ぷす。
「いいったあああ!」
頭に激痛が走って、僕はベッドから跳ね起きた。
僕のすぐ脇にベンチュラが、両手で一匹の蜘蛛を持って立っていた。どうも僕は、ベンチュラにけしかけられたその蜘蛛に脳天を刺されたらしかった。僕は思わず頭を押さえて、叫んだ。
「何するんだよベンチュラ! 痛いじゃないかああっ!」
「ウルセー。いつまで寝てやがんだ、この馬鹿。今日から発掘に行くんじゃなかったのか!?」
僕は枕元にあった時計を見た。
ここ黒の地平はいつも薄曇りで、昼間でも雨が降る前の夕方のような空をしているからいつが朝だか夜だか確かにわかりにくいのだが、時計はある。僕ら人間はそれに合わせて生活していた。僕はその中で、誰よりも早く起きて皆の朝食を用意するのだが、今朝は……昨夜、天蓋つきの余りに豪華なベッドに寝付けなかったのか、それとも寝心地が良過ぎて寝過ごしてしまったものか、とにかく、思いっきり寝坊してしまった。
「げ。嘘」
やばい。僕はシーツを撥ね上げて飛び起きると、ベンチュラが何か言っているのにも構わず廊下に出た。大急ぎで皆のいる部屋に向かう。個室を貰ったといっても、雑用が免除された訳じゃないだろうし。
……それに、気にかかる事もある。
君のせいで、という言葉。僕は何かしただろうか。何だか顔を会わせ辛い。でもその心配は不要だった。皆はいなかった。がらんとした元の部屋を見て、僕は思わずつぶやいた。
「あれ?」
一歩中に入って、きょろきょろと周りを見渡す。そこにベンチュラが追いついてきて、言った。
「何やってんだよ。ジーサン達ならもう出掛けたみたいだぞ。あの、お前の好きな方の、ジーサンだろ?」
「あ、うん……」
……もう、発掘に出掛けたのか? 僕を置いて?
それは、まあ……昨夜はバタバタして、いくら許可が出たとはいえ僕は博士にお願いしますと挨拶もしなかったし、どうも僕は、よくわからないけどフィカス博士の不興を買ってしまったようなので、置いてけぼりにされても多少は自業自得かもしれなかった。けれどまだ、時計はいつもなら朝食を終えてさあ一服、という時刻を指していて、出発には少し早い時間だった。
「オメーに触発されたんじゃねえの? ほら、朝メシならコレやるから」
「あ、ありがとう」
ベンチュラが、イナゴによく似た節足動物の大きいのを投げてくれた。僕は片手でそれをキャッチして、……まあ、焼いてあるなら大丈夫かと、ぷちっと足を一本むしって口にくわえた。
「……何?」
ベンチュラが逆に焦ったように怒鳴った。
「人間がヘーキで虫食うなよ! オメー馬鹿だろ!?」
自分で渡しといて失礼な。生で食べろと言われたら僕も少しは躊躇したかもしれないけど、彼と旅をしていた時は、ほとんど虫が常食だった。好んで食べてたワケじゃないけど、耐性は出来ている。
「そりゃあんまり美味しいとは思えないけど、食べれない事はないよ。欲を言えば、節足動物なら焼くだけじゃなくて甘辛く煮付けるとか、もう一工夫欲しいところだけど」
無言でポカッと殴られた。……なんだかこの魔人には、しょっちゅうはたかれている気がする。
「調子狂うぜ、オメーといると。まあいいや、行こうぜ。発掘現場まで送ってやるよ」
どこの遺跡だって? と親切にもベンチュラは申し出てくれて、僕は、
「フィカス博士はクラッスラ遺跡って言ってた。どこにあるか知ってる? ベンチュラ」
ベンチュラは大怪蝶、という蝶の魔物に一緒に僕を乗せてくれた。
魔人はこうして、他の魔物を飼い慣らして使役する事があるのだそうだ。特にグリニデ城ではその飼育に顕著で、大怪蝶以外にも、他の魔物も育成・訓練しているらしい。
そんな事をベンチュラは色々説明してくれたのだけど、当の僕は、大怪蝶の背に必死でしがみついて、ほとんど聞いていなかった。だって、僕はそれまで空なんか飛んだ事なかったんだから! どこか文明の進んだ町では、飛行機なる乗り物があるらしいけど、僕はそれさえ見た事がなかったし。
「オメーが普通の人間っぽい反応してると安心すんなー」
