My shinny day 7 - 異国の人 -

 



 その日、ボックス席に呼び出されたときも、俺の頭には客に気に入られて売り上げを伸ばすことしかなかった。
  店の一番奥の、円形のテーブルを囲んで革張りのソファが並べられてるそのスペースは、いわゆる一流どころの人間が客に多いこの店でも 特に格が高い客にしか使われない。俺だってその席に呼ばれたことは今までに数度しかなかった。
 政治家さんかな、それともどっか 大きな企業の社長さんかな。俺は尋ねるつもりでマネージャーの顔を見上げたけれど、マネージャーは行ってみればわかるからと目配せする ばかり。
 自分の素性をぎりぎりまで隠しておきたがるのも、店では珍しいことじゃなかったから、俺はさして気に止めず、
「初めまして」
 と、パーティション代わりのグリーンを回り込んで挨拶した。
 ぺこん、とお辞儀して顔を上げて……驚いた。
 円形のソファをほぼ占領して、ずらり、濃ゆい顔にヒゲをたくわえたアラブな男達が並んでいたからだ。
“Hello.”
  一番奥まった席にいた男が声をかけてくる。
 見た目、男達の中で一番若そうなその男は、店内の薄暗い照明の元でも、さらに言えば、 頬から下をヒゲで覆わせていても、はっきりわかるほど、男らしくも美しい顔立ちをしていた。
 ――俺の勘は俺を助けてくれたことは一度もない。
 加地さんが真っ黒なセダンを家の前に乗り付けたときと同じで……俺には これからの展開を予感することはまるでできなかった。





『こんにちは。遼雅と言います』
 とっさに英語に切り替えて、俺は中央の男に向かい、にっこり挨拶していた。
 と、男のヒゲに覆われた顔に、なにか驚きの色が走った。
 傍らの男にアラビア語だろうか、あまり聞きなれないトーンの言葉で早口に何か言う。一番端に座っている男が素早く立ち上がると、 俺の横をすり抜けて、
「マネージャー!」
 大声でマネージャーを呼んだ。
「はい」
 慌てて飛んできたマネージャーに向かい、男はアラビア語なまりの英語で切り出した。
『我々は児童虐待をするつもりはない。18歳以上のプロしかいないと聞いてこの店に来た。なぜ彼のような子どもがここにいるのか。 これは問題だ』
 クレームをつける口調で、なまりのある英語はひどく聞き取りにくかったけれど、なんとか意味は汲み取れた。
 ……って、え? 子どもって、俺?
「ぱ、ぱーどん? もあすろうりぃ、ぷりーず」
 マネージャーが聞き直していたけれど、俺はずいっと一歩前へ出た。
『日本人は、実際の年齢より若く見られます、時々……しばしば。ぼくは大丈夫です。ぼくは18歳です。高校生でした』
 久しぶりに使う英語でつっかえつっかえだったけれど、なんとか相手の誤解を解こうとしてみた。
『おや』
 中央の男の目が輝いた。
『君は英語が使えるのか』
 明るく強い光を放つ黒い瞳が、まっすぐにぼくに向けられた。
『に、日常会話は大丈夫でしょう……と、思います、たぶん』
 英検2級、TOEIC600点台の英語力を駆使して俺は答えた。
 なんだかんだとセレブぶりたがっていた母親に俺は幼稚園の頃から英会話の教室に通わされていた。通っていた私立高校でも英語教育に 力を入れていたから、旅行で不自由感じない程度には俺は英語が使えた。
 ……もっとも、うん、話してるときの文法は自分でもかなり 怪しい自覚はあったけど。
 あと、「おぼっちゃま」の必須アイテムとして、俺はピアノもやらされていて……高校に入る前にやめちゃった けど、トルコ行進曲程度なら、今でも弾けそうな気がする。
 いや、まあ、うん。
 尻の穴にチンポくわえてアンアン言ってる分には 英語もピアノも関係ないけど。うん。
『それはいい』
 男はゆったり脚を組み、膝の上に頬杖をついて俺を見つめた。
『日本人はシャイだから、なかなか積極的に我々と交流しようとしてくれないが、君はちがうようだ。ところで、君が18歳以上だというのは 本当か』
『本当です。来年には大学生です』
 この変な世界から抜け出せれば。抜け出させてもらえれば。ぼくは心の中で付け足す。
『それはいい』
 男は何度もうなずいた。
『リョウガと言ったか。わたしはあと数日しか日本にいられない。日本で素晴らしい 想い出を作りたいと思うが、その手伝いをしてくれないだろうか』
 ここはそういう店だ。男の申し出に俺は、
『はい。喜んで』
 そう答えるしかなかった。
周りを屈強なアラブ男達に取り囲まれるようにしてVIP専用エレベーターで階下へと降りる。
 特に人目につくのを嫌うお客用 の小さな出口から外に出たら、黒光りするリムジンが止まっていた。
 ……すごい、と思った。
 なにがすごいって、この新宿の ごみごみした繁華街にぺっかぺかに車体を光らせた大型高級車で乗り入れようと思うところが、だ。運転手の腕がよほどいいんだろうなあ。 狭い路地を抜けて来たんだろうに、車体には傷ひとつついてない。
 ヘンなところに感心していたら、早く乗るようにと促された。
「大丈夫だ。我々は紳士的に振る舞うことに慣れている。君の安全は保障されている」
 いや、俺は本当に車に傷がないことに感心してる だけで……と説明しようにも、「傷」を英語でなんて言うか、とっさに思い出せない。
 そしたら、アラブ男がすっと俺の耳元にかがんで きた。
「怖がらなくていい」
 すっげ優しく囁かれて。
「こ、怖がってなんかいません!」
 言い返したけれど、 「大丈夫わかっているよ風」にうなづかれて、あー……なんかキャラ誤解されてる……?
 まあいいや。
 どうせ一晩慰み者になれば、 明日の朝にはさようなら、なんだから。
 俺はそんな諦観とともに、車に乗り込んだ。





