My shinny day 5 - 制裁 -

 



 突然の事故の後って、自分の躯のどこが痛いのか、どこがどうなっているのか、わからない。
 その時の俺もそうだった。
 建物の脇に、らせん状に取り付けられた鉄製の階段をごろごろと下まで転げ落ちて、俺は自分の身体がどうなったか、とっさにわからなかった。
「……うう……」
 とにかく少しでも躯を動かそうとすると鈍い痛みや鋭い痛みがいっせいに走り、俺は転げ落ちた態勢のまま、みじめに呻いた。
 そんな俺に、
「おまえなんか死ねばいい!」
 上から、憎悪に満ちた声が浴びせられた。
 ……達哉?
 突き飛ばされたことも信じられなかったけれど、今まで聞いたこともない剥き出しの敵意と嫌悪に満ちた声も、達哉の声だとは信じられなかった。
 俺はなんとかカーブを描いている階段を見上げた。達哉は俺の姿が見えるところまで降りてきていた。憎しみに満ちたその表情に、背筋が凍る。
「おまえなんか、死ね!」
 もう一度繰り返すと、達哉は起き上がることもできずに呻いている俺に背中を向けた。





 死ね、なんて。
 小学生のケンカみたいなセリフ、久しぶりに聞いた気がする。
 憎々しげな、視線、声、言葉。それは達哉の憎悪を、俺にさえ確信させた。
「……人に死ねって言っちゃ、いけないんだぞ……」
 俺はもう姿の見えない達哉に弱々しく呟くと、なんとか躯を起そうと肘をついた。躯のあちこちがひどく痛かったけれど、それでも、ゆっくり動かせば、なんとか立ち上がることができた。
 気は進まなかったけれど。
 このまま帰るわけにもいかなかった。
 俺はよろよろとよろめきながら、這うように階段を上った。とにかく一度、店に戻ろう。そう思って。
 だけど、非常階段の扉を開け、店の裏口を開いた俺は、そこで思わず脚を止めた。
 強いアルコールの匂いに満ち、ガラス破片が散乱した店内。
 ついさっき、達哉と並んで後にしたときにはいつもとおり整えられていた店内が見るも無残に荒れていた。
 そして。酒瓶の破片や店内のものが散らばる床の中央には、マネージャーに馬乗りになられた達哉の姿があった。
 奥のドアが開き、ボーイたちも心配そうに店内をうかがっている。
「どういうつもりだっ! えっ!」
 いつもは穏やかに、囁くような声しか出さないマネージャーが、ドスのきいた声で達也を怒鳴りつけた。
「答えろ、達哉っ! ふざけたマネしやがって!」
 背中に膝で乗り上げられ、片腕をぐっと後ろに引かれた態勢で床に押さえ込まれている達哉は、なにも言わない。
「店ぇ、潰す気かっ!」
 店内は本当にひどい有様だった。
 カウンターの奥のバック棚にあった酒瓶やグラスはほとんどが床に落とされ、割れていた。単になぎ倒して落としただけじゃないんだろう、高価な酒瓶のほとんどが粉々に砕けてて、カーペットにはウィスキーやブランデーが濃い染みを作っている。ボックス席の椅子やテーブルも放り出され、グリーンもなぎ倒されていて、ひどかった。
「なんとか言ってみろ、達哉っ!」
 マネージャーの怒声が荒らされた店内に響く。
 ……達哉が大暴れした……? どうして……?
 俺は呆然と、自分の痛みも忘れて立ち尽くしていた。
 俺がぼうっとしてたのは、ほんの数分だったと思うんだけど。
「どうした!」
 店の表のドアが開いて大股に加地さんが入って来た。店内の惨状にその眉間にぐっとしわが寄る。
 厳しい視線でぐるっと店内を見回していた加地さんの視線が、裏口にたたずんでいた俺のところで止まった。そのとたんだった。
「アイツのことなんか見ないでよ!」
 達哉の悲鳴のような声が響いた。
 加地さんは床の上に押さえつけられ、必死に首だけ上げようとしてる達哉を怖いような目で見下ろす。
「……なんのマネだ、達哉」
 ドスのきいた声って、こういう声のことを言うんだろうか。俺なんかこんな声で質問されたらブルッちゃいそうな低音の凄みのある声で加地さんが達哉に迫る。
 だけど。
「おれ…おれ、全然ダメだろ? こんなことして、店に出しとけないでしょ? ねえ、加地さん、おれ、ダメでしょ?」
 達哉は笑みさえ浮かべて加地さんに訴えて。
 なに? 達哉はなにを言ってるんだ? 俺にはワケがわからなかったんだけど……だけど……。
