薫紫亭別館


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「な……っ、何であんたにそんな事がわかるんだよ!」
 ビィトはうろたえた。
「わかるさ。これでも随分長い間、色々なバスターを見てきたのだからな。君達こそ何故わからん? それで親友だの仲間だの、よく言えたものだな」
「………っ!!」
 ビィトは思わずアルター会長の胸ぐらを掴みあげていた。
 威厳のカタマリのようなアルター会長はビィトの目を強く見返して、
「……迷いのない、いい目をしている。自分の敵が何か、よくわかっている目だ。その目に免じて、この無礼な行動は不問に付そう。手を離したまえ」
 しぶしぶと、ビィトは手を離した。
 アルター会長は簡単に乱れた襟もとを整えると、引き出しからぶ厚いファイルを取り出して、机の上にばさっと広げた。
「これがキッス君の報告書だ。ミルファが報告してきた分と、私自らがまとめたもの」
 会長はファイルをぺらぺらとめくって、目的の部分を指で指し示した。
 ビィトとポアラは会長の指を目で追った。
「ポイントはここだ。彼が以前の戦士団から捨て駒にされた件。君達も知っているな? ここで彼は、一度、人間としては死んだのだ」
「し、死んだ、って……!」
 ポアラが叫んだ。
「そう言葉通りに受け取るな。比喩、という表現がわからんのかね。とにかく、彼はここで一度人間として精神的に死に、心が空白になった所に、手を差し伸べたのが魔人グリニデだった。……話を聞く限り、魔人グリニデはかなり優秀な上司だったようだから、そこで働くのは彼にはそう苦ではなかったろう。同僚にも恵まれたようだしな」
 そうなのか? ビィトはふと不安になる。ポアラが言い募った。
「で、でも、キッスは、毒の腕輪をつけられて無理やり働かされていた訳で……」
「そこだ。毒の腕輪毒の腕輪というが、あれは逆に、キッス君を守る為のものだったと解釈すれば、事態は一変する。あれはグリニデ直属の部下の証だった。あれを嵌めているから、彼はグリニデ城の魔物を自由に行使出来たし、襲われる事もなかった。天撃封じ、逃亡防止の役目ももちろん兼ねていただろうが、逆に、そこまでしても得たい人材だった事の表れでもある。彼は大事にされていたと思うよ。恐らく、監視や条件付きでビィト戦士団の一員でいるより、グリニデの部下だった方が楽だったろう」
 ビィトは色んなものを押し殺すように、
「キッスは……俺といるよりグリニデ城にいた方が幸せだったっていうのか……?」
「幸せ、だったかどうかは知らん。だが、グリニデよりビィト君を選んだのだから、そこは君は自分を評価して良いのではないかね。ただ……」
 アルター会長はいったん言葉を切って、
「腕輪がなくても、彼は大丈夫だったかもしれん。君達は、キッス君が魔物と意思疎通を図るのを、見たことはないかね?」
 唐突な問いに、ビィトは首をひねって考えた。
「え……っと、そういや、ベカトルテに来る前、近海で大掃除をやらかした事があったけど……そん時、軍艦トータスに、岸まで連れてってくれるよう頼んだって……俺も、一緒に乗せてもらって助かったけど」
 ポアラも答えた。
「カネックに取り引き持ちかけた事もあったわね……あれはアルバイトっていうのかしら。お金がなくて、ブラッシングやマッサージと引き換えに、カネック達の食糧、つまりお金を分けて貰えるよう交渉してたヤツ。10000マギー硬貨貰って喜んでたけど、一体いつのまにそんな取り引きしたのかって、私ビックリしたもの」
 あー、そういやそんな事あったなー、と図らずもなごやかな雰囲気になる。
 会長はしばらくそうして聞いていたが、ややあって口を挟んだ。
「それはどのようにして? 普通に話しかけたのかね?」
「普通に、人間の言葉で……だったわ。同じ生き物なんだから、誠心誠意話せば結構わかってくれるものだって言ってた。私には全然わからなかったけど」
 ポアラが答えた。アルター会長はやはりな、とばかりにうなずきながら、
「それが普通だな。……やはり、彼は人間としてはかなり特異な方だ。魔人グリニデには、もしかしてそれがわかっていたのかもしれない」
 では、次は私の見たものを披露しよう、とアルター会長は言った。
「私の申し出を蹴った時点で、彼は一級の犯罪人になった。キッス君は今、この本部の最深部にある、地下牢に入れられている。幾つかの松明は灯っているが、ほとんど意味をなさない、じめじめした、暗い所だ……私はそこに、もう一度降りていった。考えを翻さない限り、彼はそのまま刑が執行される日まで留め置かれる事になるのだからな。それが嫌なら、気が変わったと言い出さないだろうかと、私は彼を訪ねたのだが……」
 狭い地下牢の中で、キッスは片膝立てて座っていた。
 ほんの僅かに届いた明かりが、キッスの金髪を照らしていた。キッスは座ったまま、会長を迎えた。
「こんばんは、アルター会長」
 すぐに言い直した。
「いや、こんにちは……なのかな? すみません、ここにいると、時間の感覚がわからなくって」
