薫紫亭別館


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 ≪女王≫の泉にはこびとたちの足だと一週間はかかるらしいが、ポップなら一日足らずで着くだろう、とチャックは言った。そのチャックを肩の上に乗せて案内役にして、ポップは森を歩いている。ラテルも前になったり後ろになったりして、結構楽しんでいるようだ。
(≪女王≫の泉はすべてを見通す。おまえの捜しているヒトとやらも、≪女王≫に聞けばわかるだろう)
 話を聞くかぎり、相当期待しても良さそうだった。ダイへの手がかりが、ようやく掴めるかもしれないのだ。ポップは自分の顔が、自然にほころんでくるのを止められなかった。
(そーいう顔してると、おまえも普通の人間だな)
 チャックはポップの肩からまじまじとポップの顔を見て、言った。
(どういう意味?)
(大きな人間は、血の巡りが悪くて頭が足りないモンだろう? だから、オレ達がそばで走り回ってソースで落書きをしたり、クリームの上澄みをすくい取っても気がつかないんだ)
(……うーん……)
 返す言葉もない。早く言えば、馬鹿と言われたも同然だからだ。でも記録に残る伝承もそんな話ばっかりだったし、そう思われても仕方ないよーな気がする。
 道々、チャックはそれは誇らしげに女王のことを語った。
 チャックが指先で飛沫をはじいた。りいん、と余韻を残して水が砕けた。
(ほら、この空気中に浮いている水滴。≪女王≫が泉の水を飛ばしてくれてるんだ。オレ達が乾かないでいられるのは、≪女王≫のおかげなんだ)
 聞きながらポップは、≪泉の女王≫とは、どんな姿をしているんだろうとワクワクしてきた。
 レオナもパプニカの女王だが、泉の女王はそんな一国を統べるだけの存在ではないのだ。もっと広い意味での、真理の女神。魔界の神と名乗る大魔王にも、神様の御使いである聖母竜も見た。でも本物の神様を見るのは初めてだ。
(……おまえな、もっと畏れ敬えよ。オレ達だって滅多なことではお目にかかれないんだからな)
(あ、ごめん。つい)
 ポップは頬をぱちんと叩いて、なんとか顔をひきしめた。
 歩くのが面倒になったのか、腕におさまったラテルを抱いてポップは先へ進んだ。心なしか、空気中の飛沫が多くなってきたような気がする。
 飛沫同士がぶつかりあって、綺麗な音を立てながらくっついたり離したりしている。
 世界の≪場≫が変わったのがわかった。
 確かにここに、人間より高次の存在がいるのだ。
(もう少しで着くぞ。張り切って歩けよ)
 チャックはニヤニヤして言った。
 ほどなく、チャックの言った意味が理解できた。
 一歩足を踏み出すのが大変なのだ。大地にも大気にも力が満ちていて、ポップごときの魔法力では跳ね返されそうになる。
 ……資格とはこれなのかもしれない。エルウェストランド以外に住む者が、この世界の女神に会うための、合えるだけの、力を持っているかどうか。
 資格というより試練だな、と頭だけはのんきに考えている。くそう、チャックめ。こんなに苦しいなんて言わなかったじゃねーかよ。
 ポップはダイのことを思った。ダイに会いたい、それだけでここまで来た。
 これしきで尻尾を巻いて帰るわけにはいかない、ポップにはまだダイに会って、しなれけばならないことがあるのだ。
 ダイ、順当にいけばもう二十二歳になっているはずだが、ポップの記憶の中でダイは今もちいさな子供のままだ。
 約束は果たすよ、どこにいても。
 ダイはもう忘れているかもしれないけれど。
 腕の中のラテルが身じろぎした。濡れた目でポップを見上げている。
 大丈夫か、ラテル? おまえ、今はただの黒猫だから、この≪場≫の影響を受けているかもしれない。
 心配すんなよ、オレが守ってあげるから。
 そうだ、こんな所でぶっ倒れるわけにはいかない。自分だけならともかく、ラテルを連れて行かないと。
 不意に、≪場≫が晴れた。
「え──……?」
 かかっていた圧力が消え、突然体が軽くなった。ポップはよろめいた。チャックが歓喜の表情で、ポップをぺしぺしはたきながら叫んだ。
(すっげー! すげえぞおまえ!! あの≪場≫をよそ者が抜けれるとは思わなかった!! 腐っても≪賢者≫だなー)
 大魔道士だっつーのに……と、ポップは反論する気力も無かった。
 とりあえず資格は手に入れたみたいなので、ポップは安心してへたりこんだ。
(安心したら気が抜けちゃったよ、少しここで休んでいこう)
(情けねーこと言うなよ。ホント、もう目と鼻の先なんだからよー)
