薫紫亭別館


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 その日は朝からざわついていた。
 ポアラは胸騒ぎを覚え、宿屋の窓から外を見下ろした。
 通りを、一定方向に人が進んでゆく。がやがやと、喧騒に混じって処刑だの、いつ? 今日? だのという会話が聞こえる。今日?
 ポアラは振り返った。ビィトはベッドの上で夢の中だ。一瞬、ビィトを何とかして叩き起こそうかと思ったが、まずは確認が先だと、ポアラはビィトを残して外へ出た。宿のおばちゃんに、たまにビィトの様子を覗いて貰えるようお願いしてから。
 人々は門の外へ向かっているようだった。ポアラも流されるままついていった。
 グランシスタの門の外には柱が立てられていた。
 柱の周りにはぐるっと枯れ枝の束や薪が積み上げてあり、どう見ても、焚刑の準備なのは明白だった。
 焚刑に処するのに、街の内部では色々と都合の悪い事があるのだろう。
 ポアラは首を巡らせて、ある人物を探した。
 長い黒髪に、ピンクのジャケットを着たミルファ。華やかな彼女はどこにいても目立つ。ミルファなら、この事態を正しく説明してくれると思ったのだ。だがミルファはいなかった。代わりに見つかったのは彼女の師だった。
「BB・カルロッサ。これは……!?」
 ポアラは走っていって、カルロッサに呼びかけた。
 カルロッサは他の、バスター協会から派遣された人々に指示を出していた手を止めて、ポアラに向き直った。
「ポアラ……来たのか」
 それが如何にも来ない方が良かったのに、という言い方だったので、ポアラは思わず語気を荒くして言った。
「何なんですか、これは!? まさか、キッスの……!?」
「見ての通りだ。キッス君は今日、正午に処刑される事が正式に決定した。我々はその準備で忙しい。さあ、わかったらもう行きなさい、ポアラ。君はここにいない方がいい」
 カルロッサは諭すように言った。
 ポアラは首を振った。
「嫌です! どうして今なんですか!? ビィトが都合よく寝ている時に限って、何故!? もしかしてバスター協会は、ビィトが眠るのを待っていたんじゃないですか!?」
「否定はしない。ビィト君は、これからのバスター達の憧れと羨望の的になるだろう。その彼に、一点の曇りも負わせたくない、というのがバスター協会の見解だ。君達は、もう充分にキッス君に良くしてやったろう。協会も、手は差し伸べたつもりだ。その手を振り払ったのはキッス君だ。彼がこうなったのは必然だ。これが彼の運命だったのかもしれない」
「運命なんかじゃないわ。あのヘタレが、自分から死に向かって突き進んで行きたい訳ないもの。何をトチ狂ってるのか知らないけど、私の役目はキッスをひっぱたいて正気に戻す事よ。お願いです、BB・カルロッサ。処刑前に、私とキッスを会わせてくれませんか?」
「それは出来ない。君達にはキッス君への脱走幇助の嫌疑がかかっている。刑が終わるまで身を慎んで、大人しくしていたまえ」
 暗に、君達まで罪を犯す事はない、と言ってくれているのだが、ポアラは納得出来なかった。
 どうしたらいいのだろう。頭脳労働はキッスの役目だろうに、ああ役に立たない。ふと、ここにいないミルファの事が気にかかった。ミルファも何かの容疑をかけられて、謹慎させられているのだろうか。
「BB・カルロッサ。ミルファは……?」
 ポアラはカルロッサに聞いてみた。
「ミルファなら今朝、もうここにいたくない、と言って、グランシスタを出て行ったよ。いずれ戻って来るだろうが、刑が執行されてほとぼりが冷めるまで、身を隠すつもりだと思う。その方がいい、と私も賛成した。あの子はキッス君に、特別な感情を抱いていたみたいだし……」
「そこまで知っていて、キッスを処刑するんですね」
 ポアラはきびすを返して、もう後も見ずに駆け出した。とりあえずミルファを追い掛けようと思った。刑はどうも急に決まったみたいだし、朝、出たならそう遠くへは行っていないだろう。
(ああ、もうっ!)
 色んな事が一度に起こり過ぎて、対処出来ない。ビィトは寝てるし、スレッドは傍観者の姿勢を崩さないし、力になってくれそうなのはミルファだけだったのに、ミルファにまで失踪されたらポアラの手に余る。いや、元々そんな器は自分には無いと知っているけれど、やれるだけの事はやって後悔したかった。
(まだ正午まで時間あるわよね)
 自分でリミットを決めて、この時間までにミルファが見つからなかったら取って返す事にして、ポアラは走った。


