── ダイ 3 ──
話は二日前にさかのぼる。
「──テラン!?」
セレヤ湖から夢中でルーラを唱えたらどうやらテランに来てしまったらしい。
「あっちゃー。何も考えずにルーラを使うと使うとなぜかテランに来ちゃうんだよね。失敗したなあ、テランにはメルルがいるのに。……と、ポップ、大丈夫!?」
「……心配するのが遅い。メルルなら大丈夫……今日はメルルの家に泊めてもらおう……」
何故メルルなら大丈夫なのかひっかからないでもなかったが、ダイは黙って彼女の家に向かった。とにかくポップを休ませなければならない。
「どうぞダイさん。ポップさんはこちらに……用意してありますわ」
メルルはダイが戸を叩く前に扉をあけ、口をひらく前にそう言った。
「あ、ありがとう」
メルルが案内してくれたのは以前彼女のおばあさんが使っていた部屋らしかった。
その寝台に寝かせるとポップはずいぶん楽になったように見えた。
「良かった……」
「ダイさんもおなかがお空きでしょう。何かおつくりしますから、ダイニングへどうぞ」
「いや、いいよ。ポップについててやりたいんだ」
メルルは花が咲くように笑って、
「それならここへお食事をお持ちしますわね。おやすみもこちらなら、毛布もお持ちしますけど」
ダイがそうしてくれ、と言うとメルルは軽やかな足取りで部屋を出ていった。
なんだか嬉しそうな感じがした。
ダイは部屋を見回した。
もともと老人の部屋だったせいか、やけに介護しやすそうな部屋だと思った。
寝台の足はもとは高かったのを低く切られ、サイドには明かりと水差しとベル、けがをしそうな花瓶や置物などは注意深く遠ざけられている。出来すぎのような気もした。
「お待たせしましたダイさん」
メルルが盆の上にサンドイッチとお茶をのせて戻ってきた。
ダイは礼を言って受け取った。
(……なんか食べにくいなあ)
ダイがもそもそ食べるのを、メルルはとなりに座って見ていた。
悪気はないのだろうがあまり見ていられると食べにくい。自分はどうやらメルルが苦手らしい、とダイは思わずにはいられなかった。
ダイが初めて見た女の子はレオナだったし、次に近くにいたのはマァムだった。
どちらもかなり気が強く、はっきりものを言うタイプだ。
メルルのように物静かなタイプの前だと間がもたない。
「あ、あのメルル……」
「はい」
「おいしいよ、コレ」
「ありがとうございます」
そらぞらしい会話だ。
ダイの気持ちはさておいて、メルルはダイの食べ終わったあとの盆を持ち、おやすみなさいと言って出ていった。ダイは少しほっとした。
(は──疲れた。ひかえめでおとなしくて、いいんだけどちょっとなあ。でも……それだけじゃない。なにかがおかしいような気もするんだけど)
ダイもその場に横になった。
その違和感の正体に気づいたのは眠りにおちる寸前だった。
朝は何事もなくやって来、ポップも元気に起きだしてメルルの用意してくれた朝食をとった。
その光景を見ながら、ダイは初めてこれは異常事態なのだと思った。
ポップは死んだ。ダイは胸に手をやって考える。
ここに遺骨がある以上、ポップは実体ではありえない。
自分だけのまぼろしかと思っていたが皆にも見えているらしい。
ヒムとクロコダインは驚いていた。
ではメルルは?
「ダイさんどうかなさいまして? お口にあいませんでしたか?」
ポップにお茶をつぎたしてやりながらメルルが言った。
お茶を飲み朝食を食べる幽霊。それを気にもとめない女。
「サラダのセロリのせいじゃないか? ダイ、セロリ嫌いだから」
それを聞いてメルルがダイのサラダをさげる。すみません、と謝りながら。
異常だ。
彼女はいつもと変わらなすぎる。
いや───待て。メルルはポップの死を知らないのではないか?
たしか、葬儀には来ていなかった。
レオナがメルルに知らせなかったというのも考えにくいが、そういうこともあるかもしれない。
ダイは言った。
「メルル。ちょっと話があるんだけど……」
「何でしょう?」
「あ、いや。後でいいんだ」
「おーっ!? オレに内緒の話かあ!? やっだーダイ君ってばひゅーひゅー」
「おまえは少し黙ってろ」
……最近度胸がついたらしいダイの発言だった。
べつにポップがなにものでもかまわない。幽霊だろうと妖怪だろうと。
違和を感じるのはメルルの方で、なぜ自分と同じく普通に接していられるのか知りたいだけだ。
「それはダイさんと同じ理由だと思います」
大事をとってポップをもう一度寝台に寝かしつけてからダイは聞いた。
「私もポップさんが亡くなったのを知っています。私も信じたくなかった。でも、私にはあの人の心臓が止まったのがわかった……いつも感じていたあの人の鼓動が突然消えて、恐ろしい静寂が私を包みました。私はあの人を探した。そして見つけたのです。あの人は高みからダイさんを見つめていた。ダイさんだけを」
メルルはそこで息をついだ。
「あの人はダイさんを残していくことだけが心残りだったんですわ。あの人はちょっと無理をしているとは思っていましたが、まさか死ぬなどとは思ってもいなかったのです。自分はずっとダイさんを助け、百歳以上生きて師匠のような老人になるのだと、いつも言っていました。それが途中で断ち切れてしまうなんて想像もしてなかったに違いありません」
ダイは黙って聞いていた。
ポップがそんなことを考えていたとは知らなかった。
「だから、ダイさんがあの人に体を与えてくれて本当に感謝しています。もうニ度と死なせたりなんかしないわ。あの人が生きるためにダイさんが必要だというなら、全身全霊をかけて守ってみせましょう──だから、ダイさん。あの人のことを忘れないで。ずっとずっと一緒にいて。あの人を殺さないで……!!」
意味がわからなかった。でも気持ちだけは通じていた。
「もちろんだよ、メルル。オレがポップを殺したりするわけないだろう? オレは……これで、もう二回もポップを失っている。三回目は無いさ。絶対だ」
力強くダイは言った。
メルルはにっこりほほえんで、昼食の下ごしらえをしに台所へ消えた。
その後ろ姿を見送りながら、ダイは、自分がメルルが苦手だと思った原因がわかる気がした。
あの人、とメルルは言った。まるで夫婦みたいだ。
すっかり忘れてたけど、メルルはポップと心の一部が同調してるんだっけ。
それなら驚かなくても不思議はない。
……しかし、今のはどういう意味だろう。あの人に体をあたえてくれて、とか言わなかったかな?
