── ダイ 2 ──
「……ポップ。魔法使ってるね?」
けわしい山道を登りながらダイは後ろのポップに声をかけた。
「あっれー、なんでわかった?」
ポップは空とぼけた声を出した。
「ポップが普通に歩いてこんな山道オレについて来れるワケないじゃん。しかも息も切らさないで」
「どしたのダイ。少しは頭が回るようになったのか? そんなことに気づくなんて」
相変わらず口が悪い。
「あのねえ。オレをナメるのもいいかげんにしてよ。オレだって少しは成長してんだからね」
「少しと言うところがケンキョでよろしい」
ヤスリで神経をけずりまくっているような会話だが、当人たちは至ってのんきで、濃い緑のしたたり落ちる山道を登ってゆく。
「いいからちょっと来て。オレの手につかまって。疲れたら休めばいいんだから、魔法は使わないでね。魔法はポップの体によくないんだから」
ダイはふりかえってさりげなくトベルーラを使っていたポップの体を抱きとめると、右手をしっかり握りしめた。
「おい、ダイ」
「文句言わない。……まったくう、見張ってないとすーぐコレなんだから。魔法使ってたら右手をとおして一発でわかるからね。わかった!?」
ポップはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、しぶしぶ魔法力をぬくと自分の足で歩き出した。
ダイはそれに満足そうな笑みを向けると、今度はもっとゆっくりと、ポップの足にあわせて歩いた。
※
パプニカを出てからひと月が経っていた。
ダイはポップを連れてロモスにやって来た。パプニカに負けないほど風光明媚なこの土地は、春まっさかりでポップが行きたいとリクエストした所だ。
ふたりは都市を避けてのんびりした田舎から田舎へ歩きながら旅を続けていた。
(……ポップ?)
あの夜のことは忘れない。神がダイに下された奇跡。
目をあけた瞬間視界いっぱいに映ったものは、生前の、明るい緑色の法衣に身をつつんだポップだった。
(ポップ……)
ダイはふるえながら手をのばした。
これはもしかしたら夢の続きで、手をふれたらポップは消えてしまうかもしれない。
それでものばさずにはいられなかった。
ポップは消えなかった。
のばした手からは確かな質感がかえってきた。
「ポップ?」
「そうだよ、ダイ」
どんなにもう一度この声が聞きたかったことだろう。
ダイは叫んだ。
「ポップ、ポップ、ポップ!!」
「連呼するな、恥ずかしい」
そう言った、憎まれ口さえ今は嬉しい。
ダイは愛おしさでいっぱいになって、思わずダイを抱きしめた。
「ち、ちょっと、ダイ……」
「黙って……」
ダイは今までずうっと、したくても出来なかったことをした。
「……ん……」
ポップがくぐもった声を出した。
ダイの肩にかけられた手にほんの少し力が加わったが、それ以上さしたる抵抗もなしにポップはダイの唇を受け入れていた。
しかしそれが他の場所まで及んでくると話は別だ。
「調子にのるんじゃねえッ!!」
渾身の力をこめて降りおろしたゲンコツは、ぱっかーんと陽気な音をたててダイの頭を直撃した。
が、顔をしかめたのはポップの方だった。
「いったー! 痛いってばこの石頭。ちくしょう手がしびれたっ、どーしてくれんだダイっ!!」
そう言われても困る。
「ご、ごめん。悪かった」
「反省が足りんーッ!!」
しびれてないほうの手で再度殴って、ポップはようやく溜飲を下げたようだった。
「……もう、怒ってない? ポップ」
衝動的に行動してしまって、あとで青くなるのがダイらしいといえばいえる。
「……いいよ、謝んなくても。お前、オレにキスしたのそんなに後悔してんのか!?」
先程反省が足りないとか言っていたような気がするが、懸命にもダイはそれを口に出したりしなかった。
「してないしてないっ、も一回やりたいっ」
「よろしい」
さもありなん、という風にポップはうなずいた。
「でも今夜はもー終わり。せっかく出かける用意をしてんだからどっか行こうぜ。ロモスがいいなあ。ちょうどあの大陸はこれから春になるんだ。パプニカだってもう少しだけどロモスの方が早いんだよな」
