薫紫亭別館


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 ポアラを見送って、ミルファはまたも歩き始めた。
 ポアラは強い。自分には、キッスの死を見届ける事など出来そうにない。とぼとぼと、足もとばかり見て歩いていたから、反応が遅れた。
「………!?」
 声が聞こえた。誰かが魔物に襲われている声だ。近い。
 声を頼りに、そちらへ走る。旅装束の男が三人、甲虫っぽい魔物に襲われていた。ミルファが横から蹴りを繰り出して、魔物と三人の間に割って入ると、魔物はあっけなく引いた。それはちょっと、ミルファを拍子抜けさせる位だった。
「あ、ありがとう……君は、グランシスタのバスターかね?」
 男の一人がマントのフードを撥ね上げて礼を言った。初老と言っていい年齢だろうが、栗色の髪はまだふさふさしていて、目には知性の光が宿っていた。後の二人もフードを脱いで頭を下げた。こちらはまだ全然若く、初老の男性の従者だろうか? と、ミルファがいぶかしく思っていたら、
「私の名はフィカス。黒の地平トロワナでうだつの上がらない学者をしている。キッス君が処刑されるという噂を聞いて、急いでここまでやって来たのだ。どうか、我々に彼の弁護をさせて貰いたい」
「黒の地平……!?」
 ミルファは驚愕した。では、このフィカスと名乗る初老の男性が、キッスにとっての奇跡なのだろうか。
 この人物は、キッスが黒の地平で為した事を知っているのだろうか!?
「……案内します。急いでください」
 時間が無い。正午まで後もう幾らもない。ポアラが戻った刻限でギリギリだった筈だ。
 ミルファは始め、早足で三人を先導して歩いていたが、思う以上に彼等の疲労は深く、ミルファは思い切ってフィカスと名乗る男性だけをおぶって、走って戻る事にした。後の二人には申し訳ないが、自力で辿り着いて貰うしかない。二人もそれで快諾した。
 どうか、キッス君を助けてやってください……と、それだけを告げて。


 キッスは久しぶりの光に目を細めた。
 眩しい。日射しってこんなに強いものだったっけ? 地下牢から出る前に、キッスは後ろ手にゴールデンカフスを嵌め直されていた。嵌め直したのはBB・カルロッサだった。逃げろと言わんばかりにゆっくりと、緩慢な所作だった。カルロッサらしくもない。キッスは口の中で笑った。
 そのカフスもきちんと錠をされた訳ではない。手首がなんとなく、緩い。気を遣って貰って嬉しいけれど、自分は逃げるつもりはないから有難味も半減だ。もちろんこんな事は、アルター会長もいる前で、口には出せなかったけれど。
 上半身にも縄をかけられて、牢を出、官舎を出、バスター協会本部から門へと至る道を歩く。
 野次馬が大勢集まっている。何か罵声を浴びせている者もいるようだけど、正直、カボチャとしか思えない。何かを投げつけられる事が無かったのは、一緒に歩いてくれているBB・カルロッサのおかげだろう。もう一生足を向けて寝られないな。それもあと数時間で終わりだけれど。
 門を出ると、キッスの為にしつらえられた処刑台が目に入った。いささか貧相に見えるが、どうせ燃やしてしまうのだから、材質は安物で充分だろう。何だか妙に納得する。
 人が一人通れる隙間を開けて、薪が積まれていた。
 キッスは縄をカルロッサに握られてそこを歩いた。奥の方の薪が湿っていた。これもカルロッサの指示なのだろうか。いや、燃やされるなら一気に燃えたいんだけど。これでは煙ばっかり出て、燻製にされそうなんだけど。生焼けは嫌だ、やっぱりウェルダンでないとね。
 キッスは足取りも軽く柱まで行き着くと、やはりカルロッサに柱に縛りつけられた。
 カルロッサは何か言いたそうな顔をしていたが、何も言わなかった。
 台の上で一人になって、改めて周りを見渡す。
