── パプニカ 2 ──
「ダイ君がいない?」
朝、近習の報告にレオナは問い返したが、それほど意外とは思わなかった。
「……わかったわ。お前はこれからまだパプニカにとどまっている方々に、レオナより内密の話があるからと伝えに行って。くれぐれもご足労をおかけして申し訳ないって言いそえてね。それが終われば下がっていいわ。……ええ、部屋は第三会議室に。これから一時間の後にね。それまでは私を一人にしてちょうだい」
レオナはすばやく身支度を整えると、ダイの部屋に向かった。
ダイの部屋はレオナの部屋からはかなり遠い。
いくら婚約しているとはいえ、まだ正式に式もあげていなかったので、王族らしくみだりがましく見られないようにとの配慮からだった。
レオナは迷いもせずにまっすぐダイの寝台へ近づき、さっと枕の下を調べた。
昨夜忍ばせたはずの袋が無くなっていた。
レオナがそれを置き、ダイが発見するまでにそう大した時間は経ってないに違いない。
(……ずいぶん、用意がいいわね)
ダイの部屋は主人みずから荒らしたのだろう跡がうかがえた。
物盗りがこんなつまらさそうなものを狙うはずがないし、だいたい物盗りの侵入する余地など王宮には無い。
(ダイ君は旅に出るつもりだったのかしら。いいえ、それはわかるわ。なんとなく、そろそろポップ君を迎えに行きたがってるなって気がしてたもの。でも、袋が無くなっている……ということは、ダイ君はあれに気づいたんだわ)
それでいて出て行った、ということにレオナは少なからず驚いていた。
あれこそはポップの死を告げる真実の声。
見て見ぬふりをするかとは思っていたが、気づいたというなら捨てることなどダイには出来ない。ダイはポップの遺骨を持ったまま、どこかへ旅立っていったのだ。
(……まさか、ダイ君がひとりで出て行くなんて思わなかったわ。いつだって言いだしっぺはポップ君で、ダイ君はそれは喜んでついて行ったけれども自分から出て行くタイプじゃなかったのに。私、ダイ君の行動力を見損なってたのかしら)
レオナは頭をかかえた。
(それにどこへ行くっていうの。ポップ君が死んだことはダイ君にもわかったはずよ。ポップ君を迎えに行く、という目的が無い以上、ダイ君の戻る場所は私のところしか無いはずなのよ。……そういえば、デルムリン島かもしれないわね。アバン先生にお願いして、ルーラで様子を見てきて頂こうかしら)
レオナは冷静だった。
つぎつぎと思いを巡らせている間にあっというまに時間は過ぎた。
レオナはこの事を皆に相談すべく第三会議室に足を向けた。
※
「……どういうことなの?」
マァムが言った。皆も一様にうなずいた。
「それがわからないから皆に集まってもらったのよ。あんな状態のダイ君を放っておけないわ。……これは、王女としてよりただのレオナとしてのお願いよ。ダイ君を探してほしいの。出来れば、内密に。こちらでも打てるだけの手は打つつもりだけど、みんなにも協力してもらいたいの」
レオナの苦しい胸のうちがわからないほど集まった者たちは凡人ではない。
彼らはレオナに協力することを約束してそれぞれの国へ散っていった。
手にレオナがぬかりなく、急いで描かせた似顔絵を持ち、クロコダインとヒムはロモスへ。
ヒュンケルとラーハルトはふた手に別れて各国へ。アバンはカールに帰る前に、デルムリン島に寄ることになった。
「大丈夫ですよ、姫。意外とケロッとした顔で帰って来るかもしれませんよ。そう……きっと、心の整理がついたら。今は傷心旅行でもしてるんでしょう。それにみんな探してくれるんですし。きっとすぐに見つかりますよ」
アバンは年長者らしく豊かな包容力を見せて言った。
レオナは必ずしも納得したわけではなかったが、その気配りがありがたくて素直に頭を下げた。
しかし予想に反してダイはすぐには見つからなかった。
アバンからはデルムリン島にはいなかったという報告が届いた。
マァムの方が先にじれてレオナにこぼした。
「まったくどこに行ったっていうのよあの馬鹿は!」