ダイに異存のあろうはずがない。
ふたりは連れ立って旅に出た。
ダイとポップが結ばれたのは、そのロモスでの最初の一夜でのことだった。
ごく自然にダイはポップを引き寄せ、今度はポップも殴らずに、おとなしくされるままにしていた。
「……ふ……っ」
おさえたよがりがポップから漏れた。
となりでぱちぱちと焚き火がはぜている。
ポップの顔も半分しか見えない。
その半分の暗闇がダイを大胆にさせた。
「ポップ……」
ポップが死んだ、ということはダイにはわかっていた。
アバンのしるしとともに、ポップの遺骨も首にかかっている。
では、ここにいるのは誰だろう。
ありえない話ではあったが、ここにいるのもまぎれもなくポップなのだとダイは思った。
(きっと、目をあけた瞬間からオレは狂ってしまったんだと思う。狂ってしまってもポップがいない正気よりはいい。これが夢でもかまわない。もう二度とオレは目覚めない)
「ん……ダイ……?」
コトが終わってまどろんでいたポップが、もぞもぞと頭をすりつけてきたダイに言った。
「ん、なんでもないよ。起こしちゃってこめんね」
ダイは満たされた気分で答えた。
そう夢でもなさそうだ、と考えを改めるまでに大した時間はかからなかった。
田舎の人は純朴で、道ですれ違うときは会釈したり声をかけてくれたりする。
どうもその見ず知らずの村人たちにも、ポップが見えているようなのだ。
「こんちはー」
ポップもすれ違う人ごとにそう挨拶しながら歩いてゆく。
「………」
ダイはものすごく不思議そうにポップを見た。
「なんだ。なに見てんだ、ダイ」
「うーん……やっぱり本物だなあ」
ダイはぱんぱんポップをはたきながら言った。
「いちいち叩くのはやめいっ」
「ねえポップ、……言いにくいんだけど、こないだ死ななかった?」
「死んだよ」
「どうしてここにいるの?」
「ここにいるからだよ」
「答えになってないよ、ソレ」
ちょっとスサマジイ会話だが、本人たちは大真面目であった。
「心配せんでもオレは本物だ。世の中にはダイごときの頭では想像もつかんことがあるんだよ。まーダイがいてほしいと思うだけいてやるから安心しろ」
「うん」
これで納得してしまうのがダイらしいといえばいえる。
ポップはどこぞから地図を調達してきて地元の人に評判を聞きながら行き先を決定した。
この田舎町で地図を扱っている店など無いはずなのだが、ポップはあまり役に立たない特殊技能を持っていて、必要とあらばしゃべる石から女性物のくつしたまでなんでも手に入れることができた。
「混乱の中にこそ真実の美は存在する」
「悪趣味なだけだ」
以前うっかり口をすべらせてしまって、あとでびどい目にあったのでそれからダイはポップの集めてきたものに感想をのべるのはやめた。
「んー、こっちの平野から山に入って、セレヤ山のセレヤ湖見てから反対がわのふもとのエリヤ村……ってートコだな。おし行くぞ! ダイ」
というわけで、今はセレヤ湖見物に行く道の途中なのである。
※
「セレヤ湖か」
ヒムとクロコダインは初めて消息をつかんだ村にレオナの選んだ兵士を連れて舞い戻り、それを二人ずつペアにして付近の聞き込みにあたらせていた。
ダイをつかまえるには頭数が何人いても足りなかったが、調査するには充分だ。
「ルートは?」
「はッ。この平野から分け入る道と、山の正面からゆく道とがありますッ」
クロコダインの問いに兵士が答えた。
「では二手に分かれよう。イーラ以下五名はオレと平野から。残りはヒムについて正面から行ってくれ」
「はッ!!」
兵士はしゃちほこばって敬礼した。
いざ出発、という少し前にヒムはクロコダインにこぼした。
「なあ……ダイを見つけたらどうするんだ?」
「……うむ。なんとか言いくるめてパプニカに連れて帰るしかないだろうな。姫も心配している。ポップのニセモノとやらも連れ帰って、大魔道士の名を騙った罪で裁判にかけられることになるだろう。可哀想とは思うが仕方がない」
