薫紫亭別館


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「……典型的な神経症の症状ですな」
 そう言っている、ナルド医師の声が聞こえてきた。
 どうやらあのあと、レオナ達は合い鍵を使って部屋に入り、失神したオレを見つけ、城の典医であるナルド医師に見せたらしい。
 オレは意識を取り戻してはいたが、ナルド医師の診断が聞きたくて、目を閉じたままにしておいた。
「もうちょっと難しく言うと、自律神経失調症ってヤツですな。お話を伺うかぎりでは、なにやら知らんが、勇者どのは妙な強迫観念にかられて、人を信じられなくなっておる。いったい何が原因なんだか──ここ最近で、勇者どのに変わったことは?」
「そういえば……」
 レオナとともに、そばにいて話を聞いていたらしいデリンジャーが口をはさんだ。
「実は、こうなられる少し前、私はダイ様に課題をほどこしたのでございますが、驚くべきことに、ダイ様はそれを授業の始まる前の、短い朝食の時間に解いてこられたのでございます」
「そ、それは大変だわ。ダイ君が真面目に宿題するなんて」
 失礼なレオナの、おどけたような言い草も聞こえる。
「はい。それ自体はまことに結構なことで、特にいぶかしんだりしてはいけないのでしょうが……それには、間違いがひとつも無かったのでございます。書き損じた跡もございませんでした。私は、ついダイ様にカンニングでもされたのではないかと疑念を投げかけてしまったのですが、ダイ様は言下にそれを否定なさいました。予習の成果だと言われれば、私には何も反論する論証はありませんで、結局その疑念は立ち消えになってしまったのですが、どうも腑に落ちない、すっきりしない観じは残りました。今にして思えば、ダイ様の変調はあの頃から始まっていたのではないかと……」
「それは大変な情報だわ、デリンジャー」
 硬い声でレオナが言った。
「どう考えても、それは──ダイ君が嘘をついているわね。言っちゃあ悪いけど、ダイ君て、勉強に関してはそう飲み込みがいい方ってワケじゃないもの。ううん、それはいいの。ダイ君の頭が多少悪くたって、私の気持ちは変わらないし、その弱点をカバーしてあげることだってできるわ。だから問題なのは、ダイ君が、嘘をついた、その一点なの。ダイ君の一番いい所は、いつもいっしょけんめいで、嘘をついたり誤魔化したりしない所だったんだから」
「さようでございます。私も、そう思います」
 力なくデリンジャーも同意し、部屋には、息をするのさえはばかられるような、重苦しい沈黙が落ちた。
 ここでオレは目を開けて、何もかも話してしまいたい衝動にかられた。しかしそれは出来なかった。
 心臓が、ひときわ高く脈打ったかと思うと、急速に心臓はその動きを弱め、貧血になったときのように寒気がし、オレは酸素を求めて大きく口をあけ、あえいだ。
「これはいかん。悪いが、二人とも出ていってくれ」
 医師は女王と教育係を部屋から追い出して、枕をとって頭の位置を低くし、手足に毛布を巻いて暖めるなどの応急処置をした。
 そのかいあってか、呼吸も楽になり、心臓も、もとの速さをよほど取り戻してきたようだった。
「……ヘンじゃのう。さきほど診察したときには、勇者どのにはどこも悪いところも、疾患も無いと思ったのじゃが」
 首を捻るようなナルド医師のつぶやきが聞こえた。そのとき、ようやくオレは悟った。
 テルは、テル・テール・ハートは、自分がオレと一体になっていると知られたくないのだ。初めからそのように仕向け、誘導していた。
 オレがそれを明かそうとすると、こうして自ら鼓動を弱め、心臓麻痺に近い状態をつくりだし、いつでも、オレの口を封じることが出来るのだ。
(そのとおり。気づくのが遅かったな、ダイよ)
 オレは歯噛みした──つもりだったが、新たに襲ってきた心臓の痛みに背を丸め、胸をかきむしるようにして、耐えることしか出来なかった。
(ま……待て、テル! こんなことをして、オレが死んだら、おまえも同じ運命を辿るんだろう!?)
 心の内で、オレは声を振り絞って叫んだ。
(馬鹿だな、ダイ、本当に私の言うことを信じたのか。いまどき珍しいくらいおめでたい男よな──これは、面白いからそのままにしておいて、観察したいくらいだが、そうも言ってられん。心配するな、君のやりたかったことは、私が責任持ってやってやる)
(……どういう意味だ!?)
(私が君にとって代わる、という意味だよ、親愛なる宿主どの。君はもう、この体のあるじではない。私が、この体を支配するのだ。君はそこから、指をくわえて見ているがいい)
(テル!?)
 テルの言葉つきは、しだいに意地悪く、横柄になっていくようだった。あの落ち着いた、ていねいな言い回しは、すべてオレを安心させ、信用させるためのものだったのだる
 気をとりなおし、挑戦するようにオレは言った。
(なるほど、おまえの狙いはわかった。だが、どうやってオレの体をのっとる気だ!? 俺がおとなしく、支配されるのを待っているとでも思うのか!?)
 おそらく、オレが死んでもテルが死ぬことはないのだろう。それは充分に察せられた。
 しかし、死なれても困るわけだ──今の話によると、テルはオレの体を思うまあやつり、俺に成り代わるつもりなのだから。
 死んでいては、さしものテルも、死体を動かすことは出来ないだろう。殺される心配はなさそうだ。
 だがその先に待っているものは、死より悪いかもしれない。
 ごくりと唾を呑みこんで、オレは返事を待った。
 やがて地の底から響いてくるような、邪悪なふくみ笑いが聞こえてきた。笑い声はだんだんと大きくなり、最後には耳をふさぎたくなるような哄笑となった。
(愉快だ──まったく愉快な男だな、君は!)
 テルは嘲った。
(君はまったく、いま自分が置かれている立場がわかっていないらしい。そう、たとえば……君は、自分の足が動くかね?)
(え!?)
 思わずオレはうつむいて足もとを見──実際にはオレの体は寝台に横たわっていたので、これはまったく抽象的なイメージだったが──自分の足が、石か何かに変わってしまったかのように、重く硬く、動かなくなっているのを知った。
(君の両手は動くかね?)
 オレはヒジを曲げて手のひらを見ようとした。
 そしてそのときには、両肩に鉛の棒をぶらさげたような痛みを感じ、腕を曲げることはおろか、指先の感覚さえ、オレには伝わってこなかった。
(ま、まさか──……)
 周章狼狽してオレは言いよどんだ。
 テルはせせら笑うように、オレに言い聞かせた。

>>>2002/11/9up


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