「こんばんは、で合っておるよ。ここは暗かろう。陽の当たる場所に出たいとは思わんのかね?」
 キッスは首を振った。
「暗い場所には慣れてるんです。黒の地平はいつも夜か曇り空の夕方、って感じの天気でしたからね。おかげで夜目が利くようになっちゃって……ここは確かに暗いですが、会長が見ている物よりは、僕の視界は明るいと思いますよ」
「ふむ。だが、四肢を自由に伸ばせないのは不便だろう。歩くとしても、その中では五歩くらいが限度ではないのか?」
「ゴールデンカフスを軽量化してくれるんですね?」
 キッスはくすくす笑った。毒の腕輪と同じ、天力封じの手枷。
「ここを出ても、行動範囲がバスター本部の建物だけに留まるのでしょう。それなら同じ事です。ビィトについていけないなら、僕は生きていても仕方ないんです。そしてあなた方は僕をビィトに任せて外へ出してくれる気は無いのでしょうから、何度来てくださっても同じ事です。お気持ちは嬉しいんですが」
「そこまで君がビィト君にこだわる理由は何なのだね?」
 少し強い語調でアルター会長は聞いた。
 キッスはしばらく黙っていたが、
「さあ……友達、だからでしょうか。恥ずかしい話なんですが、僕はビィトに会うまで同年代の対等な友人、というものがいなかったんです。師匠とか良くしてくれる大人は多かったですが、何故だか同じ年頃の子供達には遠巻きにされてて。近付いてきてくれても、パシリにされるとか苛められるとか。僕の努力不足だと言われればそれまでなんですが。……だからビィトが僕と組んでくれて、戦士団に誘ってくれて、とても嬉しかったんです」
 会長は何故キッスが遠巻きにされていたか、何となくわかる気がした。頭脳も容姿も最高のものを与えられた子供。しかも本人はそれを大したものと思っていない。齟齬が生じるのも当然だ。
「だから本当は、別れたくなかった。お互い強くなってまた会おう、じゃなくて、ずっと一緒にいて高め合う、じゃ駄目なのかな、と実は思っていました。でも、『暗黒の世紀を終わらせる男』と『世界一の天撃使い』として再会を誓い合って……僕はその約束だけを頼りに生きてきた、と言っても過言じゃないです」
「………」
「グリニデ城にいた時は……僕にはビィトしかいなかったけれど、ビィトにとっては大勢の友人の一人でしかないだろうし……そんな風に自分を誤魔化して生きていました。でもビィトは、そんな卑屈な自分を信じてくれた。一度は我が身可愛さにビィトを見殺しにしようとした僕を、です」
 キッスは目を伏せ、言葉を抱きしめるように言った。
「その時から……ビィトは、僕の生きる理由になったんです」
「なるほど……」
 アルター会長はあごに手をやった。
「だがそれなら、バスター協会にいてもビィト君に協力する事は出来るだろう。君の知識は我々にも有用だろうし、間接的に、ビィト君の為になる、と考える事は出来ないかね? 何も、べったりくっついてビィト君の盾になる事だけが、友情では……!?」
 突然、アルター会長は口をつぐんだ。いつのまにか立ち上がったキッスが、四角く切られたドアの窓から顔を会長の正面に覗かせていた。その髪が動いた。キッスの金髪に、黒いものがうごめいていた。蜘蛛だった。手のひらより少し大きめの蜘蛛が、キッスの髪に潜んでいたのだった。
「………っ!?」
「ああ、驚かせてすみません。どうもこの子、飽きてきちゃったみたいで」
 キッスは蜘蛛を手の甲に移しながら、
「僕がこの牢に来てから、ずっと遊び相手を務めてくれてたんですよ。結構色んな虫がいるんですね、ここも。この子以外にも百足とか油虫とか、色々な子が来てくれましたよ。今も遊びに来てくれてたんですが、会長が来たせいなのか、この子以外は帰っちゃって」
 キッスは本当に申し訳なさそうに言った。
「そんな訳で、今日の所はお引き取り頂けますか? ただ、何度足を運んで頂いても、僕の心は変わりませんが」
 アルター会長は地下牢での事を話した。
 ビィトとポアラは話を混ぜ返さずに、黙って聞いていた。
「彼には虫に対する忌避感が無い。恐らく魔物だろうと魔人だろうと。普通の人間なら生理的な嫌悪に目を背けてしまいそうな虫でも彼は直視し、手を差し伸べる事ができる。それが先天的にか、グリニデ城でつちかったものかはわからないが」
 アルター会長はこうも言った。
「彼の中では人間も魔人も魔物も虫も、全て一直線上に並んでいる。そこに好悪の余地が入る隙は無い。唯一の例外が、ビィト、という人間の存在で、ビィトという人間が、魔人や魔物を排斥するから自分もそうする、せねばならない、と自分に言い聞かせているように見える」
「………」
 何か言い返してやりたかったが、ビィトには声が出なかった。
「夜目が利く、と彼は言ったが……彼の目から見るこの世界が、我々のものとどれ程かけ離れているかと思うと、私は戦慄を禁じ得んね。彼は確かに人間の形をしているが、その魂は、我々より遥かに魔人の方に近いのかもしれない」

>>>2010/5/19up


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