薫紫亭別館


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「……ごめんよ、ニナ。召使い頭に、こんなことさせて……」
 川の側の洗濯場で、オレはニナに礼を言った。
「いいえ、お気になさらずに。これが私の仕事ですから」
 ニナは、オレとダイが汚したシーツを洗いながら答えた。とても召使い頭のやる仕事ではない。
 オレとダイの噂はあっというまに広がっていた。ダイがあの後のシーツを堂々と廊下に出しておいた為に、それを見た者達がすぐに察してしまったのだ。
 マーシャは若い娘らしく潔癖なようで、オレとはほとんど口もきかなくなってしまった。変わりにニナが、以前にもまして細やかな世話を焼いてくれるようになった。心なしか言葉遣いも、親しみを感じさせるものになってきたような気がする。ある程度齢がいっているだけあって、こういうことにも懐が深いのだろう。
「うちの人が、パイを焼いておくとか言ってましたよ。お三時になったら、おやつに呼ばれに来てくださいな」
「……うん。ありがとう」
 こうなっても変わらないでいてくれたのは、ごく少数の人達だけだった。このニナと、料理長のチェスタトンと、庭師のスミスじい。……それから、意外にも、レオナ。
「たいして不思議じゃないわよ。勇者と大魔道士なんて、私達には及びもつかないような絆で結ばれているんでしょうし、ダイ君はそれをちょっと超えちゃっただけだわ。私はまだ若いんだし、これから幾らでも巻き返せるわよ」
 レオナは手を振って軽快に笑った。自信と自負が、美しい女王を輝かせていた。
 オレは嫌味もお咎めのひとつも言われなかった。言ってくれれば、少しは胸のつかえが取れたかもしれないのに。どうしても、オレは、巻き返せる可能性は万にひとつも無い、とは言えなかった。
「どうしたの、ポップ? 溜め息なんかついて」
 書庫に戻るとオレの顔を見てダイが言った。
 この書庫、ここもいけない。人っこ一人いないと、ダイはいつでもどこでもキスをせがんできて、オレは肺の中の空気ごと、ダイに絡め取られる。
 もう慣れてしまったことではあるけれど、やはり釈然としない。
 ダイはオレが好きで、オレもダイは好きだけれど、オレにはマァムがいて、ダイにはレオナがいる。
 普通ならオレとマァム、ダイとレオナという二組のカップルが出来上がるはずだったのだ。ダイが、竜の騎士でさえなければ。
 もっとも、ダイが竜の騎士でなかったら、この地上はとっくに大魔王バーンによって滅ぼされていたと思うから、それについては一概にどうこう言えない。
「ポップ」
 キスの後、鼻をひくひくさせて、ダイはオレの首筋に顔を埋めた。逃げなかったのは、オレが、ダイの孤独を知ってしまったからだ。
 この世でたった一人の竜の騎士、その悲壮な決意を知ってしまって、どうしてダイを突っ張ねられるだろう。見捨てられるだろう。どうして同じでいられるだろう。
 オレは、どうすればいいのだろう。
 レオナとくっついても、争いのない平和な世界をつくれば大丈夫……なんて生煮えなことは口が裂けても言えない。そんな不確かなもの、犬にでも食わせてやればいい。オレとダイが生きている間はそれに責任もってやることも出来るかもしれないが、それ以降の代はどうするのだ。バーンは倒したが、天界に封印されているとはいえ、今だ冥竜ヴェルザーがこの地上を狙っているのだ。
 竜の騎士の血も、混血を重ねるごとにどんどん薄くなっていって、ついには普通の人間と変わりなくなってしまうだろう。そんな子供に、剣を持たせて平和の為に戦ってこい、とはとても言えない。
 ダイの時でさえ、オレはこんな子供に世界の命運がかかっているのはおかしいと思っていた。
 時代がダイを必要としてとはいえ、もっと誰か、他の大人が肩代わりしてくれても良かったのじゃないか。
 だからオレは、余りダイを勇者扱いしないで、ただの子供に対するように接してきたのだけど……。
