それを聞いたとき、オレは耳を疑った。
「……ダイ君? だからね、ポップ君がもう一ヶ月も遊びに来ないけど、どうしたんだって。なにケンカしてるのか知らないけど、ポップ君もう怒ってないみたいよ。良かったわね」
事情を聞かないでいてくれたレオナは、にっこり笑ってそう告げた。
オレは少しばかりレオナに後ろめたく思いながらも、なぜレオナがポップの心情を知っているのか気になった。
レオナはこともなげに言った。
「忘れたの? 執務室にはポップ君オリジナルの、鏡を使った通信呪文があるでしょ。鏡を魔法の媒介にして、文字をのせるアレね。ほんとはポップ君しか使えないんだけど、私でも使えるように、ポップ君が道をひらいたままにしてくれてる通信魔法」
……そ、そんなものもあったっけ。
ポップは確かに宮廷魔道士を辞したのだけど、パプニカに何かあったらすぐに駆けつけられるように、その魔法の鏡を置き土産にしていったのだった。
ふだん寄りつかない執務室にあることもあって、オレはすっかり忘れていたけれど、その鏡を使ってポップは連絡してきたらしい。
「今日は授業を中止にしていいわよ。ここんとこマジメにやってたから、ずいぶん先に進んでるし。遊びに行ってらっしゃいよ。ポップ君けっこう気難しいから、機嫌のいいときに謝っとかないと、二度と仲直りできないかもよ」
不吉なことをさらっと言う。
でもレオナの言うとやりだ。オレはレオナにお礼を言って、はやる気持ちを抑えながらルーラをとなえた。
※
ベンガーナ。アッピアシティ。
ひさびさの喧騒に耳をかたむけながら、オレは早足でポップの店へ向かった。
なんとなく人々の視線が気にかかる。オレは、この下町には似つかわしくない衣装を着てきてしまったのだ。いつもはきちんと着替えるのだけど、頭がいっぱいで、そこまで回らなかった。
やっとの思いで『ジャンク屋二号店』に着いて、ドアを開けようとして、踏みとどまる。
……どんな顔をすればいいのだ?
こんなところで突っ立っているわけにはいかない、そうでなくてもここまで人目をひいてきたのだ、さすがにこれ以上はポップに迷惑がかかる。
そのとき。
「……なにやってんだ? ダイ」
ずっと、聞きたかった声。心臓が、口から飛び出そうだった。
オレは驚いてふりかえった。
「さっさと入れよ。そんなとこいちゃ目立つだろ。オレ今メシ食ってきたとこなんだ、ダイがもう少し早けりゃまた払わせてやれたのに」
屈託なくポップは笑って言った。
無防備に背中を向けて、先に入って手招きする。
その背中をぎゅっと抱きしめたかったけど、この前の二の舞はイヤだ。
オレは下唇を噛みしめた。
「おまえが一ヶ月も来ないから、見ろ、このホコリ。オレが自分からすすんで掃除をすると思うのか、この店の売り上げが落ちたのはおまえのせいだ」
勝手なことを言っている。
もともとこの店はポップのものなんだから、ポップが掃除するのが当然じゃないか。
オレは内心むっとした。
でも、以前と変わらないポップの様子にほっとしてもいた。
「ほら、最初はハタキとぞうきんがけするんだろ。手順、忘れっちまったのか?」
ポップがバケツとぞうきんを渡してくれる。
「ありがとう」
良かった。本当に、もう気にしてないみたいだ。
オレは受け取ろうと手をのばした。
「………!」
一瞬──だったけど、ポップの動きがこわばった。
ああ、ポップはまだ忘れてはいないのだ。
よく見ると、どことなく動作がぎこちない。
顔も、笑ってはくれているけど、オレと目を合わせようとしない。
一生けんめいに、以前と同じ態度をとろうとして、そのために、ものすごい努力をしているのがわかった。
ひどく悲しい気分になってオレは作業した。
何故ここに来たのだったろう。ポップに許しを乞うためか? 違う。
「ポップ」
「な……なんだ? ダイ」
できるだけ、なんでもないように答えるポップが痛々しい。
でも今はそれどこじゃない。
「ポップ、……オレのこと、好き?」
ポップはいやそうな顔をした。
なんで話をそこへ持ってゆくんだ、とでもいうような。
ポップの考えていることが手にとるようにわかった。
ポップは、無かったことにしてしまいたいのだ。
一ヶ月前にあったことを、無かったように振る舞うことで、元通りのオレ達に戻りたいのだ。
「ごまかさないで。オレの気持ち、わかってるくせに」
「わかんねえよ。何をわかれって言うんだよ。おまえ、こないだはちょっとおかしかったんだよ。きっと寝惚けて夢でも見たんだ、あの日は朝早かったから」
振り切るようにポップが言った。
ハタキを持つ手が、力をこめすぎて小刻みにふるえている。
あの手袋の下が、見たい。傷が残っていないかどうか。
「……ダイ!」
ポップが叫ぶのを虫して、オレはポップの手首をつかんだ。
いくら用心していたところで、ポップの隙をつくぐらい、オレには造作もないことだ。
力の抜けたポップの手から、ぽろりとハタキが落ちた。
「痛い、ダイ。手が」
そうポップが哀願する。でも、どのくらいの力をこめたらいいのかわからない。
オレはこれでも、小鳥の羽根をつまむように優しく握っているつもりだったのに、これ以上力を抜いたら、ポップが逃げてしまわないかしら!?
