「おはようございます大魔道士様。お手水をお持ち致しました。起きてくださいませ」
鈴を鳴らして問答無用でマーシャが寝室に入ってきた。
寝ぼけまなこで見ると、手に水の入った器とタオルを持っている。どうしてもオレを起こしたいらしい。
眠い目をこすりながらオレは言った。
「マーシャ……オレ、朝ダメなんだよ。もう少し寝かせといてくれ、頼む。朝メシもいらない。チェスタトンにそう言っといて」
「それは困ります」
サイドテーブルに器を置きながら言う。
「私の役目は大魔道士様をお起こしして、シーツをお取り替えすることです。さあどうぞ、顔を洗って、これにお着替えになってください。レオナ様にお会いになるのに、だらしない格好では私が叱られます」
「私が、ねェ……」
オレはちいさくつぶやいた。マーシャはぱたぱた歩き回って、クロゼットから服を一揃い取り出した。
オレはうんざりしながら起き上がった。仕方なく顔を洗いながら、マーシャやニナじゃ埒があかない、レオナに直談判した方がいいなと考える。
オレとしては、朝っぱちから勝手に部屋に入られるのはすごく不快だ。加えて寝起きのオレは、決してご機嫌がいいとはいえない。レオナに言って、はずしてもらおう。オレは自分のことは自分で出来る。
「朝食はこちらでなさいますか? それとも広間で?」
いらんと言いたいのを押し殺して、
「……ダイは? どこで食ってんの?」
「ダイ様はレオナ様とご一緒です。ただ、レオナ様はダイ様と二人っきりで食事を楽しみたいようですので……大魔道士様が陪食なされるのは……」
なるほど。
「いいよ、無理にとは言わないから。それじゃ、今日はここに運んで……くれるのかな?」
「はい。すぐにお持ちいたします」
微かに笑ってマーシャは出ていった。オレが用を言いつけたのが嬉しかったらしい。
マーシャの金髪の巻き毛を見送りながら、それなら無闇にはずすのも悪いような気がして、とりあえず注意だけにしようと思った。必要最小限のことだけしてくれれば、オレはいい。
「お待たせいたしました、大魔道士様」
マーシャは食事と、バジルを伴って戻ってきた。
バジルは長身の寡黙そうな男で、濃い灰色の髪をきちんと後ろに撫でつけていた。声も低く、落ち着きを感じさせる。
「おはようございます大魔道士様。今朝は朝食の後、レオナ様とご面会なさってください。午後からは何をやっても良いそうです。積もる話もあるだろう、とのことでした」
「召使いというより秘書みたいだね。その日のことは君に聞けばいいんだ? 良かった、オレ忘れっぽいから。よろしく頼むよ、バジル」
そう言うと、バジルはぺこんと頭を下げた。マーシャよりバジルの方が格段に有能そうだった。しかし二人とも、昨夜のチェスタトンのようには話に乗ってきてはくれなかった。
「メシ食ったらすぐにかい?」
パンをほおばりながらオレは聞いた。
「はい。いえ、すぐにというわけではないのですが……いつ呼ばれてもよいよう、控え室で待機なさるのがよろしいと思われます。他の皆様もそうなさっておられます」
「あにい!? ま、まあ、そりゃレオナが忙しいのはわかってるけどよ……」
なんか、理不尽。
そっちから来てほしいって言っといて、勝手じゃないかい? えらく。
「申し訳ありません……」
「バジルがすまなさがることはないよ。いいとも、待ってやろーじゃん。ただし今回だけ。このオレ様を待たせるなんて、覚悟は出来てるんだろうから」
マーシャがヒッと息を呑んだ。バジルもこのオレが、最後の最後まで勇者と戦いを共にした大魔道士だということを、思い出したようだった。
「大魔道士様、どうか、お手柔らかに……」
微妙なニュアンスでバジルが言った。
「何が? オレが? オレはただの魔法使いに過ぎないよ。そうだよな、以前の仲間でも、今は違うんだもんな」
少しばかり意地の悪いことを言いながら、オレは、なんとなくダイの症状がわかったような気がした。
