薫紫亭別館


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 隠れているのも忘れて身を乗り出すダイとポップ。
「この犬めが! 犬の分際で、御主人様をさしおいてあの世へ行くなんて百万年早いのよ!!
 あの世でもとくと苦しむといいわ、ムチ打ち三百回の刑よ!!」
 どうもケープの内側に隠し持っていたらしいムチで、ビシバシと墓石を打つ。
「ち、ちょっと、何してんだよ!?」
 あまりの展開に、見かねたポップが割り込んだ。
「ラカン伯爵! あンたも何で止めないんだよ!?」
 ポップの声にふりかえた老婦人の顔は、
 はねあげたベール。初老の肌に厚く塗りたくった化粧。口紅はなんとラメ紫だ。
 醜悪ともいえる容貌なのだが、威圧的な光を宿す瞳はどこか一途で、それ以上のポップの追求を黙らせた。
「このかたは?」
 動じたふうもなく老婦人は伯爵に尋ねる。
「これは、大魔道士様……勇者様もおそろいで。何か御用ですかな? 私どもに」
 面と向かって言われると、ポップも返答に詰まる。
 ダイも墓石の後ろから出てきてポップの横に立った。勇気づけるようにポップの手を握る。
「いや、その……伯爵が、晴天にしてまで出掛けるみたいだから、どこ行くのかと思ってさ」
「それなら目的は果たしましたね。アッピア共同墓地ですよ。この場所ですね」
 笑ってない笑顔で、お帰りはあちらとばかり伯爵は、出口の方向を手のひらで示す。
 つめたい怒りが感じられた。
「えっと、うん……それじゃ」
 すごすごと、おとなしく背を向ける。
 その背中に、当の老婦人から声がかかった。
「お待ちなさい。この理由を知りたいのでしょう?」
 ぴいんとムチをはじき、ニッと唇を釣りあげて笑う。不思議に魅力的なほほえみだった。
 老婦人は裾をそばき、積もった雪を手で払いのけてから、エドガー某の墓石にどっかと腰をおろした。
「なにからお話しようかしらね……私とエドガーとの馴れ初めからがよろしいかしらね。私、ごく若いときから自分に嗜虐趣味があるとわかっていたわ。でも、そんなこと、嫁入り前の娘がおおやけにできないから、ずっと悶々とした日々を送っていたの」
 老婦人はじっさいの年齢よりも、若々しい張りのある声をしていた。しゃべりかたもそうだ。
 勇者と大魔道士であるダイとポップを前にしても、気後れしたようすもない。
「ひと目でわかったわ。あるパーティの夜だったの。みんなが広間で踊っているのに、ひとりだけ隅っこで、おどおどと落ち着かない目つきをしていて。顔にいじめてくださいと書いてあったの。そのとおりだったわ」
 ダイとポップは苦笑いしながら聞いている。
「私達は結婚した。それからは薔薇色の日々だったわ。エドガーも、ねっとりといたぶってくれる相手を探していたのよ。私はエドガーを足蹴にして、ムチで叩いて、それでエドガーが悲鳴……嬌声かしらね……をあげるのを聞いて、うっとりしたわ。本当にいい声で啼くのよ、あの犬は」
 老婦人はうっとりと目を閉じ、両腕でおのれの体をかきいだいた。
「でも、そのせいで……エドガーはずいぶん早くに亡くなってしまったの。私は後悔した。犬は生かさず殺さずが鉄則だったのに、目先の快楽にとらわれて手加減を忘れてしまったんですもの……あれ以来、私は満たされたことがないの」
 力をこめたこぶしがぶるぶると震えている。
 それまで黙って聞いていたラカン伯爵が、慰めるように老婦人の肩に手をおく。
 老婦人は、伯爵にかるくうなずいてみせた。
「大丈夫……。ありがとう。私、エドガー以外にもほかの犬を見つけようと努力したわ。でも駄目。犬はあれ一匹なの。私の犬はエドガーしかいないの」
 初めて老婦人の目のあわいから涙がこぼれ落ちた。
 宝石のようにきれいな涙だった。