 ――連れて来られたのは……
 今までにも、うん、高そうなホテルのスイートルームとか、やっぱりやたら地価の高そうな ところでツボいくらで建ってんだよって聞きたくなるようなデラックスなマンションとかで「営業」したことあるけども。
  格式から言えば日本でも屈指のホテルのペントハウスて……。
 ゼイタクだろ。ゼイタク過ぎるだろ。
 これはあれか、 オイルマネーってやつか。
 ホテルの制服に身を包んだ、恭しい態度のコンシェルジェはもしかして部屋付きか?
 信じらんねえ。
「自分の家のつもりでくつろぎなさい」
 って言われても。
 いくら俺の家でもスーツ着た使用人が頭下げて コーヒー持って来てはくれねーぜ。
 傷一つない黒曜石っぽいテーブルトップに、ロイヤルブルーも鮮やかなカップとソーサーが音もなく置かれる。
「どうぞ」
 美男なアラブ男に勧められて、俺は彼と向かい合う形で、浅くソファに腰掛けた。
 居心地悪い俺とは裏腹、目の前の男は人に かしづかれることに慣れ切った鷹揚さで、部屋の入り口付近に立っていたほかのアラブ男達にうなずいてみせる。と、コンシェルジェを先頭に、 男達はさっと部屋を出て行った。
 リビングだけで何十畳あるんだって感じの広い部屋に、俺はアラブ男と二人きり。
 俺はひそかに 腹に力をこめた。
 どんな贅沢も俺には関係ない。
 惑うことも恐れることもない。
 こうして「客」と二人きりになったら、 俺に要求されることはひとつだけ。俺がやらなきゃいけないことはひとつだけ。
 俺はちょっと可愛らしくみえるように小首をかしげて、 「客」であるアラブ男に視線を向けた。当然、瞳にも媚を含ませて。
「お名前をうかがってもいいですか? ぼくはあなたをなんとお呼び すれば?」
「ああ。そう言えばまだ名乗っていなかったな。失礼。わたしはハーキム・アル・ジャリールという」
「じゃあ……」
 俺は目をしばたかせて、迷ってるような表情を装う。
「ミスタージャリール? それとも、ハーキムと?」
 ヒゲで覆われた ハーキムの口元に、笑みが浮かんだように見えた。そして、
「君はわたしをハーキムと呼ぶに足るだけの親密さをわたしに対して抱いている か?」
 みたいな意味のことを、逆に俺に問い返してきた。
 は?
 親密さを感じてるかって? まだ出会ってから一時間も たってない。だけど俺は男娼で、相手は客。今からすることはセックス。親密さを感じてても感じてなくても、俺は買われた相手と「親密」 なことをしなきゃならない……。
 俺がどう感じていようと、それは変わらない。こんな状況で、呼び方を選べることになんの意味がある?
 反抗的な気持ちがむくりと湧いた。