「ねえ、加地さん、おれ、ダメでしょ? ね、だったら、しつけをやり直してよ、ねえ、おれをまたしつけてよ」
 しつけのやり直し。
 その一言を聞いたとたん、全身から力が抜けるような気がした。
 わかったんだ。
 達哉がなにを望んでいたか。なぜ俺を階段から突き落としたのか。
 俺はぐらりと来た躯を後ろのドアにもたせかけた。
 ――そういうことなのか……そういうことなのか……。
 呆然も通り越して、もう躯に力が入らない。力なく後ろのドアにもたれた俺の目の前で、達哉が加地さんに腕を引っつかんで引き上げられている。
 と。
 加地さんの腕がたわんだと思うと、ばしってすごい音とともに、達哉の躯が吹っ飛んだ。思い切りの平手打ちに、割れた酒瓶の間に達哉が倒れこむ。
「おまえたち、」
 倒れた達哉をまた乱暴に引っ張りながら、加地さんが声を張り上げた。
「店を片付けろ! ヒデ! おまえは残って水野を手伝え」
 加地さんの指示のもと、マネージャーの水野さんがボーイたちを使って荒れた店内を片付けだした。ヒデもてきぱきと動き出す。
 そして達哉は加地さんに連れられて店を出て行った。
 俺ものろのろとみんなを手伝おうとしたんだけど……。
「……って!」
 かがもうとしただけで、足首や腰や、いろんなところに一度に痛みが走った。忘れていた痛みがぶり返していた。
「遼雅さん?」
 ヒデが慌てて駆け寄ってきてくれる。
「どうしたんですか、顔とかすりむいてるじゃないですか!」
「か、階段から落ちて……」
 ウソじゃない部分だけを俺は答えた。
「大丈夫なんですか! とりあえず見せてください」
 大丈夫、と言い張るには痛みがひどくて、俺は素直にボーイたちが着替えなんかをする小部屋に入って行った。
 マジックミラーのついた部屋が客に見られるための舞台だとしたら、そこは楽屋裏みたいな場所だった。安っぽい、タバコの焼け焦げの後があるベンチや傾きかけたテーブルやカギの壊れたロッカーが狭い部屋にごたごたと置いてある部屋。
 そこのベンチに腰掛けて、俺はヒデにケガを見てもらった。
「ああ、骨はどこも折れてませんね、よかった」
 ヒデの、ほとんど真っ白の、ツンツンたった髪が俺の目の前でひょこひょこするのを見ながら、俺はほとんど無意識に口を開いていた。
「達哉は加地さんのことが好きなんだ」
 その俺の言葉に応えて、
「そうだよ、達哉は加地さんに本気だったんだ」
 思わぬ方向から声がした。
 振り向くと、入り口にボーイ仲間の暁が腕組みをして立っていた。口調だけじゃない、顔にも不機嫌を刻んで。
「達哉はもうすぐ借金もなくなって、そしたら、加地さんも付き合ってくれるかもしれないって思ってた。自分が商品じゃなくなったら、加地さんと付き合えるかもしれないって、達哉は思ってたんだ。
 おまえがめちゃくちゃにしたんだ、全部。あいつ、もうすぐ自由になれるはずだったのに」
 そんなこと、俺は知らない。そう言い返したいけど出来ない俺の代わりに、
「遼雅さんは関係ないでしょう」
 ヒデが湿布を貼る手を止めて、そう言ってくれた。けど。
「関係ないわけないだろ!」
 暁は怒鳴った。
「そいつが悪いんだよ、そいつが! 加地さんにべたべたして取り入って、自分だけ特別って顔して、しつけが終わっても加地さんとこにべったりして……そいつのせいで、達哉があんなマネしたんだ!」
 糾弾に俺はうなだれた。俺のせいじゃない、俺のせいじゃない。……だけど、きっと……俺が来なきゃ、こんなことにはなってなかった……。
「借金返し終わったら、達哉は加地さんにはっきり告白するって言ってたんだ! だけど受け入れてもらえなかったら、店にもいられなくなるのかなあって。いっそのこと、借金がまた増えればいいのにって、達哉は言ってたんだ!」
 知らない知らない。俺はそんなこと知らない。
 耳を、ふさぎたくなった。
 俺は、俺は加地さんのことが嫌いじゃない。いや……もしかしたら、好き、なのかもしれない。
 この店にいる男の子たち全員が加地さんに「しつけ」を受けたんだと聞いて……そうだ、その時俺の中に湧いたドス黒いものは嫉妬だ。
 店で買われたお客さんに抱かれてるときだって、俺はどこかで加地さんのことを想ってる。抱いてる客の向こうに、加地さんがいる。
 

