薫紫亭別館


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(……私が御友人のところまで送ってあげましょう、≪大魔道士ポップ≫。私は告げるだけで、本来ならこういうことはしないのですが……私が入ることで多少なりと未来が変わるかもしれない。それに、あなたの負担も軽くなるでしょう)
(ありがとうございます、≪女王≫)
 ポップはうやうやしく頭をさげ、礼を言った。これ以上のことは身に余ると思った。
 女王が扉をひらく準備をしているあいだ、ポップはチャックと別れを惜しんだ。
 チャックは感動して目をうるませていた。
 チャックはポップとラテルに交互に抱きつきながら言った。
(おまえ、おまえっていいヤツだったんだなあ! ニンゲンに、こんなすごい奴がいるなんて思わなかったよ!! オレも、オレ達も、おまえに会えて嬉しかったよ。だから、またいつでも遊びに来てくれよ、このエルウェストランドへ。おまえのことは、名前を言ったらわかるようにしておくから、≪大魔道士ポップ≫。ラテルも。≪黒猫ラテル≫の名も、伝承にして残しておくから)
 ポップは何も言わずに、実は感激屋だったらしいチャックの言葉を聞いていた。
 返事の代わりに頭を撫でた。ラテルは頬をすり寄せて答えた。
 それだけでも好意を嬉しく思っているのはチャックにも伝わったから、彼はそっと離れ、泉の淵に立つ一人と一匹を見送った。
(……旅の祝福を。ポップ)
 女王はポップのひたいに祝福の接吻をした。
 ラテルがそばでからかうようにニャア、と鳴いた。
(では、お願いします、≪女王≫。……そうだ、ダイの今いる世界の名前は?)
(タネローンです)
(タネローン)
 ポップはゆっくりと繰り返した。ウルウツエストランドと同じく、今まで聞いたこともない名前だった。
(気をつけてお行きなさい、ポップ。タネローンはあなたや、あなたの世界とほど近いエルウェストランドとは訳が違います。それから、未来は決定済みの過去ではないこと。それを覚えておいて)
(はい。ありがとうございました、≪女王≫)
 女王は、泉の中心に道を通してくれた。
 ゆらめく水の中に、水と同じ色の、蒼い扉が音もなく開くのが見えた。
「行くぞ、ラテル」
 ポップはラテルをうながし、ラテルとともに、泉の中心に飛びこんだ。

                    ※

「だーっ! 真水に飛びこんだのに海に出るたあどーいうことだッ!! うう、女王には感謝してるけどオレ海嫌いなんだよなー。ラテルもそうだろ!?」
 ばしゃっと海面から顔をつきだしてポップはわめいた。
 ラテルは絶対に離すまいという決死の形相でポップの肩にかきついている。さもあらん、猫とは水を嫌うものだ。
 ポップは飛翔呪文で宙に浮かび、ぶるっと身をふるわせた。
「寒いよう冷たいよう気持ち悪いよう。濡れた服を脱いで乾かしたいよう。毛がびしょ濡れになった猫って情けないよう、せっかくの毛並みがっ。わッ、ラテル、オレの肩でぶるぶるすンなっ!」
 ラテルが身ぶるいした水が顔にかかってポップはとても悲しい気分になった。
 はああ、水に飛びこんだ瞬間は、身も心も洗われるような、そんな爽やかな気持ちになったものを。
 大きくため息をついてポップは、少し冷静になって辺りを見回した。
 薄暗い海と空以外、何もない世界だった。
 その空と海も、桃源郷億で混じりあってどこが境界線なのかもよくわからない。
 太陽は暗く、雲も無かった。
 海鳥の気配や魚影すら無い。
 聞こえるのは海を渡る風と単調な波の音だけ。
 今が夜か昼かもわからなかった。
「……本当にこの世界にダイがいるんだろうか?」
 急に心細くなって、ポップはラテルを抱きしめた。
 随分と寂しい光景だった。女王が嘘をついたとは思えない。といって、ここがタネローンかどうか確かめるすべもない。こんな海の上では、さすがに『天の岩戸作戦』は使えないだろう。
「ニャア」
 ラテルがポップを見上げ、ついで水平線を見た。
 水平線など見えなかったが。
「………!?」
 しばらくすると、ポップの目にもラテルのみているものが見えてきた。
 船だ。おっそろしく年代ものの、浮いているのが不思議なくらいの船だ。
 船はゆっくりとこちらに近づき、甲板に立っていた船長らしき男がポップに呼びかけた。
「乗りたまえ、客人」


「船長、拾ってくださってありがとうございます。おかげで助かりましたっ」
 ポップとラテルは船長室に通され、毛布を貸してもらって、暖炉で服を乾かせてもらっていた。
「あっワインですかっ? 遠慮なくいただきます」
 船長が差し出したグラスを、ポップは警戒もせずに受け取った。イッキに飲み干し、グラスを返す。
「ぷはーっ。おかげで人心地つきました。いやもうあのまま漂流(?)することになるんじゃないかと、本気で心配しちゃいましたよ」
「礼には及ばない。この船が見えるものは皆、私の客だ」
 船長は謎めいた言葉を放った。
 船長は長い白髪を首の後ろでたばね、赤い宝石の額飾りをしていた。
 若く見えるが、意外と老人なのかもしれない、とポップは思った。
「どういう意味ですか?」
「言葉どおりの意味だ。それ以上の意味はない」
 船長はエルウェストランドの女王ほど親切ではないらしかった。ポップは気をとりなおし、質問を続けた。
「船長。ここは、タネローンですか?」
「そのためにこの船に乗ったのだろう? ここは≪あるはずのない海≫、客人の行き先はすべて≪永遠の都≫だ」
「……すみません、その≪永遠の都≫とやらはタネローンのことですか」
 ポップは人差し指で頭を掻きながら言った。
「≪永遠の都≫にはたくさんのかたちがある。君の言った名前はそのうちのひとつだ」
「よくわかりません」
「君がわかろうとしないからだ。君は聡明だ。少し考えればわかるはずだ」
 わからないから聞いているんだが、では通用しそうになかった。
 しかし不思議に、怒りは湧いてこなかった。
「……自己紹介を忘れてました。船長、オレはポップといいます。こっちの猫はラテル。航海のあいだ、どうぞよろしくお願いします」
 船長はようやく微笑した。
 服と毛が乾き、船の一室をあてがってもらうとラテルは喜んで探索をはじめた。あちこちに頭をすりつけて、自分の匂いをつけている。あんなところはまったく猫だ。ポップはちょっと感心して、ラテルの作業を眺めていた。
 ポップがこの船と船長を信用しているのは、ラテルがいてくれたおかげでもある。ラテルは船長に向かって、牙を剥いたりしなかった。ラテルがこの調子なら、安心してもいいだろう。
 ポップが壁に据え付けてあった寝台に横になったとき、隣室からぼそりと声が聞こえた。
 よく考えれば、客が自分一人とは限らなかったのだ。好奇心も手伝って、ポップは壁に耳をくっつけてお行儀悪く盗み聞きをはじめた。が、残念ながらよく聞き取れなかった。
 まあ同じ船に乗っているのだし、そのうち話をする機会もあるだろうとポップは目を閉じ、眠りについた。

>>>2002/6/20up


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