 ダイに身を任せながら考える。
 それを思うと、今の事態の責任の一端はオレにもあるのだろう。
「ダイ。本、どこまで読んだ? 今日中に読み切ってなきゃ怒るぞ。そうでなくとも、最近予定より遅れてるんだから」
「……ムード無いんだから、もう」
 拗ねたように舌を鳴らして、ダイはたしなめられるままオレから離れ、席についた。
 オレも向かいの席に座って、自分も本を取り上げると、読むふりをしながらダイを盗み見た。
 ダイは大人しくオレの選んだ本を読んでいる。
 それは甘々の恋愛小説で、オレの遠回しの拒絶もあった。恋愛小説から、もっとこう、普通の恋愛とはこういうものを差すのだとダイに知って欲しかったのだ。ダイは嫌いではないが、ダイの孤独もわかっているが……。
 せっかくマァムをネイル村に迎えにゆく勇気が出てきたのに。
 ネイル村でオレを待っている、マァム。マァムがこれを知れば、きっとオレから離れてゆくに違いない。
 マァムは健康的で真っ直ぐな女性だ。天に伸びる、大輪の花のような。
 こんな不道徳なことは許されない。許さない。
 城の者達の、オレを見る目が変わってきていた。
 ダイがレオナと婚約しないのは、オレのせいだと思っているのだ。オレがいなくなれば、すべてうまくいくと思っている。実際はそうではないが、関係のない第三者にとっては、それが一番しっくりくる見方だろう。
 だが、オレだってわからなかったのだ。ダイの気持ちが。
 まだ子供だからと思っていただけで、離れていた三年もの間、誰にも相談出来ず、一人が考え続けて出したであろう結論……それを、はたで見ているだけの、第三者に理解しろという方が無理なのだ。
 そう決意するまでに、どれほどの苦悩と葛藤があったことか。
 誰がわかっていなくとも、オレだけはわかっている。ダイも、それでいいと思っている。言動のふしぶしに、それが感じられる。
 あの能面のような顔は、理解させるのを放棄した、心を閉ざした人間の顔だ。だけどダイ、本当にそれでいいのか? オレとおまえの、二人だけの国の専制君主で。
 オレはイヤだよ。おまえは好きだけど、それはマァムに寄せる想いとは違う。オレはマァムにプロポーズして、結婚して、師匠の蔵書をこの城に移して、この国に一大魔法図書館を作りたいとも思っているんだ。
 きっとそこは、世界中から魔法使いを志す者がやって来るようになるだろう。オレはそこの館長に就任させてもらって、時にはアバン先生のように親切に、マトリフ師匠のように偏屈に、その者達を導いてやりたいとも思っているんだ。
 ダイ。おまえだって、やりたいことがあるはずだ。きっと。
 今はまだ勉強中でよくわからなくとも、レオナと結婚しなくても、一生をかけてもいいものかがおまえの中に眠っている。
 それに気づいたとき、おまえはオレがいなくてもやっていける自分に気づくだろう。
 だから、そんなに絶望しなくていい。おまえはバランじゃないんだから。
 おまえが憎み、愛し、尊敬した、おまえの父親──バラン。
 一時はバランも人間に絶望していたけれど、最後にはおまえの下へ帰ってきた。おまえは父親と一体になり、その竜の紋章を受け継ぎ、双竜紋となって戦った。
 その彼の息子だから、おまえだって出来るさ。
 さしあたって、オレに向ける笑顔を他の者にも向けてやればいい。おまえが笑うと皆の気持ちが軽くなる。それだけ慕われているんだ。この国を、住みやすくするもしないもおまえ次第だ。そして、オレはおまえを信じている。
「……ポップ。ニヤニヤして、どうしたの?」
 少々薄気味悪そうにダイが言う。
「何でもないよ。いいからおまえは本を読んでろ」
 オレはニヤニヤ笑いを消さずに答えた。

>>>2003/8/23up


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