ケケケ、とベンチュラは笑いながらそう言って、大怪蝶を急降下させたり、ふらふらとスラロームさせたりしていた。僕は、ちくしょう降りたらベンチュラの顔にゲロ吐いてやる、とか考えていた。
僕がそんな過激な事を考えている間にも大怪蝶は順調にクラッスラ遺跡に着いたらしい。
遺跡の端に滑るように大怪蝶は降り立ち、僕とベンチュラを降ろすと、またすぐに飛び去っていった。呼べばいつでも戻ってくれるらしい。そんな事も僕はベンチュラから聞きながら、無事に着いたし、歩いている内に嘔吐感も治まったので、ま、許してやるか……なーんて上から目線で考えながら遺跡の中心部まで歩いていき――そして、
「……ベンチュラ。ここ、本当にクラッスラ遺跡?」
僕は疑問を口にのぼせた。
誰もいない。砂埃が白く遺跡に吹き渡っている。
確かに作業の痕跡はあるが、保護用のブルーシートも、かけたままになってはいるが……。
「ンだよ。俺が間違って、違う遺跡に連れてきたとでも言うのか!?」
ベンチュラが怒って言った。僕は近付いて、シートをはぐって彫り込まれた絵文字を露出させた。
覚えはある。こっそり覗き見たフィカス博士のノート。
同じ文字、同じ文章がそこには書かれていた。
それなら、ここは確かにクラッスラ遺跡だ。だけど、そこで調査している筈の博士達は、一体どこへ行ったんだろう?
「そこまで俺が知るかよ。大方、河岸を変えたんじゃねーの? あのジーサン、確か発掘調査がうまく行ってなかったんだろ? よく知らねえけど」
「………」
あり得る。……かもしれないけど、シートを片付けもしないまま、違う遺跡の調査に着手する、なんて事があるだろうか。朝、見掛けなかった事といい、僕は初めて不安にかられた。ベンチュラは、僕に嘘をついてるのではないだろうか?
「な、なんだよ。ジーサン達が出掛けたのを見たのは本当だぞ。何だか大荷物持って、慌てたように出てったからな」
弁解するようにベンチュラが言った。ベンチュラがそこまで言うなら、それは本当なんだろう。短い付き合いだけど、僕はベンチュラが顔に出やすいというか、嘘をついたら一目でバレるタイプなのを見て取っていた。大荷物……という事に引っかからない訳ではない。だけど、遺跡に来た以上、僕のやる事はひとつだ。
僕は改めて遺跡を見回した。
フィカス博士が発見、発掘したらしき柱が何本か、等間隔に掘り出されていた。
僕が立っているのは、恐らく昔、広間か何かだった部屋なんだろう。
広間ねえ……。大体、後世に残るほど堅固につくられているのは、王の居城か神殿だよね。僕はその広間から、柱までの距離を歩いて測った。それから、次の柱へ。その次の柱も、同じく。
頭の中にこの遺跡の平面図を思い描く。まだデータが足りない。
遺跡を隈なく歩き回って、僕は、フィカス博士が以前掘り起こした箇所を見つけ、平面図に書き入れてゆく。そこにフィカス博士が持ち帰った土器や石板の写しを思い起こし、おおよその年代の見当をつける。他の遺跡の見取り図を思い出す。その図に僕の脳裏の平面図を重ねて、少しでも似た様式はないか探す。
……あれ。僕はまた違和を感じる。
これは、どちらかというと王の居城……? でも、発掘された出土品からは華美なものは感じられない。
見取り図を城と神殿とに分けて照らし合わせる。やっぱり何かヘンだ。
僕はちょっと失敬して、柱の一本を、持参したピックハンマーで傷つけた。ベンチュラが目を剥いたが、何も言わなかった。柱の破片と傷とを見比べ、かがんで、柱の基部でも同じ事をした。僕は中心部の広間に戻り、三度、同じ事をした。
「もしかして……」
自信はなかったけれど。
僕は脳裏の図面を修正しながら、遺跡をうろうろと歩き回り、ある一点で立ち止まった。
「ベンチュラ」
僕はようやく、僕のする事をただ黙ってじっと見ていたベンチュラに声をかけた。
「ここ、掘り起こしたいんだけど……手伝ってくれない? ベンチュラ」
小袋にピックハンマーやスコップ、刷毛なんかは持ってきてたけど、こんな大掛かりな作業をするなら、ツルハシのひとつも持ってくれば良かったなあと思いながら。
>>>2010/4/12up