ちょっと強引だったけど、あのまま泥沼に突入するよりは良かったと思う。
塔の書庫で、ぶつくさ言うポップを相手にしているほうが、ふたりを相手にするよりまだマシだ。
「朝メシまだだったのにい。久しぶりにマトモな朝食を食おうと思ったからわざわざ早起きしたのにい。料理長のチェスタトンに、リクエストだってしといたのに。すっげー苦いエスプレッソと玉子は目玉の両面焼きにして、ポテトサラダとベーコンとホットトマトつけてくれるよう頼んだのにい。ああオレの朝食……どうしてくれんだダイっ!」
オレは耳半分に聞き流していた。
マトモにつきあっていたらきりがない。それに、朝食を食べられなかったのはオレも同じなのだ。人間、一食ぬいたところで死にゃしない。
「うるさいよ。それよかポップ、この本なんだけど、ここの記述見てみてよ。ちょっと気になることが書いてある……」
そこまで言ってオレは硬直した。
ふりむきざまに、ポップがオレのほっぺたに唇を押し当てたのだ。
ポップは無邪気に言った。
「そっかー。朝メシ、ダイでもいいなあっ。んじゃ上行こうぜダイっ。すぐに天国を見せてやろうッ」
「い……いいかげんに……」
オレはわなわなとふるえた。
「しろ────────────ッ!!」
次の瞬間、オレは力任せにポップをぶん殴っていた。
衝撃でポップは本棚までふっとんで、ぐらっと棚が揺れたかと思うと、スローモーションのようにゆっくりと、ドミノ倒しの要領でね棚が次々に倒れていった。
「わ───ッ! ポップ、大丈夫!?」
ポップは倒れた棚の大量の本にうずもれていた。
反対側に棚が倒れたので、棚の下敷きにならなかったのは幸いだけど、もともとひ弱なポップはすっかり目を回して気絶していた。
「ポップしっかりして、死なないでえっ!!」
「な、なんなんですか、この惨状は……?」
絶妙のタイミングでデリンジャー登場。助かった。
が、どうやって説明しよう?
「デリンジャー! ポップが目を覚まさないようッ」
「な、なんですとッ!?」
手に持っていたものを投げ出して、小走りにできるだけの速さで老人は近寄ってきた。小刻みにふるえる手で、オレが支えているポップのひたいにさわる。
「おいたわしや、ポップ様。私がちょっと目を離した隙に、こんなに変わり果てた姿に……っ! あなたがいなくなったら、私達は、ダイ様はどうすればいいのです。お気の毒にも、ダイ様はこれから永遠に女性のままでいなければならないのですね。しかし、それも仕方ありません。私達はこれから姫と、女性となったダイ様をなんとかもりたててゆきます。どうか安らかに……。神よ、どうか、この方の魂をお救いください」
「お……おい、デリンジャー」
まだ死んでないって。
オレがそう思ったとたんだった。
「勝手に殺すな、デリンジャー!!」
ゾンビのごとく(笑)よみがえったポップが自らデリンジャーに抗議した。
「お目覚めでございますかポップ様。それはよろしゅうございました。しかしながら、私がせっかくご用意した朝食も、今の騒ぎでぶちまけてしまいました。残念ながら、今朝は朝食ぬきで働いていただかねばなりません」
いっきに冷静さを取り戻してデリンジャーは言った。
手に持っていたのは朝食だったらしい。しかし、アレは演技だったのか?
