「お入り。そこの、赤い布を張ったカウチに人形を寝かせて、それがすんだらさがっていいわ。私が呼ぶまで、誰もこの部屋には近づかないように」
「かしこまりました、姫様」
しつけの行き届いた召使いは二度と聞き返さず、言われたとおりにすると一礼して部屋を出ていった。
「さて、これでようやく人形とゆっくり対面できるわね」
レオナとオレは立ち上がって、赤い布──もちろん絹だ──を張ったカウチに近づいた。
ヴィアンカの顔がよく見えるにつれて、レオナの咽喉からためいきが洩れた。
「きれいねえ、プランツ・ドール。盗んででも欲しくなっちゃうのわかるわよね。ダイ君が返したがらないのもわかるわよ。誰だってこんなきれいなものを見たら、自分のものにしたくなっちゃうもの」
レオナがそう言うのも無理からぬことだった。
召使いの手でレオナの子供の頃の服を着せられ、髪もととのえてもらい、うすく化粧までほどこされたヴィアンカは、息を呑むほどきれいだった。
オレはぼうっとしてヴィアンカを見つめた。
レオナのように、しみじみ述懐するなんてできないくらいだった。
「こら。しっかりしなさいよ、ダイ君」
目の前でぱちとレオナが手を叩いた。
その音でオレははっと我にかえって、ぷるぷると首をふった。
「ああ……ごめん。つい、見とれて」
「気持ちはわかるけどね」
ちょっとすねたふうに、でもしょうがなさそうにレオナは言った。
レオナも、このヴィアンカの美しさに目を奪われていたのだ。
「本当になんてきれい。人形なんだからわざわざ不細工につくるはずがないんだけど、どうやったらこんなきれいな子ができあがるのかしら。見て、この髪、綿に雪をふったよう。まつ毛も同じ色ね。長くて、ちょっとカールしてて、これが召使いが手入れしたものでないとしたら、輪、この人形に嫉妬しちゃうわ。人形には最初から持てないような美なんですもの。……きっと、目を開けたらもっとキレイになるんでしょうね。私も協力するわよダイ君。この子が目を覚まして、私達ににっこり笑いかけてくれるように」
レオナはカウチのそばにかがみこんで、ヴィアンカの顔をのぞきこみながら言った。
オレはヴィアンカの髪をひとふさ手にとって、その感触を楽しみながら、言った。
「ありがとう、レオナ。実は、ひとつだけ問題があったんだ。この子は眠ったままで、自分で食事をとれないから、ポップが回復呪文をかけて元気にしたんだ。でも、オレはホイミを使えない。お願い、レオナ。この子に回復呪文をかけてくれる?」
「もちろんよ。私も、そうしようと思っていたの。プランツ・ドールの食事はミルクと砂糖菓子……それに、愛情、だったわね。私、ダイ君に負けないくらい、愛情をこめてこの子の世話をするわ」
それからというものオレとレオナは、着替えもお風呂もなにもかも召使いに任せずに、献身的に自分達で世話をした。
ポップが怒って取り返しに来るかと思っていたが、なにせオレの逃げ込むところはここしかないのだから──ポップにはヴィアンカの居場所がわかっていたと思うが、気持ちがいいほど、ポップからは何も言ってこなかった。
数日が過ぎ、一週間が過ぎ、一ヶ月も経った頃合いだっただろうか。
ようやくポップが重い腰をあげて、ベンガーナからパプニカの城まで出てきた。
「よ、ひさしぶりだな姫さん。ダイも。げんきんなヤツだな、来るときは三日にあけず来るくせに、こっちで夢中になることがあると、ひとつの連絡もよこさないんだからな」
ポップお得意の皮肉ではじまった挨拶だったが、連絡をしなかったのには理由があった。
オレは、自分からポップに連絡して、ヴィアンカを取り上げられるのが怖かったのだ。
「そうつんつんしてないで、お座りなさいよポップ君。で、今回の訪問の理由は何かしら?まあ、言わなくても大体想像はついてるけど」
ゆったりと肘掛け椅子に腰かけて、レオナは手前の椅子をすすめた。
ここはヴィアンカを置いている赤いカウチのある第三私室ではなくて、あそこよりかなり広めの、ときにはパプニカの高官との密談もできるような、格式ばった第一私室だ。
レオナはこのいかめしい部屋を嫌っていて、もっぱら第二か第三私室を利用している。
この第一私室にポップを通すことはまず無い。
それだけで、ポップにも心中期することはあったはずだ。
「わかってるなら話が早い。ダイが観用少女をここに持ってきたろう。返してくれ。あれは、正統な持ち主である店に返さなきゃいけないんだ」
「いやよ。ダイ君が拾ったのならあれはダイ君のものよ。捨てられていたものを、拾った者がどうしようと勝手でしょう。ダイ君はまじめだから、私にこの人形を買ってくれって泣きついてきたけどね。カールのなんていうお店なの? 私がその店に行って、代金を払ってくるわ」
「金の問題じゃない。姫さんだって知ってるだろう、観用少女は自分で主人を選ぶっていうことを。姫さんが金を払おうとしたって、けんもほろろに追い出されるのがオチだよ。店には、観用少女を幸せにできる客がどうか、見極める義務があるんだ」
「もちろん幸せにできるわよ。私はパプニカ王家の姫で、女王だわ。お金も物もあふれるくらい持ってる。私なら、ヴィアンカに必要なものを、なんでも与えられるわ」
ポップは天をふりあおいで、
「だから、そういう問題じゃないって、何度言ったらわかるんだ? 現に、ヴィアンカは目覚めていないんだろう。それが幸せじゃないって証拠じゃないか」
「……まだ会ってもいないのに、ヴィアンカが目覚めてないってよくわかるわね」
「目覚めてたらダイが黙っちゃいないだろう。嬉しそうに、オレに報告に来るに決まってる。来ないということは、とりもなおさずまだ目覚めてないってことだ」
「………」
レオナは椅子の上で身じろぎした。
オレはレオナとポップの中間の位置に座っていて、ちぢこまりながら、ことの成り行きを見守っていた。
>>>2001/9/18up