「ポップってば調子いいんだから。最後まで長老にいい顔しちゃってさ」
帰り道でダイはゴネた。
「なんだよ、怒ってんのか? いーじゃん、オレ、フスのじーちゃん結構好きだな。オレみたいな若造にも敬意をもって当たってくれるし、フスのじーちゃんもオレのこと気に入ってくれてるみたいだし。やっぱさあ、自分のこと好いてくれてるな、って思ったら嫌いにはなれないよな。ちょっと面倒くさい時もあるけど」
「ポップの偽善者」
「突き放すわけにもいかねえだろ? どうかしたのかダイ? やけに突っかかるな」
ポップのいぶかしむ視線を避けるように、ダイはぷい、とそっぽを向いた。
「……ま、いいか。図らずとも、これで神殿からの妨害の心配はなくなったことだし。安心して『春の門』にとっかかれるってもんだ」
と、ポップが能天気にそんな事を言っている一方で、魔道士の塔の学生達の間では、ひそやかに、不安げな噂が流れ始めていた。
「……今日オレ、ポップ様に、ダイ様がそこの植え込みに隠れてるから呼んでこい、と言われたんだよ。でもそこ、かなり離れてて、あんな所からじゃわかるはずないんだよ」
「ああ。イアンも言ってた。同じようにダイ様がこっちへ向かってるとか、雨が降るのをぴたりと言い当てられたとか」
「なんだか……ちょっと怖いよ、オレ。ポップ様のことは尊敬してるし、そのお力のこともよく知ってるつもりだったけど……」
学生が何人か集まると、すぐにこのような会話が始まる。
「実はこっそり、お二人の会話を耳に挟んだんだが……ポップ様には何か、目には見えないものが見えているそうだ」
「そ、それって何だ?」
「精霊とか、妖精とかいったたぐいのものらしい」
「……本当にいるのか? そんなもの」
「オレに聞くな。だが、ダイ様は明らかにいる、と確信していらっしゃるようだ。ダイ様ご自身にも見えてはいらっしゃらないそうだが……」
学生達は重い息を吐いて、顔を見合わせた。
「……ますます遠い方になってしまわれたな」
「言うな。考えたくない」
目を閉じて、彼等すべての師であるポップの姿を思い浮かべる。
彼等とさほど齢の変わらない、まだ少年の域を出ていない師匠。なのに知識も魔法力も、経験さえも何もかも遠く及ばない。
これだけ何でも揃っていると、妬みの対象になってもおかしくないはずなのに、反対に、好意を持たずにいられないのは何故だろう。
「……ポップ様は、『春の門』を通ってどこかへ行ってしまわれるのだろうか……?」
「やめろ! 縁起でもない」
「だが、皆そう思っている。この重苦しい雰囲気はそのせいだ。魔道士の塔の歴史は三年……我々は、たったそれだけの時間しかポップ様の指導を仰いでいないのだ。新入りには一年と経っていない者もいるし、我々がポップ様に追いつくには後十年あっても足りない。まだ……まだ、早過ぎる。我々には、ポップ様が必要なのだ」
それが学生達の、偽らざる本心だった。
学生達が不安な噂をしていた頃。
フス長老の所にも、ダイとポップと入れ替わるようにして神殿を訪れた者があった。
病の身をおしてやって来た、ポップの師、マトリフであった。
※
その夜。
「ん……」
寝苦しい夜だった。ダイは寝台の中で何度も寝返りを打ち、息苦しくなって目が覚めた。
ダイは横になったまま、ねっとりと冷たい汗をぬぐった。
どうしたんだろう? 何か、何かしないと手遅れになる。
何故そんなことを思ったのだろう。でも、この感覚には覚えがある。そうこれは、自分が記憶を失っていたとき……、
「……ポップ!」
ねまきのままダイは窓から飛び出した。そのまま魔道士の塔を目指す。
ポップの私室は塔の最上階にある。城は側仕えやら小間使いやらが一杯いて、落ち着かないと言って。最上階には扉は無い。窓だけだ。階下から出入りすることは出来ない。トベルーラの使える者だけが、ポップの私室を訪ねることが出来る。
「………!?」
あれは何だ?
窓に、ちいさな光が固まっている。
「……ポップ! 無事!?」
ダイが窓に飛びつくと、その光は薄くなって消えた。安心して部屋の中を見ると、眠っているポップの周りに数倍する光が乱舞しているのがわかった。
「ポップ!!」
急いでその光を払う。光は何度かまたたいて、簡単に消えていった。その不思議な光がすべて消えると、辺りは弱々しい月光だけに浮かびあがった。
ダイは恐る恐るポップの口もとに手を寄せた。
息をしている。念の為に胸に耳を当てて心臓の鼓動を聞く。それだけやって、ダイはようやく息をついた。
「良かったあ……」
寝台のふちにずるずると座りこんで、飽かずにポップの寝顔を見つめる。特に変わった様子はない。そっと手を伸ばして髪に触れる。
「心配させないでよポップ……ぐーすか寝ちゃってさ。あの光は何? ポップは知ってるんでしょ? もしかしてあれが精霊とか妖精とかいうヤツなの? ……でも、何かイヤな感じがしたよ。あれがそうだと言うのなら、妖精が見えるのってそんなにいい事だとは思えない。ねえ、起きてよ。そして教えてよ。あの光は……何?」
ポップは人形のように眠り続け、ダイの呼び掛けに答える様子はない。月光のせいなのか、心なしか顔色が青白く感じられる。
「……ん?」
先ほど入ってきた窓際のところに、ちいさな皿が置いてある。
「なんだろう、これ……」
手に取ってみると、その皿にはどうやらはちみつが盛ってあったらしかった。ねばねばした感触と特有の甘い匂い。町で、子供達がいつもポップははちみつを買いに来ていたと言っていた。
「ポップ……一体、何をしてるの?」
答えは無論、無い。ただ眠っているだけ。おかしな事は何も起こっていないとでもいうように。
こんなに近くにいるのに、こんなにも離れている。
寂しい。ダイは思った。
一方的に悩んでいるのは自分だけで、ポップは少しも動じない。これを知識の差と呼ぶか魔法力の差と言っていいのか。確かに三年前、冒険をしていたときは対等で、ダイがポップを引っ張っていたはずなのに。
いや、今でも戦えばダイが勝つ。当然だ。
レベルが違うとかそんなんじゃなくて、もっと根本的なところで……。
立っている場所が違う。所属している世界が。
眠れるポップはダイが払った後のあの光と同じもので出来ているようにも見える。
「………」
ダイは自室に戻らなかった。ポップの寝台にもたれて目を閉じる。
眠れる自信は無かったが。
>>>2003/1/1up