──岬の上には勇者の剣が突き立っている。
まわりには花が植えられている。世界中から巡礼がやって来て、色々な供えものを置いてゆく。
……墓じゃねえんだぞ。
ポップはこっそりそう思う。
個人的に勇者を知っているせいか、神さま扱いして読経まであげてゆく巡礼達を見ると、メドローアでどこかへふっ飛ばしてやりたくなる。
この件に関してだけは随分と過激になってしまう自分を持て余しながら、自分も剣の前で、何度もやりきれない想いを吐き出した。
帰ってこい。帰ってこいよダイ。いつまで待たせる気だよ。レオナだってもうそろそろ、結婚して子供の一人もいなくちゃならないトシだ。それを家臣に嫌味を言われながらも独身を通してるのは誰のせいだと思ってんだ。いじらしいじゃねーかよ。
……オレ?
オレのことはいいの! オレは自分の面倒は自分でみられるんだから。
オレはいいんだ、だってオレは、オレは、
「オレは……」
目の前にラテルの顔があった。ざらざらした舌が、ポップの頬を舐めている。ちょっと痛くて、気持ちがいい。
「ラテル」
ポップは手を伸ばしてラテルの頭を撫でてやった。
同時に、上体をそらして起き上がる。
ぴしゃっと、水の飛沫が顔にかかった。りいいん、と鈴をふるような音をたてて、その飛沫が更にちいさな水滴に分かれる。
「ふむ。術は成功したみたいだな」
ポップは辺りを見回してつぶやいた。
ポップがいるのは前の世界とほぼ変わらない、深い森の中だった。
しかし絶対に自分の世界と違う、とわかるのは、空気中にさきほどの飛沫があちらこちらに浮いて、ふわふわと気持ちよさそうに漂っていることだった。飛沫はそれじたい虹色に発光しているように見える。
待機は濃密で、深呼吸するとむせそうなほどだった。
ポップは漂う飛沫のひとつを指さして、
「ラテル。この水、飲めると思うか?」
言うが早いか、ラテルは口を大きくあけて、ぱっくんと飛沫を飲みこんだ。
「わっ馬鹿っ。別に毒見しなくてもいいんだっ」
ポップは慌ててラテルを押さえた。ラテルはけろっとして、うまそうに口の周りを舐めている。
「うーむ。よく考えればおまえはオレより先に起きてたんだもんなあ。そのときもう飲んでたのかもしれないな。ま、とにかくサンキュ。おまえのおかげでこの水が飲めることもわかったし、ここに来ることも出来たんだもんな」
ポップが頭を掻いてやると、ラテルはゴロゴロと咽喉を鳴らした。
「さて、どーしたもんかねえ。こんな森の中じゃあここがどーいう世界かもわからんし、陽も暮れてきたみたいだしなあ」
ポップはわざと大きな声で言った。姿は見えないが、視線は感じる。特にさしせまった危険はなさそうだ。ラテルがこんなふうに甘えているのがその証拠だ。
「やはり、ここは腹ごしらえかね? ラテル」
「ミャアオ」
ラテルの同意を得たので、ポップは持ってきた荷物の中から次々に食料を取り出した。
乾し肉、カンパン、ジャムとチーズ、携帯食料だから大したものはないが、それでもラテルは嬉しそうに走り回った。
「ラテル、はしゃいでないで枯れ枝をひろってきてくれ。少しでいいぞ、火事になったら大変だし、燃焼速度を遅らせてそれだけでも朝まで保つようにするから」
ラテルはすぐに見えなくなった。便利な猫である。ラテルは小枝くらいなら、犬のように口にくわえて持ってくることが出来るのだ。
ポップはというと、ハムを眺めてこれは次の機会まで取っておこうかな、などと考えていた。いや食ってしまっても、この森を歩き回ればキノコのひと山も見つかるかもしれないから大丈夫だろうか。
節約精神に欠けた一人と一匹は、とっておきのワインをあけて食事に突入した。
「おおっいいぞラテル、やれやれ!」
黒猫はべろべろに酔っ払うと、器用に後ろ足で立って『ボン・ダンス』と呼ばれる独特の踊りを披露する。ちなみにポップが教えこんだわけではない。
ポップの手拍子にあわせてラテルは踊った。興がノッてきて、ポップも手だけではなく、ワインのビンから何から手当たり次第に叩きだす。一大リズム・セッションが始まった。
ンゴンゴ、ニャゴググ、がんがんがん。
ポップは途切れることなく笑い続け、ラテルもいよいよ本領発揮して、手の振りが更に激しくなった。
と、そのときだった。
「──今だ、ラテル!」
目の端をよぎったちいさな影をポップは見逃さなかった。
ラテルはむろんのことだ。ラテルはネズミを獲る要領で、ぱしっとその影を押さえこんだ。
「ふっふっふっ、これぞ『天の岩戸作戦』。こーやって騒いでいれば、誰か様子を見に来ると思ったんだよなー。あ、心配しなくてもいいって。危害をくわえる気はないから」
てのひらサイズのちいさな人間が、ラテルの下で何か必死に訴えている。残念ながらポップには意味がわからない。
「あ、ごめん」
ポップは心話に切り替えた。俗に言うテレパシー……精神感応である。
こんなこともあろうかと、いや絶対にこーいうケースになると思って、習得しておいたポップの特殊技能のひとつである。
(えーっと……、オレの言葉わかる? 手荒なマネしてごめん、でもどうしても、この世界の住人とコンタクトを取りたかったから。オレはポップ。君は?)
ポップの耳に届いたのは意外なものだった。
(ひーっ、食べないでっ、オレなんか食ってもマズイって!! うわああケモノくさいい、おとーさんおかーさん、先立つ不幸をお許しくださいいっ)
あ、なるほど。
こびとはまだラテルに押さえつけられたままだった。ポップはひょい、と手をやって、こびとを手の中に包みこんだ。
(ごめんこめん。大丈夫、ラテルは君を食べたりしないから。オレはポップっていうんだ、君は?)
こびとは虚勢を張っているのがミエミエの表情で、
(……へ、へん! こんな状態で答えられるもんか。教えてほしけりゃ、まずこの手を離せよ。そしたら教えてやるよ)
(いいよ。君が逃げないって約束してくれるならね。そしたらこの火を囲んで、おしゃべりしながら一緒に食事をしよう。どうする?)
ポップの提案に、こびとはちらっと食べものの方を見た。が、無理に目をそらして、
(おまえが本当のことを言っている証拠がどこにある)
(疑り深いヒトだなあ。オレはもう名乗ってるんだよ。あンたがもし礼儀を知っている種族なら、その時点で名乗り返すと思うよ)
(………)
にっこり笑ってポップは言った。
こびとは一瞬驚いたように目を見ひらいて、次に反省したように真っ赤になってちいさな声で、
(……オレはチャック)
と、つぶやいた。
>>>2002/5/27up