── ダイ 1 ──
(ポップはどこへ行ったんだろう?)
ダイはポップの寝台にもぐりこんでポップが帰ってくるのを待っていた。
(レオナは何も教えてくれないし……いやも毎回ごまかされるオレもバカみたいだけどさ。もー何日たったんだっけ? 一週間? やけに長いなあ、ふつう、こんなに長いと連絡くらいよこしてたのに。ちぇーっ、オレもついてきゃよかったなあ)
知りあって以来、こんなに長く離れたことはなかったような気がする。
ポップは当然みたいにダイの後ろに控えていて、ダイが判断に迷ったとき、不安になっとき、いつでもダイはふりかえってポップに相談したものだ。
(オレってポップに頼りすぎなのかなあ。ポップがいないと落ち着かなくてしょうがないもの。ポップにしてみたらいい迷惑かもしれないなあ。……いかん、落ち込んできた)
取り替えさせて清潔になったシーツ。
取り替えさせなきゃよかったなあとダイは思う。
(ポップの匂いがしなくなっちゃった。オレが寝たせいかオレの匂いも強かったけど、ちゃーんとポップの匂いもしてたのに)
ため息をついてたは寝返りを打った。
寝つけない。このところ毎晩見る、夢が怖くて。
夢の内容は決まっている。朝、ダイがポップを起こしに行くと、ポップが眠ったままつめたくなっているのだ。自分はおそるおそる手をのばし、まるで器物のような感触をつたえる手のひらを無視してあれこれと話しかけるのだ。
「ポップ……眠ってるの? ねえ、起きてよ。今日こそ朝メシ食べるんだって言ってたじゃない。ポップのせいで、いつもオレまで食いっぱぐれるんだからね。少しは責任感じてるなら、みっつ数えるあいだに起きて! いくよ、ひとーつ、ふたーつ……」
みっつが十倍どころか百倍になっても、ポップはぴくりとも目を覚まさない。
「……やけに根性いれて寝てるなあ。よっぽど疲れてたんだね。いいよ、今日はオレもつきあってサボッてあげる。でもこの埋め合わせは、今度ゼッタイしてもらうからね」
寝台のかたわらに座りこんでときおりポップのようすを見るのはそれはそれで快いことだったが、ダイはやはり不安にかられた。
(このまま目を覚まさなかったらどうしよう……)
ぷるぷると首をふってダイはその考えを打ち消した。
縁起でもない。
(ポップは眠ってるだけなんだから。ほら、あまりよくある話じゃないけど、休みの前の日疲れて眠りこんじゃって、起きたらまる一日たっていた、なんてこともあるじゃない。ポップもそう。だから、明日になったら目が覚めるんだ)
自分に言い聞かせるようにうなずく。
「はやく起きてね、ポップ」
うつらうつらしているうちに、いつのまにか夜が明ける。ポップはまだ起きない。
事ここに至って、ようやくダイはポップの死を認めるのだ。
認めてしまったあとのダイの反応は早かった。
ほぼ無意識にダイは手首を切り、ポップの口もとにあてがった。
自分の血をあたえるのだ。竜の騎士の血を。
父親に比べ自分の血はうすいかもしれないが、量ほあたえればポップは生きかえるに違いない。
その想いだけで、ダイは血をあたえ続けた。
誰かが外でオレたちを呼んでる。
うるさい、邪魔するな!
もう少し待ってりゃポップと一緒に降りてくよ!
血が流れる。
血を流しすぎて時間の感覚もおぼつかない。意識が朦朧となってくる。
背後に人の気配を感じる。レオナとアポロ。
「ダイ君!」
レオナが何か言ってる。でも駄目なんだ。ポップを生きかえらせないと。
……そこで、ダイの意識は途切れ、悪夢から覚める。
(最近はその続きまで見ちゃうもんなあ……)
所用で来たはずのマァムに神殿に連れて行かれて、そこに横たわっているポップを見た。
ポップのお母さんもいる。マァムが怒鳴る。でも声は聞こえない。
あ、やっと聞こえるようになった。
「いいのよ。私が馬鹿だったわ。お城へ帰りましょう、ダイ」
いったい何しに神殿へ来たのかな?
