「そうか……わかった。退がってよい」
塔から戻った神官の報告を聞いてフス長老は溜め息をついた。
(昨日、妖精が来たときは、ついにダイ様が……と思ったが、今朝はまたそれを中止する話だった)
長老もマトリフに言われた通り、一度は司祭役を戻して貰おうとは思ったが、本音を言うとやはり、ポップにやらせてみたいと思っていた。
(マトリフ殿、何をけしかけられたのですか。ダイ様はポップ殿に何をしたのですか。今朝の妖精はどこか怯えていた……そして、すぐにポップ殿の元へと戻っていった)
あれは尋常ではなかったと思い返す。
あれは恐怖だ。妖精は昨夜、非常ら恐ろしい目に合ったのだ。
それは妖精に対してではない。ポップに起こった事だ。
妖精は悪意や危害には耐えられないように出来ている弱い生きものだ。
彼らの慕う人物に、きっと何かがあったのだ。
※
「綺麗になってるね、ポップ。妖精が治してくれたの? 薬草は体力を回復させるだけだしね」
その夜もダイは地下室を訪れ、ポップの胸につ……っと指を滑らせながら言った。
「事情を知っている学生達が、ケダモノを見るような目でオレを見たよ。まあしょうがないけど……ポップは、逃げようとは思わなかったの?」
「逃げ出してほしかったのか?」
「ううん」
くすりと笑うポップをダイは引き寄せた。
「ちょっと意外だっただけ……朝はなんだかすごく幸福で、ポップが逃げるとか、そんなこと何も考えなかった。ここに来る途中で、初めて気づいたんだ。ポップがいなくなってたらどうしようって。でも、いてくれたから」
ダイはまたもポップに溺れようとした。
「こ……こら、待て! 一回やっちまったんだから、後何回やろうと同じことだが、その前に教えろ。……この計画、いったい誰が考えたんだ!?」
ダイは感心した。マトリフの言った通りだ。ポップの順応力はズバ抜けている。
「……オレ、だよ。軽蔑する?」
大人しくダイは白状した。
「いや。……でも、おまえらしくないとは思った」
「………」
ポップは続けた。
「師匠に何を言われたか知らないが、こんなことで妖精はいなくなりゃしないぞ。今のおまえなら見えるだろう? この部屋の、そこかしこに妖精が群れているのが」
……うん。
ヘンな話だ。ポップを手に入れてそっちの能力が移ったとでもいうのだろうか。今日は昼間でも妖精が見えた。今もそこにいる。部屋の片隅にかたまって、オレとポップの様子を見ている。
「……それなら、妖精がそんな危険なものじゃないっていうのもわかるだろう?」
うん。わかるけど……。
言うわけにはいかない。だって……認めてしまえばポップをこの手にすることが出来なくなる。
オレはあくまで、ポップをこちらの世界にとどめるために穢したんだ。最初からこうしたかっただなんて、口に出すのは恥ずかしすぎる。
それに。
「う……わっ。ま、待てってば、ダイ……っ!」
あの女性の所に返すわけにはいかない。アリオーナ、とか言ってたっけ。
一瞬にしてポップの体が強張った。まだ、これを恐れている。オレに慣れて、ポップ。あのひとよりも。
ひとつ所にかたまっていた妖精が、呼応するようにパッと散った。
乱舞する青白い光。オレを責めているのだろう。
いくらでも責めればいい、とダイは思う。
ここに残っていた、ポップ。どうして逃げなかったんだろう。少しはオレを好きでいてくれてると思っていいんだろうか? 聞いてみれば良かった。でも、今は、駄目。もう何も考えられない。ポップの匂い。声。感触。
それらすべてが、ダイを酔わせる。
「ポップ……好き、だよ。愛してる……」
ポップの理性が無くなった頃を見計らい、面と向かって告白できないのを自分でも情けなく思いながら、ダイはちいさくつぶやいた。
※
もう一週間か……。
ポップは床に並べた小石を見て思う。
ダイが訪れる度に、隅にこっそりと、並べていった小石。太陽の陽の射し込まない地下では、ダイと、昼に夕に差し入れられる食事でしか時間を知ることが出来ない。朝食は、学生達がダイと顔を合わせたくないために、運んでこなくなった。
その分、夕食が多めになったからいいけどね、とポップは思う。なんだか自分がボロぞうきんか、鼻をかんで捨てられたチリ紙にでもなったような気がする。出ようと思えば出られるだろう。学生達に命令すれば。
ポップはそうはしなかった。初日こそフス長老に図ってもらって、ここから出して貰おうと思っていたが、事情が変わった。ここにじっくり腰を据えて、ダイの考えを見極めるつもりだ。
好きだ、とダイは言った。ダイは聞こえていないと思っているようだが、ポップにはしっかり聞こえていた。
建前を述べまくっていても、その建前がもう通用しないのを知っていて、ダイはここへやって来る。
春の門が終わったらどうする気だ。それ以上、オレをここへ置いておくことは出来ないぞ。
ポップは苦笑した。やっぱりダイってどっか抜けてるよな。
ダイがこの手枷をはずしてくれたら、それが一番いいのだが。
関係を続けるのは……まあ、ダイが望むなら、してもいい。女の子じゃないんだから、こんな事どーってことない。ただ、回復呪文が使えないのには閉口する。手加減を知らないダイのせいで、ポップの体には確実に疲労が溜まっている。
なんとかしなきゃなあ。こんな状況でも、ポップはのんびり考えた。
ダイだって後には引けまい。
「ん……? なぐさめてくれてるのか、みんな?」
気配だけでもポップにはわかる。体の表面にふわふわと、たんぽぽの綿毛が止まったようだ。
「……ああ、わかるだろ? ダイはオレが好きなんだよ。人間には、好きな奴にあーいう事したい時があるんだ。オレにはちと迷惑だったりするが。もーちょっと優しくしてくれりゃあなー……とと、何を言ってンだオレ。うん、だから、オレもダイ好きだから。心配してくれなくてもいいよ、ありがとう。ああもう、こんな手枷つけてるから誤解されるんだよなっ。こんなもんつけなくても、オレはダイのものなのにさっ」
ついでに寝なくてもダイのものなんだが、と思ったがそれは口には出さなかった。ダイがやりたそうだったので。
しかしポップがそのつもりでも、日々弱ってゆくポップを見せつけられる学生達の方は、いいかげん限界に近付いていた。
>>>2003/2/6up