「それでは、その友人が、君の『夏への扉』というわけだな」
「『夏への扉』?」
「ああ。私も、昔猫を飼っていてね──」
船長は急に昔をなつかしむような口調になった。
船長が頭を撫でると、ラテルは薄情にもすぐにポップから船長の手の中へ移った。
「まだ私は子供で、陸に住んでいた。茶色の虎猫で、ピートという名だった。冬になると私は、ピートについて彼のために、家じゅうのドアというドア、窓という窓を開けてまわるのだ」
「………?」
一瞬、ポップは船長が何を言い出すのかと身構えた。
「その頃、ピートはエサと天候管理は私に任していた。ピートは冬になり、雪という白いいやらしいものを見つめると、晴れた空と乾いた土をよこせと私にせがむ。仕方なく私は、ピートが納得するまでドアを開けてやって、しぶしぶ納得するとまた次のドアを開けるという巡礼の旅を続ける」
ラテルは気持ちよさそうに、目を細めて咽喉を鳴らしている。
「ピートはすべての扉を全部試せば、どれかは必ず夏に通じるという信念を持っていたのだよ。それは、たくさんの次元を流れてようやく≪永遠の都≫に辿り着く勇者たちとダブる。あきらめなければ、求めるものは必ず手に入るのだよ。もちろん、私もピートに賛成だ」
この少し斜に構えた船長の口からこんなセリフが出てくるとは思わなかった。ポップは妙に嬉しくなって、言った。
「いい話ですね」
本心だった。
「それが、『夏への扉』……?」
「そうだ」
「では船長、あなたにとっての『夏への扉』は?」
「この船さ。私はあらゆる世界、あらゆる次元に行って人々を≪永遠の都≫まで運ぶ。君は怒ったが、客人が疲れた顔に心からの笑みを浮かべて下船するとき、私は非常に幸福感を味わっているのだ。この船に乗れてよかったと思う。船長になれてよかったと思う」
船長は、今でもピートのために扉を開けてやっているのだなとポップは思った。どういう成り行きでこの船に乗りこんだのかは語らなかった。聞く必要もないことだった。
「ありがとうございました船長。すごく参考になりました」
ポップは礼を言って、船長から離れた。そろそろ、波の音が耳についてきたからだった。
海は嫌いだ。潮の匂いもべたつく海風も。
いやなことを思い出す。自分が先走ってダイを見失った、死の大地のそぱの、北の海。ダイの剣の突き立っている、パプニカの岬の前に広がる海。
どちらも、ポップが一番嫌いな場所だ。海はいやおうなく現実を突きつけてきて、ダイはいない、ここにはいないとささやいているような気がする。
もちろんこの海とあの海とは違うけれど、どこまでも続く海原、見ていると気持ちが悪くなってくる。
ポップは船室に入り、身を横たえ、目を閉じた。ラテルがすぐ脇にごろんと丸くなったのがわかった。ポップはラテルに手をあて、思った。
……タネローンる永遠の都……楽園。
ダイの『夏への扉』は、タネローンのことだったのだろうか?
まあ、どこにいても、ダイが幸せならそれでいい。
本当は自分達がその幸せをあげたかったのだけど、そのために働いてきたのだけど。
ヘンだな、これではタネローンに嫉妬しているみたいだ。
ふとそう思ってポップはおかしくなる。
都に嫉妬しても仕方ない。そんなことを考えたってどうにもならない。今更。
手からラテルのぬくもりが伝わってくる。毛玉のあったかいかたまり。これに、どんなに助けられてきたことだろう。
船長が言った。君達にはたくさんの必要があるようだな。そんな大した秘密じゃない。でも、ダイに会うまでは、誰にも教えるつもりはない。ダイにさえ、教えないかもしれない。忘れているなら、知らないほうがいい、きっと。
「な、ラテル」
「……ミャアウ」
ポップの思考が聞こえたかのように、忠実にラテルは返事をした。
※
「見えてきたぞ、タネローンだ」
船長の言葉にポップは文字通り船室を飛び出して、甲板から身を乗り出して目を皿のようにして見えてきた島を見つめた。
「あれが、タネローン……!」
ポップは思わずつぶやいていた。
海から見たタネローンは暗い風景の中で、そこだけ光を浴びたように明るく浮かびあがっており、いかにも≪永遠の都≫、という貫禄と風情を漂わせている。強い光じゃない、まわりと溶け合うような、自然な淡い色だ。
あそこに、ダイが、いるのだ。ポップは片手でラテルを抱きああげると、
「オレこっから飛でゆきます、船長。ここまでありがとうございましたッ!」
飛翔呪文を唱えようとしたポップを船長が止めた。
「待ちたまえ、急がなくってもタネローンは逃げやしない。それより、君は友人に会ってどうするのかね? 連れ戻すのかね? それとも、一緒にタネローンで暮らすのかね?」
「そんなことを聞いてどうするんですか?」
「行きと同じく、かえるためにはこの船が必要だ。もし君が出てくるつもりなら、少しくらいなら、待ってあげてもいい」
「……まるで今まで出て来た者がいないみたいですね」
「まさに。タネローンに入って出てきた者はいない。過去にも、ただの一人も。あまりにも居心地が良すぎて、そこから去ることなど考えられなくなってしまうのだ。でも君の目的はタネローンではないから、君は、……どうかわからない」
予想外のことを言われ、ポップは戸惑った。
「少しって……どれくらいですか?」
「三日間だ」
「三日……!!」
余りに短いと思ったか、ポップは頭をかかえて考えこみはじめた。
「出てくるつもりなら、三日間が限度だ。それ以上は、君でもタネローンの魅力に絡めとられてしまうだろう」
追い打ちをかけるように船長が言った。
船はどんどん陸に近づき、やがて、接岸と同時にポップは顔をあげた。
「……では、船長、オレがタネローンに行って帰ってくる第一号になるでしょう。ダイがどうするかはわからないけれど、オレだけは、必ず」
「待っていよう」
船長は舳先に立ち、飛んでゆくポップを見送った。
行く手には、赤いガラスのドーム、君の幸運が、君の勝利を勝ち取りますように。
>>>2002/6/28up