オレに懺悔でも聞いてほしかったのかしら。
それなら専門家がくさるほど神殿にいるんだから、神官たちに言えばいいのに。ヘンなの。
うん。ポップなんかいなかったよ。
ポップはレオナの命令でどこかの国に出かけてるんだから、こんなパプニカの神殿なんかにいるずないもの。
……でも、どうしていつまでたってもレオナはポップの行き先教えてくれないのかな。
忙しいのはわかるけど、それくらい教えてくれたっていいじゃない。
今日は、誰かのお葬式……かなんかだっけ?
そうそう、式は終わってあとは遺体を荼毘にふすだけとか言ってたっけ。
でも、誰の遺体だろう。
パプニカの王女のレオナが立ち会わねばならないほどの人物って。
あれ……?
誰か、覚えがあるような気がする。
「あはは。まっさかあ」
ダイは口に出してその思いをふりはらった。
(明日こそレオナに聞き出して、ポップを迎えに行ってあげよう。きっと、仕事がうまくいってないんだよ。それを報告したくなくて何も言ってこないんだ。意地っ張りだなあ。ま、そこが可愛いといえば可愛いんだけど)
ダイは寝台から起き出して、自分の部屋に向かった。
(夜のうちにいろいろと荷物まとめとこうっと。そしたら、朝許可をもらったらすぐに出ていけるもんね。えーっと、なにが必要かな……滞在が長くなったらいけないから、着替えを何枚かと携帯食料と……)
ダイは自分の部屋のあちこちをかき回して当座必要だと思ったものを袋に詰めこみはじめた。
(こんなもんかなあ。ポップだって少しは用意してるだろうし、無いなら無いでなんとかなるもんだしね。それに、旅先でそろえることも出来るだろうし)
自分の仕事に満足してダイはうなずいた。
ほかに忘れものはないかと部屋を見回す。巨大な寝台が目についた。
ここ最近使っていなかった、自分の寝台。
(また当分ここでは寝ないんだなあ。今夜くらいは寝ておこうか)
と……。
寝台にいきおいよく飛びこみ、頭を落ち着けたとき、枕の下になにかちいさなものがあることに気づいた。
「何……?」
取り出してみると、それは手のひらにすっぽりおさまってしまうような、美しく刺繍のほどこされた巾着袋だった。とりどりの糸の絡みあわされた紐をほどくと、黒と白の、なにか得体のしれないものが中に入っているのが見えた。
ダイは身を起こしてそれを寝台の上にあけた。
「………!!」
ダイは異様な目でそれを見た。
何かに耐えているように眉をひそめ、くちびるを痛いほどにかみしめ、長い時間がたっても、ダイはまんじりともせずにじっとそれを見つめていた。
髪の毛だった。きちんと、真ん中でたばねられたひとふさの。
そしてかたわらにはちいさな白いかけら。
この白いものは……どうやら骨のようだった。
「……ポップ」
ようやくダイは口をひらいた。
ああ、見忘れるはずもない。短くなってはいても、たとえひとふさしかなくても、いつもダイが見上げ、こっそりさわりたいと思っていた、ちょっとくせのあるやわらかそうな黒い髪。ポップの髪。
連日の悪夢がよみがえる。
わかってはいた。けれども認めたくなくて、必死で目をそむけてきた現実。
ダイはそれらを押し戴くようにして胸にかきいだいた。
ダイは思った。
(……夢だと思っていたかった。あれは全部夢で、ポップは留守で帰ってこないんだと思いたかった。どうしてわざわざ見つけてしまったんだろう。この寝台になんか寝なければ、オレは朝から、ポップを迎えに旅立ってたのに)
もうこのさいレオナが教えてくれなくても、ひとつずつ国を廻ってゆけばいつかは出会えると信じていられたのに。
(これをここに置いたのはレオナなんだろうな……やっぱり)