 キッス自身は、デザートがついた微妙に豪華な食事を見て、ある程度の見当はついていたようだ。
「……という事で、正午に決定した。異論はあるかね?」
「ありません」
 アルター会長の問いに、簡潔にキッスは答えた。
 牢は、実は本部にほど近い、会長の住む官舎の地下にあった。官舎といっても、バスター協会の会長が住む館だからそれなりに広く、設備も揃っていた。牢はその設備の内のひとつだった。会長自ら抑えなければならない重犯罪者用の地下牢だ。場所はもちろんトップシークレットで、そんな牢がある事を知っている者も会長と、ほんの一握りの人間しかいない。
「随分と穏やかに聞くのだな。達観しているようにも見える。……君は、もっと感情に流されるタイプだと報告を受けていたのだが……」
「そうなんですか?」
 キッスはうーん、と目を閉じて小首をかしげて、
「確かに、そう言われても仕方ないかも……でも、今回だけは特別です。いずれ、誰かが僕の罪を裁きにやってくるだろう、というのは最初の最初から、わかっていましたから。その時が来たら黙って従うつもりだったのに、ビィトやポアラが庇ってくれるものだから、つい甘えちゃって。でも、もういいんです。僕は協会の決定に従います」
「………」
 また、少し雰囲気が変わったような……何処がどうとはいえないが、とアルター会長は思った。
 これから死ぬというのに、キッスは何ひとつ動じていないように見える。虚飾とは思えなかった。会長は自分でも予想もつかぬ事を言った。
「そ、そうか……ところで、何か他に思い残した事はないのかね? 小さな事なら、私の権限でさせてやれるかもしれない。例えばビィト君達に手紙を書くとか、あれが食べたいとか、湯浴みをしたいとか……」
 こんな、情けをかけるような言葉、浴びせるつもりは無かったのに。
 キッスはお気持ちだけで十分です、ありがとうございます、と頭を下げて、アルター会長をいたたまれない気持ちにさせた。では正午に、と会長は言い置いて、足早に逃げるように牢を出た。


 ポアラは走っていた。
 門に、ミルファがどちらの方向へ向かったか聞いた。幸い、門はミルファを覚えていて、ポアラに教えてくれた。ミルファがBBで、若くて綺麗な女の子で良かった。一日に何十人も行き来する門では、特に今日みたいな騒がしい朝は、ミルファくらい有名で目立つ女の子でなければ周囲に埋没して、門の記憶に残らなかった事だろう。
 門の外には荒れ地が広がっている。見晴らしはいい。更にここはバスター協会本部があるグランシスタの近くだから、魔物が出る率も少ない。なるほど、刑を門の外で行う理由がわかる気がした。仮にも死刑、という血生臭い事を行うのに、街の中はふさわしくない。しかも今回は焚刑だ。出る煙や火で延焼でもしたら目も当てられない。後片付けも適当でいいに違いない。
 なんだか凄く腹の立つ気分だった。全てがキッスに死ねと言っているようではないか。
「!」
 ポアラは目の端に目指す人影を捉えた。走る方向を修正して、大声で名前を呼ぶ。
「ミルファ!!」
「……ポアラ……?」
 ミルファは泣いたと丸わかりな目で振り返り、立ち止まった。
「ミルファ、良かった、追いついて。ミルファもBBなんだから、その権限で、キッスとの面会だけでも何とかならない!? あのバカまた煮詰まってるみたいだから、頭冷やさせないと……」
 息を切らせながら言うポアラに、ミルファはふるふると首を振った。
「駄目なの。私も、私だけでも話せないかと思ってカルロッサおじさまに訴えたんだけど、もう、おじさまの力でもどうにもならないって。アルター会長でも、もう止められないって。決定して、命令を下して、みんながそれに向かって動き始めてしまったから、刑が執行されるまで、事態は収束しないって……!」
 ミルファは、またも目に涙を溜めて言った。
「おじさまは、キッス君の物語はまだ終わらないって言ったの……!」
 ミルファはその場にしゃがみこんだ。
「嘘つき。彼は特別だって言ったくせに。奇跡を待っていると言ったのに……会長に言われるまま、処刑台の準備なんかして、もう信じられない。それは、バスターには会長の言う事は絶対だけど、あんな風に慰めてくれるのなら、準備の指揮くらい断ってくれたっていいじゃない。こんな事なら、おじさまの言う事なんか聞かずに、強引に面会してれば良かった。私にだって、昨日までならそれ位の権限あったのに……!」
 膝に顔を埋めて泣くミルファを、ポアラはしばらく声もなく見つめていたが、
「私、グランシスタに帰るわ。ミルファ」
 帰ってどうするの、とミルファは聞いた。
 ポアラは答えた。
「わからない。でも見届ける。それがキッスへの、私にとってのけじめだと思うから」

>>>2010/6/4up


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