 だけど……。


 加地さんがほかの子に優しくしたりしたら、俺はその子を階段から突き飛ばしたいと思うだろうか。加地さんと別れるのがつらくて、逆に借金がかさむようなマネをするだろうか。
 わからない、わからない。
 俺は確かに加地さんのことが好きだけど。
 でも。
 あんなマネまでせずにいられなかった達哉の気持ちは、わからない。
 達哉は俺なんか及びもつかないほど、加地さんのことが好きなんだろうか……?
 答えの出ないその問いを、俺は持て余した。


 その日、店は臨時休業になった。


 店に残っていたヒデが、
「遼雅さん、帰りましょう」
 って言ってくれたけど。
 俺は店を出ようとしていた暁を追うと、そのシャツをつかんだ。
「お、俺も! 俺も連れてってくれないか? 暁たちへの部屋へ!」
 はあ?と振り返った暁に、俺は懸命に言い募った。
「連れてってくれよ! だって、店の子はみんな一緒に暮らしてるんだろ!? 俺だって一緒がいいよ! 一緒に連れて帰ってよ!」
 ヒデが慌てて、
「遼雅さん!」
 と腕をつかんできたけど、無視した。
「なあ! 頼むよ!」
 俺は必死だった。加地さんの部屋にはもう帰りたくなかった。帰っちゃいけないと思った。あそこまでした達哉の気持ちが俺にはわからないのに……なのに、加地さんの部屋で加地さんの腕に包まれて眠るなんて……そんなことはしちゃいけいないような気がした。
 暁は不機嫌そうに細めた目で俺を見ていたけれど、やがて、
「……おまえ、イビられっぞ?」
 低く言った。
「いいよ! 全然かまわない!」
 それでも暁はしばらく俺の顔をなにかはかるように見ていたけれど。
「……ついてきな」
 そう言ってくれた。
 俺は俺を止めようとするヒデの手を振り切ると、暁と一緒に店を出たんだった。





 いびられるぞって暁は言ったけれど。
 同じ部屋で寝泊りしている6人は、ぼくの顔を見ても特別イヤな顔はしなかった。お風呂は順番に入るとか、部屋の掃除は当番制だとか、台所は勝手に使うけど冷蔵庫の中の食材は名前を書いておくんだとか、暁がざっと部屋のルールを説明してくれて、あとは自由に過ごせばいいらしかった。
 みんな、思い思いにマットや布団の上で、ゲームしたりテレビ見たり雑誌を読んでごろごろしている。ぼくがヒマそうにしていたら、
「読む?」
 店では口をきいたことがなかったツトムという子が漫画を差し出してきた。
「あ、うん。ありがと」
 受け取って、寝転んでるツトムの横に腰を下ろした。
「……おまえ、湿布くさいな」
「うん。あちこち貼ってるから」
「達哉に階段から突き落とされたって?」
 答えずにいたら、ツトムも黙って広げてる雑誌に目を戻した。――俺が黙っていても、ツトムは答えを知っているようだった。
「あれはやりすぎだよな……」
 ツトムは呟き、やっぱり俺は黙っていた。
 そんなふうに、ぼくはその部屋に受け入れてもらったんだけど……。





