明るい借金返済計画

 

 

 <2>

 

 自覚しちまったら、今までみたいに振る舞えるかな。自信ねえよなあ……。
 次の日、俺はどうにも重い足を引きずり引きずり、「漁火」に向かった。
 拓人さんの顔を平然と見返す自信がなかった。
 怒られて、そんで真っ赤になったりしたら、拓人さん、怪しむだろうなあ……。
 バカな奴、と思われるのはまだいいけど、ヘンな奴って思われるのは嫌だよなあ。
 俺はため息をついた。
 誰かが恋するとため息が多くなるって言ってたけど、俺、朝からずっとため息つきづめ。 おふくろが心配して、今日のバイトは休めっつったほどだ。
 ああ。休んでどうにかなるなら休むけどよ。五つも年上の、しかも男に惚れて、それも、どうやら俺は拓人さんと……ヤ……ヤリたい系……に惚れてるらしくて……そんなの、 ホント、休んで治るもんなら休むよ、俺。
 かあっ! どうすべ、俺。
 ため息つきながら、俺は『漁火』の引き戸に手をかけた。
 あれ? 閉まってる? 
 時計を見て、納得。気まずい気まずいとか思いながら、俺はしっかり拓人さんに会いたかったんだ。いつもより早いじゃん。
 しょうがないか。
 俺は裏口にまわった。
 ノブを回すと、そこの鍵は開いてた。
 いつもなら「おはよーございまーす!」って大声で挨拶しながら入ってく店内に、その日は小声で「……おはよ、す」なんてやったのは、やっぱり表から入るのと裏口では雰囲気がちがうせいだったけど。
 裏から入ると厨房へ細い通路がある。いつも薄暗いそこを通って厨房をのぞくと、まだ明かりもつけられてない店内はしんとして人影はない。
 けど、二階からガタガタッて音がした。
 二階に誰かいるのかな、それとも泥棒? 俺はその通路の脇にある細い階段を、そうっと足音忍ばせて上ってった。
 その階段の途中で、
「あっ……ああ、んん……あぁ……」
 階上から、喘ぎ声が聞こえた。物音と、喘ぎ声。
 この声……。
 俺の足は震え出した。だけど俺は足音を殺しながら、なおも階段を上って行ったんだ。
 二階に上がってすぐのドアが薄く開いてる。俺はそうっとそのドアを押して……見た、ふたつの影。
 その瞬間。俺の頭は真っ白になった――

