「ゴメちゃん!? ほんとに!? だってゴメちゃんは、あのとき……!!」
十年前に。
大魔王バーンの手で。
「砕けてしまったはずなのに……再生、したんだ。ポップが見つけてくれたの!? ゴメちゃんを」
「偶然だけどな」
ポップは照れくさそうに笑って、ラテルをダイに手渡してやった。
ダイはぎこちない手つきで、ラテルを撫でた。
「一年とちょっと前だよ、オレは自分の部屋で持ち帰った仕事をしていた。やってもやっても終わんなくて、いい加減うとうとしていたらしい。部屋の片隅が眩しくて、オレは目を覚ましたんだ……」
ポップはそのときのことを思い起こしながら言った。
最初は、夢だと思った。
たんすの影になってよく見えない。でも何故か懐かしい、見覚えのある光だと思った。
夢なら、何が起こっても不思議じゃない。
そこに『神の涙』があっても。
「ゴメ……? と、オレはつぶやいてそれを手に取った。金色の、しずく型の、ゴールデンメタルスライムになる前の姿だった」
『神の涙』の元の姿は知らなかったけど、間違いないと思った。
「そのとき、おまえを捜しに行こうと思ったんだ。ダイにゴメを見せてやればきっと喜ぶと思って。でもゴールデンメタルスライムじゃ正体バレバレだから、上から変身呪文をかけて、名前もラテルと変えて」
黒猫は何も知らぬげに、ダイの手の中で毛づくろいをしている。
聞いていたダイが口をはさんだ。
「ゴメちゃんは、ポップの部屋に現れたの!?」
「ん? ああ、そうだよ」
それがどうかしたか──と続けようとしたポップに、ダイがラテルもろとも抱きついた。
「ダ、ダイっ!?」
「すごい! すごいよポップ!! 『神の涙』ってねえ、世界で一番けがれていない場所に生まれ落ちるんだよ!!」
「へ!?」
「ゴメちゃんが消える間際に教えてくれたんだ。世界で一番けがれてないからデルムリン島に生まれたんだって。でも今は、ポップの部屋なんだ。これはすごいことだよ」
「ダイ」
腕の力が強すぎて息苦しい。
「フギャ!」
ダイとポップにサンドイッチにされたラテルが鳴いて、ダイは慌てて離れた。
「あ、ご、ごめん。ラテル」
「……ゴメでいいさ、おまえなら。どうする? 呪文をとけば、『神の涙』に戻るが」
ポップはさりげなく、そっと咽喉に手をやった。
「それって、ゴメちゃんの姿に戻すかってこと?」
ダイはラテルを見ながら困ったように考えこんで、
「うーん……でも、今はポップのラテルだよ。ポップ、ラテル可愛がってるもんね」
にっこり笑って、言った。
「それに、どんな姿でも、オレは友達になれる。次も、絶対見つけだして友達になるって誓ったんだ。ポップが連れてきてくれなければ、その願いはきっと叶わなかった。ねえ、話してよ。ポップとラテルの冒険を」
「……そうだな。でも、まずメシ食ってからだ。ごちそうつくってくれるんじゃなかったのか?」
「ひどい、いつから起きてたんだよ! いいけどさ、手伝ってよ」
「それよか顔洗わせてくれ。手伝うのはそのアト」
「井戸なら裏にあるよ」
ダイにタオルを借りて、ポップは一人で裏庭に出た。
井戸はすぐわかった。冷たい水で顔を洗いながら、ポップはダイが何気に言った言葉を反芻した。
その願いは……叶わなかった。
それはダイが、二度とパプニカに戻るつもりがなかったことを示している。ゴメに限らず、レオナにもマァムにも、パプニカに戻らなければ二度と会うことは出来ないのだ。もちろん、本来ならこの自分にも。
ポップは顔を振って水を飛ばした。予想していたことだ、そんなことは。考える時間はたっぷりあった。それこそ一年も。
ポップはもう一度、頭を冷やすために顔を洗い、今度はタオルで顔を拭うとダイを手伝うために部屋に戻った。
「……うまい! しばらく会わない間に、腕をあげたなー」
そう言ってポップはダイの料理に舌鼓を打ったる
「そりゃもう、自炊生活が長いもんで。ち、ちょっと、ポップ、何してるんだよ!?」
「見てわかんねーのか? ラテルに食わせてるんだが」
椅子は二脚しかなかったので、ラテルはポップのすぐそばの床にちょこんと座って、手から直接料理を貰っていた。
「……それは猫用じゃないんだよ」
ダイはテーブルに肘をついて言った。ポップはフォークをダイに向けて、
「オレとラテルはいつも同じものを共有してきた。本当はテーブルの上にのせてやりたいのをダイの手前ガマンしてやってるんだぞ。それとも何か? おまえ、ゴメにもそーいうこと言ってたのか?」
「う……」
ダイは詰まった。
ふん。ざまあみれ。頭ではわかってるんだろうが、まだ行動がついていってないようだな。
いったん引っ込めた意地悪の虫が、さっきの言葉でまたぞろ騒ぎはじめたようだ。しかし今回は、ラテルに関してダイに躾をするいい機会だ。ポップは一歩も引く気はなかった。
「……ごめん。つい、普通の猫みたく思っちゃって。謝るから、許してくれる?」
素直なのがダイのいいところだ。
「よろしい。今後、ラテルに対する尊敬を忘れないように」
