薫紫亭別館


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「……ようこそいらっしゃいました。また、随分とお疲れのご様子で……」
 息を切らせて神殿に辿り着くと、そこには既にフス長老が出迎えてくれていた。
「こんちは、フス長老。今日は春の門で唱える祭文を教えてもらいに来たんだ。入っていい?」
 最古老のフス長老に、馴れ馴れしい口を聞いたポップは他の神官ならかなりの反感を買ったようだ。
「もちろんですとも。さあ、どうぞ。ダイ様も……ああ、誰か、お二人に飲み物をお持ちしてくれ」
 フス長老はにこにこと、それこそ孫を迎えるような態度でポップとダイを通した。
 ダイはひそひそとささやいた。
(ポップ、もう少し丁寧に話したら? 一応、目上の方なんだから)
(それがいらん世話だっての。見なよ長老を。最古老だか何だか知らないが、いつも腫れ物扱いされてきたらしいぜ。だから、こうやって率直に話した方が長老には嬉しいんだよ)
 なるほど。それなら昨日も、へたに敬語なんか使わずに話した方が良かったかもしれない。
 しかしダイはすぐにその考えを打ち消した。
 ポップだから許されることなのだ、それは。
 遥かに年配にもかかわらず、フス長老はポップに心酔しているようだ。心酔している相手に、うやうやしく扱われたら却って混乱しただろう。
 そして、もしポップ以外の者がこんなえらそうな口を利いたなら、それなりに地位も自尊心もある長老のこと、決して許しはしないだろう。
「これを……。代々伝わっている祭文です」
 フス長老は、奥から古ぼけた巻き物を持ってきてポップの前に広げた。
「うわあ、達筆……読めるかなあ?」
「ご謙遜を。マトリフ殿のお弟子様ならこの程度は読めるはずです。なにしろあそこには、これ以上に古い文献が山とあるのですから」
 ホッホッと長老は笑いを漏らす。
「あれ? 長老、師匠のこと知ってんの?」
「はい。もうかなり昔の話ですが……」
 ポップはもちろん、ダイも興味津々で耳を傾けた。
「アバン様が魔王ハドラーを倒された後、マトリフ殿がこの国に召し抱えられたのはご存知でしょう? そのときに、多少ですが親交を持たせて頂いたのですよ。すぐにマトリフ殿は王宮を出ていってしまわれ、それっきりになってしまいましたが、あの方の素晴らしい知識には感服しておりました。その方のお弟子様がまた、この国にやって来たと聞いたとき、私は運命の不思議を感じたものです」
「そっかあ……そういや、報告に行ったとき師匠、フスも何考えてんだって呼び捨てにしてたっけ。ごめんなさい長老、オレ知らなくて」
 ポップはぺこりと頭を下げた。
 この当たりがポップの凄い所だ、とダイは思う。
 一見、考えなしにくっちゃべっているようでいて、失礼なことは絶対言わない。謝るべきところでは謝るし、ジョークを飛ばすのはその場をなごませるためだったりする。まあ、半分以上は地、だろうが。難しい外交もポップを一枚噛ませれば円滑に進むから、レオナがよく引っ張りだしていったっけ。
「読んでみますから、聞いてくれますか?」
 師匠の友人に敬意を表したのか、自然と、口調まで改まっている。
「ええ。どうぞ」
 目を細めて長老はうなずいた。嬉しそうに。
「今年、今月、今日、今時、パプニカに春の門の祝いまつり敬いまつる。天と地の、諸妖精たち平けくおたひにいまさふべしと申す……」
 ダイには何を言っているのかさっぱりだった。
 長老はじっと耳をすませて、ポップの声に聞き入っている。
 いつしかその声は風に乗り、神殿のあちらこちらにまで届く。
 一人、また一人と、ポップが朗している部屋の前に、神官達が集まってきた。中には、ぴたりと扉に耳をくっつけてまで、祭文に聞き入っている者もいる。
「所々方々に、急に能賜ひ映し賜ふ所々方々に……」
 祭文が佳境に入ると、外から異様な声が聞こえた。ダイが扉を開けると、そこには神殿中の神官が全員集まったのではないか、と思われるほどの神官達が一様にすすり泣いているところだった。
「……なんなんだ、一体」
 驚愕を通りこして呆れたような気分でダイはごちた。
 ポップも、あまりの光景に祭文を唱えるのをやめた。
「ああ、どうか、祭文をやめないでください」
 神官の一人が懇願する。
「これほどの祭文が、これほどの信仰があろうとは夢想だにしておりませんでした。何故長老が、あなた様に『春の門』の司祭役をお譲りになったのか、今ならわかる気が致します。我々は皆、未熟でした。のみならず、浅ましくも大魔道士様の儀式の失敗まで願っておりました。大魔道士様、どうか我々をお許しください。そして我々にお与えください、もう一度、真の信仰に立ち戻る機会を」
「あ……う、うん」
 さすがにポップもなんと答えたらいいのかわからなかったらしく、曖昧な返事を返した。
「ありがとうございます。そのお情けを忘れずに、これからはまた、我々は読経三昧の日々を過ごすことでありましょう」
 口々にそういった意味の事をつぶやきながら、神官達はそれぞれの持ち場に戻っていった。
 ゾロゾロと散ってゆく後ろ姿を見送りながら、
「……壮観だな……」
 思わずダイも漏らしてしまった。
 長老は苦笑をこらえきれずに微笑しながら、
「まあそうおっしゃらず。あれでも神官達は大真面目なのですよ。ポップ殿の唱えられた祭文があまりり素晴らしかったので、感動してあのような状態になってしまったのでしょう。本当に、見事な祭文でした」
「そうかなあ!?」
 読んでただけじゃん、というのがポップの表情にありありと表れている。
「そうでございますよ。さすがは魔法使いの頂点に立つお方、無意識に言葉に『力』を込められたのでしょう。それが怠惰な神官達の目を覚まさせたのです。神殿を代表して御礼申し上げます」
「い、いえ、そんな……」
 フス長老に深々とお辞儀をされて、ポップはうろたえた。
「頭をあげてください長老。マトリフ師匠のご旧友にそんな態度をとらせたと知れたら、オレは師匠に殺されてしまいます」
「もったいないお言葉です。私も、あの祭文に感動した一人なのですから」
 ダイにとってはいささかしらけた数時間の後に、ようやく王宮に帰るときが来た。
「また遊びに来てもいいですか?」
 最後までポップは如才ない。
「喜んで……」
 フス長老に異存のあろうはずがない。固い握手を交わして、ダイとポップは神殿を後にした。

>>>2002/12/26up


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