薫紫亭別館


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「ヴィアンカを返すんだ、姫さん。もう充分堪能したろう。どんなに世話しても面倒をみても、ヴィアンカが目覚めないってことがわかったはずだ。このままじゃ、あんたもヴィアンカも可哀相だ。ダイだけは相当ニブイから、目覚めなくてもえんえん世話を続けるだろうが」
「ち、ちょっと! ポップ、言い過ぎだよ」
 オレが抗議しようとすると、
「……そうね」
 レオナがポップの意見を肯定した。
「一ヶ月世話をしてきて、よくわかったわ。どんなに愛情を注いでも、それが返ってこなければ、ただ虚しいだけ。私たちは、ヴィアンカが目覚めるのを期待して世話をしているんですもの。このまま期待が報われなければ、私も、この子を盗んで捨てた泥棒のように、この子を捨てることになるわ」
 レオナの言葉にオレはびっくりして立ち上がって、
「そんなことないよ! まだ一ヶ月じゃないか、世話をしていれば、いつか気持ちが通じるよ!」
「もう一ヶ月、よ。私たちは選ばれなかったの。それを認めなさい、ダイ君。この先何年、何十年世話をしても同じこと。ヴィアンカは目覚めないわ。私、ダイ君が絶望して悲しむのを見たくないの。今は怒るかもしれないけど」
「絶望なんかしない。悲しんだりも」
「もうよせ、ダイ」
 ポップがオレの肩に手をかけた。
「おまえじゃヴィアンカを幸せにできないんだ。おまえは世話をして満足してそれでいいかもしれないが、ヴィアンカはどうなる? 目覚めず、自分で動くこともできず、しゃべれもしないヴィアンカは? おまえが死んでもこのままだったらどうする? 誰が面倒をみる? 遺言にして、永遠に世話をするよう残すのか?」
 オレは片頬をひきつらせた。
「……残酷なことを言うね、ポップ」
「言葉を飾るのは時間のムダだ。オレはそれでも、一ヶ月という時間をおまえにやったんだぞ。もういいだろう。一緒に、ヴィアンカを返しに行こう」
 ポップが優しく言った。
 オレだって、自分じゃ駄目なんだってことは、この一ヶ月でようくわかっていた。
「………」
 授業のあいだも食事のときにも、オレはヴィアンカをかたわらにおいて、なにくれとなく目をかけていた。いつか、その目がぱっちりと見開かれるのではないかと思って。
 その期待はたいてい裏切られたけど、オレは失望しなかった。
 いや、していたかもしれないが、気づかないふりをしていた。
 ヴィアンカを目覚めさせるのが、自分でないとは、考えたくなかった。
「……わかったよ、ポップ」
 オレは不承不承うなずいた。
 それしかないのは、最初からわかっていた。
「よく納得してくれたな、えらいぞ。それじゃ、姫さん。ダイを借りるぞ。邪魔したな。ヴィアンカは責任もって、オレが送り届けるから」

                    ※

 その日のうちにオレ達はトラキアにいた。
 トラキアは海沿いにあり、大きな港を有する、かなりにぎやかな町だった。
 カールでは有名な地方らしく、ちょっと聞いただけで、すぐに場所を特定することができた。
「えーと……竜宮通りの『乙姫と浦島屋』……と。すいませええん、竜宮通りってどこですか?」
 通行人にポップが道をたずねているあいだ、オレはヴィアンカを抱きかかえて、きょときょとと周りを見回していた。
 カールというのは騎士団で有名で、だから騎士という単語からイメージされる整然とした、静かな町をオレは想像していたのだが、港町のせいなのか、活気があってうるさいくらいで、手押しの荷車がやっと通れるくらいの細い小道が、建物と建物の間をたくさん縫うように走っていた。
 『乙姫と浦島屋』も、大きな道からそれたそんな小道の一画にあった。
 店名を知っていなければ、扉のプレートを見逃してしまいそうなほどそこはありふれた構えの店で、実際、ふつうの家と見分けがつかなかった。
 オレ達は何度もその通りを行き来して、ようやくその家が求める店だということを発見したのだった。
「こんにちはー……」
 カランとドアベルの音をさせて、オレとポップは店に入った。
 外装と店内とのあまりのギャップに、オレ達はド肝を抜かれた。
 店の中には嗅いだこともない、珍しい香の匂いがたちこめていた。
 雑然としているのか、それともそういう装飾なのか、よくわからない天井から垂れさがった極彩色の布の影に、いくつものプランツ・ドールが眠っていた。
「いらっしゃいませお客様。本日はどういうプランツをお探しで?」
 奥のドアからこの店の主人らしい男の人が出てきた。
 異国ふうの、たけの長い服を着ていて、くせのある小麦色の髪をゆるく後ろで束ねている。
 丸い眼鏡の向こうからのぞく目は、とても優しそうで、でもオレ達を吟味するような、油断ならない光をたたえていた。
「い、いや……オレ達、買いに来たんじゃないんです。この子、おたくで扱っていた商品じゃありませんか?」
 ずいっとポップはオレを前に押し出した。
 店内は薄暗かったので、店の主人はオレの抱いているヴィアンカに気づかなかったのかもしれない。
「おや、この子は……そう、半年ほど前に、盗まれてしまった子ですね」
 ご主人はオレに近づいて、しげしげとヴィアンカを眺めた。
 ちょっと不思議そうな顔をしていた。
「どちらでこの子を? 見たところ、この国の方ではなさそうですが……」
「ベンガーナです。ベンガーナのオレ達の住んでいる町のゴミ捨て場に、この子は捨てられていたんです。このダイが捨て子だと思って連れて帰ってきて、オレが観用少女だということを見て取ったので、少女を扱っている店を探して連れてきたんです」
 ポップが答えた。
「それはそれは、どうもありがとうございます。盗まれて半年も経つものですから、この子は枯れてしまったものと、とうに諦めておりました。それが無事で、こんなに喜ばしいことはありません。……しかし、ウチでは、もうこの子を扱うことはできないのです」
 主人の反応は意外なものだった。
「どうしてですか? オレ達は、この子を店に返すことが一番いいことだと信じて、ここまでやって来たんです。オレ達はこの子に選ばれなかった。もし選ばれていたら、返しになんか来ませんよ」
「そのお言葉で、あなたがたが盗んだ本人ではないとわかって安堵いたしました。泥棒はそんなことは言わないでしょうから。あなたは、プランツについてお詳しいのですね。恐らくは魔法使いでいらっしゃいますね? エサをとれないプランツに、回復呪文をかけて下すったのでしょう。この子が無事に生き長らえたのはあなたのおかげです、ありがとうございます」
「そんなことはどうでもいい。なぜ、この子を扱えないんだ?」
 ポップが怒ったように言った。
「それは、……もう保険金を受け取ってしまったからでございます。なにしろこのようなお値段のものでございますから、何があってもいいように、保障のためのお金をかけているのです。先も言いましたとおり、この子はもう枯れているものと思っておりましたので。だから、今さら、この子が帰ってきても、こちらとしても困るのです」

>>>2001/9/26up


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