肉が引き締まってる背中に手を回す。
 どれほど乱暴に求められてもいい、どれほど強引に嬲られてもいい。
 俺はこの男のものだから……。
 加地さんに抱き締められるままに俺は背をしならせ、加地さんに愛撫されるままに喘いだ。
「どうした」
 加地さんが意地悪く笑う。
「今日はえらく感度がいいじゃないか」
「か、加地さんこそ」
 俺は負けずに言い返す。
「今日はいつもより元気じゃん」
 にっと加地さんは唇をゆがめて笑った。
「おまえ、俺の本当の元気さを知らないだろう」
「うん。知らない」
 俺は手を伸ばして加地さんの頬を両手で挟んだ。
「俺はしつけをしてくれてる、店のオーナーの加地さんしか、知らない。まだ、本当の加地さんを知らない」
 加地さんのひとつだけの目が、きゅっと細くなった。
「……知りたいか? 本当に、全部?」
 黙ってうなずいて応えると、加地さんはゆっくりと身を起こした。
 手を眼帯に添える。
 ゆっくりと黒い眼帯が持ち上がった。
 初めて見た加地さんの左目は、閉じたままの瞼の上を、引き攣れた傷跡が縦に走っていた。
「…………」
 指でそっとその目を撫でると、
「気持ち悪くないか」
 そう聞かれた。
「全然。……眼帯ないほうが、加地さん、ハンサムだ」
「……俺はこれから、おまえになんでも見せてやる」
 加地さんは静かな声で俺に告げた。
「俺の本当も全部、おまえに教えてやる」
「……そうこなくちゃ」
 ふっと加地さんの笑いが深くなった。
「……おまえの、そういうところが……」
 後半は抱き締められたせいで、くぐもって聞こえなかった。
 けれど、痛いほどの抱擁が言葉を補ってくれる。
 加地さんは、俺を好きでいてくれると思う。
 指を詰めるほどに。自分の本当をさらしてくれるほどに。
 そのことが身が震えるほどにうれしかった。
 俺は自分から脚を開いて、その間に加地さんの躯を挟みこんだ。
「……がっつくな」
 俺の片足を持ち上げながら加地さんはにやりと笑った。
「泣くほど、くれてやる」
 直後。
 アナルに重い圧力が加わった。
「ああッ……う!」
 たださえ大きな加地さんのモノは、茎に真珠が入れてあるせいで、なおのこと刺激的な形状になっている。
 ズ……ズ、ズ……
 貫入が脳天にまで響く。
「あ! ああ、ひあっ! う、んッ! んーっ」
 カラダがソコから蕩け出す。
 ジンジンした熱さと疼きが、全身を爛れさせるようで、俺はたまらず声をあげ、身をよじった。
 堅くて太くて長いものが下の口から体内へと突きこまれる。ずるりと引き抜かれ、さらに奥を狙って押し込まれる。
「い、ああン……! はぅ、んー、んー! アアア……っ」 
 肉を穿たれる、甘美な苦痛と圧倒的な快感。
「ふあっ……あッあッ、ううんッ! だ、だめ、も……!」
「なにがだめだ」
 乱れた息の下、加地さんが荒く囁く。
「泣くほど、くれてやると言ったろう」
 ギリギリまで引き抜かれたと思ったら、上から体重をかけて一気に貫かれた。
「うーーーっ!!」
 たぶん、その瞬間、涙が出たと思う。
「こうして……やりたかった。おまえをほかの男に抱かせてる間……ずっと……こうして……」
 加地さんは深く激しく、俺を穿ち続けた。
 俺は最奥に加地さんを叩きこまれる度に全身に散る溶岩に身を焼かれ、加地さんがギリギリまで出て行くたびに全身に走る痺れに肌を震わせた。
 ――その、すべてが……俺を蹂躙し、むさぼっていく加地さんの行為すべてが……俺はうれしかった。守りたいものなんて、もうなにもなかった。
 俺は感じるままに声を上げ、身を捩り、加地さんにすがり……そして、何度も達した。


 何度目に、俺が真っ白になった時だったろう。
 加地さんの躯にも、細かな震えが走ったように見え、加地さんがゆっくりと俺に覆いかぶさってきた。
「加地さ……」
「りょうが……」
 上と下で、肌をぴったりとくっつけあって抱きあう。
「愛してる」
 ふたつの口から同時に、同じ言葉がこぼれ、俺たちは整わない呼吸のまま、小さく吹き出したんだった。





