「ポップ様。朝食をお持ちしました」
学生達がノックして、合い鍵で地下室の扉を開けた。
しかし学生達は眼前の光景に足がすくんで、入ることが出来なかった。
「……ああ……もう、そんな時間か……。行かなきゃ、ポップ。また来るからね」
目を背けたくなるような光景がそこにあった。
半裸のダイが、同じく半裸のポップに覆いかぶさり、名残惜しそうにキスをした。
ポップの体には薄暗い灯りでもそれとわかる程の常時の跡がくっきりと刻みこまれ、相当抵抗したのだろう、手枷を嵌められた手首には乾いた血がこびりついている。
驚愕している学生達を尻目にゆっくりと衣服を身に着けると、学生達に微笑みかけさえして、満足そうにダイは地下室を出ていった。
「……ポップ様! しっかりしてください!! 申し訳ありません、ま、まさかダイ様がこんなことを……!!」
我に返った学生が、そう言いながらポップを抱き起こす。
「ポップ様、どうか、お気を確かに……今すぐ薬をお持ちします。い、いえすぐに塔の医務室にお連れします。どうかそれまでご辛抱ください」
半分正気を失っているかに見えたポップが、その言葉を聞くやかすれた声で、だがはっきりと、
「ここでいい……薬だけ、持ってきてくれ」
と言った。
「何を言われます! 早く医師に手当てして頂かないと。レ、レオナ様にも報告して、ダイ様から手枷の鍵を取り上げて貰えるよう進言して……」
「いいから」
ポップは首を振った。
「他の者には内密にしたいんだ、オレがこんな状態になってるってのは。ここに来るのはもう、おまえ達だけにして、誰もここには近付けないように。わかったな? もちろん、レオナにも何も言うなよ」
「ポップ様……」
悲痛な声で学生は名前を呼んだ。
「二週間だよ……その間だけ我慢すれば、ここから出られるんだろう? 大丈夫、ダイだってそれ以上ここに閉じ込めときゃしないさ。……ごめん、悪いけど、出てってくれ。さすがに、ちょっと、泣きたい……」
はっとしたように学生達はポップから離れた。
「わ、わかりました! それでは、薬だけお持ちします。他の者には絶対に何も漏らしません……それで、よろしいでしょうか?」
ちいさくポップはうなずいた。それを見届けた学生達は、心配そうに黙って部屋を出ていった。
足音が遠ざかって行くのを感じながら、 ポップはまたも虚空に向かって語りかけた。
「みんな……いるか? ダイも馬鹿だな……一角獣相手じゃないんだから、こんなことで妖精がヒくわけないだろうに。昨日の計画は中止だ。長老にそう伝えてくれ」
しかし、計画は既に動いていた。
「……アリオーナ」
ポップはダイが誤解しているとは知る由もない名前を呼んだ。
「オレはこれから二週間この状態らしいから、もうおまえに魔法力を分けてやることが出来ない。……フス長老の所へ行くんだ。オレの代わりに、長老が門を開けてくれるから。みんな、アリオーナを連れてってやってくれ。無事に辿り着けるように」
ポップはかろうじてそれだけを言うと意識を失った。
その廻りに青白い光がぽつ、ぽつと現れ、飛び交う。
妖精達はポップの傷を少しでも嫌そうと、身体にとりすがった。
※
神殿と魔道士の塔。
このふたつは、水と油のようなものだった。
だが、こと一人の魔法使いに関する限り、双方は全く同じ見解を持っていた。
「何故、急にポップ殿が司祭役を降りられたのです! いずれどこかから、圧力がかかったとしか思えませんぞ!!」
「ポップ様はやはり自分では力不足だとおっしゃって、フス長老にお役目をお返しになったのです!」
魔道士の塔の応接室で、喧喧諤諤の応答が続いている。
突然のレオナからの司祭役変更の知らせに、驚いた神殿側は改めて魔道士の塔へやって来ていた。
「力不足などありえませぬ。私どもは幾日か前、ポップ殿の祭文を聞かせて頂く機会がございました。そしてそれはても見事なもので、神官一同感動に打ち震え、ポップ殿こそ『春の門』にふさわしいと認識を新たにしたのでございます。そのことはフス長老さえお認めでございます!」
神殿を代表してやって来た神官の一人が述べた。