 ――亮太が見たのは……
 身を支えようと壁に手をつく拓人と、その華奢な体に後ろから覆いかぶさるような、店長、黒川の姿だった。
 二人とも、上半身は着衣のまま。だが。下半身は剥き出しだった。拓人の足元には引き摺り下ろされたらしいジーンズと下着が絡まり、真っ白な肌のその腰には、 褐色の肌色した黒川の腰がぴたりと押し付けられている。
 黒川の腰が揺れるように動いた。その動きが……亮太の見るそこからは……黒川の腰の赤黒い怒張が 小さく引き出され、また拓人の臀部の双丘の狭間に押し込まれているのだということが、はっきりと見てとれた。拓人の腰も、揺らされる。
「も、やめろ……やめ……」
 自分の体に回る黒川の腕をつかみ押さえようとしながら拓人が切れ切れに訴える声が、亮太に届いた。
「ここまで来てやめたら、つらいのはおまえのほうだろうが」
 黒川が笑いをにじませて答える。
「ほら、どうだ」
 黒川の手が前に回り、拓人の股間にそそりたつものを擦り上げ、擦り下ろす。
「アッ…! ん、あぁっ…う、」
 拓人の口から、最前、亮太が聞いたと同じ、いや、さきの声より苦しげな、それだけに淫らな声が上がった。
「はええな……もう手が濡れるぞ……久しぶりなのか、ん?」
 胸をあえがせる拓人とちがい、余裕の笑みさえ浮かべて黒川が尋ねる。
「あのボーズじゃやっぱり物足りないか? きのうはどうした。しっぽりやってから店に来たんじゃないのか?」
「ちが……あ! ちがう……そんなこと、してないっ……!」
「ふん。あいつはおまえに惚れてるぞ。どうする? あいつにも、ヤらせてやるか? おまえのここに、咥えこんでやるか? それともおしゃぶりでもしてやるか」
 淫らな問を浴びせながら、黒川が拓人の耳朶を甘噛みした。
 「あ!」
 びくっと背を反らした拓人の膝がカクリと折れかかる。だが、拓人の腰をつかむ黒川の手が、そして……拓人の後ろを穿つ黒川の肉棒が、崩れて落ちそうになる拓人の身を支える。
「あ……」
 くず折れることを許されない拓人の白い脚がびくびくと震えた。そこを。
 ひときわ激しく速く。黒川が責める。
「アアッ! あ、あ、あ…! ふ、うぅ……っ!」
 あえぐ拓人の、反らせた喉の白さが亮太の目を射る。乱れた吐息と淫らな喘ぎ声が亮太の耳を打つ……。
 そうして激しく拓人を責めていながら。激しく背を波打たせる拓人の後ろで黒川は動きを止めた。濡れた楔をぎりぎりまで引き抜いて。
「ほら……俺のことを好きだと言ってみろ。ほら、昔みたいに、言ってみろ」
 中断されたそれに、もどかしげに拓人の腰が揺らめいて、亮太の息は苦しくなる。
「ほら…欲しいんだろ? だったら昔みたいにねだってみろよ。もっとって言えよ」
 黒川のねっとりした声。
「……い、やだっ! やだっ!」
「……強情な」
 低く呟き、黒川は先端近くまで引き抜いていたそれを、今度は勢いつけて、深く、遠慮もなく、拓人の狭間に捩り込む。
 「!!」
 声もない。拓人の顔が侵入の痛みと快感に歪む。亮太の好きな栗色の髪が、跳ねた。
 いっそうの激しさで再開されて責めに、もう 拓人には抵抗する余裕など微塵も残っていなかったのか。
 「あっあっ……うあ、アン、アウッ、はぁあっ……!」
 あえぎ……いや、今やそれは、はっきりと快感を訴えるよがり声となっている。
 続けざまに高く甘い声を放つ拓人の身体は、声よりさらになまめかしく、揺れ、悶え、黒川の抱擁に踊る。
「あ、みち、お……道郎……」
 呼ぶ声もうわごとめく。
 黒川の肉棒を繰り返し繰り返し突き立てられて、拓人の白い肌は、ほんのりと桜色に汗ばんで……。
   ――もういい。マヒしていた亮太の頭が、ようやくその時、言葉を見つけた。白い拓人の尻に出ては入って行く赤黒い物……その無残さに、亮太の頭はようやくその一言を紡ぎ出した。
 もういい。
 亮太は痺れ切った足を動かして、その場を去ろうとした。
 が。
 痺れ切った足は、急な階段の狭い段をとらえそこねた。亮太は盛大な音ともに一気に階下へと滑り落ちる。したたかに背中と腰を打ちつけたが、それでも亮太は、そのまま裏口から外へと飛び出した。
 もう……一刻もここにはいたくない……その思いだけに突き動かされて――

 あれ……ここ、どこだ。
 俺はぼんやりとあたりを見回す。もうすっかり夜だ。
 背中がいてぇ。尻もいてぇ。
 でも、なにかを俺は探してた気がしてもう一度あたりを見回して……はっとした。
 目の前のアパートの壁に埋め込んである「ハイツジョイフル」の文字。
 ――話に聞いてた拓人さんのアパートだ。
 拓人さん、拓人さん……名前を呟くだけできゅうううって胸が痛くなった。
 どす黒くて重いものが腹の底にふつふつと湧き出してくる感じもする。
 どうしよう……どうしたいんだろう、俺。
 アパートに向かって立つ俺の後ろに公園があった。ブランコが街灯にぽわんと照らされてる。俺はふらふらとそのブランコに座り込んでいた。

 どれほどたったか。……どれほど待ったか。 足音がした。公園を抜けて行こうとする足音。
 俺は立ち上がってその人影を待った。
「……亮太……」
 拓人さんは、とても疲れた顔をしていた。