レオナ。ダイが知らぬふりをし、なかば信じこんでポップがまだ生きているかのような言動を示すのを、優しく見守ってくれた少女。
この錦の袋はレオナの心づくしなのだろう。
ここに置いたのも、いつか自分があきらめて、この部屋で眠るようになったとき見つければ、そうショックも少ないとふんだからなのだろう。
それくらいの分別はまだダイにあった。
(でも……)
錦の袋をにぎりしめて。
(知りたくなんかなかったよ)
ダイの手の中の、錦の袋と遺骨と遺髪。ぜんぶあわせても重みなどほとんど感じない。
持っているという気がしない。頼りない、はかない感触しか伝えてこない。
覚えているのはほっそりとした、意外としっかりした体。
ダイがふざけて飛びつくと、倒れそうになりながらもなんとか支えて、頭をごつんと叩いた。
(いいかげんにしろよ! ダイ)
そう言った、ポップの罵声までが聞こえてくるような気がする。
今はもうダイのほうが背が高くて、そんなことをしたら確実に押し潰してしまっただろう。
「ポップ……」
(駄目だ。君がいないと、オレは生きてゆけない……こんなにも悲しくて心が引き裂かれそうなのに、こんな、軽いものがポップだなんて認められないよ。そうだよ、オレはポップが燃やされるところなんか見てないんだからね。だから、これは誰か別の人の骨)
ダイはそれを投げ捨てようとした。
……が、出来なかった。
「どうして……」
出来ないんだよ、という言葉をのみこんだ。
どんなに認めたくなくともこれはポップの一部。
それを捨てるなんてこと、自分にできるはずがない。
ダイは袋に遺骨と遺髪とを入れ、ひもの糸を長くつくりかえるとアバンのしるしと同じように、大事そうに首から下げた。
「……レオナに謝らなきゃ……」
ぼんやりとダイはつぶやいた。
だがその目は、前よりもいっそう、何も写してはいなかった。
(ポップのいない宮殿。ポップのいない風景。ポップのいない世界。みーんな、まやかし)
では。
では、忘れるか? ポップを。
いきなり沸き起こってきたその考えにダイは自分で驚いて顔をあげた。
ポップがいないと生きてゆけないなら、最初からいなかったことにしてしまえばいい。
冒険は始めからダイひとりで旅立ったことにすればいい。
喜びも悲しみも、自分だけで乗り越えてきたことにすればいい。
そうすればお前はこれからも生きてゆける。
レオナとともに、生きてゆける。
「……忘れる。ポップを……?」
それはとても魅力的な考えに思えた。
どんなに想ってもポップは還ってこない。あの軽口を聞くことはもう二度と無い。
それなら……忘れてもいいのかもしれない。
レオナの気づかいにも、マァムの怒りにも気づいている。申しわけないと想っている。
ポップを忘れてこれからも生きてゆけるなら、ふたりのために、……みんなのために、何の不都合があるだろう?
ダイは顔をふせ、真剣に考えはじめたようだった。
そして、しばらくして、ダイが本当にその考えに身をゆだねたかに見えたとき、
「……忘れたりしないよ」
くちびるのはしを釣り上げて、ダイは、笑った。
忘れたりなんかしないよ。
絶対に。覚えているよ、永遠に。
ポップ。君の、前髪の奥に隠れていたいつもからかい気分を含んだまなざしや、触媒を自由にあやつる魔法使いらしい器用な指先。
平和になってからは着ぶくれて首しか出してなかった法衣もすこしは薄着になってさ。それでも相変わらずの緑の濃淡でまとめて、それがまたよく似合ってた。
泣きたいような気持ちでダイは思った。
目を閉じればこんなにも鮮やかに思い出せるのに。
目をあけても。
「ポップ……?」
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