そんな記憶ぜんぜん無いけど。オレは思い浮かべただけだ。大好きなポップを。
大好きな髪、大好きな目、大好きな手袋に隠された細い手、明るい緑の衣装。
目をあけたら、そこにポップがいた。それだけだ。
常識とか理屈はそのとたんすべて消えうせた。
ポップが行こうって言ってる。
うん、行くよ。待ってポップ!
いつだって、ダイを呼び、手をとらせるのはポップだった。
ポップはダイを煽るだけ煽って、選択はダイに任せていた。
それはちょっとズルイ。ダイがポップにさからえるわけがない。
惚れた弱みかなあ、と思う。きっとずっと恋をしていた、初めて会ったときから。
ふむ、メルルが気に食わないのはそのせいだ。
儀式(笑)もすませてしまって名実ともに恋人同士になったのはいいけど、その相手にもう一人心を共有しているのがいるなんて面白いはずがない。
……ちょっと、待て。
するってーと、あの後ポップにキスしたことやアレとかコレとかもメルルは知ってるのか!?
うわああああああああああああああああああああああああああああああ……自己嫌悪。
ダイは思わずしゃがんで顔をおおった。
これは恥ずい。ものすごく恥ずい。気づくのが遅すぎる。
メルルがあんまりいつもと変わらないから気づかなかった。
よくあの女性は好きな男があーゆーことされてて平然としていられるものだ。
ふつう嫉妬のカタマリになったりなんなりしないか!?
した相手もここにいるというのに。
この恋がマトモじゃないというのはダイにもわかっていた。
あまり世間様におおっぴらに誇れるような事柄ではない。
だから気持ちを押し殺して押し殺して押し殺して、ポップが死んだと自覚したときタガがはずれたのだ。
なぜか、ポップは嫌がらないだろうという自信があった。
一発ぶん殴られたがそれだけで、次はうまくいった。
不思議な確信めいた予感……ポップはオレが好きた゜ろう。永遠にそばにいるだろう。
ダイはなんとか立ち直ると、ポップの様子を見に寝室に向かった。
※
「……誰か来ますわ。パプニカからの使いが。おふたりは寝室へお隠れになって、けっして顔をお見せにならないように」
占い師特有の神秘の力でメルルが言った。
三人は昼食を終えてカードゲームをしていた所だった。
わたわたとカードを片付けダイとポップは寝室で息をひそめて待った。
どんどん、と戸を叩く音がした。
「メルル様、ご在宅でいらっしゃいますか。パプニカ王女レオナ姫からの使いでございます。ここを開けていただきたい」
使者は口上はていねいだったがかなり高圧的な態度で入ってきた。
寝室からのぞき見ていたダイは、これはレオナに言って再教育させなきゃいけないな、と思った。
「何の御用でしょう?」
「私にはわかりかねます。ただ、王女は大至急と申されておりました。さあ早くお支度を。王女をお待たせしてはなりません」
ダイは思わず部屋を出て怒鳴りこむところだったが、ポップがダイの手をおさえて引きとどめた。
ダイが抗議するようにポップを見ると、
「馬鹿。レオナの用ってのは十中八九オレたちに関することに決まってるだろ。ここでおまえが顔を見せたら一発で居場所がわかっちまう。おまえが使者の手間をはぶいてやりたいならそれでもいいが」
ダイはぷるぷると首をふった。
メルルは使者にせかされながら占いの道具を袋に納めると、それを持って気球に乗りこんだ。
気球が見えなくなってからようやく二人は部屋から出て、
「どうするの? ポップ」
「そうだなあ。まあまだここにいても大丈夫だろう。メルルはオレたちの味方だよ。それに何かあったらきっと連絡してくるだろうし」
連絡というのはもちろん同調している心を通してだろう。
ポップの提案でふたりはもう一日だけメルルの家に泊まることにした。
※
「ダイ」
前触れもなくポップが呼んだ。
「メルルがコンタクトをとってきてる。姫さんが話があるんだってさ、どうする?」
「ポップはどうしたいの?」
「オレ? オレはおまえにしたがうよ。どーも姫さんはおまえだけに用があるみたいだ。オレのことは眼中に無いらしい。さすが王女、カンロクだなあ」
ポップはよくわからない感心の仕方をした。
「うーん……それじゃ一回戻ってきちんと話そうか。このままでいいわけないしな。あ、でもポップはどうする? みんなに会うとまた調子悪くなったりしない?」
それなりにダイも悟る所があったらしい。
ポップは嬉しいのか寂しいのか微妙な笑みを浮かべて、
「いーや、ぜんぜん! 大丈夫だから会いに行こうぜダイ。みんな驚くぜー」
言いながらポップはべたっとダイにくっついた。
少々ひっつきすぎていたとダイが気づいたのはもう少し後のことだった。
>>>2000/12/8up