ぼくたちの真実の証明<2>
 





  車は10分も走らなかったと思う。駐車場を出て間もなく、先輩は細い山道へと車を乗り入れた。対向車が来たらバックするしかないような細い道をくねくねと上り、両側から覆いかぶさってくる木々が途切れたところに、小さな空き地があった。
 ほとんどぐるりを林に囲まれているその空き地の一角に先輩は車を止めた。
「あそこ」
 と先輩がフロントウィンドウ越しに指差した方角だけは林が切れ、遠くかすかに濃紺に広がるものが見える。
「え、あれ、海ですか?」
「そう」
 先輩がどういうつもりなのかイマイチ把握しきれないまま、ぼくは感嘆の声を上げた。
「へえ! こんなところから海が見えるんですね」
 先輩はそれには答えず、運転席を一番後ろの位置までスライドさせると、ぼくを振り返った。
「そっちもずらしてくれる?」
 なんだろう、座席の位置を変えると景色が見やすくなるのかなと、ぼくは不思議に思いながらも素直に座席の下のレバーを引きながら、助手席を動かした。と、先輩がおもむろに助手席のぼくの脇に膝をついて来て。
 え? と思っている間に、先輩はぼくの脚をまたぐ格好でぼくの上に覆いかぶさり、さらに座席横のレバーを引き上げながら、ぼくの顔の横に腕を突っ張った。
 ほんの数秒のこと。
 ぼくは倒された助手席シートの上に寝転ぶ態勢で、覆いかぶさる形の先輩の顔を、呆然と見上げていた。





「高橋、ガード甘すぎって言われたことない?」
「あ、あります……」
「やっぱり?」
 先輩は小さく笑ったけれど。間近からぼくを見つめてくる瞳には、笑いの色はなくて。どころか、なんだか怖くなるような熱くて真剣なものがそこにはあって。
「え、あ、あの……」
 ぼくは慌てて周りを見回す素振りで首を振った。
「ま、まさか先輩、ここで……なんてこと、ないですよね!?」
 山の中とは言え、誰が来るかわからない、こんなところで。車の中で。
 だけど先輩はあっさり、
「大丈夫。誰も来ないよ」
 って。
「で、でもっ!」
 誰も来ないなんて保証はあるんですかっ! もし窓からのぞかれちゃったりしたら、どうするんですかっ! だいたい外もまだ明るいのにっ!
 ぼくの反論のすべてを、
「いいから!」
 先輩は短く、だけど、はっきりと退けた。
「……いいから」
 先輩の瞳がふっと細くなった。
「今から抱いていいって聞いたろ? ホテルまで待てない」
「…………」
 今まで、ぼくは二度、先輩と夜を過ごしたけれど……二度とも、東とのことで悩んで酔っ払ったぼくを、先輩はよしよしって慰めてくれる感じで……。こんなふうに先輩のほうからあからさまに行為に対する希望を口にされたことはなくて……。
 なにも言えないぼくの手を取ると、先輩は自分の顔に押し当てた。
「高橋。さわって」
「…………」
「俺の顔。さわって」
 考えたら、ふだんの生活で人の顔を触ることなんてほとんどない。ぼくはおずおずと先輩の頬に手の平を押し当てた。
 ……あったかい。
 視線に促されてゆっくり手を動かすと、滑らかな肌が途中からざらりとした手触りに変わる。きれいに剃られているけれど、先輩は意外とヒゲが濃いのかもしれないとちらりと思う。
「髪も」
 命じられて、黒髪がゆるくウェーブしている頭に触れる。……あ。かたい。指の下で弾力のあるウェーブが小さく跳ねる感触がある。――東の、絹糸にも似た感触の、細くて滑らかな髪とは全然質のちがう、先輩の髪。
 今度は左手を取られた。
「おでこ」
 両手の指で、皮膚の張った額をたどる。平たくて、広い額。眉骨が少し、出ている。
「眉」
 ああ……先輩って眉が濃いんだ。こうして見るとしっかり太くて……。
 先輩が黙って眼を閉じる。濃く、少し反り返ったみたいな睫毛がくっきりカーブを描いている。……そっか。先輩の目、アーモンド形だから。納得しながら、ぼくは先輩の睫毛をそっとなぞる。
「目……鼻……唇……」
 窪んだ眼窩。付け根から高い鼻梁。境目のはっきりした唇。
 命ぜられるまま、先輩の顔の細部をたどるうち、ぼくの指は細かく震えだした。
 先輩の顔は知っていた。よく見ているつもりでもいた。
 だけど……。こうして細部をひとつひとつ丁寧に指でなぞれば……ひとつひとつに新しい発見があった。先輩の髪はこんなだったんだ……先輩の眉はこんなだったんだ……眼は、鼻は、唇は……。
 なめし皮のようになめらかで張りのある頬と額の肌。少しかさついた唇。固いひげの感触。あたたかい、肌の温度。ぼくは先輩に触れる指先から先輩のことを知らされていく……。
 あごの先まで指でたどった時、くっと先輩の顔が近づいた。
「あ……」
 ぼくはなにを言いたかったんだろう? 制止? ここではやめてという懇願? それともぼくは誰かの名を呼びたかったんだろうか?
 言葉は不明瞭な音にしかならなかった。
 たった今、指で知ったばかりの、かさついて、肌との境目がはっきりしたちょっと肉厚な唇が、ぼくの唇と共に言葉を吸い上げて行った。