 達哉が騒ぎを起して三日目だった。
 ぼくたちはその日、いつもより一時間早く店に出るように言われて。
 店に行ったら、もう加地さんとヒデがいて。
 俺たちはいつもの、マジックミラーのついた広い部屋に入れられた。
 固い顔をしたヒデが部屋の一隅に置かれたテレビのスイッチを入れる。
 なにが始まるんだろう? 俺は見当もつかなかったけれど、
「アレか」
 俺の後ろで暁が吐き捨てるように呟いたのは聞こえた。
「え、なに?」
 振り返ったところで、
「いいか!」
 加地さんの低くてよく通る声が響いた。ドアの前に腕組みをして立つ加地さんは、ひとつしかない瞳を暗く光らせている。
「おまえたちも知っている通り、達哉は四日前、大暴れして店に大きな迷惑をかけた。達哉はそれを弁償しなければならない」
 弁償? 借金の上乗せ? そこでそう思った俺は甘かった。すっと加地さんの瞳が細くなった。
「達哉がどうやって、店にかけた被害を弁償していくのか。おまえたちもよく見ておけ」
「いやだ、ごめんなさいごめんなさい!」
 突然、テレビから達哉の声が流れてきて、俺たちは一斉にそちらを振り向いた。画面に写っていたのは、達哉の引きつった表情のアップ。
「いやだ! ごめんなさ……ひいっ!」
 ばしっと鋭い音がして、大きく達哉の顔が揺れる。
 そこでカメラが後ろに引いて、達哉の全身と部屋の様子が見えるようになった。
 達哉は全裸で天井から吊り下げられ、その背後にはラバー製の黒い装束に身を包み、顔には目の部分を覆うマスクをつけた男が、先が何本かにばらけた鞭を持って立っていた。男が鞭を振り上げる。
 バシッ!
 またさっきの音がして、
「ぎゃあっ!」
 達哉の悲鳴が響いた。
「やめて、やめてっ! もうっ!」
 部屋に響く達哉の哀願の声。
 カメラが達哉の背後に回りこむと、その背にはもう幾筋もの赤い条痕が痛々しく走っている。
「まだ口のききかたがわからないのか」
 黒装束の男のものらしい声が言った。
「おまえは主人に命令するのか。このブタが!」
 またバシリと鋭い音が響いて傷だらけの背が揺れた。
「……ご、ご主人様……お、お許し下さいぃ……」
 胸をえぐられるような達哉の悲痛な声と、陰惨な場面。俺たちはぴくりとも動けなくなっていた。
 それからさらに何度か黒い鞭が達哉の背に打ち下ろされ、そのたび、耳を覆いたくなるような達哉の悲鳴が響き、画面の中の達哉の躯が大きく跳ねた。
 ラバー装束の男が達哉の前に回りこむ。
 ぐいっと顎を上げさせられた達哉の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
「どうだ。少しは口のきき方を覚えたか」
 こくこくと達哉がうなずく。
「ご主人様……ご主人様……」
「そうだ。いい奴隷はいつでも、ご主人様に従順なんだ」
「…………」
「……返事のないおまえは、まだいい奴隷ではないな」
 達哉の目に焦りが浮かんだ。
「ご、ごめんなさい、ご主人様! ごめんなさいぃ…!」
「おまえが前いた店とここはまったくちがうのだということを、おまえはもっと知らねばならん」
 男は冷たく言い放ち、
「這わせろ」
 背後にいるらしい男に命じた。
 なにが起こるんだろう…不安と恐怖でぼくたちは誰一人として声を上げることさえできなかった。
 部屋の中はテレビから聞こえる達哉のすすり泣きと男の命令を下す声、なにか道具が触れ合う音しかない。
 画面に突然、すごく大きな注射器が現れた。
 ぞっと寒気がした。
 その注射器は『しつけ』の中で見ることを強要されたAVビデオの中にも出てきたことがある。イル……なんとかって言うんだ。下着に似た名前。
「さあ。正しい奴隷の第一歩はまずは清潔を心がけることだ。今日は俺がおまえの臭い腹の中を綺麗にしてやろう」
 男のセリフに鳥肌が立つ。
 まさか? まさか……!
 俺はぎくしゃくとドアの前に立つ加地さんのほうを振り向こうとした。
 まさか加地さん、そんなひどいこと、しないよね……?
俺は必死な思いで加地さんを振り向いた。
 加地さんは、そんなこと、させる人じゃないよね?
 だけど。
 ドアに背もたれて、腕組みをした加地さんは、厳しい表情のまま、じっとテレビ画面を見ているばかりで。俺が振り返っていることに気づいているのか、気づいていないのか、その表情からはうかがい知ることができない。
「か……」
 思わず加地さんに呼びかけようとした俺の声は、
「いやだあっ!」
 達哉の叫びにかき消された。
 テレビの中では、細いベンチみたいな椅子の上で、達哉が引っくり返されたカエルのような格好に手足を固定されていた。
 黒ラバーの男がシリンダーがしっかり押し込まれた注射器を達哉の足の間から抜き取る。
「プラグ」
 男の声に、画面にアナルプラグが現れる。それはアップになった達哉のアナルの襞の間に、ゆっくりと押し込まれて行って……。
「いやだ……やだ……ご、ごめんなさい、ご主人様っ! ゆ、許して下さいっ!」
 達哉の震える声が言い、青ざめ、額に脂汗の浮き出した顔が、拡げられた脚の間からカメラに映し出された。
「……やめろよ、もう……」
 気が付いたら俺は口走っていた。躯が勝手に動いた。
「やめろやめろっ! こんなん、見たくねーよ!!」
 テレビ、消さなけりゃ!
 その時の俺にはそれしかなかった。
 達哉の味合わされた苦痛はどれほどのものだったろう。その恥辱はどれほどのものだったろう。その上に、仲間であり、もしかしたら友人でもあった人間にこんな姿を見られるなんて、ひどすぎる!
 俺はテレビに取り付き、電源を落とそうとした。だけど。
「ダメです!」
 スイッチに手が届く寸前、俺の躯は、細いけれどがっしりした躯に押し止められていた。
 その俺の耳に、


