それから数日、ポップは毎日決まった時間にベリンモンに水……いや、魔法力を分け与えているようだった。あの寝ぼすけが、朝きちんと起きだして、膝に石をかかえて手をかざしている姿は、乳飲み子に授乳させている母親のように見えた。
オレは鉱石植物なんてどう育てるのか知らなかったから、こんなもんかと興味しんしんで見守っていたのだけど、朝夕きっちり二回、それ以外目に入らないようすのポップを見ていると、ちょっとばかりベリンモンに嫉妬したくなったりした。
触っちゃいけないとは言われたけど、見るのは禁止されてない。
ベリンモンは順調に発芽して育っているようだった。ようだった、というのは、オレには言っちゃナンだが丸い愉快なおデキか何かが、石にできたようにしか見えなかったからだ。
もちろんそれはオレの知識不足だった。
さらにその数日経って、ポップは大声でオレを呼びに来た。
「ダぁイっ、花が咲いたぞっ、見に来いッ!!」
台所にいたオレはその声であやうく手にしていたスープをぶちまけるところだったけど、なんとか体勢を立てなおしてテーブルに鍋を置くと、足早にとなり部屋の店舗へ向かった。
「へえ……」
思わず感嘆の声が出た。
オレの予想とはずいぶんかけ離れた花だった。
ふつう、花ってのは茎があって葉があって花びらがあって、後おしべとかめしべとか、花粉だとか、そういうものをオレは連想していたのだけど、その花は……しいて言えば、貝殻にいちばん近かった。
それも南国の、大きめの巻き貝だ。
私の耳は貝の殻、海の音をなつかしむ、ってな感じのヤツだ。
あ、この詩は書き取りの時間に習ったんだけど、もうかなり昔のことなんでまちがってるかもしんない。
「きれいだろ? ダイ」
「うん。本当に」
たくさんの貝殻を花のかたちに組み合わせたような、その中心に、色は青かったけど、どこかほたるに似た淡い光があった。貝殻みたいのが葉っぱで、この青い光が花なんだ、とポップは説明した。
「んでもって、ここからが本番だ」
ポップがパチッと指を鳴らすと、それに呼応したかのようにどこからか音が聞こえはじめた。
……なんと表現したらいいのか。
水を張ったグラスが触れ合っている音のような、宝石が響きあっているような、不思議な音だ。
音は、ベリンモンからしているのだった。
「すごいだろ。これが、ベリンモンの能力なんだ。魔法力を分けてもらったお礼に、こうして音楽を奏でるんだ」
会心の作を見せびらかす芸術家のようにポップは言った。
実際そうだったのに違いない。飽きっぽいポップがここまでひとつのことに集中するなんて、滅多になかったことだから。
「もっとなついてくれたら本当は、もっと違うこともしてくれるんだけどな……まだ手入れが足りないのかな。明日から日に三回にしようかな」
ポップがぶつぶつ言ってる。
オレは、ベリンモンの音楽を聞くのに夢中でよく聞いてなかった。
たくさんの音をしゃらしゃらいわせて、バックに砂が流れるような、砂時計の砂のこぼれ落ちる音を連想してくれれば少しはわかって貰えるだろうか?
オレはベリンモンを観察した。
貝殻の葉っぱが一枚一枚ふるえ、それがこすれてこんな音がするのだった。
オレがもっとよく見ようと、石に顔を近づけたときだった。
「そうかっ名前をつけてないんだっ!!」
素っ頓狂な声がした。ポップは咽喉にひっかかっていた骨がようやく取れたような、さっぱりした顔をしていた。
「名前だよ名前。名前つけてなかったから、こいつは音楽しか奏でてくれないんだ。んーと、何にしようかな……ベルちゃんなんてどうだ? ベリンモンだから」
「ポップは何を言ってるの?」
少々呆れてオレは言った。ポップは大真面目に目を輝かせて、自分の発案に満足しているようだ。
「ベルちゃん! 単純で呼びやすくて、しかも間違えようのないカンペキなネーミングよな。おいダイ、こいつはこれからベルちゃんて呼ぶから、お前もそう呼べよな」
「いいから早く理由を教えてよ!」
ポップにくってかかろうとしたオレの目の前を、ふわっと何かが横切った。
青い淡い光。ベリンモンの花の色。
「ベルちゃん」
ポップは手をのばして、それを手にとった。
いつのまにか音楽はやんでいた。
「ポップ……それ……!?」
手のひらの上でベリンモンが跳ねている。
「……これが、お前にベルちゃんに触ってほしくなかった理由。ベリンモンは浮遊するんだ。あまり、長時間は無理なんだけど。で、浮遊したベリンモンは、たいてい自分を育ててくれた魔法力の持ち主にくっついてる。だから、お前が魔法力を与えれば、ベルちゃんはダイにもくっついてしまうんだ」
「聞いてないよ、そんなこと!!」
ポップはニヤリと笑った。
「聞かなかったろう。魔法使いを選ぶというだけで納得しちゃって、どうして触っちゃいけないかなんて質問しなかったもんな。でも、そのおかげでベルちゃんをひとり占めできたから、ダイには感謝してるよ。本当」
さ、最低───────────ッ!!