 ポップはそれには笑って答えず、ラテルは膝の上に後足で立ち、前足を胸にかけて体を思い切りのばした姿勢で、ポップの頬を舐めている。
 よくやったと褒めているようでもあり、飼い主の身を気遣っているようでもあった。
 それでチャックは、ラテルが舐め終わるまでは待ってやろうと思った。
(いいよ。行こう)
 そう言ってポップが立ち上がったときには、もうずいぶん陽が傾いていた。
(へッ。こんなに長い時間待たしといて何が行こうだ、今日はもうここで泊まりだ。≪女王≫様にお会いするのに、夕方に押しかけるなんて失礼だからな)
(私なら構いませんよ、チャック)
 心話が送られてきた。チャックとポップは思わず顔を見合わせ、声のした方へ向かった。
 ……ポップが思っていたよりもちいさな泉だった。
 大人が何人か手を繋げば囲んでしまえそうな大きさで、だが水だけはこんこんと、途切れることなく泉の中心から湧き出ている。
 その中心の湧き水が、勢いを増してどんどん盛り上がってきた。
 水は飛沫と同じ綺麗な音を立てて、少しずつ人型をとりはじめた。
 目も鼻も口も無かったけれど、それは確かにヒト──いや、女神だった。
 チャックはその場に平伏したが、ポップはまっすぐに女王を見つめて問いかけた。
(≪泉の女王≫?)
(そうです、ポップ)
 女王は微笑んだようだった。ティーポットからお茶をそそぐときのような、軽やかな声だった。
(なぜ、オレの名前を?)
(私はこの土地の≪女王≫です。この土地でわからないことは私にはありません。でも、私より強い力を持つ者はたくさんいます……あなたもその一人ですね、≪大魔道士ポップ≫。純粋な力という点では、私はとてもあなたに敵わないでしょう)
(へ……!?)
 イキナリ話が意外な方向へ。
 しばし混乱。そして理解、当惑、弁解。
(ちちちょっと待ってくださいよ! オレが≪女王≫より強いなんて、べらぼうな!!)
(謙遜することはありません、私は、事実を言ったまでですから)
(し、しかし、仮にそうだとしたって戦闘力とか破壊力でしょう。そんなもんが強くったって腹の足しにもなりませんよ!)
(そうでなくてはね)
 りりりん、と音がした。これは女王の笑い声であるらしかった。
(私はこの土地の女神だということで、創めから力を授かっていたのだけど、あなたはそうではないでしょう。生まれ持った力よりも、努力して身につけた力の方が尊いのですよ、≪大魔道士ポップ≫。でもあなたは人間だから、私のような能力は持てない。もしあなたが≪先見≫の力を持っていたなら、こんな異世界まで流れてくることはなかったでしょうに……)
(……それは、オレがダイには会えないという意味ですか!? ≪女王≫)
 ポップは自分がもっとも恐れている事柄を口にした。女王は沈黙している。
(どうかお力を貸してください、≪女王≫。オレの親友、ダイの行方を知りたいのです。ダイに会えなければ、俺の旅は終わらない。永遠に)
 女王は、少し哀しげにポップを見た。
(……≪女王≫?)
 いぶかしく、ポップは呼んだ。
 女王はためらいがちに、ようやく口をひらいた。
(……私にはあなたの未来が見えます。あなたは確かに友人と再会し、なすべきことをするでしょう。しかしそれゆえに、あなたは喜びよりももっと多くの、絶望を知るでしょう。だから私はあなたの問いに答える代わりにこう言います。この度はおやめなさい、ポップ。そして自分の世界にお帰りなさい)
(なあんだそんなことですか)
 あっけらかんとポップは言った。強がりや負け惜しみではなかった。
 予想外の返事にチャックが目をむいてこちらを見ていた。
(ありがとうございました、≪女王≫! オレはダイに合えるのですね、それだけわかれば充分です。行こう、ラテル。もうこの世界での用事は済んだから)
 はじけるようにポップは言って、ラテルをうながした。足は既にあちらを向いている。
(……お待ちなさい!)
 終始おだやかな態度を崩さなかった女王が、厳しい口調でポップをいさめた。
(私の忠告がわからなかつたのですか)
(いいえ。≪女王≫の気持ちはありがたいと思っています。でもオレは、ダイに会いたい。そのさいオレが絶望しようと、オレはこの世界だけで、充分おつりが来るほど幸せです。あのこびと達に会えて)
 ポップはチャックを振り返って言った。
(では……どうしても)
(はい)
 心は決まっていた。ポップは間髪を入れずに答えた。
 女王はポップの決心を悟り、こう申し出た。

>>>2002/6/12up


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