「では、ミスタージャリールとお呼びします」


 一瞬、ハーキムは目を丸くし、それから今度はにやりと笑った。
「確かに。我々はまだファーストネームで呼び合うほど親密ではない。では、君のラストネームを教えてもらえるか」
「え?」
 予想外のハーキムの返しに、今度は俺の目が丸くなった。
「ラストネームは?」
 重ねて男が聞いてくる。
  ラストネーム。俺の苗字。
 「そんなもの」を聞かれたことはついぞなかった。
「す……」
 杉山。そう答えかけて、 だけど俺はきゅっと口をつぐんだ。
 おもしろそうに俺を見ているハーキムを見返す。
「あなたはぼくをラストネームで呼ぶ必要は ありません。あなたはぼくを買ったんだから。ぼくのことは『りょうが』と呼んでください」
「……なるほど」
 ハーキムは小さく うなずいた。
「君はわたしに対してはまだ十分な親密さを感じていないという理由で『ミスタージャリール』と呼び、わたしに対しては、 ただ買われた者の記号として『リョーガ』と呼べと言うわけだな?」
 長い英文だったけど、はっきりゆっくりした発音と、シンプルな 文型のおかげで俺にも十分に意味が汲み取れた。だけど、はっきりそうやって整理されてしまうと、ちょっとあまりにビジネスライクすぎる というか、色気がないというか……。
 俺はハーキムの言葉にうなずきかけて固まった。
「よし」
 突然ハーキムが立ち上がった。
「我々には親密さが不足している」
 え、それはどういう……。戸惑っていたら、ハーキムは振り返って俺にウインクしてみせた。
「もっとフレンドリーに行かなきゃ楽しくない。だろう?」
 ヒゲ面には似合わない、軽い仕草でそう言うと、ハーキムは壁に設置 されたインターコムを鳴らした。
 ベッドに直行かと思ったら、そうでもないらしい。
 これからどうなるんだろう?
 俺はいつも客と過ごす時とはちがう展開に、珍しくも不安めいたものを覚えていた。
ハーキムの呼び出しに応えて、すぐにドアが開く。
 入って来たのは、ヒゲのアラブ男たちではなく、キャスターのついた大きな ハンガーを押した、日本人の男二人だった。
 男達は次々と、押してきたハンガーからスーツやら靴やら取り出して俺にあてがい始める。
「ディナーにはそれにふさわしいスタイルがいるだろう?」
 戸惑う俺にハーキムはそう言った。
 ……ああ、 そういうことか……。
 男達が差し出すものは、布や革の光沢と言い、シンプルながら品のあるデザインと言い、スーツもネクタイも シャツも靴も、すべてが最高級品と知れる。
 ……男娼におめかしさせて、お食事か……。
 皮肉な思いに、ふっと鼻で笑って しまうのだけはこらえたけれど、それでも、
「イライザみたいだな」
 そう俺は呟かずにいられなかった。
「ああ、マイフェア レディ?」
 ハーキムは俺の小声を素早く拾った。
 貧しい花売りの娘を言語学の大学教授が貴婦人に仕立て上げるために教育を ほどこしていく……映画。日本でいえば源氏物語の若紫か。
 未熟で粗野で未開のものを自分好みに仕立てていくのは万国共通の男の 夢なのかもしれない。
 ……買った男娼を、自分好みに装わせるのと同様に。
 俺が皮肉に考えていると、
「わたしはあの話は 好きじゃないな」
 ハーキムは、しかし、そう言った。
「え?」
「一からしつけるなんて、どれだけ面倒なことか。わたしなら 会ったその瞬間からきちんと話が通じる相手がいい。無知な相手をしつけて楽しめるのは老人の趣味だと思う」
「でも……!」
 俺は思わず言い返していた。
「あなただって今、ぼくにこんないいスーツや靴を着せようとしている」
 ハーキムの瞳がまた笑みを含んできらめいた。
「やっぱり君はおもしろいな。日本人はいつでもみんなイエスとしか言わないのかと 思っていた。今夜は思いのほか、楽しい夜を過ごせそうで、うれしいよ」
 あ……。
 さっき感じた不安が、さらに大きくなった。
 なんだかすごくハーキムに気に入られているような気がする。
 そりゃ客に気に入られて悪いことはないけれど……ないはずだけれど ……。
 食事のための盛装を整えられている俺を、ハーキムは満足げに眺めている。
 ああ。なんだろう……この落ち着かない感じ……。
 俺は気づかれないように、深呼吸を繰り返した。
 個室でのディナーは、久しぶりに本当に美味しいものだった。
 アペリティフから始まって、オードブル、スープ、サラダ、 メインの魚、肉、デザート、どれをとっても見た目も味も申し分なかった。パンでさえ、皮はぱりぱり、中はふわふわ、蕩けるバターも 一級品で。
 食事の合間にはシェフ自らのご挨拶。
 ……いじけてるなあとは思うけど。
 すいませんねえ、とか思っちゃった。
 こんな行き届いたサービスで、こんなおいしい食事を、俺みたいなのがいただいちゃっててって。
 でも、俺が言うまでもないのかも しれない。
 見るからにアラブなハーキム、きれいに装わされた日本の少年。
 俺が言わなくたって、誰が見たって、俺が自分の金でここに来ていないことはわかるだろう。
 ちぇ。
 なんかすごくみじめな気分。
 食事がおいしいだけに、そのみじめさは余計に 響いた。
 一人になりたい……。
 男に身体を売って借金を返すという自分の境遇はもう諦めきってた俺だったけれど、さすがに その夜はそう思った。
「お風呂の準備をしてきます」
 部屋に戻った後、俺はそんな言い訳でハーキムから離れ、一人、24時間 沸きっぱなしのジャグジーが備えられたバスルームへと入って行った。
 きれいに整えられたアメニティを申し訳のようにいじってみる。
 ――いまさら、なにを言ってんだよ。
 自分を叱る。
 俺は男娼で。借金抱えて男に躯売ってるんだ。人にどう見られようと、 思われようと、俺にはそれしかない……。
 深い溜息が出た。


「どうした? 疲れたのか?」


 背後から溜息を聞きとがめたらしい声がした。


「いえ、なんでも……」


 答えて振り返った俺は、次の瞬間、
「いっ!?」
 奇妙な声を出して固まってしまった。







つづく

My shinny day 7 JUNK部屋連載62話〜70話
一部加筆修正して掲載


 

Next
Novels Top
Home