 先輩とはもう何度かキスをしていて。
 だから、ぼくは先輩のキスがどんなだか、もう知っている気でいたんだけれど。
「……っ、ふ、ぅ……は……」
 こんな、激しいキスをする人だったんだろうか。
 口腔を隙なく嘗め回され、きつく唇を吸い上げられた。苦しくなった息に、無意識に座席の上をずり上がって逃げようとしたら、頭の後ろに回った手に、逆にあごを突き出す形に頭を固定された。繰り返される、あごから唾液がしたたるようなキス。
「ん、んーっ!」
 巻き込まれるように絡められた舌で先輩の口腔に導かれたぼくの舌を、先輩が噛む。
 びくりと躯を跳ねさせたら、今度は舌が抜けるかと思うほど、きつく吸い上げられた。
 ちゅううって音が車内に響く。
「や……もう、せんぱ……」
「高橋、涙目になってる」
 濡れた唇で先輩がにやっと笑う。こんな笑い方する人だったのか!? 欲情した雄の、いやらしい笑い。
「前から泣かしてみたかったんだから、それでいいけど」
「えっ! ……あっ!」
 前から、なに!? 先輩の不穏な発言を聞き正すより早く、先輩に首筋に顔を埋められて驚きの声が漏れた。
 首筋をぞろりと舐め上げられる。ぞくっと震えを伴うくすぐったさが走ったところを見透かしたようにシャツの上から乳首をつままれた。
「ア……ッ! や、あ……」
「高橋、ここ弱いよね」
 ぼくは長袖Tシャツの上にデニムシャツを上着代わりに重ね着していたんだけど。先輩はTシャツの裾をジーンズから引っ張り出すと、ぼくの喉元までめくりあげた。
「え……?」
 ぐいっと脇の下に手を入れられて躯をずり上げられる。ヘッドレストぎりぎりまで頭が来て、胸が先輩の顔の前に来た。
「せ、せんぱ、い……?」
 ちらりと一瞬、目があった。胸の上からぼくを見上げて来た先輩の目の色に、ぞくっと背中に何かが走った。恐怖感、にそれは近かった気がする。
 次の瞬間にはぬらりとあたたかいものに胸の先端をくるまれて、ぼくは「アッ!」と高い声を上げていた。