オレは怒りのあまり、思わずこぶしを握りしめた。
殴りかからなかったのは、さすがに体格と腕力の差がありすぎたからだ。
そういうことなら、ポップの言うことなんか聞かずに触りまくって、オレも魔法力を分けてあげれば良かった。オレだって、ベルちゃんになついてほしい。
そんなオレの気持ちを魚でするように、ポップはベルちゃんとじゃれあっている。
うう、うらやましい。
「悪いな、ダイ。オレだけ好かれてて」
心にもないことを言っている。オレは、なんとかしてポップに一矢報いてやりたくなった。
いい考えが浮かんだ。
「……いいもん! エイクの店に行って、このことを洗いざらいぶちまけてきてやる。加算代はポップの小遣いで払ってよ。店の金に手ェつけたり、オレに頼ったりしたら怒るからね」
「へ? ち、ちょっと待てよダイ」
驚いたように、出ていこうとするオレをポップが呼び止めた。
オレが怒らないと思って、ポップはオレを甘く見ているふしがある。たまにはこうやって爆弾かませないと。オレだっていつもいつもポップの尻にしかれてるわけじゃないのだ。
「なあ、ダイ。……ほんとに怒ってんのか?」
急にしぼんだ声でポップはオレをのぞきこむ。
もっともポップの背はオレより低くなってしまってたから、見上げた、というのが正しいのだけど。
ちょっと不安そうなポップの表情は、オレの雄の本能を強烈に刺激して、それだけでいつもは許してしまうのだけど、今日は勝手が違っていた。
なんたってポップの肩にはベリンモンが遊んでいたのだ。
「本気だよ。ポップがそんなケチだなんて思わなかった。オレだってベルちゃんと遊びたかったのに、ポップだけ事情がわかっててひとり占めしちゃってさ。教えてくれたら朝はオレが魔法力あげて、夜はポップの番とか交替で世話焼けたのに。そしたらポップも、眠い目こすりながら起きなくても良かったのに」
ポップはなるほど、という顔をした。
頭イイくせに、このことにはまったく考えが至らなかったらしい。馬鹿と天才は紙一重、ということわざをポップを見てると思いだす。
「あー……悪かったよ、ダイ」
しゅんとしてポップは言った。
こうしているかぎりでは、ちゃんと反省しているように見える。
しかし油断してはいけない。
「……それで?」
つめたく言ってやる。
ポップはますます身をちいさくして、
「……ごめん。これからでも、ベルちゃんを育てるのに協力してくれるか? ダイ」
「言いかたが違うんじゃない」
「ごめんなさい。協力してください、ダイ」
ポップは素直に言いなおした。
じつにいい気分だった。
理由がどうあれ、ポップのほうが下手に出るなどということは、オレたちのあいだでは晴天のへきれきと言ってもいいことなのだ。
「ありがとう。その言葉だけで充分だよ、ポップ」
オレはポップを引き寄せて、さりげなく抱きしめながら言った。
めんくらったようにポップがオレを見上げる。
「………」
こっそりキスをひとつ奪って、オレは言った。
「いいのいいの。スネてみただけ。ベルちゃんはやっぱりポップが世話しなよ。自分にしかなつかない、というのがよくて育てたんでしょ? ここでオレが手をだしたら、それが全部おじゃんになっちゃう。そりゃオレもベルちゃんとは遊びたいけど、それならこうしてポップにくっついてりゃすむことだしね」
目に見えてポップの顔が明るくなった。
ふう。オレってばポップにとことん甘い。それがわかっててもどうにもならない。
ポップのわがままや意地悪に振り回されて、神経がズタズタになっても、それでポップが笑ってくれるなら、目くじら立てて怒って悲しませるよりいいというものだ。
嫌われたくない、というのもあるかもしれないけど、オレってばどうやら、このポップの底意地の悪いところが好きらしい。一緒にいて、飽きない。
楽しいよね。
今度はポップからキスをしてくれて、それでオレはすべて帳消しにした。
>>>2000/9/10up