 ふいっと目をそらされた。
 ……俺もだ。
 正面から拓人さんの顔が見られない。
 俺も横を向く。
 待ってたはずなのに。拓人さんに会いたかったはずなのに。
 その時まで、俺はどこかで期待してたのかもしれない。昼間見てしまったあれが、なにかのまちがいになってしまってほしいって。『連絡もいれずにいきなりバイトを休むんじゃない』って、 『どうして今日のバイトに来なかったんだ』 って、なにもなかったって顔で、俺は拓人さんに言ってほしかったのかもしれない。
 だけど。
 しばらくして、拓人さんが大きく息を吐き出した。
「……三日分のバイト料、清算しておくから……気持ち悪いだろうけど、一度店のほうに電話して取りに来て……」
 俺はなにを言われたのか、すぐにはわからなかった。
「じゃあ」
 と拓人さんは短い別れの言葉を口にして、背を向ける。
 その背中を見ながら、突然に俺は叫んでた。
「好きなヤツいないって! 付き合ってるヤツもいないって! 拓人さん、言ったじゃねえか!」
 自分でも驚くほど、激しい勢いだった。俺が叩きつけた言葉に、拓人さんは振り向いた。 俺の勢いは止まらなかった。
「ウソついたんだ、拓人さん。好きなヤツいないって言ったくせによ!」
「……嘘じゃない、嘘じゃないよ、亮太。付き合ってもない……好きでもない」
「じゃあ、じゃあ、どうしてあんなこと、させんだよ!」
 店長に抱かれてる拓人さんなんて見たくなかった。拓人さんがほかの男に抱かれてるなんて、思いたくもなかった。胸が痛かった。腹の底がなんだかグツグツグツグツ、熱かった。俺の中に、なんか真っ黒いものが膨れ上がって来た――
「付き合ってもない、好きでもないのに、拓人さんはあんなことさせるんだ。誰でもいいんだ! なら、俺にもさせろよ! 俺にもヤらせろよ!」
 真っ黒いものは……そんな言葉で外にあふれた。
 拓人さんはものすごく悲しそうな顔で俺を見た。
 綺麗な……綺麗な拓人さんが……俺からあふれた真っ黒なもので……傷ついてる。
 俺は……そうだよ、俺は拓人さんとしたかったよ。でも、それはこんな形で拓人さんに要求したかったことじゃない。俺は、きのう、そう、ついきのう、拓人さんと過ごしたみたいな時間を、これからももっともっとたくさん過ごして、 拓人さんにいっぱいいっぱい笑ってもらって、時々『亮太!』って叱ってもらって……そんで……そんで……そうっとさわりたかったんだ。柔らかそうな、栗色の髪や優しい赤さの唇に、そうっと触れたかったんだ。ぎゅって抱き締めて、 ちょっと驚いた拓人さんに、 『好きだ』って言ってみたかったんだ……こんな、こんな拓人さんを汚すような言葉じゃなくて。
 俺の言葉につらそうに眉を寄せ唇を噛む拓人さんの姿が、突然、ぼやけた。
 涙がぼろぼろ、俺の目からあふれだしてた。 げ! こんな年になってなんて泣き方してんだよ! あわててコブシで目をぐいってやったけど、それでごまかせるような涙の量でもなかった。
「亮太……」
 拓人さんが近づいて来て……ちょっとためらってから、俺の頭を抱え寄せた。
 ぽんぽんと肩をたたいてくれる、手が優しい。
 俺のつんつんと立つ堅い毛を撫でてくれる、手が優しい。
「……泣くな、泣くなよ、亮太……デカい図体して……泣くな」
 拓人さんは、そう繰り返した……。

