「熱でもあるんじゃないか? 今日はいいから、城へ帰って休めよ。心配するな、おまえがいなくても、やりかけた掃除はきちんとするから。オレだって、やるときはやるんだぜー。だから帰れよ、な?」
「い、いや、そんなこと全然ない! 元気元気、さ、掃除頑張ろー!」
急にオレは調子を取り戻し、取り戻しすぎな気もするが、勢いよく言って手を動かしはじめた。
とたんだった。
「痛ッ!!」
手のひらが剣の刃先で切れて、血がだーらだーら流れている。ほんとに今日はおかしい。
今まで何回もこうやってきたけど、ケガしたことなんてなかったのに。
「かせ。回復してやる」
言いながらポップは手をとって、回復呪文をかけようとした。
オレはぱっとひっこめた。
「ダイ!?」
目をまん丸くしてポップがオレを見ている。
「いや、だからね、オレの手なんかもともと傷だらけで皮膚もカタくて、だから今さらひとつくらい傷が増えたってどってことなくてね」
「……なに言ってんだ? ダイ」
オレだってわからない。
「……やっぱ熱があるんだな。かわいそうに。薬を調合してやるよ。台所まで歩けるか? どうせもうおやつの時間だし、ちょっと早いけどおやつにしよう」
ポップ特性のハーブティー。
解熱、鎮静効果がある。ゆっくりとお茶を飲みくだしながら、オレはようやく落ち着いた。
「入るなら何か食っとけ。腹がへっては戦が出来ぬって言うだろ!?」
ポップの持論だ。
常々、ポップは、食はすべての基本だと豪語してはばからない。
食事は『なめとこ亭』で摂ることが多いので、台所にはロクなものが置いてないが、それでも夜食用にと、ハムやチーズやクッキーくらい常備してある。
ポップはいつもの倍以上の分量を大皿に盛りつけて、オレの前にどんと置いた。
大量のそれらを見てオレはこっそり冷や汗をかいた。
「……ポップ……」
「なに? 足りない!? そうかわかった、もっと切ろう。いや、これじゃ栄養が片寄るな。仕方ない、買いに行くか。ちょっと待ってろ、すぐ戻る」
言うなりポップは出ていった。
ときどきポップは、オレの意見を勝手につくってくれる。
そしてそれは、たいてい見当違いのことが多い。
(あいかわらずだなあ……)
自然に顔がほころんだ。
あれは地なのかワザとなのか。たぶんその両方なのだろう。
どうあれ、ポップが自分を想ってしてくれたことには違いない。
おとなしくオレはクッキーのひとつに手をのばした。
今日は夕食は入るまい。
胃薬も用意しておいたほうがいいかもしれない。
手の傷の血はすでに止まっていた。
出血はハデだっが、そんなに深くもなかったのか。
いや、竜の騎士の血のおかげだろう。竜の騎士の父親に感謝する。
そっと傷をなでる。
どうかポップの傷が、こんな残るような傷じゃありませんように。
※
「……様、ダイ様」
オレを呼ぶ声が聞こえる。オレはゆっくりと目をあけた。
「おなかの具合はいかがでございますか? ダイ様」
「デリンジャー」
寝台のわきに立っていたのは、オレの専任教師のデリンジャー老人だった。
ふわふわの雪みたいな髪とひげを持っていて、眉としわに埋もれた目は柔和に細められている。
オレは穏やかで礼儀正しいこの老人が大好きだった。
「うーん……ちょっと良くなってきたみたい」
オレは横になったまま答えた。
「それはよろしゅうございました。ナルドの処方した薬が効いたのでございますね。昨夜お帰りになられたときは顔色も真っ青で、私もナルドもどうしたものかと途方に暮れてしまいましたが、このご様子なら心配なさそうで安堵いたしました」
ちなみにナルドというのはレオナの主治医で、御典医なのに城の近くで開業しているちょっと変わったお医者さんだ。はげ頭に申し訳ていどに毛が生えていて、それをとても大事にしてる。難点は、くれるお薬がとんでもなく苦いことだろう。
「しかしダイ様。いくらポップ様とお会いになって食がすすんだとはいえ、少々食べすぎなのではありませんか」
うぷ。思い出してしまった。
ポップが『なめとこ亭』からテイクアウトしてきた料理の数々。
オレは気持ち悪くなって、口もとを手で押さえた。
そんなオレに非常にもデリンジャーが言った。
「ともかく、今朝の授業はここで受けていただきます」
「えええっ。オレ病人なのにっ」
思わず身を起こしかけたけど、おなかに力が入らなくて、へなへなとまた横になる。
いつかポップに言ってやらなきゃ。
腹がいっぱい過ぎても戦は出来ないって。
「自業自得です。自己管理の薄さから招いたことです。そのようなことでは授業を中止するわけには参りません」
デリンジャーはきっぱり言った。
ここで、これはポップのせいだと主張しても無駄だろうな……やっぱり。
アッピアシティに出かけない日は、毎日がこうやって過ぎてゆく。
とくに不満に思ったことはなかった。
カリキュラムは充分なゆとりを持ってつくられていたし、お茶のあとは自由時間になる。
近習にも近衛兵にも仲の良い者はいたし、戦士たちに稽古をつけるのはオレの重要な趣味だった。
ポップに仕込まれたおかげで、厨房から食べ物をくすねてくるのもお手のものだったし、釣りの仕方やカードの繰り方も教えてもらった。
だからひまを持て余すとか、話相手がいないというわけでもないのだけど、どうも最近は、やっぱり、ちょっと、寂しい……かな?
「ダイ様」
デリンジャーの声に、オレははっと引き戻された。
「な、なに? デリンジャー」
「やはり聞いておられなかったのですね。寝台の寝心地がいいのはわかりますが、今はこちらに集中して頂かないと困ります」
「ご、ごめんなさい」
オレは素直に謝った。
「態度殊勝につき、三章を写すだけで大目に見ましょう。明日の朝、提出してください」
「デリンジャー!」
まずった。
デリンジャーは声を荒げたりすることはないが、そのぶん怒りは深く静かに沈殿している。
へたに謝ってもどうにもならない。
デリンジャーの怒りがとけるのは、反省を、形にして出したときだけだ。
今回なら、『三章を写してくる』といったような。
いや、一人いたな……デリンジャーの怒りをかわすのが得意なヤツ。ポップ。
舌が三枚くらいありそうなヤツだから、理屈をこね回していかにも自分はまちがってない、と思わせる天才だった。
「……ダイ様。四章も追加いたしましょうか?」
低く静かに老人が言う。
オレはぷるぷると首をふって、ぶ厚いテキストに集中した。
>>>2001/5/9up