 たとえその涙のせいで厚くほどこした化粧がはがれてしまったとしても、素顔が初老の老婆だったとしても、その美しさは疑いようがなかった。
「エドガー……」
 それきり、老婦人は何も言えなくなってしまった。
 顔をふせて、声も出さずに泣いている老婦人を見ながら、老婦人は誰かに──ラカン伯爵以外に、聞いてほしかったのだとふたりは思った。
「伯爵は……何故このことを?」
 ポップが聞いた。
「私はエドガーから教えてもらったのです。まだ、彼が生きていたときに。彼は私の親友でした」
 ダイの推理は当たっていたらしい。
 伯爵も静かに語りはじめた。
「お話します……私は、エドガーが被虐的な嗜好を持つことを知っていた、当時唯一の人間でした。私は、そのパーティに出席してはいなかったのですが、あくる日、彼は喜んで報告に来たものです。運命の人を見つけた……と」
 伯爵は老婦人が腰かけている墓を、なんとも微妙な表情で見た。
 悲しめばいいのか、怒ればいいのか……いや、そんなものは遥か昔に越えてしまって、慈愛さえ感じさせる顔だった。
「ですから、私はフランシス──もとエドガー・エヴァンズ夫人を恨んではいません。彼は幸せで、至福のうちに死んでいったのですから。彼は本望だったと思います」
 伯爵の言葉に救われたのは、フランシスと呼ばれた老婦人だけではなかった。
 ダイもポップも、途中から胸を押さえて、へたなツツコミを入れることもできず、ただ耳を傾けるしかなかったからだ。
「ポップう……フランシスさんが可哀相だよ。なんとかしてあげてよ」
 ダイなど、目までうるませている。
「そう言われてもなあ……オレだって、できることとできないこととがあるし……」
「そんなのウソだよ。ポップは大魔道士じゃないか。いつも、オレの辞書に不可能という文字はないって言ってるくせに」
「だからそれは、誇張とかそういうのを交えてさ。それを言うならおまえだって勇者のくせに」
「ポップは蘇生呪文が使えるはずだよ。ザオリクとかザオラルとかいう。大魔道士と名乗っていても、いちおう賢者なんだから」
 ポップが反論する前に、ラカン伯爵が反応した。
「それは本当のことですかな? 大魔道士様」
「いや、ですから」
 閉口したふうにポップは頭を掻く。ちろりとダイを睨みつけた。
 この馬鹿が! と、言っているのも同然だった。
「そりゃ死んですぐだとか、数日たったくらいならなんとかなるかもしれませんが……この人が死んだのはもう何年も前でしょう? 肉は腐って崩れはてて、残っているのは骨だけじゃあ、蘇生をかけても生けるゾンビーかスケルトンがいいとこ……」
「それでもかまいません! お願いします!!」
 こう言ったのはフランシス・エヴァンズ夫人。
 老婦人は立ち上がって、頭を地面につけんばかりにお辞儀して懇願した。
「お願いします! この人さえ生き返ってくれれば、私はもうなんにも望みません。全財産をお払いします。どうかお願いです!!」
「私からもお願いします、大魔道士様。フランシスからとは別に私も謝礼を約束します。どうか、その……蘇生呪文とやらをかけてはいただけませんか」
 ポップは疑わしそうに伯爵を見た。
「あンた、もしかして魔法をかけるところを見たいだけなんじゃないのか」
「否定はしません」
 素直な男であった。
「ですが、フランシスに同情しているのも本当です。エドガーが死んで十年以上になりますが、その間、彼女がずっと嘆き悲しむのを見続けてきたのですから。それが解消され、親友が復活し、私の好奇心まで満足するなら、どれほどの出費だろうと惜しもうとは思いません。引き受けていただけますね? 大魔道士様」
 今回もまた、ポップの気迫負けだった。

>>>2002/3/22up


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