「……あの二階で、一緒に暮らしてたんだ」
 隣り合ったブランコに座った拓人さんが、とても静かな声でそう話しだした。
 店長と、あの部屋で暮らしてた。痛い言葉に、俺はぎゅっと目をつぶりながら、黙って拓人さんの声を聞いている。
「高校を中退してね、田舎から出てきて……道郎に拾われたんだよ、僕は。なんにも知らないガキだった僕に……道郎がね、教えてくれたんだよ、一から。商売のこと、お金のこと……恋のこと」
 好きだった? 呟くような小声で俺は聞いた。
「うん」
 拓人さんはうなずいた。
「その頃の僕は……大人なんて見栄や外見ばっかり気にしてるクズばかりだと思ってた。親の言うことも……社会も……みんなくだらなくて、うっとうしくて。……でも、道郎はちがって見えた。自分の店を持って働いてる道郎は…… 僕は道郎の言うことなら聞けたんだ」
 それは……それは、俺が拓人さんの言うことなら素直に聞けたと同じことなんだろう。俺は痛みとともに思った。拓人さんにとっても、店長の存在は大きかったんだ……と。
「……ほんとうに……いろんなことを教えてもらったんだ。自分の将来をちゃんと地に足を着けて考える大切さや……人を好きになることや……恨むこと、憎むことも……」
 ある日、突然だったんだと拓人さんは言った。
「道郎が言い出したんだ。こどもができた、結婚するって。――修羅場だったよ、あれはね」
 そう言って小さく笑う拓人さん……。
「出て行こうと思った。店もやめようと思った。……でも、その時もう……調理師学校に入学することが決まってて……その金は全部、道郎が出してて……店を辞めるんなら、今すぐ全額返してみろって言われてね…… その時まで僕は……お金の本当の重さも、 それを稼ぎ出すことの大変さも……わかってなかったんだ」
 そして拓人さんは俺のほうを見た。
「だから、亮太の親御さんは偉いなって思うんだ。大事なことだよ。自分がやることにお金がかかるのに気づくことも、それを誰に支えてもらってるか知ることも、その重みを感じることも。まだ、親の庇護のもとにある時に、それが学べるって、 いいことだと僕は思うよ。
 僕はなにも知らなかった。自分のしたいことにお金がかかることも。それを他人に出してもらうことの意味も。それに気づいた時は……もう遅かった」
「……でも!」
 俺はたまらず声を上げてた。でも。その後が続かなかった。
「……うん。やり方はあったと思うよ。とりあえず学校をあきらめて、『漁火』を出てほかの仕事を探してもよかったと思うよ。……でもね、その時の僕には、もう欲があったんだ。いつか自分の店を持ちたいっていう…… だから料理の腕も磨きたかったし、『漁火』でもっともっと勉強したいこともあったんだ。  言い訳に聞こえると思う。……道郎に、未練があったんだろうって言われれば、否定しきれない……僕は道郎に魅かれてたよ。男としての道郎に裏切られてからも……道郎のセンスには憧れてたんだ。『漁火』と『大漁』は、 もとは道郎の親父さんの店だけど、道郎の手腕がなかったら、どちらもあそこまで成功はしなかった。 ……自分の店を持ちたいと思うようになって……僕は……よけいに道郎から離れたくなくなってた……」
 拓人さんの眉間に、ぎゅっとしわが寄った。 それなのに笑おうとしたもんだから、拓人さんの顔はなんだか変なふうにゆがんで見えた。
「……言い訳だね……言い訳だ。自分の将来の夢のためって言い訳で……僕は『漁火』に居続けて……借金があるって言い訳で……道郎に抱かれ続けてた……。
 汚い、きたないだろう、僕は……。僕も道郎も、汚いんだ……」
 もう……奇妙な笑い顔さえ浮かべていられなくなったみたいに……拓人さんは両の手に顔を埋めてうつむいてしまった。
 俺はたぶん、まだまだガキなんだろう。
 店長と拓人さんが過ごした時間の重さも今もふたりが関係を断ち切れない、その裏にあるものも、俺にはまだわからない。
 わからなかったけど……顔を伏せてしまってる拓人さんになにか言いたくて、伝えたくて、俺は膝をついた。
「拓人さん、汚くないっすよ。そういうの……だって……仕方ないってか……そういうことってやっぱあると思うし……俺だってヤらせてくれる女いたら、好きでなくてもごちそうになっちゃうし……え、あ、いや!  その、店長がって意味じゃなくて、その、あの、男にとって、セ、セックスって、そういう部分あるって意味で……」
 フォローするつもりでとんでもないことを口走ってしまったかもしれない俺を、顔を上げた拓人さんが見つめてた。
 俺はよけいにあわてた。
「だ! だ、だから! 俺、拓人さんが好きです! その、ヤ、ヤらせてほしいとか、そういう意味じゃなくて……あ、でも、その、ヤりたいんですけど……ちがう! ああ、なに言ってんだ、俺……」
「……ありがと、亮太」
 泣いてた俺をなだめた時みたいに、拓人さんの手が俺の頭をくしゃくしゃやった。でも今度、目に涙ためてるのは拓人さんのほうだった。
「ありがと」
 俺はその手を取って握り締めた。
 うるんだ瞳の拓人さんは……色っぽかった。街灯のぼんやりした明るさに溶けそうなほど、はかなげにも見えて。俺はそのままキスのひとつもしちまいたかったけど、必死にこらえた。『誰でもいいんだろ』なんて、 ひどい言葉を拓人さんに投げ付けた。『俺にもヤラセロ』なんて鬼畜な言葉も投げ付けた。 そんな言葉を口にしといてキスしちまったら、俺は……取り返しもつかないほど拓人さんを汚しちまう。
 キス、すんじゃねえぞ、亮太。自分に必死こいて言い聞かせる。
 男としての意地は、大事にしろって小さいころから親父にも言われてたろ!
 俺は拓人さんの手をそっと押し返した。

 

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