 急速に乳首にも股間にも、血が集まっていく……。
 先輩は唇で、舌で、指でぼくの胸をいじり、合間に何度もジーンズの上からぼくの股間を擦った。
「あぁ、ア、ン、んん……ッ! やっ、先輩っ、もうやめ……!」
 やめて、という制止の声は耳に届いているはずなのに。
 どころか、カチャカチャとベルトを外す音がして、もうじわりと大きくなりかけていたぼくのソレを先輩はジーンズをくつろげ、下着の中から引っ張り出した。
 やわやわと揉みしだかれて、もう押さえようもなく息が荒ぐ。
「せ、先輩、もう、やだッ」
 リアサイドウィンドウはスモークガラスになっていて外からのぞかれる心配がないのは知っていたけれど、フロントとフロントサイドは外から丸見えだ。今も、狭い視界とは言いながら、窓から空に浮かぶ雲が見えている。
 先輩は大丈夫だというけれど。
 こんな屋外で、車の中で。ぼくはこれ以上、行為を進めたくなかった。これ以上……感じたくなかった。
 今までにあった二回、先輩は淡々と手順を進めるだけの感じで……十分に優しかったし、それなりにぼくも先輩も最後までイキはしたけれど……けど、ぼくと先輩の間の行為は淡白なものだったと思う。
 なのに。
 なのに、今は。
 先輩の愛撫はぼくの身の奥からこれでもかと官能を引きずり出そうとするかのように激しくもあれば執拗で……愛撫の合間にあちこちに落されるキスはひとつひとつ、湿っていていやらしく、指に込められる力は容赦がなかった。
 慰めるんじゃなく、と先輩は言った。酒で酔ったぼくを慰めるんじゃなく、自分の欲情をぶつけていいかと先輩は言った。それはこういうこと? 先輩が抱くというのは、こういうこと?
 ぼくは自分が無知だったことを思い知らされていた。
 先輩は十分に成熟した雄として、ぼくを征服しようとしていた。いやらしい愛撫で、濃いキスで。
 だけど、ぼくは。だけど。これ以上、感じたくなかった。
 ふうっと濡れた乳首に息を吹きかけられる。
「はぅ、んっ!」
 もういい加減、充血し尖りきっていた乳首がその息だけの愛撫に、また痛いほどに固くなる。ふ、ふ、と小さく息をかけられ続けて、今度はもっと確かな刺激が欲しくなる。腰が、勝手にうねった。
「や、やめて、先輩、やめて下さい……っ!」
 これ以上、感じたくなかった。これ以上、感じたら……身の奥に潜むなにかに火がついてしまう。ぼくは知ってる。肌を内側から焼き、ぼく自身を飲み込む、性の快感の熱と波の激しさを。躯も心もぐずぐずに蕩けてしまう快感の深さを。知っているからこそ。ぼくはこれ以上、感じるわけにはいかなかった。こんな場所で……先輩の腕の中で……東がぼくを炙り、蕩けさせたように、ここで乱れるわけにはいかなかった。
 ――けれど。
 ぞろりと耳の後ろを舐め上げられて、
「ひあっ!」
 高い声が出た。
「やめてやめては、逆効果だよ、高橋」
 先輩のささやきが耳朶をくすぐる。
「じゃ、じゃあ……」
 なんて言えばいいんですか、という問いかけは乱れた息の合間に消える。先輩がぼくの猛ったモノをゆるく扱き出したからだ。
「アア、あっ…あ!」
 先輩の手の動きはじれったくなるほど緩慢だった。やめて、やめてほしいのに! もっと強く、もっと速く、ソコを擦りたてて欲しくて。目尻にじわりと熱いものが溜まる。やめて。ちがう。もっと。ぼくは腰が勝手に先輩の手にソコを押し付けに行かないようにするのに必死だった。
 なのに。先輩は口調だけはいつもと変わらない調子で。
「うーん。ここまで来たら、なにを言われてもこっちは煽られるだけだよなあ」
 なんて。
「先輩っ! も、もう、ほんとにやめ……っ!」
 ぼくは力のこもらない手で必死に先輩の腕をつかんだ。
「じゃあ」
 先輩が肘をついて躯を起こした。
「高橋にゴムつけていい?」
 え。
 今まで言われたことのないセリフに、目が丸くなる。
 どこから取り出したのか、先輩の指先にコンドームのパッケージがあった。その避妊具は後のトラブルを避けるために、男同士でも常用するものだっていう知識はあるし、実際、東とも先輩とも使っていたけど。
 だけど、ぼくにつける!?
 どういうことだろう、聞き間違い? それとも先輩が……。
 うろたえながらも必死に頭を動かして、あ、もしかしたら車内を汚さないようにするためかも、とようやくぼくが思いついた時には、もう先輩はパッケージからゴムを取り出していた。
 先端の、少し飛び出た部分を先輩が引っ張る。と、先輩はその飛び出た部分に糸切り歯を当てて……。
 え、なに? どういうこと?
 先輩の意図がわからないままのぼくに、先輩はその先端を少し破ったゴムをぼくに被せ、するすると装着していくけれど……。破れた先端から裂け目が広がる。先輩はそのまま裂け目からぼくのペニスを露出させると、くるくると今度は逆にゴムを根元に向かって巻き下ろしていく。
 ……あ。
 気がついた時には遅かった。
 避妊具のはずのそれは、輪ゴムのようにぴっちりとぼくの根元を圧迫している。
「や、やだ、先輩、やだっ!」
 必死に訴えたけれど、
「高橋はイヤだばっかりだね」
 先輩は軽く流す口調で言って。でも、すぐ真顔になって、ぼくの目に目を合わせてきた。
 黒い瞳が今まで先輩が見せたことのない欲情に光っているのを認めて、ぼくは無意識にコクリと唾を飲んだ。
 先輩は唇をぼくの唇に触れんばかりに近寄せた。
 ささやきが呪文のようにぼくの口の中に吹き込まれる。
 