魔道士の塔代表のルースは、その剣幕に気圧されるばかりだった。
神官は更に続けた。
「我らはポップ殿であれば、と思い『春の門』のお役目を神殿から魔道士の塔へお譲りしたのでございます。それを、突然力不足だからやめる、返すなどと言われても、にわかには信じる事も出来ませぬ。ポップ殿を出して頂きたい。修業の旅、などというとってつけたような嘘が通用なさるとは夢々思いなさるな」
ポップの計画とはこうだった。
単純な話だが、フス長老に申し入れを辞退してもらって、逆に抗議の使者を出してもらう。
神殿はさいわい、この前の祭文の件でポップに好意を持ってくれているから、うまくやってくれるだろう。
「……よもや、まさかとは思いまするが、ポップ殿は脅されて、本意でなく司祭役を降りた、ということなどはありますまいな。そうではない、と申されるのなら、今、ここにポップ殿をお連れして頂きたい。ポップ殿の口からこれこれこう、と釈明して頂けるのなら、我らも黙って従いましょう」
もちろん、妖精達が仲介役となってフス長老にこう言ってくれ、とお願いしたのだ。実際に言ったのは代表の神官だが、指示を出したのは長老だった。
困ったことになった、とルースは思った。
昨日の朝、ルースはダイから直接相談を持ちかけられたのだ。
(このままじゃ、ポップは春の門の向こうに連れてかれちゃうかもしれないんだ。だから、ちょっと荒っぽいけど、実力行使でポップを閉じ込めようと思う。春の門の祭りが終わるまで)
その時には、ダイは既にマトリフの所へ言って帰ってきていた。
あの忌まわしいアイテムを持って。
塔の者全員を味方にすることは出来ないだろう、とダイは踏んだ。
そこでそれなりにポップの司祭役の反対派の中でも図抜けたルースをまず巻き込み、代表に選び、ルースが選んだ学生達にポップの世話をするよう言いつけた。ルース自身は皆に、ポップ様は力不足を感じ修業に出た、と説明した。苦しい嘘だとは知っていたが。
だがそれでも良かったのだ。塔の者は薄々、ダイとルース達が何をしたか勘付いており、その嘘はいわば公然の秘密だった。わざわざ神殿が抗議などしに来なければ、『春の門』は滞りなく行われ、その後にポップが元気に戻って来るはずだったのだ。
「先程からご説明しているように、ポップ様はここにはいらっしゃいません。何度も申し上げますが、私達は、誓って嘘などついてなどおりません。どうかお帰りくださいませ、神官様。こうなった上は、『春の門』の成功だけをお考えなされませ」
「いや、帰りませぬ。せめてひと目、ポップ殿のお顔を見るまでは」
頑固に言い張る神官に、思いも寄らない声がかけられた。
「オレの顔なら信用してくれますか? 神官様」
ダイがいつのまにか入ってきていた。
慌てて神官は立ち上がって、勇者に対する礼を取った。
「こ……これは、ダイ様。勇者様にはご機嫌うるわしゅう……」
「ああ、どうかそのような事はなさらず。ポップは本当にそう言って修業の旅に出ました。……オレの言うことが信用出来ませんか?」
ダイは手を振って神官をどめながら、否やと言わせぬ声で言った。しょせん下っぱの神官では、勇者であり次期国王であるダイの言葉には逆らえない。
「い、いえ、ダイ様がそうおっしゃられるのなら……。ダイ様はポップ殿のご親友であられます。そのダイ様が言われるのなら、そうなのでしょう」
神官はちいさくちぢこもり、早々に塔を出ていった。
ルースは頭を下げた。
「ありがとうございました、ダイ様」
「礼には及ばないよ、ルース。せっかく閉じ込めたのに、すぐに出られちゃ敵わないしね」
ダイは楽しそうだった。ルースはいぶかしんだ。
計略がうまくいったのはいい事だが、こんなに喜ばしい話ではない筈だ。
「祭文を読むのは長老だけど、後の仕事はやはり魔道士の塔がやる事になるだろう。君に、全権限を与えるよ、ルース。ポップの変わりに儀式を取り仕切ってくれ」
部屋を出てゆくダイを見ながら、ルースは途轍もない間違いを犯したような気がした。ダイの話に乗ったのは、はたして正しかったのだろうか。
寒気がして、ルースは自分で自分を抱きしめた。
>>>2003/1/28up