「マァム、落ち着きなさいよ。この広い世界でたったひとりの人間を捜し出すのがどんなに大変かくらいわかってるでしょ」
「どうしてそう落ち着いていられるのよレオナ。こんなに心配ばかりかけられて。やっぱりあのときひっぱたいておけば良かったわ。レオナは知らなかっただろうけど、私、ダイを神殿にひきずっていって、ポップの遺体を見せたのよ。なのに、ダイにはそれがわからないようだった。私は怒るよりも脱力しちゃってそのまま戻ってしまったのだけど、今となったらニ、三発殴っておいてもかまわなかったと思うわ」
「マァム」
レオナはかすかに苦笑した。
「それは知らなかったわ。……でも、こまでしてもポップ君の死を認めなかったのなら、それでは、あれを見つけてもまだ生きていると信じているのかしら」
「どういう意味?」
今度はマァムが問い返した。レオナは一部始終を語った。
「なるほどね。ダイがいなくなったのにはそういう背景もあったのね。……でも、同情なんかしてやらないわよ。つらいのは皆同じなんだから」
マァムはそうかもしれない。
マァムは、いつも前だけを見てまっすぐ突き進める強さを持っていた。
ポップがマァムを好きになった理由もそこにある。
だが、ダイは違う……と、レオナは思った。
「ダイ君はとっても強いけど、その大部分はポップ君によっかかってたのよ。大魔王を倒したときもそうだったでしょ? ポップ君があきらめずに立ちあがったから、ダイ君も立ちあがることが出来た。……今でもそれは変わらないの。あれから三年も経つっていうのに、私はいまだにダイ君の中でポップ君より大きくなれないの」
「………」
マァムは無言でレオナを見た。
最後の言葉にレオナの押し殺した叫びを聞いたと思った。
「……私、わたしがもしかしてポップ君を殺したのかもしれないのよ、マァム。私はポップ君の様子に気づいていたのに、気づかないふりをしていたのかもしれない。ポップ君がゆっくりと死に近づいてゆくのを、知らぬふりをして見ていたのかもしれない。だって、ポップ君さえいなければ私がダイ君の一番になれるかもしれないんだもの! きっとそうなのよ。恐ろしい、恐ろしい女だわ、私は。自分の恋のために、ポップ君を見殺しにした───……!!」
レオナは両手を耳にあてて叫んだ。
マァムが落ち着かせようと手をのばした。
「しっかりなさい!! そんなことがあるわけないでしょ! あなたは私たちのリーダー格だったんだから。そんな人に、アバン先生はフェザーを預けたりしないわ。さあ、息を大きく吸って。……安心して、自信を持って、いつものレオナに戻ってちょうだい」
マァムの説得がきいたのか、レオナはなんとか自分で息を整えながら言った。
「ごめんなさい……取り乱したりして。もう大丈夫よ、マァム」
「いいのよ。なんでも相談してねって言ったでしょ? ようやくそれだけの仲になれた気がして嬉しいわ」
マァムは穏やかに答えた。
だが心中はそう心穏やかではいられなかった。
(まずいわ……レオナまでおかしくなってきてる。ポップの死とダイの失踪で神経がまいってるんだわ。一刻も早くダイを連れ戻さないと大変なことになってしまう)
これほどまでにレオナが悩んでいたことに気づかなかった自分が情けなかった。
(ポップ。あなたがいないだけで、私たちはこんなにぎくしゃくしてしまっている。ここであなたの果たしていた役割は私には重すぎる……私では二人を支えられないの)
マァムはそっと部屋を出た。
レオナを一人にしてあげようと思ったのだ。
自分の部屋へいたる廊下を歩きながら、マァムは自分の無力感に打ちのめされた。
おそらくポップにはたいした問題ではなかったのだろう。
ダイと、その延長線上にいるレオナを支えることは。
負担を負担とも思ってなかったかもしれない。
彼の明るさは天性のものであり、彼の明るさに救いを見いだす者たちにそれを分け与えることは、非常に簡単で自然きわまりないことだったのだ。
