薫紫亭別館


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 オレってヤツは頭に血がのぼるとそれだけになって、猪突猛進しちゃうのだけど、それで後で思い返して真っ赤になったりするのだけど、でも。
 後悔はしてない。
 あんなことまで仕掛けておいて、あれは気の迷いでしたすみません、と言うほうが失礼だと思う。
「……どうなされました? 最近、ずいぶんと熱心に学業にいそしんでおられますな」
 おずおずと教育係のデリンジャーが言った。
 そうだろう。この三週間というもの、オレは全く外出せずに、休日や自由時間まで使って、遅れがちだった勉強を先にすすめていた。
 こうなって初めて知ったけれど、勉強というのは頭を冷やすのにもってこいの手段だ。
 簡潔で美しい数字の世界や理知的な文章は、世俗のいっさいを忘れさせた。
 しかし、ちょっと気をぬくと、その隙間から法衣の顔が浮かびあがってきてしまう。
 ううん、顔だけじゃなくて、もっと、一瞬だけ見た肌の色とか。
「ダイ様。何かお悩みごとがお有りでしたのなら、この私でわろしければ、どうぞご相談にのらせてください」
「ありがとう。でも本当に何も無いよ。心配性だね、デリンジャー」
 オレは老人を安心させるように笑って言った。
 本心じゃないのは、向こうにもわかっていただろう。
 オレの急激な変化には、裏があるとはレオナもデリンジャーももちろん気づいていると思う。それが、ポップに関係しているということも。
 あれだけ大騒ぎしてスケジュール表までつくってもらって、休日のたびに訪ねていたのがぴたっと止んだのだから当然だ。
 気持ちは嬉しいけど、何をどう話すわけにもいかないのだ。
 オレは親友を、親友以上に好きなことに気づいてしまった。
 この半年やけに落ち着かなかったのは、すべてそのせいだったのだと。
 といって……。
 もう、元には戻れない。
 ポップを可愛いと思う気持ち、そばにいなくて寂しいと思う気持ち。
 休日ごとに会いたいと思う気持ち。
 それらをすべてひっくるめて、恋……だということを、知らなかった頃には。
(ポップ)
 会いたいと思う。でも会いに行ってどうなるだろう。
 たずねていって、おびえられたら? 帰れと言われたら? 居留守を使われたら?
 オレはポップが恐かった。
 ポップの反応が恐くてオレはこの場に立ちつくす。
 勉強に没頭して、なるたけ考えないようにしてるけど、会いたいという気持ちは押さえられない。
 でも、その勇気が出ない。
 自分がこんなに臆病だったなんて知らなかった。
 自分はもっと強いと思っていた。
 たいがいのことは腕っぷしと剣一本でなんとかなったし、あの大魔王との戦いでさえ、みんなに協力してもらいながらではあったけど、最後はオレが幕をひいた。
 それはオレが心の中でひそかに誇りに思っていて、自信の核ともなっているものだった。
 でもそれが、今はポップをおびえさせている。
 どうしても、力ではかなわないと、あれほどはっきりと思い知らせてしまったから。
 どうして気づかなかったんだろう。ポップがオレの力……腕力に、コンプレックスを持っていたこと、オレは知っていたはずなのに。
「ダイ様」
 唐突に、またデリンジャーがオレを呼んだ。
「何?」
「本来なら今日はお休みの日でございます。いったんご休憩なされてはいかがですか? なにごとも、あまり根を詰めるのはよくないと存じます」
 どうもオレは相当思いつめた顔をしていたらしい。
 デリンジャーが気を遣って、召使いを呼んでお茶の用意をしてくれようとした。
「お茶はいいよ、デリンジャー。ちょっと、外の空気を吸ってくる」
 言い残してオレは、まだ心配そうな顔をしているデリンジャーを置いて外へ出た。
 オレはおおきく深呼吸した。
 なんだか何もかもがうっとおしかった。
 外の風は、今もこんなに心地よく吹き抜けているというのに。
 ポップとよく来た原っぱ。
 この前ここに来たのは、スケジュール表をつくってもらったその日だった。
 これでいついつ会えると、嬉しくて何度も見返した。
 まさか、もう会えないなんてことは、……そんなのは、イヤだ。ごめんこうむる。
 絶対にお断りだ。
 必死でオレは否定する。
 草の上にひざをかかえて座りこんで、以前に、ポップとここでお弁当を広げたことを思いだした。
 あれからそう何年も経ったわけでもないのに、なのに、何故こんなにもなつかしく感じるんだろう。
 泣きたくなるほど、遠い場所へ来てしまった、それはパプニカとベンガーナという地理的なものじゃなくて、ポップとオレをつなぐ、目に見えない糸みたいなものが、本当に無くなってしまったような気がして哀しくなるのだ。
「……あ」
 頬がぬれてる。本当に泣いていたのだ、オレは。
 なみだをぬぐった指先を見つめる。
 ひどく珍しい気分だった。たったひとりの人と、会えないと思っただけで泣けるなんて。
 それだけ好きで。
 好きで。
 想いのすべてがポップの方へと向いている──あふれそうなほど、はちきれそうなほど。
 ポップ。どうか、オレを拒絶しないで。恐がらないで。
 何もしない、とは言えないけれど、もう、ひどくはしないから。
 こんなに君を愛しているのに。

>>>2001/5/28


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