「オレ、自信ねえぞお。ニセモノでもなんでも、ダイがそう思ってんならそれでいいじゃねえか。どうせ本物にはかなわねえんだ。せめて、もうしばらくほっといてやったってさあ」
「ダイがゆっくり自覚するのを待ってやってるヒマはない。マァムが言っていたが、レオナも少々おかしくなってるそうだ。今はまだ大丈夫だが、この状態が長く続くとどうなるかわからん。絶対にパプニカに連れて帰る」
ヒムは世にも情けない顔をして、出発! と音頭をとった。
なぜかこういうものは見つけたくないと思っている方が発見するものだ。
「……ヒム様。声が聞こえます」
兵士に言われるまでもなく、ヒムの耳にはその声が内容まではっきりと聞きとれていた。
見つけたくなくて黙っていただけだ。
そして、ヒムは愕然としていた。
聞こえてきた声が、あまりにも故人となった大魔道士そっくりだったからだ。
(まさか……)
兵士たちをその場に残し、ヒムはゆっくりと声のする方向へ歩いていった。
水のにおいが近くなる。セレヤ湖だ。
「ちょっとポップ! 冷たいってば!!」
ヒムは目頭が熱くなった。
やけに人間くさい感情だと思った。
目の前の光景は、それほどまに美しい光景だったのだ。
そう大きくもない中規模ていどのみずうみが、夕陽を照りかえして金色に輝いている。
水ぎわで時間を忘れた少年がふたり、犬ころのようにじゃれている。
ヒムはハドラーにつくられた金属生命体で、子供の頃の思い出なぞ無いが、もし自分が人間でふつうに成長したならきっと……と思わせるような、セピア色にふちどられた子供時代の残照だった。
「ポップ! もうお預け。ほら、髪ふいて。もー一回死なれちゃかなわないもの」
少年がひとり、水からあがって荷物袋から布を取り出す。
「え───、まだいいじゃんかよ───」
もうひとりの少年が駄々をこねる。
「明日また遊べばいいだろ、ほらあ」
「んじゃ今日はここで野宿?」
「今から山を降りるわけにもいかないだろ?」
自分もあちこち濡れている少年は、それにかまわず相棒の世話を焼いている。
「ダイ……ポップ……?」
ヒムは目を疑った。
ダイに世話を焼かれている少年はどう見てもポップだとしか思えなかった。
顔のかたちも背格好も、齢の頃も独特のクセのあるしゃべりかたも。
顔をよせて何がおかしいのかくすくす笑っている。
ああ、あの笑いだ。
大戦中もその後も、ダイだけにこっそりと話しかけて秘密を分かちあっていたようなあの時の。
どこか疎外されてるようで、あまりいい気持ちはしなかったが割って入ろうとは思わなかった。マァムやレオナですら同じ気持ちだったらしい。
「あれ、ヒムじゃないか?」
ポップが言った。
ポップ……だと思った。
ダイがふりかえって、
「よう、ヒム!」
と呼んだ。
「ヒムじゃないか。どうしたの……とと、オレを連れ戻しに来たのに決まってるか。うーん、もうちょっと猶予をくんない? きっとパプニカに戻るから」
「オ、オレはそうしてやりたいんだけどな……そうもいかないんだよ。姫さんとかクロコダインとかがうるさくってさあ。とくにマァムの姐ちゃんは、すごい剣幕だぜ」
「マァムは正義漢だからなあ。ちょっと融通きかないんだよね。どうする? ポップ」
返事がなかった。
「ポップ?」
ポップがうずくまっていた。
「ポップ!」
ダイはあわてて駆け寄るとポップを抱き起こした。
「ポップ! しっかりして、大丈夫!?」
「ん……まだ、なんとか。それよりダイ、オレとまだ居たいか!? みんなよりレオナよりオレと居たいか!?」
「あたりまえだよ!!」
「……わかった。ダイ、どこでもいいからルーラを唱えろ。とにかく誰もオレたちを知らないところに」
「わかった!!」
「だ……大魔道士さま!?」
「ポップ!?」
ちがう道を通ってきたクロコダインの一行だった。
「早く、ダイ!!」
ますます苦しげなポップの叫びにダイは夢中でルーラを唱えた。
……後には、暗いみずうみが残った。
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