 正面に、弓を構えたバスターがいる。五人だ。ハズしても大丈夫なように、多めに揃えたのかもしれない。しかし弓とはレトロな。グランシスタなら銃だって、品揃えが充実している筈だろうに。
 そこから少し目を横に逸らすと、正装したアルター会長がいた。
 完璧に表情を消していて、何を思うのか、読み取る事が出来ない。まあ、どうでもいい。
 それから……群衆に紛れて、ポアラ。そのすぐ後ろに、スレッド。
 どこかで落ち合ったのだろうか。ビィトはいない様だった。多分、寝てるんだろう。その方がいい。
 見て、気持ちいいもんじゃないだろうし……それが多少なりと知っている人間なら、尚更。
 わざわざ死刑を見に来る野次馬達の気が知れない。
「……よって、被告人キッスを、焚刑に処す……」
 キッスは上の空でアルター会長の口上を聞いていた。もうすぐ全てが終わる。
 アルター会長の手が上がった。弓を射る合図だ。あれが降り下ろされた時、自分は死ぬ。
 限りなく安らかな心持ちで目を閉じる。
 が、次の瞬間響いた声に、思わず目を開いた。
「――待ってくださいっ!!」
 群衆を掻き分けて、黒髪の女の子が前に進み出る。ミルファ。誰かを背負っている。あれは……、
「フィカス博士!?」
「キッス君っ! 助けに来たぞっ!!」
 ざわざわと、群衆がどよめく。アルター会長も機を失って、手を下ろす。
 フィカス博士はミルファの背から降りると、アルター会長に向かって呼ばわった。
「初めまして、貴君がバスター協会の会長ですかな? 私はフィカスと申す。黒の地平、魔人グリニデの下で、僅かな間だがこのキッス君と一緒に働いていた。いや、働かされていた、というべきかな」
 ざわめきが一層大きくなった。フィカス博士は続けた。
「だが、私が魔人グリニデの下を脱する事が出来たのは、彼のおかげだ。私達が逐電しようとして失敗し、殺されそうになった所を、彼が身代わりにグリニデに絶対服従を誓う事で、私達を逃がしてくれたのだ。私と……私の助手二人を」
 ポアラとスレッドは顔を見合わせた。初耳だったからだ。
 なんだかんだでポアラを気にかけていたスレッドは、ポアラの動向を窺っていて、ポアラが戻って来てから見届ける為に、一緒に処刑台までやって来ていた。スレッドも、本気でキッスに死んで欲しい訳ではないのだ。
「なるほど、貴方の言いたい事はわかりました。フィカス……博士? しかし、貴方の主張が嘘でない証拠は何処にも無い。そしてキッス君は、今までグリニデの下にいた時の事を、私達に詳しく話した覚えもない。そんな事情があるのなら、もっと早くに話してもいいのではないですかな?」
 アルター会長は冷静に反論した。
 フィカス博士は激昂して怒鳴った。
「あんた方に何がわかる。結果を出せなければ殺される、そんな毎日で、私より以前にも、沢山の学者達が殺されていったんだぞ。そんな記憶、思い出したくないに決まっているだろうが!」
 フィカス博士はわなわなと、こぶしを震わせながら言った。
「キッス君はそんな世界に一人踏み留まって、これ以上、学者達が犠牲にならないようにしてくれたのだ。黒の地平は確かに魔人に蹂躙されたが、それは、ただのバスター一人に負わせていい罪ではない! あんた方は何をしていた!? 黒の地平の人口が十分の一になるまで、手をこまねいて見ていただけではないか!!」
 フィカス博士の言葉に、辺りは水を打ったように静まり返った。
 が、それも一瞬だった。
 ボコボコと、地面が隆起した。やがて地面を割って現れた巨大なクワガタかムカデの様な魔物に、周囲は騒然となった。魔物は明らかにキッスを庇うようにキッスを背にして、人々を襲っている。
「ジャガーム……キッス君を助けに来たの!?」
 ミルファが茫然としてつぶやいた。
 ジャガームは同じ穴から二匹、三匹と這い出てきた。人々は悲鳴をあげて逃げ惑った。
「やはり……彼は魔物の仲間だった! 弓を!!」
 アルター会長が命令するが、弓手は浮き足立っていて、それどころではない。
