この船にはポップ以外の客が最低三人はいるようだった。
ポップにとって幸いなことにこの船は食事つきで、いつ食堂に行ってもあたたかいスープやパン、数種の料理がビュッフェ方式で置いてあった。
空腹に耐えかねて何度かそこに行ったのだが、そのとき乗客らしい人を見たのだ。話しかけるのはやめておいた。向こうがそれを望んでいないように見えたからだ。
「へーんなヤツらー」
ポップは甲板に出て、海風にあたりながらつぶやいた。
ニャ、とラテルが足もとでちいさく鳴いた。船長がこっちに歩いてくるところだった。
「船長!」
ポップは嬉しそうに船長に駆け寄った。船長の姿を見たのも拾ってもらって以来だ。
「何がおかしいのかね?」
船長はどこか楽しそうに、首をかしげて問うた。
「おかしいとこだらけですよこの船は。あの乗客、人種も服装もバランバランだ。ただ外国の服を着てるから見慣れないってーんじゃなくて、時代すら違うみたいだ」
まあ、はるかパプニカからエルウェストランドを経てきた自分さえこの船に乗っているのだから、特に驚くこともないのかもしれない。
「この船も。動力源は何ですか? 魔法ですか? 燃料も漕ぎ手の一人もいなかった。ラテルと探検したんだ、それは間違いない」
船長はぱちぱちと手を叩いて、
「すばらしい。君は実に聡明な人間だ。そのような人間がこの船に乗るのは珍しい。大抵は、君も見ただろうが、心と体に深い傷を負っていて、そこまで気づくにはいない」
「オレは偶然にこの船に乗り込みましたから」
「偶然? 馬鹿を言ってはいかん。この船が見える者はみな客だと言ったろう。君がいたから船はあそこに出たのだ。船は君に呼ばれたのだ」
「え──……?」
ポップは眉をひそめた。そして少し考えて言った。
「……そりゃ、それこそ何かヘンじゃないですか? オレはこの船のことなんか知らなかったし、この世界に来たのもオレの力じゃないんですから」
「どうやって来たかは関係ない。来たいという意志が重要なのだ。≪永遠の都≫はその者にだけ扉をひらく。だから私が迎えに来たのだ」
ポップは聞きたいことが多過ぎて口が利けなかった。その前に、船長が言葉をついだ。
「しかも、君の場合はいささか特殊だ。私は君だけをあそこで乗せる予定だった。しかし君は、その猫を連れていた。これも前例に無かったことだ。……君達には、たくさんの秘密があるようだな」
ポップは唇だけをゆがめ、音を立てずに笑った。いかにも何か企んでいるような、しかし魅力的な笑いだった。
ポップはラテルを抱きあげ、話題を変えた。
「タネローンにはいつ着くんですか? 船長」
船長も特に拘泥せずに答えた。
「今だ。しかし君の求める都ではない。≪永遠の都≫のとるひとつのかたち、イムルイルだ」
船長が示した先をポップは見た。が、何も見えなかった。
「……海しか見えないんですケド」
「君の望んだ都ではないからだ。ひとりひとり、求める理想が違うのは当然だろう?」
「≪永遠の都≫に住む住人の数だけ、都があるということですか?」
「いや。≪永遠の都≫はひとつだ。重なる次元が違うだけだ」
ポップは理解する努力を放棄した。考えるだけムダなことはしないほうが得策だ。
早い話が、ダイの所に行きたいと願っていれば、タネローンは勝手に姿を現してくれるわけだ。放っておいても船長は、ポップをタネローンへ運んでいってくれるだろう。悩むほうが馬鹿馬鹿しい。
船長はある客を船室に呼びにゆき、ポップは船長を手伝って、ポップには海にしか見えない場所に縄ばしごをおろした。
客は目を輝かせ、船長に礼も言わずに降りていった。とりあえず、ああはなるまいとポップは思った。
「失礼な人でしたね、船長」
船長は怒ったふうもなく、
「君が気にすることはない。慣れているよ、私は。みな、疲れているのだ。≪永遠の都≫で、その疲れを癒したらいい」
「オレにはよくわかりませんが──」
ポップはそこで言葉を切って、
「≪永遠の都≫ってーのはどんな国なんですか? オレはそんな基本的なことも知らないんだ。オレがそこに行きたいのは友人がいるからで、他にどんな理由もありませんよ」
「ほう」
非常に意外そうに船長は、
「それは本当に珍しい。≪都≫そのものではなく、そこにいる友人を訪ねるというのは。では君が求めているのは≪都≫の与える安らぎではないのだね?」
「だからなんなんスかその安らぎっつーのは。都がお母さんみたいに抱っこしてくれるとでもいうんですか」
「その通りだ」
「へ? マジで?」
船長は話し始めた。少し真面目に説明してくれる気になったらしい。
「それなら君が知らないのも無理はないが、タネローンは別名≪赤いガラスの都≫と呼ばれている」
「質問。ガラスって何ですか?」
この時代、ガラスはまだ普及していない。
聞くは一時の恥である。ポップはわからないことをそのままにしておく気はなかった。
「薄く透明な板のことだ。どうやってつくるのかは私も知らない。赤といっても朱に近いガラスが半円のドーム状になって、タネローン全体を覆っている。その中では光は常に夜明けのあかつきに満ち、産まれたての赤子のような気持ちになるという」
「知能まで逆行してないでしょうね」
「はは、それはない。住人が全員赤ん坊になったら大変だ。タネローンにはおしめを取り替える手も何も無いからな」
ポップの少々シニカルな発言に、船長は屈託なく笑って答えた。
「では記憶は? 記憶が残ってないとダイは、あ、これ友人の名前ですけど、オレのことがわからなくなってしまいます」
「記憶も残っている。ただ、もうそれに振り回されることはない。言ったろう? 傷つき疲れた人間がタネローンを目指すのは、そこが安息をもたらしてくれる地であるからだ」
「それじゃ、そこはすぐ人で一杯になっちゃうじゃありませんか」
「そこがうまいこと出来ていて、≪永遠の都≫には自ら住人を選ぶ力が備わっている。≪都≫のめがねにかなった者だけが、出入りを許されるのだ。たいてい勇者や戦士だな。向こうの世界で効なり名を遂げた者」
「ダイは勇者ですからね。なるほど、資格十分だな」
「君もあるだろう。友人が勇者なら、君はさしずめ賢者か魔法使いといったところか」
「大魔道士です」
「ふむ。謙虚だが、傲慢な名乗りかただ。君にふさわしい」
船長は声をあげて笑った。
ポップが師と同じく、大魔道士と名乗っている理由がわかったらしかった。
>>>2002/6/23up