(私はどうすればいいのかしら。私は何をすればいいのかしら。……ポップ、あなたの知恵をかしてちょうだい。あなたでないと駄目なの)
自分もポップによりかかっていると思いながらマァムは思った。
死せるポップのたましいは地上を離れ、今は神の国で遊んでいるというのに。
(私、ダイにあなたの死を認めさせるわ。それはとてもつらいことだけれど、ダイは……私たちは、あなたがいなくなったあとの生を生きてゆかなくちゃならないのよ。ごめんなさい、ポップ。私、本当にあなたを愛してたわ……)
マァムは過去形で思った。
彼女はもう、ポップが何も言ってくれないことを知っていた。
※
待望の知らせはロモスからもたらされた。
「それがよおちょっとヘンなんだよ……」
ロモスの王宮に伺候していたヒムとクロコダインは、王様に事情を話して特別に暇をいただき、二人して国内の捜索にあたっていた。
彼らは人間外ではあったが、その名声と特徴は広くロモス国内に知れ渡っていたので、不審に思われたりせずに調査することができた。
ヒムの話とはこうだった。
『ああこの人なら、こないだまでラオじっつぁのところの畑に種蒔いてたよ』
ロモスの片田舎でヒムの示した似顔絵を見ながら青年は答えた。
『ほ、本当か!? そのラオとやらはどこにいる!?』
『じっつぁはもう八十ちかい年寄りで、子にも妻にも先立たれてしまってよ、一人で村はずれの小屋に住んでるよ。オレらもときたま様子は見に行くけんど、そうそう面倒もみてられんでな。じっつぁの畑も荒れ放題だったけんどもこの人たちが手入れしてくれてよかったよ』
『………!?』
クロコダインが聞きとがめて聞いた。
『ちょっと待ってくれ。この人たち、というのはダイには連れがあったのか?』
『いたよ。この人よりももう少し小柄な、よく笑ってる人だったよ。この人はあまり手伝わずに、畑のすみからこっちの人を見てた。こっちの人もそれで怒ったようでもなかったけどな』
ヒムとクロコダインは顔を見合わせた。
『……すまないが、もう少しくわしく聞かせてくれないか。そいつはどんな格好だった?』
『緑色の長ったらしい服を着てたよ。そうそう、頭になんか黄色いものを巻いてたっけな』
今度こそ、二人は甲を失った。
二人の脳裏に浮かんだものは、いつもダイのそばによりそっていた、今は故人となったはずの大魔道士の姿だった。
『お、おい……オレなんだか気持ち悪くなってきたよ』
『馬鹿。そんなはずがあるか。……もしかして人違いかもしれん、とにかくそのラオとやらの所に行こう』
不気味に思いながらもヒムとクロコダインはラオじっつぁの4家を訪ねた。
『はいな。この似顔絵の方はダイさん、お連れの方はポップさんとおっしゃいましてな、この爺めに代わって畑を耕してくれましてな。ありがたいこってす。たったニ、三日でまたどこぞへ旅立ってゆかれましたが、爺としてはもう少し、いやずっとおってもらっても良かったんですがな』
意外とはっきりした口調でラオは話した。
なえているのは足腰だけで、頭はしゃんとしているということだろう。
「ちょっと待ってよ! それじゃ、ダイはポップの幽霊とでも歩いてるっていうの!?」
マァムが叫んだ。
「だ……だからヘンだって言っただろうよ」
ヒムが言いにくそうに答えた。
「黙って、マァム。ちょっと整理しましょう。そうするとダイ君はポップ君の幽霊……じゃ、ないわね。みんな見てるんだから……ポップ君のそっくりさんと旅をしてるってことになるわ」
「なんて情けないヤツなの。いくら顔が似ててもよりによってポップと間違えるなんて。そのそっくりさんとやらもどういうつもりよ。ポップを騙るなんて、許せないわ」
ヒムは恐ろしげに一歩さがった。
そんなヒムやマァムの剣幕にはまるで気がつかないかのように、
「ともかくこれで足取りはつかめたわけだわ。近衛の中から何人か選んでロモスへ派遣しましょう。ヒム、クロコダイン、くわしい場所を教えてくれる? 誰か、地図を持ってきて」
レオナは手を叩いて近習を呼んだ。
>>>2000/11/28up