薫紫亭別館


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 大魔道士ポップは世界最高最強の魔法使い。
 彼の魂は死して後も自らの魔法力を込めた指輪の貴石にとどまり、彼の助言を求める者には、彼の娘、巫女であるクロエ姫の願いに応えて顕現する。
 本来なら口寄せ程度なのだろうが、ポップの魔法力と、血を分けた親子であるという相性の良さが、外見までポップの体に変化させてしまうらしい。……と、レオンは後から聞かされたが、その時は呆然として、顔を突き合わせて口角泡を飛ばす大魔道士様と、父とを見守る事しか出来なかった。
「オマエだろ、ダイ。あのモンスター潜ませたの」
「久し振りに会ったんだから、そんな細かいこと気にしないで再会の喜びを分かち合おうよ」
「いいから吐け。どっから連れてきたんだあのモンスター。わざわざデルムリン島から連れて来たのか!?」
「結構大変だったんだよ。パーティーのスケジュールに合わせてデルムリン島へ戻って、協力してくれるモンスター探して、誰にも気付かれないように連れて来て、塔の中に隠れてもらって。あ、中は荒らさないようにお願いしといたから、多分キレイだと思うよ。おなかが空かないように食料も差し入れしといたし、扉は……オレが責任持って直しとくし」
 ちろ、と壊れた扉を流し見しながら父が言う。
「ンな事聞いてるんじゃねえ。何でそんな真似をしたかって聞いてるんだ」
 大魔道士様は大きく仁王立ちをして言った。
 父は自分より僅かに低い大魔道士様を器用に上目遣いに見上げながら、
「……だって、ポップ、こうでもしないと起きてくんないじゃん!」
「逆ギレすんなっ!! 当たり前だろ、クロエちゃんに負担がかかるんだからっ!」
 うっわー。
 レオンは驚いた。怒鳴りつけられている父を見るのも初めてなら、しょぼんと肩を落としてしょげている父も見るのも初めてだ。いや母にもしょっちゅう怒られているが、母の場合はストレス発散を兼ねていて、父に非がない場合がほとんどなので、まずこんな悄然とする事はない。
「大体、オレがクロエちゃんを助ける為に出て来なかったらどうするつもりだったんだ。あれ、レオンだろ? 自分の息子まで巻き添えにするつもりだったのか」
「……ごめん。まさかレオンが、一撃も加えられずに背を向けるとは思ってなくて」
 うう、胃が痛い。思わずレオンは腹を押さえた。
「ちゃんと教えてやれよ。お前が鍛えなきゃ王子様なんてボンボン、誰が本気で相手するんだ」
「一応基本は教えたんだけど、そうだね。もう少し厳しく仕込んでみるよ」
 勇者と大魔道士のコンビが揃ってレオンを見た。もの凄いプレッシャーだ。
 普段は昼行灯の父が、途轍もなく大きく見える。
 ……ん?