 その一ヵ月後の日曜日、俺は加地さんの勧めもあって、初めて家に帰ってみた。
 家に近づくと、ちょうど門から出てくる人影があった。
「え」
 姉貴だった。
 その腕に見慣れたロゴで、見慣れぬデザインのバッグがぶら下がっているのを見て、俺の中でなにかが切れた。
「ただいま、ねえちゃん」
 俺はにっこり笑顔で姉貴に挨拶した。
「りょ、遼雅……?」
「おやじら、いる?」
 案内を待つまでもない、自分の家だ。
 俺は目を丸くしている姉貴を置いて、さっさと家の中へと入って行った。
「だってヨーロッパよ? 一週間じゃなにも見てこれないじゃない……」
 リビングから母親の声がしている。
「なにがヨーロッパだよ?」
 俺がずかずかとリビングに入っていくと、ソファに座っていたおやじとおふくろがやっぱり鳩が豆鉄砲くらったような顔で見上げてきた。その二人の間のテーブルに広げられている旅行パンフレットを見て、ぶちっ! 再度、俺の中でなにかが切れた。
「は? なに? 旅行?」
 凍ったような二人の間から俺はパンフレットを取り上げると、にっこり母親を振り返った。
「ねえ、おかあさん、海外旅行? 俺がいないのに?」
「ち、ちがうの! これは……」
 慌てて俺からパンフレットを取り戻そうとする母親の手を軽くよけ、俺は極上の笑みを作った。
「どういうこと? 俺をヤクザの元に差し出して、ヨーロッパって?」
「だ、だからちがうの! これは車を一台手放したから……」
「おまえは元気でやってると聞いてたんだ! もちろん心配は……」
 俺は今度は父親を振り返った。
「心配してくれてたんだ。ごめんねえ。でも余った金ができたなら、俺を迎えに来て欲しかったなあ」
 大事な家族だった。
 加地さんが来る前までは。俺はとうさんもかあさんも姉貴も、嫌いじゃなかった。
 だけど……。
「見栄のために息子をヤクザに売っといて、新しいバッグとか旅行とか、ありえなくない?」
「売ったなんて……そんな……! おかあさんたちは遼雅にいい仕事口があるって聞いたから……!」
 ヒステリックに高くなった母親の声を俺はさえぎった。
「どんな仕事か、確かめた?」
 俺は着ていたジャケットのポケットから8ミリテープのカセットを取り出した。
「デッキ、あったよね? 見てみてよ、俺の働きぶり」
 それは加地さんの所に戻って数日後、ヒデが俺に渡してくれたものだった。店に出る前に、加地さんの兄貴分たちに「味見」をされた時の一部始終を収めてあるテープ。
 『遼雅さんはもう、店のボーイじゃないっすから』と、ヒデがくれたものだった。
「親父。おふくろも悪いけど、一番悪いのはあんただよ。俺の稼ぎのなかでやりくりしろってあんたがしっかり押さえててくれたら、うちは借金なんて作らずにすんだんだ」
 言葉もなくうなだれる父親から、視線を母親に移す。
「けど、あんたもひどいよな。息子より旅行かよ。姉貴も新しいバッグ持ってたよな。最低だ、あんたら」
 来る前に、俺は加地さんに言っていた。もしかしたら、これで家族の縁を切ってくるかもしれないと。それでもテープを親に見せるつもりはなかった。それはあまりにむごいだろうと思ったからだ。
 ……だけど。
「――本当に最低だ、おまえら。……二度と会わない」
 言い捨ててぷいっと踵を返す。迷うこともなく玄関に出てくると、母親が「遼雅あっ!」と半泣きで追いかけてきた。
「りょ、旅行! あなたも一緒に行けるから……!」
 ざけんじゃねーよ。
 もうそれを言うのさえ億劫だった。
 玄関にバカラの花瓶が置いてある。目のある人は必ず褒めてくれると、いつか母親が自慢していたものだ。俺はその花瓶を持ち上げると、思い切り三和土(たたき)に向かって投げ下ろした。
 ガラスの割れる派手な音。
「きゃあっ!」
「二度とあんたをおふくろとは呼ばないから」
 俺はそれだけ言うと、泣き続ける母親を置いて家を出た。
 どれほども行かないうちに、すーっと黒塗りのセダンが俺の横に並んでくる。
「どうだった」
 後部座席に乗り込むと、奥に座っていた加地さんに静かな声でそう尋ねられた。
「うん、縁を切ってきた。……最低だ、あいつら」
「……まあ、そもそものきっかけはこっちなんだが」
「新しいバッグに旅行だってさ。……なんかもう、あほらしくて……」
 運転席からバックミラーを使って、ヒデも心配そうに俺を見てくる。
 俺はスンと鼻をすすりあげた。
「……ねえ、俺、ずっと加地さんとこにいていいんだろ? 加地さんとはずっとずっと一緒でいいんだよね?」
「もちろんだ」
 加地さんが俺の手を握ってくれる。
「そうっすよ! なんのために兄貴がエンコつめたか……」
「いいから、ヒデ」
 苦笑気味に加地さんがヒデに声をかける。
「おまえは運転に集中していろ。しばらく後ろはドアミラーで確認しろよ」
 ヒデにそう命じておいて、加地さんは優しく俺の頭を撫でてくれた。
 ……しょうがないなと思うんだけど。
 嬉しい。そうして、大事にされると感じられること。加地さんの肌のあたたかさを感じられること。
 忠実なヒデが言いつけを守ってくれるだろうことを前提に……俺は加地さんのキスを受けた。
 いたわるようなキスに、心がふわりとほどけるようだった。





 俺は……大事なものをいろいろとなくしたのかもしれない。
 あたりまえの高校生活だとか、あたりまえの家庭生活だとか。
 それに……ひどい目にもたくさんあったのかもしれない。
 強姦だとか、輪姦だとか、意地悪だとか、客を取ることとか。
 だけど……。
 そのどれが欠けても、俺は加地さんとこうはなっていなかったかもしれないと思うと……俺はこれでよかったんだと言えてしまう。
 なにを失ったにしても。どんな目に合ったにしても。
 隻眼のヤクザに抱き締められる瞬間、俺はうれしさに身震いする。ほかの誰もくれない、至福のとき。
 俺の境遇を理解し、同情と愛情を示してくれたハーキムからは得られなかったもの。それは好きな人に好きと言ってもらえる幸福だったのだと思う。
「好き」
 優しいキスに酔いながら、俺は息だけでそっと小さく呟いた。













でも、
つづく





 

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