薫紫亭別館


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「………」
 澄んだ音がした。
 毎度のことながら、この音を聴くと、心が洗われる思いがする。
 ポップとエイクの汚れ切った心も、これで少しは白くなるといい。
 大きければ大きいほど、ベリンモンは複雑な戦慄を奏でることができるようだった。
 あの日、初めてベルちゃんの音を聞いたときは、まさに聞く、といった感じで、たしかに綺麗だったけど、まだ音はバラバラに聞こえていた。
 今は格段に腕、というかベルちゃんの技術があがって、まさに音楽、とか旋律、とかいうのにふさわしい音を奏でている。
 石の花。球体の奏でる音楽。
 ポップといると、なんと不思議なものに出会えることだろう。
 オレはうっとりと目を閉じた。
 しばらくオレ達は夢見ごこちで、ベルちゃんの音楽を堪能した。
 ベルちゃんの演奏が終わっても、オレ達は余韻にひたっていて、少しの間それに気づかないほどだった。
「……素晴らしい音でしたね」
 エイクが感嘆したように言った。
 オレはへえ、とちょっとエイクを見直した。偏見かもしれないけど、この陰気な魔術士にこんな、音楽を解する心があるとは思っていなかったのだ。
「エイクもそう思うか?」
 照れ笑いを浮かべながらポップが答えた。
 どことなく、咽喉をゴロゴロいわせている猫を思わせる表情で。
 珍しく三人ともになごやかな雰囲気が流れた。
 エイクが来たときは、オレだけ離れて座って、剣呑な気持ちを持て余しているのが常だったから。
 でも、それもエイクが次の言葉を言うまでだった。
「あのベリンモンはもうすぐ枯れますね」
「なにィ!?」
「なんだって!?」
 オレとポップは同時に叫んだ。エイクは、すっかり冷めてしまったお茶をすすっている。
「どういうことだ。教えろ、エイク!」
 つっかかったのはポップだった。
 椅子を立って、滅多に見られない厳しい顔でエイクを睨んでいる。
「どういうもこういうもありません。あのベリンモンは育ちすぎています、もうすぐ天青石の質量より大きくなってしまうだろう。ベリンモンは石から離れては生きてゆけません。それはベリンモンは浮遊しますが、長時間は無理なのはポップ様も知っておいででしょう」
「う……」
 ポップは言葉を失ったようだった。
「すみかを失ったベリンモンは、浮遊しているうちに、いずれ散じて消えてしまいます。その前にとりつく石を見つけられれば別ですが。……あの殻は、もう充分すぎるほど成長しています。天青石に寄生できるのも、後わずかでしょう」
「………」
 ポップは押し黙って、またふわふわ飛びはじめたベルちゃんを見た。
 そしてもういちど石の葉っぱを見、そうやって何度も石とベルちゃんを見比べていた。
 息づまるような沈黙がおちた。
 オレもエイクも、ポップの困惑が理解できた。邪魔したくなかった。
 いや、できなかった。
「……ベルちゃん」
 ポップが呼ぶと、嬉しそうに光の玉はポップにまとわりついた。はずみのついた鞠のようにポンポンと、ポップの肩やら頭を跳ねまわっている。
 ベルちゃんがそうすればそうするほど、ポップの表情は暗くなった。
 オレは思わずポップに近づいていって、大丈夫だよと抱きしめてあげたかったけど、エイクがいるのでそうもできなかった。
「……エイク。それじゃ、このままエサをやらなかったら……?」
 エサ、とは魔法力のことだ。いい考えかもしれない、とオレなどは思った。
「魔法力を与えなければ、それもベリンモンは弱って枯れてしまいます。同じことです」
 しかしエイクはにべもなく否定した。
 言いかたというものがあるだろうに、可哀想に、ポップはますますがっくりと肩を落としてうなだれてしまった。
 こころなしか、ベルちゃんもあるじを気遣って、優しく寄り添っているように見える。頬をすりよせるように近くにきたベルちゃんを見て、ポップは弱弱しく笑った。
「これは商売上の取り引きになりますが、いかがでしょう。ベリンモンの消えてしまったあとの、天青石を私に売却してはもらえませんでしょうか。ベリンモンの殻は、それだけで充分価値のあるものです。よろしければ、ポップ様のお好きな値で買わせていただきましょう」
 エイクが言った。こんなとき、そんなことを言い出すエイクにオレは怒りを覚えた。