「ポップ様。ほこりだらけでございますよ。それに、あちこちに擦り傷もできているようでございます。早く回復呪文をかけてください」
「そうしよう。けど、せっかくデリンジャーが朝メシ持ってきてくれたのにダメになっちゃったなあ。ちくしょうもったいない」
本当にくやしそうにポップがつぶやいた。
オレはあっけにとられて二人のやりとりを見守っていた。
「あー、えーと……」
「どうかなさいましたか、ダイ様?」
そう言われると返答に困る。
オレはハッと気づいて言ってみた。
「……まさかと思うけど、ポップとデリンジャーと、二人でオレをからかってたわけじゃないだろうな」
「いいえ、そんなことは。ここへ来る前に私はレオナ姫のところへ行って、おふたりが朝食を食べておられないということでしたので、私が厨房まで足を運んで持ってまいりましただけです。先ほどなにがあったのかは皆目わかりません。ですから、ご説明いただけると嬉しいです。
……どうやら本当らしい。デリンジャーは嘘をつくタイプではない。
しかし、デリンジャーが、こんなにお茶目な面を持っていたとは知らなかった。
さしも冷静な老人も、孫のように可愛がっているポップの危機にはこれほど動揺するものかと、呆れながらも感動していたオレの気持ちは一体、どうすればいいのだろう?
「そ、その話はちょっと……っ、ふたりだけの秘密なんだっ。な、ダイ?」
「………」
あまり話したい事情でもなかったので、白い目でポップを睨んでおいてから、オレは力なくうなずいた。なんとなく、説明してもムダのよーな気がした。
「もういいよ。だから、この本だけど……」
収穫もあった。女になっても、やろうと思えばオレはポップをふっとばすことができる。そりゃそーだろう……レオナでさえ、腕相撲でポップに勝てるのだ。
そこに気づくとゆとりも出てきて、次はやられないという自信もついた。
ま、本当言うとポップとくっつくのはそうキライじゃないけど、どうも──。
「ポップ様、ダイ様。この散らかった本の惨状はどういたしますか?」
しごく当然な疑問をデリンジャーが発した。
うっく、そういう問題もあったな。助けを求めてオレはポップを見た。
「かまわん、そのへんにうっちゃっとけ。こっちの問題のカタがついたら、塔の学生に片付けさせる」
うわあ、可哀想な学生たち。いつでもポップのとばっちりを受けるのは、オレだったり、とくに関係のない第三者だったりする。
「しかしそうしますと、せっかく目録を調べても、本がどこにあるかわからなくて、徒労に終わってしまいますが。いかがいたしますか?」
「あ、なーるほど。するとやっぱり片付けるのは、ダイ……しかいないよな、うん。オレはこのとおり手が離せないし、デリンジャーみたいな老人に力仕事させるわけにもいかないし」
「……わかった」
誰がおおもとの原因なのか、ポップに物の道理を説いてもしょうがない。
ポップとはこういうヤツなのだ。オレは頭痛をこらえながら了承した。
オレはさっきの本をポップに見せてから、おとなしく書庫の棚を元通りに立てなおした。書架は結構巨大なのに、軽々とすくいあげられることから見ても、オレってばやはり、女にしてはあるまじき怪力の持ち主のようだった。
デリンジャーはオレを手伝って、ばらばらになった本を拾いあつめてくれている。書庫の本には背表紙にナンバリングがされていて、どの棚のどの場所にあったのかわかるようになっている。
「悪いね、デリンジャー。結局手伝わせちゃって」
オレは老人をねぎらった。
「いえ。まずは本を置きなおすことのほうが先決ですから。それに、ダイ様は何も悪いことはしてらっしゃらないのでしょう。ポップ様のおたわむれにも困ったものですね」
オレは改めてデリンジャーを見た。
デリンジャーは、詳細はわからないまでも、この騒ぎがポップの責任だと見抜いていたらしい。
「ポップ様のいたずらや悪ふざけは、ときどき行き過ぎて、目にあまることもございましょうが──ポップ様には少しも悪気はないのでございます。その点、ダイ様は広いお心でポップ様をご理解くださっていて、ありがたい限りでございます」
青い革表紙のシリーズの本を集めながら、デリンジャーはこっそりと言った。
目ににこやかな笑みをためている。その目はひそかに、あちらで無造作に本を開いているポップに向けられている。
オレも、胸のあたりがなんとなくあったかくなってくるのを覚えた。
「……わかってるよ、デリンジャー。いいんだ、俺も、ポップに迷惑をかけられるのは慣れっこだから。最近は、ポップが何の騒ぎも起こさないと、かえって心配になってくる。これって楽しんでる証拠かな──オレに気を遣う必要はないよ」
>>>2000/10/13up