「こら、ダイ。ぺたぺたくっつくな。この体はクロエちゃんのなんだからな」
 父は大魔道士様の肩を引き寄せて、首筋に顔を埋めている。
「いいじゃん。服の上からなんだし」
「良くねえ。馴れ馴れしい。後、教育にも悪い。実の息子の前で、よくそーいう事が出来るな」
「ポップがいない寂しさを全部レオナにぶつけてたら子供が出来ちゃって。若いって怖い」
「うわーダイ、おまえ今、すげー最低なこと言ったぞわかってるか!?」
「と、父さん……?」
 聞きたいような聞きたくないような。
 だがここで事情をはっきりさせておかないと、一生引き摺りそうな気がする。及び腰で、だが勇気を振り絞って、レオンは会話に割って入った。
「あの、父さん。大魔道士様とは、どういう……」
 ああ、と父はにっこり笑うと、
「愛に順列は無いんだよ、レオン。父さんはお前もディーナも母さんも、ポップもみんな愛してるよ。愛は増えてゆくものだからね」
「オレの愛は定量が決まっている。一番目がクロエちゃん二番目がメルル、三番目がようやくオマエだ。何なら、テランの全国民の後に回してやってもいいが」
 つれなく言って、大魔道士様はするりと父の腕から抜け出した。
 ちぇー、と口を尖らせつつも、大人しく父は大魔道士様から離れた。
 その様子を見て、レオンはなんとなくわかってしまった。今までレオンは、好きで尻に敷かれているとはいえ、母と妹に振り回される父を気の毒だと思っていた。お互いあんなのが身内で大変だよね、とこっそり同病相哀れむ事までしていた。
 違う。逆だ。
 父には、母と妹の二人がかりでも物足りないのだ。
 もっともっと振り回してくれる、父と同等の実力を持った、対等の相手が必要なのだ。
「ポップ。もう寝ちゃうの? もう少しだけいてよ。オレ、もっと話したいよ」
 大魔道士様の法衣の裾を掴んで父が言う。
 夕方、遊び相手が家に帰ってしまうのを必死に引き止める子供のような仕草だった。
 大魔道士様はそれを見て、困ったようにばりばり頭を掻きながら、
「……クロエちゃんに、」
 頼んでみろ、と大魔道士様は言った。
「クロエちゃんがいいと言ったら、ちょっとだけ、話相手になってやる。言っとくが、話だけだぞ。妙な真似しやがったらメドローアで、この世から消滅させてやるからな」
 先代の大魔道士様も亡くなられた今は、誰も使える者がいなくなってしまった極大呪文の名称を簡単に口にして、大魔道士様は目を閉じた。ふっとその影が揺らいだ。次の瞬間には、そこにはもう彼女がいた。
「勇者、様……?」
 彼女は半眼になって、眠気を払うかのように何度か首を振った。
「父が……来たんですね。魔物がいたので、私、無意識に父に助けを求めてしまったみたい……」
「クロエ姫、魔物を潜伏させたのはオレです」
 彼女の前で膝をつき、父は深く頭を垂れた。
「無礼をお許しください。卑怯で卑劣な手段だった事は心からお詫びします。でも、どうしても会いたかったんです、オレの親友に。正攻法で行ってはメルルにもポップにも、絶対に突っぱねられると思ったので」
「………」
 彼女は父の告白を聞いても眉ひとつ動かさずに、黙って父を見つめている。
「お願いします! ポップに会いたいんです!! どうかオレにもう一度、ポップに会う機会をください!!」
「……わかり、ました」
 土下座せんばかりに地に額を擦り付ける父に、彼女はやはり無表情に頷いた。
 指輪を包むようにして胸の前で手を組む。祈るように。
 彼女は巫女だ。降ろす神は父親。
 大魔道士、ポップ。
「……クロエちゃん優し過ぎる……」
 二度目の降臨に、父が飛び付く。今度は大魔道士様が何を言っても離れずに、マーキングするように肩口に顔を擦りつけている。草を踏む音がした。ディーナとメルル妃が、こちらに今更のように現れた。
「お目覚めですか、ポップさん」
「メルル」
 大魔道士様は後ろに父をくっつけたままメルル妃に近付いた。
「ごめん、メルル。ダイがワガママ言って」
「いえ、なんとなく予感はしていましたから。パプニカに来れば、きっとこうなるだろうって。心配なさらないで、クロエももう十歳、体も随分丈夫になりましたわ。後で私とも、少しお話してくださいね。もちろん、クロエの体に差し障りがない程度でですけど」
 お二人は特に何も言わずとも通じ合っているようだった。
 父の入る隙なんてないじゃないか。
「ん、わかった。すぐ戻るから」