 ポップはうつろにむにゃむにゃ言っただけで、ちゃんとした返事は返さなかった。
 エイクは気を悪くした様子もなく店を辞したけれど、オレは追いかけて行って、ひとこと言ってやらなきゃ気が澄まなかった。
「……待て! エイク!!」
 エイクはうっそりと振り返った。
 ただ、それだけで、なんの用だとも何とも言わず、つめたい目でオレを見返していた。
「……エイク。どうしてあんなことを言ったんだ」
 オレはぜいぜいいう呼吸をととのえながら言った。
 エイクが出ていって、店からいいかげん離れたと思えるまで待っていたので、その距離をつめるためにオレは走ってきたのだった。
「あんなこととは?」
 冷ややかな声。ポップに、こんな口をきいているのをオレは聞いたことがない。
「わからないふりをするな。どうしてポップに、ベルちゃんの殻を売ってほしいなんて言ったんだ。ポップがベルちゃんをどんなに大切にしていたか、わからないお前じゃあるまい」
 もう夕陽のさす時刻だった。
 夕陽の朱色をバックにして、エイクの血の色の服は、この世界に恐ろしいほど溶け込んでいた。ここでは、異端はオレのほうなのだ。そんな気がした。
「ポップ様が、あれを大切にしているからこそ……ですよ」
「それのどこが理由なんだ?」
 エイクは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「そんなこともわからないんですか。大切にしていたベリンモンを追い出す殻などは売って、お金に替えてしまったほうがいい。ちょうど、と言っては申し訳ないが、あまりご商売もうまくいってないことであるし」
 エイクは言った。
 オレはそうは思わなかった。好きだったからこそ、それを忘れないために、思い出のよすがとしてベルちゃんの殻は大事にとっておきたいと思った。
 しかし、それは口には出さずに、オレはずっと心にひっかかっていたことを聞いてみた。
「エイク……お前、あの石にベリンモンが宿ってるのを知ってたのか……?」
 エイクは腕のいい魔術士だった。ベリンモンに選ばれなかったとはいえ、それが宿っているのを知るくらいの力はある、とオレは思っていた。
 エイクが不敵に笑った──ような気がした。
「もちろんですとも」
 やはり。でも、それなら。
「それなら、どうしてポップに売ったんだ。石だけの値段で。ポップはあの後、お前から追加料金の請求が来ないか心配していたぞ」
「それはないですね。ポップ様は、私がすべて納得ずくでお売りしたのを知ってらしたはずですから」
「……なんだって!?」
 小柄なエイクの体がひとまわり大きくなった気がした。
 ちいさな笑い声が聞こえた。
「ポップが、嘘をついてたって言うのか!? オレを騙して、なんの得があるっていうんだ!?」
「嘘じゃありません。私は、お売りするときにこの石にベリンモンが宿っているなんて言いませんでしたし、しかし、宿っているのを知っていたことは、ポップ様も気づいていらしたでしょう。私が何も言わないので、ポップ様も何も言わずにお買い上げくだすったのです。それくらいのことがわからない仲じゃありません」
 エイクは自信に満ちて言い切った。
「で、でも──……」
 オレはまだ釈然としなかった。そんなオレの気持ちを見透かすように、
「さきほど、悪びれもせず堂々と天青石を私の前に置いたのがその証拠です。少しでもそんなことを考えていたら、もっとほかの場所に隠して、私の目にふれないようにするのが普通でしょう。ところが、ポップ様は見せつけるように、ベリンモンの音楽までお聴かせくださった……私が、ベリンモンの成長ぶりを見に来たことまで察してくださったのです」
「え!?」
 思いがけないことを言われて、オレは叫んだ。
 それは……確かに、オレも、ポップがしゃあしゃあとし過ぎているとは思ったけど、あれに、そんな深い意味があるとは思わなかった。
「だから、あなたは思慮が足りないというんですよ。あなただけじゃない、この世のたいていの人間は、あなたとどっこいどっこいか、それ以下の知能しかない。私は馬鹿馬鹿しくて、幾度も世をはかなんだものですよ……でも、あのかたがいらしてくれたから、私はなんとかこの世にとどまっているようなものです。あのかたのためなら、あのかたに喜んでいただけるなら、私はなんでもします……ああ、どうして、もっと早くあのかたにお会いできなかったのだろう。そうすれば、もっとあのかたのおそば近くにいて、お仕えすることができただろうに」
 途中から、エイクはオレに聞かせるというよりは、自分の心情が高まってきて、無意識に吐露せずにはいられないというように話した。
 それは、オレさえいなければ、という意味にもとれた。
 オレは黙って聞いていた……なんとなく、気持ちがわからないでもなかったからだ。
 きっと、エイクも、ポップが好きなのだ。
 エイクは別に、オレみたいにポップによこしまな感情をいだいてるわけじゃなさそうだけど、根底に流れているものは同じだと思う。
 ポップが好き。それだけ。
 それがわかると、エイクのとった行動も少しは理解できるような気がした。
 エイクはオレとはちがう優しさを持っているのだ。その優しさで、エイクはポップを包んでいる。
 ただ、それはひねくれている上に一般人とは価値観がちがうから、皆にわかりにくいだけで。
 ポップはわかっているのだろう。当然だ。
 だからこそ、あんなになつき、親しくつきあっていたのだろう。
「……ごめん。エイク」
「あなたに謝られるいわれはありません」
 エイクは素っ気なかった。でも、オレはもう腹をたてたりしなかった。
 オレはエイクを見送った。
 夕陽の赤が夜の色に溶けていて、オレはようやく、エイクの次元とオレ達の世界がつながった気がした。

>>>2000/10/20up


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