薫紫亭別館


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 書庫は魔道士の塔にある。
 もともとは城の敷地のはしっこにある、使われなくなった古い塔をポップが改装したもので、そこに大魔道士にぜひとも教授してもらいたいという若者たちが集まって、いつしか塔は、魔法使いの学校みたいになっていった。
 ポップもベンガーナへ行く前はここにいて、レオナの相談役をつとめるとともに、後進の指導に当たっていた。
 面倒臭くなったらしいポップが講師役をやめた後も、ポップが塔の最高権限を握っている。もちろん、どこからも文句は出なかった。ポップは塔の創始者で、指南を受けたかった大魔道士本人である。
 オレたちがふたりきりで書庫にこもって一時間と経たないうちに、
「あああ、どーしてあのジジイはヒトにやるモンにこー小細工をするんだッ!!」
 たまりかねてポップが叫んだ。
 その気持ちはオレにもよくわかった。
 魔道士の塔の蔵書は城にあったものと、ポップの師であるマトリフさんの本とを合わせたものだ。
 そして、往々にして魔法使い所蔵の本というのは、鉤がかかっていたり、封印の呪文がかかっていたりすることが多い。
「ちくしょー、ダイはいいよな。城にあったやつの目録調べるだけだもんな。オレなんかまず、これは、と思った本の解呪から始まって、それから目次見ていちおう目、通して、違ってたらイチからやり直し、だもんな。なんでオレがここまで苦労せにゃならんのだ。くそお」
 ポップは手にしていた本を投げすてるようにして不平をこぼした。
「そうは言っても、目録ったってけっこう量あるんだよ。書庫って、この六階建ての塔の、じつに四、五階を独占してるんだから。それにタイトル見ただけじゃよくわからないしさ。結局本がある場所まで行って、その本取ってこなきゃいけないんだから」
「で、その本の中身調べるのはオレの役目だろうが。ダイなんか見たってちんぷんかんぷんだろうッ。デリンジャーの教育が悪いっ、帝王学や歴史なんか学ばせるより、整頓がてら、魔法の勉強をさせれば良かったんだっ」
 駄目だ。完全に頭に血がのぼっている。不機嫌も絶好調だ。
 オレはポップの機嫌を損ねないように、そろそろと言ってみた。
「で、でもさ。もとはといえば、ポップが貰ったときにきちんと整理しなかったのが悪いんじゃない? 学生たちがなんとか片付けてくれようとしたんだけど、それこそ中身を見ることができなくて、しょうがなくテキトーに並べるしかなかったらしいよ」
「オレのせいだっていうのか!? うるさいぞ、大体お前がヘンな体になるからだ。なんだ、胸なんかふくらませやがって。肩幅だって狭くなりやがって。それでいてどーして身長だけは元のままなんだっ」
 対戦から三年後、とっくにオレはポップの背を追い越していた。
 といっても握りこぶしひとつぶんくらいで、そんなに差があるとも思えないけど、その握りこぶしひとつぶん、ポップは許せないらしかった。
「腰だって細くなって、抱きごこちよさそーになりやがって。……と、ちょっとさわってみてもいいか、ダイ? 」
「わ────っ!! なに考えてんだよ─────っ!」
 無造作にポップが手をのばして、ぺたりと胸をさわった。
 ぞわっと怖気が背中をかけあがって、オレはあわててポップから離れた。
「逃げなくてもいーじゃん。へるもんじゃなし」
「オレのはへるの! ああ気色悪い。女の子が痴漢にあったときの気分てこんなかなー。やだやだ、オレはぜったいこんなことしないぞ」
「しないったって……お前、レオナともう婚約してるじゃん。ケッコンすれば嫌でもすることになるんだから、このさい実地練習しておけば?」
 あきれたようにポップが言った。
「女の子のほうの実地練習してどーする!! オレはすぐに男に戻るんだからね。それに、結婚してからやるのと痴漢とじゃ、大きな違いがあると思うよ」
「お前それでも元・男か。情けない。男というのは見たい揉みたい吸いつきたいの、三大欲望をつねに持っているものだ」
「勝手に元・男にしないでよ! まったくもう、某マンガの主人公みたいなこと言いやがって」
「あ、ダイもアレ読んだのか。けっこー面白いよな、ちょっと下世話だけど」
「下世話なのは今のポップだよ!!」
 背を向けて両腕で胸をカバーしていると、今度は腰にポップの手がかかった。
 とたん背中が反りかえって、一歩も動けなくなる。オレが必死に悪寒に耐えていると、容赦のないポップの声が聞こえてきた。
「あ、思ったよりずっと固いのな。筋肉質だからかなあ。やっぱり女のコはやわらかいほうがいいよな。でも、マァムもこんな感じだろうから、そんなこと言ったらダイに失礼かな」
 失礼だと思ったらさっさとその手をどけてくれ!
 ───と思いきや、
「ダイってば。その手どけろってばさ。胸さわれないじゃん。ジャマなんだけど」
 ポップも似たようなことを言っている。
「せっかくだから最上階に行かないか? あそこならベッドもあるし、ちょうどいいから」
 塔の最上階は以前のポップの私室だった。冗談じゃない。
 オレが今のじぶんの状態を忘れて、誰かを呼ぼうと大声をあげかけたとき、
「……何がちょうどいいんですかな、ポップ様?」
 重々しい枯れた声がした。オレは驚いて、もちろんポップも振り返って、声のしたほうを見た。
「デ、デリンジャー!!」
 オレの教育係のデリンジャー老人だった。書庫は望外に広いから、老人が入ってきたのに気づかなかったらしい。 ポップはさっと手をひっこめて、オレはほっとしたけれど、バツの悪さはふたりとも同じだった。
「デリンジャー、なんだってここに……?」
 おそるおそる、といった感じでポップが問いかけた。
 デリンジャーはそ知らぬふうを装って答えた。
「姫からおふたかたの手伝いをするようにと言われました。あのふたりに任せておくと、いくらもしないうちに油を売りはじめるからと」
 そのとおりだった。ぐうの音もでない。
 しかし、いかなレオナでも、こんな展開になっているとは想像してなかっただろう。
 ともかく、オレは安堵感で、床にへなへなとへたりこんだ。
「あ、あの、デリンジャー、このこと、レオナには……」
 さっきまでの勢いはどこへやら、窮にしょぼんとなって、ポップはお伺いをたてている。
 デリンジャーだって困るだろう。レオナに報告できたことではない。
 しばらく無言でポップとオレとを交互に見比べたあとで、デリンジャーはようやく重い口をひらいた。
「……今回は黙っておきましょう。ポップ様、次からはこのようなことのないように」
 目に見えてポップは胸を撫でおろした。
「さんきゅ、デリンジャー。ごめん、冗談だよ、ちょっと調子にのってみたかったんだよ。もちろんこんなこと二度としないよ」
 にこやかにポップが言い、オレはそれを見て、どこまで本気か疑わしいと思ったけど、オレは何も言わなかった。デリンジャーだって本心とは思ってないだろう。
「それはそれは。ダイ様にも姫にとっても喜ばしいことでございます。ポップ様にも。……ポップ様、私だからお説教ですみましたが、ほかの者ではそうはいきませんよ」
 デリンジャーは微笑をうかべながらも、しっかりとクギをさすのを
 忘れなかった。さすがだ。オレはデリンジャーに拍手したい気分になった。

>>>2000/9/9up


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