 ビッシャー!


 派手に液体が噴射されるような音が届いた。
 暁がぎゅっと目をつぶってテレビ画面から顔をそむけるのが目に入る。
 ほかにも部屋にいる少年たちは、一様に顔を強張らせ、ぎこちなく視線をテレビから外している。
 その室内の強張った空気ごと嘲笑うように、
「締まりの悪いシリだな。まだじゅるじゅる出てるぞ」
 男の声がスピーカーからまた響く。
「さあ。二本目だ。おまえの腹の中を今日は徹底的に綺麗にしてやるからな」
 俺は思わずテレビを見た。
 達哉の脚の間の茶色いドロドロと、うつろな視線を宙にさまよわせている達哉の茫然とした表情が一度に目に入る。
 その達哉の顔の前に差し出される二本目の巨大注射器……。
 俺の中でなにかが切れた。


「達哉がなにをしたんだよっ!」


 ヒデを押しのけ、俺は加地さんに向かって叫んだ。
「達哉がなにをしたんだよっ! 達哉は加地さんのことが好きだったんじゃないか! 加地さんのことが好きだっただけじゃないかっ!」
 加地さんの隻眼が一瞬だけ、冷たく俺を見た。そして、
「いいか!」
 加地さんは声を張った。
「よく見ておけ! 店に迷惑をかけたらどうなるか。どんな目に遭うか。いいか。おまえたちは商品だ。店に損をかけるような商品がどんなことになるか、よく覚えておけ」
 部屋の一角から静かにすすり泣きが聞こえ出した。
 ひどいと思った。――ひどすぎるよ、加地さん……。
 部屋をひとわたり見回した加地さんと、加地さんを非難を込めて睨んでいた俺の目が合う。
 きゅっと加地さんの瞳は細くなったけれど、その声は変わらず冷ややかで厳しかった。

「……いいか。商品には好きだの恋だの、言う権利はない」

 その言葉に、全身から力が抜けるような気分に襲われた。――俺たちには、好きだの、恋だの、言う権利はない……。
 誰が泣いているのか、すすり泣きの声がいっそう大きくなる。
 俺には泣く気力も、それだけの感情も湧かなかった。
 ふらふらと壁に寄り、俺はずるずるとしゃがみこんだ。
「最後まで、しっかり見ておけ」
 これ以上ない残酷な命令を残して、加地さんは部屋を出て行った。
 代わりにヒデが、たぶん見張り役なんだろう、ドアのところに立つ。

 部屋にはすすり泣きと、達哉の悲鳴だけが満ちた。



つづく

My shinny day5 JUNK部屋連載46話〜56話
一部加筆修正して掲載


 

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