「試しに一度、キッス君を一人で魔物うずまく荒野に放り出してみればいい。恐らく彼は、徹夜して見張りせずとも火を焚かずとも、魔物に襲われる事はないだろう。それは魔物が、彼を仲間だと認識しているからだ。それも自分より上の存在だと思っているから、襲うどころか慕う方が先に来る。下手に知能を持つ魔人より、魔物や虫達の方がよくわかっているようだな。高位魔人に興味を持たれるのもむべなるかな、だ」
そうもアルター会長は言った。
会長室を出てポアラと中庭を歩きながら、ビィトは珍しくうなだれながら言った。
「キッスは……俺と出会わない方が良かったのかな……」
会長の口振りは、まるで自分が余計な事をした、と言わんばかりの口調だった。そうなのだろうか。ビィトのせいで、キッスはやりたくもない魔物退治をして、自分に付き合ってくれているのだろうか。
ポアラがばん! とビィトの背を叩いた。
「何言ってンのよ。そんな事、キッス本人に聞いてみないとわかんないでしょ。会長からの又聞きで、そんなにヘコんでどーすんの」
「………」
「それに私、知ってるもの。キッスがどんなにビィトを信頼しているか。依存ぽいなあ、と思わない事はないけれど、あんたキッス一人くらい平気で背負えるでしょ。何だったら私も一緒に背負ってあげるわよ。キッスいわく、私は『女ビィト』らしいし……二人なら、どれだけキッスが寄りかかってきても大丈夫でしょ?」
ビィトは今更のように目を丸くしてポアラを見た。
ポアラは、ちいさい子供にするようにビィトの頭を撫で撫でした。
「ポアラ……俺、改めて、お前を嫁に決めて良かったと思う……」
「バーカ。私はまだ了承した覚えはないわよ。私を奥さんにしたければ、もっともっとイイ男になって、これ位の事態、笑って対処出来るくらいの器量が欲しいわね。ま、頑張ってね」
「……ああ!」
つん、とそっぽを向いたポアラにビィトは力強く返事をした。なんていい女だ。ポアラがいてくれるから、自分は救われる。頑張れる。キッスにはそれが、自分……ビィト、だったという事だろうか。ビィト自身も、キッスを頼りにしている。あいつならやってくれる、という確信もある。
普通に親友だと思っていた。それが思ったよりキッスには大事な事だった様で、つい動揺してしまったが、ポアラの言う通りだ。キッスの一人や二人背負えなくて――救えなくて、『暗黒の世紀を終わらせる男』になれるか。どんと来いってンだ。受け止めてやるっつうの。
「よし! んじゃ早速キッスに会いに行こう。いきなり引き離されて、どうしてるか不安だったけど、地下牢の最深部にいるって会長が言ってたしな。話の内容によっちゃ、地下牢ぶっ壊して、キッス脱獄させちまおうぜ。元々、七ッ星魔人を全員倒せば助命してくれるって話だったしな。そして俺達はそうしたんだから、誰にも文句は言わせないぜ」
あんた先走り過ぎなのよ! とポアラにはたかれながらビィトは、地下牢への入り口へと走った。
キッスはうつらうつらとした半醒半睡の状態で、地下牢の床に横たわっていた。
時間の感覚が薄い。最後に話したアルター会長はこんばんは、で合っているとか言っていたが、既にそれからどれだけの時間が経ったのかさえもわからない。日に二度、差し入れられる食事の度に、壁にキズでもつけておけば良かっただろうか。……いや、不要だな。刑が執行されるまでの日を数えても不毛なだけだし、せいぜい次にこの牢に入る囚人に、前の奴は何日間入ってたのかー、と思われるだけの事だ。罪状に拠っては、次の囚人に希望か絶望を与えるかもしれない。
どちらかというと、絶望成分の方が多いかもしれないが……キッスは仲良くなった蜘蛛を両手であやしながら思った。ここは重犯罪を犯したバスターが入れられる部屋みたいだし、それなら宣告される刑も似たようなものだろう。蜘蛛はゴールデンカフスを嵌められたキッスの手の中で大人しくしている。
蜘蛛は好きだ。懐いてくれた虫の中で、一番親しみを感じる。次は蛾、かな。廊下の松明にたかっている。
見る度、蛾が焼け焦げそうで不安になるので、キッスは手招きして蛾を呼ぶ。大体は来てくれるが、しばらくキッスの髪から肩やらに止まると、また松明の方に戻っていってしまう。松明に負けたようで、ちょっと悔しい。
カサ、と暗闇から音が聞こえる。キッスの周りに集っている虫達の立てる音だ。
なんだか安心する。羊水に浸っているようだ。
いつのまにか自分は、太陽より闇を好むようになっていたのだろうか。