 ポアラはハッとした。
 今だ。キッスを逃がすなら、今しかない。
「スレッド!」
 ポアラの声にスレッドはすかさずサイレントグレイブを生成し、その透明な風の刃を飛ばして、見事にキッスを縛り付けている縄だけを切った。
「行きなさい! キッス!!」
 ポアラは叫んだ。
「あんた前言ってたわよね、生きながら人間から魔人に転生したって! 魔人寄りになったら殺してくれって! もういいからあんた、魔人になりなさい!! こんな、助けてもくれない人間なんかでいる事ないっ!!」
「………」
 キッスは後ろ手にゴールデンカフスを嵌めたまま棒立ちになっていたが、
「ありがと、ポアラ。吹っ切れた」
 パキン、と軽い音がした。キッスが腕をひねっただけで、最硬度を誇るゴールデンカフスは粉々に砕けていた。それがどんなに異常な事か咄嗟に理解出来たのは、わざと緩くカフスを嵌めた、BB・カルロッサだけだった。キッスは言った。
「ポアラ、伏せて。スレッドも。ミルファはフィカス博士を守ってあげて」
 キッスは天に向けて両腕を掲げ、深呼吸し、そして勢い良く降り下ろした。
 キッスを中心に、衝撃波が広がる。
 ポアラは驚いた。これは、まさか、グリニデの……!?
「……怒剛裂波……っ!?」
 ポアラはスレッドの頭を押さえつけて伏せた。ミルファも、本能的に危険を察知したのかフィカス博士をかばって身を縮めている。それ以外の者達は、異常を認めたBB・カルロッサを除いて全員、ジャガームもろとも怒剛裂波の衝撃波に押されて円形に吹き飛ばされていた。
 キッスは一人、柱も薪も無くなってすっきりした円の中心に立ち、
「すみません。ただちょっと、僕から離れて欲しくて……怪我はないですよね。加減しましたから」
 呻く人々を見回して、申し訳なさそうに言った。
 比較的ダメージの軽かったバスターの一人が、キッスに向けて天撃を放った。
 キッスも同じく天撃で相殺した。
 キッスはやはり天撃の達人だ、とポアラは思った。では、今の技は!?
「……大怪蝶!」
 キッスは片手をひらひらさせて、蛾の魔物を呼んだ。
 どよめきが走った。荒れ地しか見えなかった場所にいつの間にか、キッスと群衆を更に取り囲むようにして、様々な種類の魔物達が様子を窺っていた。そこから一匹の大怪蝶がキッスの呼びかけに応えて飛び立ち、キッスの前に降り立った。この為にキッスは障害物を取り除いたのだろうか。
 キッスは大怪蝶の背に足をかけた。
「攻撃しないでください。彼等は僕を迎えに来ただけだから、僕がここからいなくなれば彼等も消えます。これを無視して攻撃した場合の命の保証は出来ません。だから、何もしないでください」
 衝撃波に目を回していたジャガームも、そろそろ目覚めて見物の一般人達を恐怖に陥れている。
 ポアラは混乱からいち早く立ち直り、
「キッス! あんた……!?」
「僕、魔人になるよ。ポアラ」
 キッスを背に乗せて、大怪蝶ははばたいた。
「ありがとう。君が背中を押してくれたから、踏ん切りがついたよ。魔人になっても、僕は人間でもあるから安心してね。僕は人間として生まれた訳だし……ずっと人間としての運命に殉じようと思ってたけど、僕みたいな奴でも魔物達は必要としてくれてるみたいだし。僕は最初の、人間と敵対しない魔人になるよ」
 キッスを乗せた大怪蝶は空に高く高く舞い上がった。
「さよなら」
 言葉だけを残して、キッスを乗せた大怪蝶は彼方に消えた。
 同時にジャガームも、人々を取り囲んでいた様々な魔物達も、地中へ、荒れ地の向こうへ、速やかに消えていった。人々はぽかんと口を開けて、何かに化かされたような顔をして、魔物達を見送った。倒れた柱と吹き散らされた薪、地面にジャガームの開けた穴が、夢ではない証拠に残っていた。

>>>2010/6/5up


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