薫紫亭別館


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「ダイ……」
 暗い夜の中で、ポップはダイを見つめていた。
 ダイが寝入ってしまうまで見つめていた。そのあとも、まだしばらく立ち去りがたく見つめていた。
 ポップは既に身支度を整え、寝台のわきに立ち、手でダイの前髪をかきあげた。
 まるで無防備に眠っている。安心しきって、幼い子供のように。
「良かったな……ダイ」
 その寝顔に、ポップはつぶやいた。ポップが見たことのない寝顔だった。
 親友、と言ってもたった三ヶ月足らずの期間だ。
 戦いに明け暮れた、子供ではいられなかった日々、ポップはいつもダイの隣にいた。ダイの苦闘をつぶさに見てきた。ダイは最初から強くて強くて、戦闘に関してはほとんど心配はなかったけれど、反面、ポップはダイがまだ当時十二歳の子供でしかなかったのを忘れたことはなかった。
 十二歳。ポップが故郷のランカークスで、両親に甘え倒していた時期だ。たいていの子供にとっても同じだろう。
 勇者にあこがれる子供はたくさんいる。だがその子供がみな勇者になるとは限らない。誰がわざわざつらい修業をして、命を危険にさらしてまで世界のために戦わねばならない?
 ましてや、純粋な人間でもないものを。
 ダイの苦悩はつねにそこにあった。自分は人間ではないかもしれない、そのためにときには迫害されながら、人々は彼を頼るしかなかった。
 ポップは守りたかったのだ。
 ダイの、竜の騎士であるという、どうしようもない真実から。ちいさな子供、その手に、強大すぎる力を持って生まれた。
 どんな力を持っていても、子供は子供だ。子供はそんなこと気にせずに、甘えたらいいんだ。
 ポップはそう言ってやりたかった。事態はますます深刻さを増し、とてもそれどころではなかったけれど。
 ポップは自分が泣いているのに気づいた。ぽたっという音がしてシーツの上に染みをつくった。
「さよなら……ダイ」
 影と影が重なった。影はすぐ離れ、涙を拭くと黒猫を呼んだ。
「ラテル!」
 黒猫は完全に闇と同化していたが、目だけがらんらんと光っていた。猫嫌いの人間が、おそらく筆頭にあげるであろう理由の、闇の中でもかすかな光を集めて光る目。それが、音もなくポップに近寄ってきた。
 ポップは黒猫を抱きあげて、言った。
「後は頼むな、ラテル。オレの代わりに、ずっとダイについててやってくれ。おまえがいてくれるなら、オレは安心して逝ける」
 ポップはなすべきことをした。満足だ。後は、ラテル、お願い。オレの願いを。
 黒猫はポップの手からおろされると、すぐに寝台のダイの隣に陣取った。そして安心させるようにニャア、と鳴いた。
「うん」
 ポップはかすかに笑い、家を出た。
 暗い夜の中を、船めざして後も見ずに走った。

                    ※

「……この船には大抵、心と体に傷を負った者が乗る──」
 真夜中に戻ってきたポップを、いつ寝ているのか、起きていた船長が出迎えて、
「……君も、病んでいたのだな。≪大魔道士≫ポップ」
 甲板上でポップは、激しい息を整えていた。
 全力疾走は失敗だったかもしれない。病んだ体に無理がかかって、息が出来ない。血がひいて、手足の先が冷たかった。これが全身に回ったとき、そのとき自分はいなくなるのだとポップは思う。でも。
「まだ……大丈夫ですよ。これくらいなら何度か覚えがありますから。船長の船を穢すようなことはしません」
「ゼイゼイしながら言うことか。誰がそんな心配をしている。とりあえず、君を船室に運ぼう」
「い……いや、結構です! じっとしてれば治りますから、いやホント!」
 ほかの者に触られたくなかった。まだダイの手の感触が、体中に残っているのに。
「そうか」
 意外に船長はあっさりと承知して、毛布を取ってくると言い置いて船室に向かった。一人で落ち着く時間をくれたのだろうとポップは思った。
 ダイは幸せそうだった。素直な、けれんみのない笑顔、出会った頃のような、子供子供した。
 それは、ポップが一番ダイにあげたかったものだ。
 もしダイがすぐにパプニカに戻ってきてくれていたら、自分かもしくはレオナでも、ダイにそれをあげられたかもしれない。だがダイは、パプニカに戻る代わりにタネローンに来ることを選んだ。
 それほど、ダイは疲れていたのだ……と、ポップは思う。パプニカでは傷が癒せないほど、自分達がいては落ち着けないほど。
「………」
 ポップはうすうす気づいていた。
 ダイが帰ってこなかったのは、帰れなかったのではなく、『帰りたくなかった』からだ。
 自分でここに来て、はからずも証明してしまったが、絶望はしない。そんな高等な感情を持つには、ポップはもう齢を取りすぎている。
 ≪女王≫よ、あなたは未来は決定済みの過去ではないと言った。でもオレの未来は決まっている。師匠がオレに、教えてくれた。
「……私はその友人が、君の求める『夏への扉』なのかと思っていた」
 船長が戻ってきて、ポップに毛布をかけてくれながら言った。
「そうではなかったのだな?」
「ええ」
 淡々と、ポップは答えた。呼吸はだいぶ楽になってきたようだった。
 船長は正面からポップの目を覗きこんで問うた。
「君の、『夏への扉』は何なんだ?」

>>>2002/8/4up


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