……まあ、人間は僕には刺々しいだけの存在みたいだし……いや、ビィトやポアラ達は別として。親切な人々もいるにはいたのだけど、大部分の人間にとって、僕は有害で不快な存在みたいだ。努力はしたつもりなんだけどなー……もういいや。疲れちゃったし。
「………!?」
ぽぽぽぽっ、と、青い鬼火が現れた。
キッスは姿勢を正して、その火を睨みつけた。鬼火は全部でよっつ。いや、五つだ。ひとつだけ小さい。
ひときわ巨大な鬼火が、人の形を取った。人……違う、魔人だ。魔人グリニデ。
「閣下……」
閣下という呼称を無意識にキッスは口に出していた。
もう、使う事はないと思っていた呼称。ビィトに味方して、人間として生きていくと決めた時点で、敬意を込めて魔人グリニデをそう呼ぶ事はないと思っていた。
鬼火は次々に、形を成していった。ベンチュラ、ロズゴート、フラウスキー……ダンゴール。
さて、これは幻覚だろうか。キッスは冷静に考えた。
ビィトとキッスに殺された魔人達は、今は穏やかな笑みを浮かべて、キッスを囲んでいる。
「お迎え……かな? じゃ、やっぱり、僕は処刑されて死ぬんだね。え? 違う?」
魔人達は揃って首を振った。
「僕を殺しに来たの?」
処刑される前に、自分達で殺しに来たのだろうか。おあいこ、だな。
「いいよ。殺して」
キッスは目を閉じた。心を静めて、その時を待つ。……あれ? いつまで経っても覚悟していた衝撃が来ない。遅いな、とキッスはちらっと薄目を開けてみた。魔人達は鬼火に戻り、それから綺麗な丸い玉になった。
「……ぐっ!?」
玉が勢いよく、キッスの胸辺りに飛んできた。
めりめりと、玉がキッスの体内に沈んでゆく。痛みは無い。が、苦しい。圧迫感がひどくて、息が出来ない。それでも、玉を振り払おうとは思わなかった。長い時間をかけて、五つの玉が全てキッスの胸に沈んでしまうと、ようやくキッスは深く息をついて、安心したように気を失った。
「くそっ!」
ビィトは思いっきり壁を叩いた。
「どこに閉じ込められてんだよ、キッス……!」
バスター協会本部には、犯罪を犯したバスターが入れられる矯正施設を兼ねた監獄、のような建物があり、ビィトとポアラはまずそこに向かった。面会の予約もしていないし握らせる心づけも無かったが、そこはそれ、ビィトの顔で乗り切った。ここ一年でビィト戦士団、というのはかなり有名になったのだ。
だからこそ、その仲間に裏切り者がいる、というのもクローズアップされたのだが。
「地下牢の中を片っ端から一室一室、見せて貰ったけど、キッスはいなかったものね……最深部、って会長が言うくらいだから、もしかしてまだ隠し部屋があるんじゃないかと思うけど……それならそう簡単に見つけられる筈がないし、向こうも教えてはくれないわよね」
ポアラも大きく肩を落としながら言った。
所長をとっ捕まえて、建物の設計図も提出させたが、怪しい部屋は見当たらなかった。
そうこうしている内に、BB・カルロッサが出て来て、追い出されたのだった。
「ちっくしょおおあのオヤジい、BBだからってえらそうにしやがってええ」
現役ブロード・バスター最高峰、BB・カルロッサは、ビィトとポアラを猫の子のように所長室から摘まみ出しながら、
「迷惑をかけるのはやめたまえ。所長は罪人を預かっているだけで、判決には関係がない」
「じゃ、誰に言ったら判決がくつがえるんだよっ!?」
ビィトは優雅に髭をたくわえた武人に怒鳴った。
「君達は既にアルター会長と話をしてきたのだろう。会長が判決を下し、キッス君自身がそれを認めたのだから、もう誰も彼を助ける事は出来ない。彼は柱にはりつけにされ、矢で射られ、積み上げた薪に火をつけられ、焚刑に処される。その流れを止める事は出来ない」
「うるっせえよ! だからキッスに会って、考え直せって言ってやりたいんだろうが!」
くらっ、とビィトの頭が揺れた。
ポアラは慌ててビィトを支えながら言った。
「ビィト! そういやあんた、今日、『寝る日』じゃ……!?」
「へっ。寝ねえよ。寝ている間にキッスが処刑されちゃたまらないもんな。俺は絶対キッスに会うぜ! あいつがいつまでもぐだぐだ言うなら、問答無用で牢ぶっ壊して、キッスさらって逃げてやる。俺達も犯罪者になっちまうけど……いいよな、ポアラ?」
ビィトは目を擦りながら、小声で、普通の少女には受け入れがたい提案をした。
ポアラも間髪入れず答えた。
「あったりまえじゃない。幾ら魔人の部下だったからって、キッスが直接手を下した訳じゃないし、死刑って判決は重過ぎるわ。逃亡しながらもキッスと私達がバスターとして既成事実を積み上げれば、きっとわかって貰えるわよ。キッスは人間の敵じゃない、って」
>>>2010/5/21up