 
「……蕩けてごらん。最後まで」
 

 そのまま熱い舌がぼくの口腔に忍び入ってきた。





 もう、これが車の中だとか。
 もう、これが先輩の指だとか。
 わからなくなった。
 根元で堰き止められ、散ることを許されない快感は、ただひたすらに凶暴な熱になってぼくの全身を焼いた。
 乳首を吸われるたび、ぼくは悶えた。
 ペニスを扱かれるたび、ぼくは四肢を突っ張らせた。
「ア、アッ、ああーっ!」
 快感なのか苦痛なのかわからない。先輩の手が優しく内股を撫で上げるだけで、筋がピクピクと痙攣した。
 そんな状態で。先輩の指がアナルを探って来たときには、それだけで全身が震えた。こんな、もう、どこを触られても感じてしまう、こんな状態で中まで抉られたら……!
「…………っ!!!」
 なにを叫んだか、わからない。
 先輩の指がぐっと体内に潜り込んで来た時には、激しく背が反った。
 もうダメだ。崩れてしまう……。
 だけど、先輩の指は容赦なくて。与え続けられる快感に、ガクガクと躯が震え、全身の肌からは吐き出せない精の代わりに汗が噴き出し、果てのない興奮にぼくの口からは絶え間なく喘ぎや叫びが漏れた。
「は、はずして……ッ、これ、はずして!」
 涙でかすむ視界の中にいる先輩に、ぼくは何度も何度も頼んだ。
 イかせて、イかせて……!
 ちゅく……唾液で濡れるキスのあと、先輩がぼくの顔をのぞきこんでくる。ぼくの躯の中にその指を埋めたまま。
「高橋は俺のこと、優しい、いい先輩だと思ってたろ?」
 ぼくはこくこくとうなずく。先輩はにこりと笑った。
「残念。ちがうんだよ、ホントは」
 ぐるっと指を動かされて、
「ヒッ、あああっ!」
 ぼくはのけぞった。
「せ、先輩、も、もう、お願いっお願いだからっ!!」
 ふっと先輩の瞳が細くなった。
「高橋。俺の名前、知ってる?」
「え?」
 思いがけない言葉にほんの一瞬、意識が戻った。
「か、河原……」
「じゃあ下の名前は?」
 知っていたような気もするんだけど思い出せない。
「宏二って言うんだ。呼んでごらん」
「こ、こう……」
「宏二」
「こうじ」
 ふっと先輩の目が細くなった。
「宏二、欲しいって言ってごらん。そしたら、イかせてあげる」
 普通だったら躊躇したろう。
 だけど。
 もう頭も躯も、これ以上ないほどに熱くて、狂おしくて。
 ぼくは言われるままに、その言葉を口にしていた。





 貫かれた。





 指とは比較にならない、圧倒的な大きさと熱さで躯を穿たれる。
 挿入と同時にゴムをはずしてもらって、ぼくは立て続けに、たまりにたまっていた精を吐いた。
 自分の腹の上に熱い白濁が散るのを感じながら、ぼくは躯がびくびくと痙攣するのを止められなかった。
 吐くだけ、吐いて。なのに。躯の中を駆け巡っていた苦しいほどの熱は、それだけでは散ってくれなくて。
「う、ああっ、ア、ア、ア、ひ、んんっ……!」
 先輩に突き上げられるリズムで、腰が勝手に揺れた。熱が、熱に応える。欲望が、欲望に応える。
 先輩はぼくの核をぐずぐずに溶かして引きずり出す。
 気付けばぼくは喘ぎの合間に口走っていた。
 イイ、イイ、もっと、と。
 先輩の汗が胸に落ちる。
 速くなる律動。
 ぼくは口走る。
 イイ、もっと――
 今度こそ、燃え尽きる予感があった。
 ぼくは腰を振る。
 頭の中が白く焼け出す。
 先輩の息が荒ぐ。
「あ、あ、あああっ!!」
 躯が、硬直する。
 焼け落ちる……。
 
 
 
 
 
 最後の炎が脳髄を焼く瞬間。
 懐かしい顔がまぶたの裏をよぎった。
 あず……。
 呼ぶ声は喉の奥で消える。
 快の頂点で、ぼくは涙を流した。
 先輩の、腕の中で。
 


 

 
                                                       つづく







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