 大魔道士様は手を上げ、ふと気付いて自分が凍らせたモンスターに近付いて解凍し、回復呪文をかけて意識が戻ったのを見届けてから、おんぶおばけみたいな父を背中に貼りつけた状態で何処かへ歩いていった。
 その姿が見えなくなるまで見送ると、
「おにーちゃんっっっ!」
 すかさずディーナが叫んだ。
「あれ誰!? 大魔道士様って!? クロエ姫はっ!? どーいう事っ!?」
 あの魔物は何だの、危険はないのかだの、ディーナは矢継ぎ早に質問を繰り出す。
 あー……妹よ、聞くな。兄も混乱しているのだ。
「私がご説明しますわ、ディーナ姫」
 思わぬ所から助け舟が来た。メルル妃とディーナは、レオンと彼女が席を離れて程なくして、突然、席を立って走り出した父を追い掛けてここに来たらしい。追い掛けて、といっても気が急くディーナとは裏腹にのんびりメルル妃が歩いていたので、歩調を合わせたらこれだけ時間が経ってしまったらしい。
 恐らくメルル妃には、何が起こったのかお見通しだったのだろう。
 この方も一筋縄では行かないっぽい。見掛けによらず。
「お茶会の途中でしたものね。戻ってお茶の続きをしながら、お話しましょう。人数は減ってしまいましたけれど」
 レオンはディーナとメルル妃とあずま屋に戻って、そこで最初の説明を聞いた。
 あの指輪はメルル妃が、大魔道士様に求婚された時に贈られたものらしい。その時点で既に大魔道士様の魔法力を込めた、物凄い威力を持つアイテムだったが、今は大魔道士様の魂が宿る護符として、二人の娘である彼女が持っている。
 眠れる大魔道士様の魂を呼び覚ます事が出来るのは、巫女である彼女の呼びかけのみ。
 大魔道士、偉大なるテランの先王は、そうして今もテランを見守っている。
 竜の神と代わる、新たなテランの守護神として。


「母さんは知ってたの? 父さんと、大魔道士様の事」
 夕食後、レオンは母の部屋を訪ねた。
「もちろん。っていうか、私より先にダイ君とデキてたの、ポップ君の方だし」
 ぶほっとレオンは吹いた。母はばっちそうに顔を顰めながらも、レオンに手巾を放ってくれた。
 レオンは口もとを手巾で拭いながら、
「かかか、母さんはそれで良かったの!? そりゃ母さんはそーいう事に余りこだわらないみたいだけど、父さんが同性とそういう関係を持ってるって……嫌じゃない?」
「全然。だって私も、ポップ君が好きだったもの」
 レオンはまたも吹き出した。
「あ、彼とか旦那にしたいなー、って思ってた訳じゃないわよ。友人としてね。ポップ君て実際、人当たりいいでしょ? 決して美形ってワケじゃないけど可愛い感じだし愛嬌あるし、強いし、才能あるし。ポップ君がヘタレの頃から知ってる身としては、あの子がこんなに立派になって……! と感慨深いものがあるわね。それに、もしダイ君が帰って来なかったとしたら、ポップ君があんたとディーナの父親だったかもしれないわよ?」
 勇者が無理なら、大魔道士とパプニカ王女を見合わせる。
 これはこれで、父が行方不明だった当時は珍しくなかった論調らしい。
「マァムとメルルがいたから、まず実現不可能だったと思うけど。それに大戦後はポップ君モテまくりだったしね。ダイ君てば嫉妬しまくりで、他の女の子寄せつけないし、実はダイ君の方にも虫はついてたんだけど、ポップ君に夢中で全く気付いてなかったし。だからダイ君がメルルとの仲を許した時は、ダイ君も大人になったわねえ……とこれまた感慨にふけったわよ。てっきりあのまま、愛人として置いておくと思ってたから」
「………」
 五角関係どころじゃない。いったい何角関係だ。
 とりあえず、絶対ディーナには悟られないようにしよう。頭がクラクラする。
 頭痛がしてこめかみを押さえるレオンに、まさしく聖母のような声で母は話しかけた。
「ゴメンね? レオン。自分の父親がとんでもないダメ親父だっていう事を認めるのは辛いかもしれないけど、許してやって。もうアレ病気だから。フェチだから。マニアだから」
 似た者夫婦だの同じ穴のムジナだの、五十歩百歩だの同工異曲だのの言葉が脳内でぐるぐる回る。
 自分とディーナだけは絶対に染まらない、染まらせないようにしよう。
 レオン12歳と二日目の夜はそう、心に誓った。

>>>2011/6/8up


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