一応レオナなりに気を遣ったのか、控えで待っていた人物の中でオレは最初に名前を呼ばれた。その恨めしげな視線を浴びながら、オレはマーシャのコーディネートした新品の法衣を着て、従者の案内のもと歩いていった。
「よく来てくれたわね、ポップ君」
人払いをしてからレオナは手招いた。昨日の謁見の間とはまた違う部屋で、中央に円卓と椅子が置いてあった。いかにも秘密めいた雰囲気がした。
「……別に。ダイがどうしたって?」
朝のオレは機嫌が悪い。実際、腹も立ててはいた。少々ぶっきらぼうな言い方になったのは否めない。レオナはすぐに察したらしい。
「ごめんなさい。怒っているようねポップ君。修業中に呼び出したりして悪かったと思ってるわ、でも、もう君しか頼れる人がいないのよ。ダイ君を、救ってほしいの」
「……どういう意味だ?」
椅子に腰かけ、向かいあってオレはレオナの話を聞いた。が、レオナにもうまく説明できないらしく、さっぱり要領を得ない。
「とにかく会って。ダイ君に」
言われずとも会うつもりだ。病気とかケガではないらしい、ではダイに何があったというのだ。レオナがこれほど心配するなんて。
「そうする。よくわからないが、全力を尽くすよ。オレに出来ることなら」
組んだ手をずっと見つめているレオナにオレは言って、部屋を出た。
「ダイ……」
呼びかけながら、オレは扉を開けた。
薄暗い、誰もいない書庫で、ダイはペンを滑らせていた。単語の書き取りでもしてんのか? と思いながら近付くと、当たらずとも遠からず、上級ルーン語の本の書写をしているのだった。
「なんつー難しい本を写してるんだ。そんなモン、オレだって読みたくねーぞ。遺言だから読むけれどよ……」
オレが言うと、ダイはようやく顔をあげた。どうやら人が入ってきたのも気づかずに書き写していたらしい。顔をあげたはいいが、目の焦点があってない。ゆっくりと、ゆっくりと、その目がオレをとらえ、
「……ポップ!?」
目を見張って、叫んだ。
「ポップ!? 本当に!? え、だって……ポップはマトリフさんの言いつけで……」
「いいんだ。終わったんだ。だからダイの所に来たんだ」
オレはとっさに嘘をついた。そうした方がいいような気がした。
「それじゃ、ずっとここにいられるんだね!?」
「ああ」
「ポップ」
ダイは座ったままオレを引き寄せ、オレの腹に顔を埋めて泣いているようだった。ようだった、というのはオレからはダイの顔が見えないからで、しかし肩の震えと、ときおり洩れる嗚咽とでそれを知ることが出来た。
「……ごめん。みっともないとこ見せちゃって」
「どこが。フツーだろ、泣くことくらい」
オレはなんでもないように言った。言葉にすると、本当にそれだけなのが不思議だ。ダイの泣いた理由、それはまだわからないけれど、ダイは寂しかったのだと思う。オレは岩屋で一人だったが、ダイは王宮で独りだったのだ。
それはレオナの怠慢だ。オレでさえ、たった一日で疲れ果てた。ここに三年もいたダイが、どれほど消耗したかは想像にかたくない。
「オレが来たからにはもう大丈夫。大船に乗ったつもりで安心しろ」
「うん」
素直なものではないか。このダイのどこが問題なんだ? レオナの目が腐ってんじゃねーのか。
「よし、じゃ、今日はこれから遊びに行こう。今日だけは自由にしていいって言ってたから」
その日は早速チェスタトンの所へ行って。クッキーづくりを見学してから焼き上がったそれを持って庭師のスミスじいをからかいに行った。
スミスじいにも以前に可愛がってもらっていて、草むしりを手伝わされたり花につく虫を手でとらされたりしていた。
今回は火の番をさせられた。刈った草や枯れ葉を集めて焼くのだ。オレ達がチェスタトンからすぐに芋を貰ってきて、焼きイモをしたことは言うまでもない。
>>>2003/5/31up