非常にえらそうにポップは言ったが、ダイは怒ったようすもなくニコッと笑うと、自分もおいでおいでをしてラテルに手から料理を与えた。
食事をすませ、デザートのくだものを持って二人と一匹は暖炉の前に移動した。敷物の上に寝そべって、楽な姿勢で話をはじめる。
「まず始めはエルウェストランドからだな」
冒険と言ってもそこと≪あるはずのない海≫しか通ってない。うらいラッキーな道のりだったなあ、と今更ながらに感心して面白おかしくポップは話した。≪泉の女王≫の忠告を忘れたわけではない、しかしあえてその点には触れずに語った。船長との会話も割愛した。
「それじゃ、次はパプニカの話をしてよ」
あっというまにポップが語り終えてしまうと、ダイはそうねだった。これは……、いい傾向かもしれない。ポップにではなく、レオナにとって。
「……ああ、おまえのおかげで、世界は平和を取り戻したよ。オレはパプニカの宮廷魔道士として、レオナの命を受けて世界中を飛び回った。あんなことがあったってのに、人間っつーのはしぶといというか何というか、十年も経てばすっかり元通りだ。レオナはおまえの剣を祭って、今もおまえの帰りを待っている。結婚もせずにな」
ポップはそこでこっそりダイの顔色をうかがい見たが、ダイは平然として質問を口にした。
「ふうん、レオナは独身かあ。じゃ、マァムは? ポップと結婚したの?」
ぎくっとした。藪をつついて蛇を出してしまったようだ。
「あ、ポップはメルルと結婚したのかな? 最後の方、結構いい感じだったみたいだし。どうなの? ポップ」
「え、えーと……」
無邪気に言ってくれるのに、どう説明したものかポップは困った。ポップは二人を泣かせたままここに来てしまった。もう帰ろうとは思わない。ダイと同じく。
「ノーコメント」
ポップは返事を逃げた。ダイが色々わめいているが、やかましい、こっちにも事情というものが沢山あるのだ。
「ピラァ・オブ・バーンもオレがしっかり駆除しといたからな、メドローアで。もう黒の核晶の心配もいらない。なんと有能な魔法使いであることよ。三賢者にもメドローア教えてみたんだけど、出来なかったからしょーがなくオレが全部やった」
「ぷっ」
ダイは苦笑した。話をそらすのには成功したようだった。そらさせてくれたのかもしれないが。
ポップの話が終わっても、ダイは自分のことを話そうとはしなかった。ポップも何も言わなかった。
話が終わると二人は外に出て、ダイが家庭菜園で栽培している野菜を収穫した。これが今夜のおかずになるのだるそのあと、牛(?)の乳しぼりを体験して、しでしぼったりしぼりたてのミルクを飲んだ。ほのかに甘くあたたかく、まだ泡がたっていた。牛乳ギライのポップが、初めておいしいと思ったミルクだった。
こうしていると、ダイがここを離れたがらない気持ちがよくわかる。暮らしそのものはパプニカの山奥でも可能だろうが、ここでは誰がどんな素性であろうと詮索しない。タネローンは神様公認の、隠れ里のようなものなのだ。
そして、あの朝の曙光。自動翻訳機能とともに、タネローンを≪永遠の都≫たらしめている光。
あの光には、……不思議な浄化作用がある。
優しく心の扉をひらき、その奥にひそむ、悲しみや苦しみを溶かしてくれる。船長の言ったとおりだ。住人はあの光によって生まれかわり、毎朝それを浴びることで生まれかわった自分を維持し続けているのだ。
この自分も、とポップは思う。今朝あの光を浴び続けていたら危なかった。自分は忘れたくない、どの苦しみも悲しみも、感情の、ひとつひとつを。
ダイは忘れてしまったのだろう。レオナのことを聞いても眉ひとつ動かさなかったのがその証拠だ。
十年。十年は長い。長すぎる。少なくとも、人々の記憶から薄れる程度には。
彼女は待っている。これからも、待って、待って、待ち続けるだろう。
思いをかけ返せとは言わない。だが、せめて……もう少し、実のある言葉を投げてやっても良いのではないか。そのためになら、自分の魔法力を使ってもいい。伝言を持ち帰るためだけにパプニカに戻るつもりはさらさら無いが、いずれどこかの世界で、異世界にメッセージを送る方法がみつからないとも限るまい。
「……どうしたの? ポップ」
いつのまにか思いに沈んでしまっていたらしい。
ダイが不安そうにポップを見ている。
「……ああ」
以前の、守りたかった少年の顔。
「なんでもないよ、さ、晩メシの支度をしよう」
遠い記憶、遠い想い、遠いどこかにいる誰か。
守りたくて守れなかった少年は、ポップの手の届かないところで立派に大きくなっていた。少年がそれを望んだのだ。自分には何も言えない。だから。
「なんかメシ食ってばかりのよーな気がするぞ」
「気のせい気のせい」
ポップとダイはおのおの収穫を持って、メニューをあれこれと議論した。彼らの手でつくれるものなど、いくら料理の腕が上がったところでたかが知れていたが。
その日の夜は、二人で寝台に眠った。
昨夜、どうもダイは床で寝たらしかったので。
>>>2002/7/17up