「手が」
オレは肩を引き寄せて、代わりにポップの手を離した。
痛いと言ったのは嘘ではなかったらしい、つかんでいた箇所が、うすくアザになっている。
「ご、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」
オレが言うと、ポップは瞬時に勢いを取り戻して、
「そんなつもりじゃなかったんなら、一体どんなつもりなんだよ。もうオレわかんねーよ……何でこんなことしたがんだよ。せっかく、オレが、忘れてやろうとしてるってのに。何でだよ……」
オレにだって言い分はある。
「誰が忘れてくれって頼んだよ!? しっかり覚えてろよ、オレはポップが好きなんだよ! 好きだから、したんだよ。わかるだろ、それくらい」
「わかるかよ、わかりたくないよ!! だ、だってオレ達は、男同士で、それで……」
ポップは口をつぐんだ。
今がどんな状況か、急に、実感をともなって思い出したようだった。
オレさえその気になれば、オレはポップを好き勝手に折り畳んで、めちゃくちゃにすることが出来るのだ。
「……あ……」
まわした肩から、ポップの恐怖が伝わってきた。
人が、人にむさぼり喰われる恐怖というのは、きっとオレには永遠にわからない。
でも、想像することは出来る。
「ポップ……安心して。何もしないから」
言葉ひとつで安心させられるとは思わなかったけど、言わないよりはマシだろう。
「はあ……」
緊張の糸が切れたように、ポップはその場にへたりこんだ。
オレはポップの正面に回って、キスをした。
「……嘘つき」
ポップはいつのまにか泣いていた。
泣き顔をオレは両手で包みこんだ。
「……キスだけだよ。それい所はしない、まだ」
「正直者だな」
泣きながらポップは苦笑した。可愛かった。
オレはあごといわず頬といわずキスを降らせた。
「いや、ダイ」
ポップが顔をそむけて言った。
「……どうして?」
「こんな、のは、いやだ……って……、言った……!」
はじめからポップはそう言っていた。
わかってはいたけれど、今日の、最初のキスをいやがらなかったから、調子に乗ってしまったかもしれない。
「ポップ……オレがきらい?」
「好きだよ。好きだけど、こんなんじゃないんだ」
もどかしげにポップは首をふった。
「どうして昔のままじゃいけないんだ?」
どうして。
オレは何も言わずポップを見つめた。それは、オレがポップを好きになってしまったから。
それ以上の関係になりたいと、望んでしまったから。
「いけないわけじゃない……けど、今度はオレが問うよ。どうして、これ以上の関係になっちゃいけないの?」
ポップが好きなんだ。それだけ。
人が人を好きになるのは、そんなに悪いことだろうか?
「………」
無言でポップは目をそらした。
体のこわばりはとけていて、今、手をのばせば、簡単にオレのものになるかもしれない。
オレはそうはしなかった。
ポップがまだ、迷いの淵に立っているのがわかったからだ。
「……今日は帰る。また来るよ、ポップ」
ポップを残してオレは立ち上がった。
ようやくポップは顔をあげ、オレが出てゆくのを見送っていた。
>>>2001/6/2